「薤露青」の創作 1924(大正13)年7月17日
   

「薤露青」の創作
1924(大正13)年7月17日




『春と修羅』第二集の中に「薤露青」と題された詩があります。これは、 いったん下書稿として書かれたのち、全文を消しゴムで抹消されたものですが、かなりの文字が消えずに 残っており、研究者の手により判読され詩集などに収められているものです。

『春と修羅』第二集 一六六 『薤露青』
みをつくしの列をなつかしくうかべ           
薤露青の聖らかな空明のなかを             
たえずさびしく湧き鳴りながら             
よもすがら南十字へながれる水よ            
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは         
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から          
銀の分子が析出される                 
  ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり     
    プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は  
    ときどきかすかな燐光をなげる……       
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは       
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい       
水よわたくしの胸いっぱいの              
やり場所のないかなしさを               
はるかなマジェランの星雲へとゞけてくれ        
そこには赤いいさり火がゆらぎ             
がうす雲の上を這ふ                 
  ……たえず企画したえずかなしみ          
    たえず窮乏をつゞけながら           
    どこまでもながれて行くもの……        
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた          
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや        
うすい血紅瑪瑙をのぞみ                
しづかな鱗の呼吸をきく                
  ……なつかしい夢のみをつくし……         

声のいゝ製糸工場の工女たちが             
わたくしをあざけるやうに歌って行けば         
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が       
たしかに二つも入ってゐる               
  ……あの力いっぱいに               
    細い弱いのどからうたふ女の声だ……      
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは         
そこから月が出ようとしてゐるので           
鳥はしきりにさわいでゐる               
  ……みをつくしらは夢の兵隊……          
南からまた電光がひらめけば              
さかなはアセチレンの匂をはく             
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ        
灰いろはがねのそらの環                
  ……あゝ いとしくおもふものが          
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……         
かなしさは空明から降り                
黒い鳥の鋭く過ぎるころ                
秋の鮎のさびの模様が                 
そらに白く数条わたる                 

この詩のタイトルにもなっている「薤露青(かいろせい)」とは、どのような意味で しょうか? 宮澤賢治語彙辞典の解説によれば、「薤露」の「薤(かい)」は「らっきょう」を、そして「露(ろ)」は文字どおり 「つゆ」を示し、直接的には「らっきょうの葉にたまった露」という意味になりますが、中国の故事により 「人命のはかなさのたとえ」として用いられる語とあります。そしてそれに「青」を加え、賢治の造語による色彩表現として 「ただの青さだけでない澄みきった悲哀のニュアンスが漂う」と解説されていました。
さて、この詩の詠まれた日ですが、日付として付された1924年7月17日としてみました。 賢治はそのちょうど一ヵ月後の8月17日に「〔北いっぱいの星ぞらに〕」という星空を取り入れた詩を早池峰山への登山のなかで 詠んでいます。
続いて時間ですが、薄明と月明りによる影響が詩の内容により明らかですので、表に整理してみました。

夜空の様子と時間の関係
夜空の様子に関連した部分 考えられる時間 解  説
 
19時02分頃 日の入時間(理論値)
薤露青の聖らかな空明のなかを
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
19時〜19時30分頃  これらの言葉の中から、薄明の空の明りがまだ天球に残っていることがわかります。この時間帯では 肉眼で見ることができるのは1等星以上、具体的には木星かさそり座のアンタレス程度になります。
 
19時30分頃 月の出時間(理論値)
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出ようとしてゐるので
19時30分〜  19時30分すぎに東南東の空から月が昇ります。月齢15.2、この晩は満月近くの丸い月です。
 
20時55分頃 薄明終了(理論値:太陽中心高度は-18度)
 この時間以降、太陽光の影響を受けずに夜空の星を見ることができます。

よって、賢治の創作の原風景は19時頃から20時頃と判断できるでしょう。このシミュレーションでは、ある程度星たち が姿を現わす時刻として20時20分の南の夜空を再現してみました。
星にかかわるものとして「南十字」「マジェランの星雲」「蠍」などが登場します。 「南十字」や「マジェランの星雲」は岩手からはまったく見ることができませんから、たぶん北上川の河原あたりで 天の川の流れと重ねあわせて想い描いていたものでしょう。また「蠍がうす雲の上を這う」とある部分ですが、アンタレ スの南中高度は花巻でおよそ28度です。さそり座全体としてみるとさらに低い高度になりますから「這う」という表 現はまさにぴったりと思われます。
「この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた」とはどういう意味でしょうか? 星の夜の大河が 天の川を示すとしても、その欄干が朽ち果ててしまった、ということですから空と天の川の境界がなくなってしまったと いうことです。空気の澄んだ場所では、完全に薄明が終了する前に天の川がにじむようにぼんやりと現われる様子を見る ことができます。そういった情景を想像すればよいのでしょうか? 薄明中の天の川として解釈するのは、このことば の後にある「わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや うすい血紅瑪瑙をのぞみ」からすると妥当な解釈でしょう。
詩の後半に登場する「南からまた電光がひらめけば」は星に関連する意味でしょうか?  詩「〔温く含んだ南の風が〕」で南空の「射手から一つの光照弾が投下され」とか、 詩「〔この森を通りぬければ〕」の「南のそらで星がたびたび流れても」と一致する表現 と考えれば「流星」として解釈することができるかも知れません。但し、「橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは  この旱天のどこからかくるいなびかりらしい」という記述がありますから、たぶんさそり座付近にでもある雷の仕業とする のが自然でしょう。
この詩はまた、童話『銀河鉄道の夜』との関連がしばしば指摘されています。 語句をたどるだけでも「南十字」「プリオシンコースト」「マジェランの星雲」「蠍」といった言葉が共通して登場するこ と、天の川を南に下る「銀河鉄道の夜」の旅のコースをも暗示させる詩の内容といい、この詩の内容が童話と関連すると判断 するのも当然なことでしょう。「銀河鉄道の夜」はこの年の12月に初期稿と思われる部分が作成されています。
なお余談となりますが、この晩は満月であり、一晩中月の光に邪魔されて美しい天の川が空 に横たわるような情景を見ることはできないようです。つまり「薄明」や「月明り」のもと、北上川付近の様子を天の川 の流れにたとえ詠んだものと思われます。


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