「春と修羅」にみる月
   

「春と修羅」にみる月

- 暫定版 -

「春と修羅」にみる月
 この資料は、賢治の詩集「春と修羅」「春と修羅第二集」「春と修羅第三集」の作品から月の存在がうかがえる作品を抜き出し、 その傾向を詩の日付と「月齢」という観点から調べてみました。

月齢の一致度の高い作品について
 詩のなかに登場する月齢(作品上の表現)と、作品に付された日付の月齢(計算値)との一致はどの程度なのでしょうか。 一般に賢治の観察は科学的な経験や天文に関する深い知識に基づいたとされ、「賢治と星とのかかわりにくらべれば言及されることの割合少ない月だが、時々の月の姿を捉える彼の目は、やはり正確なものであった。」 (1)と論じられてきました。 実際に計算して調べてみるとその傾向をより具体的に知ることができます。(2)また一部ではありますが例外もあることがわかります。

  1. 詩の中に具体的な月相にかかわる記載(月齢、半月..)があり、判明する作品は全部で9作品あります

    「春と修羅」
    「風景とオルゴール」「風の偏倚」「原体剣舞連」「青森晩歌」「東岩手火山」

    「春と修羅第二集」
    「発電所」「善鬼呪禁」「函館港春夜光景」「河原坊(山脚の黎明)」

    「春と修羅第三集」
    (該当作品なし)

  2. 詩の中に具体的な月相にかかわる記載(月齢、半月..)はないが、関連した記述があり、それが判定の対象となる作品は全部で4作品あります

    「春と修羅」
    「有明」

    「春と修羅第二集」
    「薤露青」(「林学生」)

    「春と修羅第三集」
    「〔レアカーを引きナイフをもって〕」

 以上の作品を、詩に付した日付の月齢順に表にまとめると、表1のようになります。


表1 - 賢治詩「春と修羅」「春と修羅第二集」「春と修羅第三集」にみる月齢 -

詩集の区分に用いた記号
記 号
 詩 集 
「春と修羅」
「春と修羅第二集」
「春と修羅第三集」

月齢の判定に用いた記号
記 号
 意 味 
きわめてよく一致(真の月齢±1)
よく一致(真の月齢±2)
どちらとも言えない
×
まったく一致しない
特定できる材料が不足

月相
月齢
作品名
(月齢の計算値)
作品の中での月に関する記述
(部分抜粋)
作品
の月
月齢
判定
  解 説  

6.0
風景とオルゴール(5.6) 《ああ お月さまが出てゐます》
紫磨銀彩に尖つて光る六日の月
半月の表面はきれいに吹きはらわれた
はいきなり二つになり

六日の月
月齢が非常によく一致した例です。
 
風の偏倚(5.6) (虚空は古めかしい月汞にみち)
とぎ澄まされた天河石天盤の半月
五日の月はさらに小さく副生し
の突端をかすめて過ぎれば
月あかりがこんなに道にふると
は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
どんどん雲はのおもてを研いて飛んでゆく
月の彎曲の内側から
呼吸のやうに月光がまた明るくなり
はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる

五日の月
「風景とオルゴール」そして「風の偏倚」は同一夜の作品で すが、前者を「六日の月」とし、時間的には後のこの作品で は「五日の月」にしています。 いずれも、みかけ上の許容の範囲内なので、賢治のとらえ方 の変化があるのでしょう。

9.0
原体剣舞連(8.6) こんや異装のげん月のした

弦月
「弦月」の解釈は、「上弦」「下弦」両方あり、またその時期も前後数日間を言う場合があります。
発電所(8.9) 二十日の月の錫のあかりを

二十日月
×
賢治の作品にしては珍しく、表記した月齢と一致しない例で、他に春と修羅第二集の「函館港春夜光景」なども大きく外れます。

13.0
十三夜
善鬼呪禁(12.7) こんな月夜の夜なかすぎ
十三日のけぶった月のあかりには

十三日
月齢が非常によく一致した例です。
 

15.0
満月
薤露青(15.3) そこからが出ようとしてゐるので
 
「わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや」により、宵の薄明時間の月の出ということが判明。 月齢15前後の月であることがわかります。

16.0
十六夜月
有明(16.0) 青ぞらにとけのこる月
 
「青空にとけのこる月」により、早朝または午前中に見える有明の月であることがわかりますが、 月齢として特定する場合15〜22前後とかなり幅があります。
函館港春夜光景(15.5) 地球照のある七日の月が、
地照かぐろい七日の月

