「発電所」の創作 1925(大正14)年4月2日
   

「発電所」の創作
1925(大正14)年4月2日




『春と修羅』第二集の中に「発電所」と題された詩があります。 この詩は1925年の4月2日の日付を持つもので、同日付けの作品として他に「〔硫黄いろした天球を〕」 「〔そのとき嫁いだ妹に云ふ〕」「〔はつれて軋る手袋と〕」があります。 また、この詩の改稿後のものとして補遺に「〔雪と飛白岩の峯の脚〕」という作品があります。

『春と修羅』第二集 五〇八 『発電所』
鈍った雪をあちこち載せる   
鉄やギャプロの峯の脚     
二十日の月の錫のあかりを   
わづかに赤い落水管と     
ガラスづくりの発電室と    
  ……また余水吐の青じろい滝
くろい蝸牛水車で       
早くも春の電気を鳴らし    
鞘翅発電機をもって      
愴たる夜中のねむりをふるはせ 
むら気な十の電圧計や     
もっと多情な電流計で     
鉛直フズリナ配電板に     
交通地図の模型をつくり    
大トランスの六つから     
三万ボルトのけいれんを    
塔の初号に連結すれば     
幾列の清列な電燈は      
青じろい風や川をわたり    
まっ黒な工場の夜の屋根から  
赤い傘、火花の雪を噴きあげる 

この詩は、発電所を見学した時のものでしょうか?細かい施設や機器の名前が登場しています。 大塚常樹著「宮沢賢治心象の宇宙論」収録「宮沢賢治と電気エネルギー、電気的イメージ」の中で、 この発電所は岩根橋にある水力発電所であることが示されています。
その中で、最初に「二十日の月の錫のあかりを」と、月明りの光をすずに例えていますが、月齢を「二十」としています。 さっそく調べてみると、空には月齢8.9(20時)の月が輝いていました。これは賢治の詠んだ月齢と明らかに異なっています。 原因としては、詩の中の月は想像の産物である場合、 あるいはこの年2月15日の詩「奏鳴的説明」から創作がしばらくなかったため、 4月2日付けでその時期までの経験をまとめて創作したためなどが考えられるでしょうか。
この晩の天文暦を計算すると、

月の出  11時12分    
日の入  18時18分    
月南中  18時35分    
薄明終了 19時32分    
月の入  01時57分(3日)

となっています。暗くなると同時に月は西の空に傾き出していて、夜空を明るく照らしていたことでしょう。 シミュレーションした画面(「〔そのとき嫁いだ妹に云ふ〕」と同じ)は20時のものです。


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