「河原坊(山脚の黎明)」の創作 1925(大正14)年8月11日
   

「河原坊(山脚の黎明)」の創作
1925(大正14)年8月11日




『春と修羅』第二集の中に「河原坊(山脚の黎明)」と題された詩があります。 この詩は、1925年8月10日から11日にかけて北上山地の最高峰の早池峰山に登山した時のことが書かれています。 この山行中の作品は4編あり、10日が「〔朝のうちから〕」「渓にて」、 そして11日がこの「河原坊(山脚の黎明)」と「山の晨明に関する童話風の構想」です。 河原坊(かわらのぼう)とはその登山のコース上の地名で、標高1030メートル地点にあります。

『春と修羅』第二集 三七四 『河原坊(山脚の黎明)』より抜粋
わたくしは水音から洗はれながら     
この伏流の巨きな大理石の転石の寝よう  
それはつめたい卓子だ          
じつはつめたく斜面になって稜もある   
ほう、月が象嵌されてゐる        
せいせい水を吸ひあげる         
楢やいたやの梢の上に          
匂やかな黄金の円蓋を被って       
しづかに白い下弦の月がかかってゐる   
空がまたなんとふしぎな色だらう     
それは薄明の銀の素質と         
夜の経紙の鼠いろとの複合だ       
さうさう                
わたくしはこんな斜面になってゐない   
も少し楽なねどこをさがし出さう     
あるけば山の石原の味爽         
こゝに平らな石がある          
平らだけれどもここからは        
月のきれいな円光が           
楢の梢にかくされる           
わたくしはまた空気の中を泳いで     
このもとの白いねどこへ漂着する     
月のまはりの黄の円光がうすれて行く   
雲がそいつを耗らすのだ         
いま鉛いろに錆びて           
月さへ遂に消えて行く          
  ……真珠が曇り蛋白石が死ぬやうに……
寒さとねむさ              
もう月はたゞの砕けた貝ぼたんだ     
さあ ねむらうねむらう         

以下略

この詩の前半の部分を抜粋しましたが、登山の途中で自分の寝床を探している 様子が描かれています。そのなかに、 「しづかに白い下弦の月がかかってゐる/空がまたなんとふしぎな色だらう/それは薄明の銀の素質と」 とありますから、月が出ている時間であり、また薄明が始まっている時間帯であることがわかります。 この日の明け方の時間の天文暦を調べると、

月の出  22時14分(10日)
薄明開始  2時58分     
日の出   4時36分     

となります。月の有無は、前日(10日)の22時14分に出ていますから問題ありません。 薄明で空の色が変化し始めている様子を描いていますから、寝床を探す時間とはいえ、夜明けもそう遠くはない 時間であることがわかります。シミュレーションした画面は、薄明がはっきり認識できる時間として、 薄明開始20分後(3時18分)と仮定し、東の空の画像を用意しました。
月の描写に着眼してみると、

ほう、月が象嵌されてゐる        

しづかに白い下弦の月がかかってゐる   
月のきれいな円光が           
楢の梢にかくされる           

月のまはりの黄の円光がうすれて行く   

月さへ遂に消えて行く          

もう月はたゞの砕けた貝ぼたんだ     

とたくさんあります。 この中で「しづかに白い下弦の月がかかってゐる」と言っていますが、この時間 (3時18分)における月齢は20.9で、賢治の書いたとおり下弦の月とみてよいでしょう。
また、描かれた月は、雲が覆い隠したりする様子を実にさまざまな 表現を用いて書かれていることがわかります。詩の中で、自分の横になった大理石の寝床の居心地が悪く 別の場所を見つけ出しますが、月が見えないことを理由にまた元の場所に戻っていますから、賢治の月へのこだわり がわかります。


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