「善鬼呪禁」の創作 1924(大正13)年10月11日
   

「善鬼呪禁」の創作
1924(大正13)年10月11日




『春と修羅』第二集の中に「善鬼呪禁」と題された詩があります。 この詩は深夜の農民の姿を描いたものですが、月が登場しています。

『春と修羅』第二集 三一七 『善鬼呪禁』
なんぼあしたは木炭を荷馬車に山に積み      
くらいうちから町へ出かけて行くたって      
こんな月夜の夜なかすぎ             
稲をがさがさ高いところにかけたりなんかしてゐると
あんな遠くのうす墨いろの野原まで        
葉擦れの音も聞えてゐたし            
どこからどんな苦情が来ないもんでない      
だいいちそうら                 
そうら あんなに                
苗代の水がおはぐろみたいに黒くなり       
畦に植わった大豆もどしどし行列するし      
十三日のけぶった月のあかりには         
十字になった白い暈さへあらはれて        
空も魚の眼球に変り               
いづれあんまり碌でもないことが         
いくらでも起ってくる              
おまへは底びかりする北ぞらの          
天河石のところになんぞうかびあがって      
風をま喰ふ野原の慾とふたりづれ         
威張って稲をかけてるけれど           
おまへのだいじな女房は             
地べたでつかれて乳酸みたいにやはくなり     
口をすぼめてよろよろしながら          
丸太のさきに稲束をつけては           
もひとつもひとつおまへへ送り届けてゐる     
どうせみんなの穫れない歳を           
逆に日魃でみのった稲だ             
もういゝ加減区劃りをつけてはねおりて      
鳥が渡りはじめるまで              
ぐっすり睡るとしたらどうだ           

この詩の中に出てくる月は、月齢13とされています。実際に計算してみると、10月11日の 21時で月齢は12.7となりますから、賢治の詠んだとおりと考えても問題ないと思われます。では、いったい何時頃なのでしょうか?  賢治は詩の中で「こんな月夜の夜なかすぎ」と言っていますから、かなり遅い時間であることは間違いないでしょう。 シミュレーションした画面は10月11日24時(=10月12日0時)です。月が空の中ほどにかかり、辺りを明るく照らしだしていたことでしょう。オリオンもすっかり昇って 冬の気配を感じさせる空です。
「十三日のけぶった月のあかりには 十字になった白い暈さへあらはれて 空も魚の眼球に変り」 とはどういう意味でしょうか? 天気が崩れる場合など巻層雲が空に広がっていると、太陽にかかる「日暈」と同様に、 月でも暈がかかります。「月暈(つきかさ)」といい、半径が22度のものと46度のものがあります。つまり月を中心に大きな光の輪ができる わけです。この輪を目玉に見て「空も魚の眼球に変り」と賢治は言っているのでしょう。
「おまへは底びかりする北ぞらの 天河石のところになんぞうかびあがって」という部分は、 北天の銀河を指すものでしょうか? 銀河の流れは確かに北の高い部分に位置していますが、月の明るさや「月暈」もできる薄雲の夜 ですから、実際に天の川はまず見えないでしょう。天河石とはアマゾナイト(amazonite)と呼ばれる淡緑青色の石で、そのイメージ からすると月に照らされた空の様子を石にたとえたものでしょう。


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