「東岩手火山」の創作 1922(大正11)年9月18日
「東岩手火山」の創作
1922(大正11)年9月18日
花巻農学校教師の時代に、賢治は自分の生徒達とたびたび岩手山登山を重ねていました。
なかでも1922年9月17日の登山は夜行登山で、生徒達に星座の説明をしながら登山したことが当時の記録に残されています。
ここでは、日が変って翌18日午前3時40分の東の空を見てみましょう。シミュレートすると、賢治の詩
「東岩手火山」で詠まれた情景のとおりの星空を再現することができました。
詩の中に登場する『縦に三つならんだ星(オリオン座の三つ星)』、『赤と青と大きな星(ペテルギウスとリゲル)』、『オリオン(オリオン座)』、
『星雲(M42:オリオン座大星雲)』、『大犬のアルファ(シリウス)』、そして『25日の月(実際は月齢25.9の月:東の方角)』などを見ることができ
ます。
詩『東岩手火山』より抜粋
それから向ふに
縦に三つならんだ星が見えませう
下には斜めに房が下がったやうになり
右と左とには
赤と青と大きな星がありませう
あれはオリオンです オライオンです
あの房の下のあたりに
星雲があるといふのです
いま見えません
その下のは大犬のアルフア
冬の晩いちばん光って目立つやつです
夏の蠍とうら表です
月齢の値は、計算値と若干の食い違いがありますが、もし眼視での目測なら許容の範囲内
でよく合っているのですが、この時同行した生徒達の作文の中に、(賢治)先生から、旧暦八月十五日(1922年9月16日)は
「満月」で、岩手山頂で満月を拝むとちょうどおわんのようなかっこうに見え、その中から仏さんが三体現われると言われて
誘われたというエピソードがあります。
また、当時生徒であった照井謹二郎さんの文にも「空は底抜けに澄んでいて良く晴れ、満月だった。」という記録もあります。しかし、
この日は賢治が詩の中でうたっているとおり「月齢25」です。前年の9月ならぴったり満月なんですが?
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