七日の月
×
賢治の作品にしては珍しく、表記した月齢と一致しない例で、他に春と修羅第二集の「発電所」なども大きく外れます。

19.0
寝待月
青森挽歌(18.5) 半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ
月のあかりはしみわたり
大ていがこんなやうな暁ちかく

半月
この日の夜明け時(薄明開始)時間の月齢を計算すると、18.1となります。 しかしながら、「半月」というにはまだまだ大きくかなり大幅に脚色が加えられた感があります。 半月の時期には、「上弦」「下弦」両方あり、またその時期も前後数日間を言う場合があります。

20.0
更待月
林学生(19.9) 赤く潰れたをかしなものが昇てくるといふ
がおぼろな赤いひかりを送ってよこし
月のひかりがまるで掬って呑めさうだ
  はだんだん明るくなり
(しかも 
 
この晩、賢治は農学校の生徒たちと岩手山麓を歩いています。 6月21日から22日にかけて出かけたことが年譜により判明していますから、 岩手山麓の月の出の時間を計算すると、この詩の原風景の時間を特定することができます。 実際に計算すると、21日の22時20分から40分頃のできごとと推測できます。 詩の日付は6月22日ですから、時間的には前日の風景を詩にしたことも判明します。 月を「赤く潰れたをかしなもの」とした場合、月齢としては19〜22程度とかなり幅があります。

22.0
河原坊(山脚の黎明)(21.6) ほう、が象嵌されてゐる
しづかに白い下弦の月がかかってゐる
のきれいな円光が
のまはりの黄の円光がうすれて行く
さへ遂に消えて行く
もうはたゞの砕けた貝ぼたんだ

下弦の月
 

24.0
〔レアカーを引きナイフをもって〕(24.3) 西の残りの月しろ
 
×
「月しろ」とは、月が昇ろうとしている時に、月の出前の空がそのあかりで明るくなる様子を指します。 「西の残りの月しろ」とは、月没後の月あかりが淡く見えている様子でしょうか? また、ただ単に「月」としても用いられます。 詩の内容からすると、夜明けの月の方角として「西の」とありますので、満月(15)前後の月齢を示すはずですが、 この日の夜明け(4時30分)として計算すると、月齢は23.6となり、方角は南東の空、大きく食い違います。

27.0
東岩手火山(26.6) は水銀 後夜の喪主
月光は水銀 月光は水銀)
月光会社の五千噸の汽船も
月のあかりに照らされてゐるのか
の半分は赤銅 地球照
お月さまには黒い処もある》
二十五日の月のあかりに照らされて
しづかな月光を行くといふのは
月のひかりのひだりから
また月光と火山塊のかげ
月明をかける鳥の声
はいま二つに見える
のまはりは熟した瑪瑙と葡萄
あくびと月光の動転
とその銀の角のはじが
そして今度はが縮まる

二十五日
この詩のなかで原風景の時間(3時40分)が記載されています。 その時間で月齢を計算すると25.9となります。 (この表では21時の月齢で計算しているため、かなり異なっているかの印象を受けますが、非常によく一致しています) この月齢の時期、たいへん「地球照(アースシャイン)」が美しく見えたと想像されます。

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(1)栗原敦著「宮沢賢治 透明な軌道の上から」新宿書房
(2)テキスト引用の扱いについては、下記のとおりとしました。

  • 詩の中に登場の基準は、「月あかり」などの表現も加えましたが、「月光のような」という具合に比喩的に使われたものは除きました。
  • 詩はすべて筑摩書房「新校本宮澤賢治全集」の本文編によりました。
  • 「月相(月齢)」は、作品に付された日付の21時における月齢(小数点以下は四捨五入)です。同一月齢のなかでは、詩集順、作品日付順です。
  • 「作品の中での月に関する記述」は、月にかかわる内容の引用です(部分抜粋)
  • 「月齢の判定」は、賢治が 「詩のなかで表現した月」と「その日付の真の月齢」との一致の度合を「月齢の判定に用いた記号」により区分します。 (但し、21時における月齢の計算値を判定の指標としているので、夜明けの月などの場合やや誤差が大きくなる傾向があります。 また、必ずしも月齢=旧暦の日付とはならないことを留意する必要もあります。)

  • 1997年3月21日にweb上で公開したものに加筆修正

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