「林学生」の創作 1924(大正13)年6月22日
   

「林学生」の創作
1924(大正13)年6月22日




『春と修羅』第二集の中に「林学生」と題された詩があります。 この詩は、前日6月21日(土)に岩手山の山開きがあり、午後から花巻農学校の生徒と登山していた賢治達が、山中で 深夜に詠んだものと言われています。シミュレートした画面は6月22日の午前0時ちょうどの東の空です。

『春と修羅』第二集 一五二 『林学生』
ラクムスの青の風だといふ            
シャツも手帳も染まるといふ           
おゝ高雅なるこれらの花薮と火山塊との配列よ   
ぼくはふたたびここを訪ひ            
見取りをつくっておかうといふ          
薮に花なぞない方が               
いろいろ緑の段階で               
いゝやぼくのは画ぢゃないよ           
あとでどこかの大公園に、            
そっくり使ふ平面図だよ             
うわあ測量するのかい              
そいつの助手はごめんだよ            
もちろんたのみはしないといふ          
東の青い山脈の上で               
何か巨きなかけがねをかふ音がした        
それは騎兵の演習だらう             
いやさうでない盛岡駅の機関庫さ         
そんなもんではぜんぜんない           
すべてかういふ高みでは             
かならずなにかあゝいふふうの、         
得体のしれない音をきく             
それは一箇の神秘だよ              
神秘でないよ気圧だよ              
気圧でないよ耳鳴りさ              
みんないっしょに耳鳴りか            
もいちど鳴るといゝなといふ           
センチメンタル! 葉笛を吹くな         
えゝシューベルトのセレナーデ          
これから独奏なさいます             
やかましいやかましいやかましいい        
その葉をだいじにしまっておいて         
晩頂上で吹けといふ               
先生先生山地に上の重たいもやのうしろから    
赤く潰れたをかしなものが昇てくるといふ     
   (それは潰れた赤い信頼!         
    天台、ジェームスその他によれば!)   
ここらの空気はまるで鉛糖溶液です        
それにうしろも三合目まで            
たゞまっ白な雲の澱みにかはっています      
月がおぼろな赤いひかりを送ってよこし      
遠くで柏が鳴るといふ              
月のひかりがまるで掬って呑めさうだ       
それから先生、鷹がどこかで磬を叩いてゐますといふ
   (ああさうですか 鷹が磬など叩くとしたら 
    どてらを着ていて叩くでせうね)     
鷹ではないよ くひなだよ            
くひなでないよ しぎだよといふ         
月はだんだん明るくなり             
羊歯ははがねになるといふ            
みかげの山も粘板岩の高原も           
もうとっぷりと暮れたといふ           
ああこの風はすなはちぼく、           
且つまたぼくが、                
ながれる青い単斜のタッチの一片といふ      
   (しかも 月よ              
    あなたの鈍い銅線の           
    二三はひとももって居ります)      
あっちでもこっちでも              
鳥はしづかに叩くといふ             

賢治は岩手山登山のようすを、生徒達の会話を中心につづっています。 そして、この詩の中で、月の昇る様子を実に巧みに描いていることがわかります。 岩手山からの風景とすると、北上山地からの月の出の様子です。 月の出の方角は東南東で、ほぼ真東にある姫神山の右側あたりから昇ったことでしょう。 詩にも出てくる盛岡は、南東のやや南よりの方角にあたります。

月の様子と時間の関係
日 時
月の様子に関連した部分 解  説
6月21日
22時20分頃
 
月の出時間(理論値)
「山地に上の重たいもやのうしろから」とあるので、月の出の理論値の時間にはたぶん見えないと思われます。
6月21日
22時40分頃
赤く潰れたをかしなものが昇てくるといふ
(それは潰れた赤い信頼! 天台、ジェームスその他によれば!)
月の出20分後(月の高度1.7度)
6月21日
22時50分頃
月がおぼろな赤いひかりを送ってよこし
月のひかりがまるで掬って呑めさうだ
月の出30分後(月の高度3.4度)
状況にもよりますが、高度5.0程度まで大気層の影響で赤くなります
6月21日
23時30分頃
月はだんだん明るくなり
月の出90分後(月の高度10.0度)
「だんだん明るく」ということですから、高度が10度ぐらいまでの様子を示すのでしょう。この場合 想定できる時間の幅がかなりあります。

月が昇る頃の時間の様子を、詩の表現と対照させてみました。 (実際には賢治のいた場所の地形や気象条件などさまざまな要因により条件は変わります) この詩の詠まれた時間帯が幅を持っていることがわかります。 また、この詩の持つ日付は6月22日ですが、「月にかかわる情景」はほとんどが6月21日のものと言えます。賢治は翌日に なってから、この詩をまとめたのでしょう。
続いて、「(しかも 月よ あなたの鈍い銅線の 二三はひとももって居ります)」 と、解釈が難しい部分が出てきます。これはいったい何を示すものでしょうか? 「あなたの鈍い銅線」とは、色の感覚から 赤、または赤銅色のものととれますが、月のすぐ右下に位置する火星でしょうか? でも「二三はひとももって居ります」 という表現との関連がないように思えます。


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