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私的嗜好よた話…パソコンな話

第二回 (第一回へ


今でこそ、当然のようにパソコンはモニターとセットで売られていたりするが、「MSX」を モニター付で買うなどとんでもない話であった。もちろん、家庭用のTVに繋いで使うのである。 FR端子をテレビのアンテナに繋いで2チャンネルを使う…ファミコンと同じ仕組みである。 我が家のTVは、その当時は茶の間にしかなかったから、パソコンも茶の間でやることとなる。 そのころの私の中にあった、近未来的でかっこいいパソコンのイメージとは、あまりにもかけ離れた ほのぼのとした風景である。使わない時は、ほこりがかからないように赤いふろしきをかぶせておいた ものだ…(笑)。

単体では只の箱であるパソコンは、当然ながら色々な周辺機器やソフトが必要である。 前回書いたように、カタログを眺めてため息をついていたわけだが…はたしてどんなものが欲しかったの だろうか。
たとえば、データレコーダー。パソコンで使うカセットデッキだ。パソコンから レコーダーを操作するには、ラインイン・アウトのほかにコントロール端子というものが 必要である。このコントロール端子があれば、パソコン用のレコーダーでなくともパソコンで 操ることが出来る。現在市販の家庭用カセットデッキにそんな端子は見あたらないが、 我が家にあったカセットデッキにはそれがついていた。これは僥倖であった。 つまり、パソコンだけ買えば、うちにあったカセットデッキが使えたからである。 とはいえ、使ったことがある人は分かるだろうが、カセットテープからのデータの読みだし というのは非常に遅い。とことん遅い。「レリクス」というゲームがあった。 これは、迷宮の中を、影である自分をあやつって、自分の本体を探す…と言うゲームだった(と思う)が、 迷宮の階をひとつ上がる度に、5分間データをロードするのである。信じられないでしょう? カセットテープの転送速度は、標準で1200bps。現在は、モデムでさえ56000bpsを出す時代であるが、 当時はローカルのメディアでその速度である。で、倍速のデータレコーダーというのがあったのである。 発売元はアイワだったような気がする。ちまちまと読み出すカセットテープが倍の速度でさっさと読み出せる… 5分と2分半ではえらい違いだから…本当に欲しかったのだが、結局手にはいらなかった。

やがて、「MSX」に物足りなくなって来た頃に発売されたのが、シャープの「X-1G」であった。 もはや値段は憶えていないが、衝撃的に安かった覚えがある。たぶん、モニターとセットで12万くらい だったような気がする…。パソコンゲームの大半が「PC-8801mkII」「FM77AV」「X-1」用に発売されていた 時代である。最低スペックとは言え「X-1」シリーズの一機種が手にはいりそうだと思ったときの興奮は、 未だに忘れることが出来ない。モニターと、FDD付のパソコンなど夢のまた夢だと思っていた中学生の、 夜も眠れぬ興奮が分かるだろうか??あれ以降、たとえ「PowerMacintosh8500/180」を買ったときでも、 それほどの興奮は味わえなかったものである。
なにはともあれ、貯金してあったお年玉をまたもかき集め、秋葉原のシスペックで「X-1G」を購入したのである。

マシンのスペックはよく憶えていないが、モニターとセットでデザインされたコンパクトな黒いボディーが 精悍であった。
「X-1G」でも、「BASIC」はついてまわってきたが、ほとんどゲームにしか使った覚えがない。 この当時のパソコンは、冗談抜きで仕事に使えるような代物では無かったのである。(もちろん、上位機種は 例外であるが…)
で、この「X-1G」の面白いところは、TVを操れたことである。チャンネルを変えたり出来るだけでなく、 タイマーをかけることも出来た。そしてなによりおもしろいのが、パソコンの画面の黒い部分を透明にして、 バックでTVを見ることが出来たことである。要はスーパーインポーズの要領である。分かりにくい人は… 日曜日の昼間やっている「アタック25」というクイズ番組で、最後に優勝者が、自分がとったパネルだけ 透けてバックの映像が見えるように状態でのクイズに挑戦するが、あれを想像してもらうと分かりやすいだろう。 (え?分からない…?)最近はやりの、画面のすみに小さく画面がでるのとはちがい、パソコンには なんの負担も掛からないから、私には非常に便利であった。この機能を利用して、ビデオディスクと 組み合わせたゲームも発売されていたのだ。しかし…あれ以降、この機能を見かけないのは…やっぱり 見にくいからなんだろうなあ…(笑)

「X-1G」を手に入れ、これで発売されるあまたのゲームは私のもの(買えるかどうかより、自分のパソコンで 動くかどうかが重要であったのだ)と思っていたわきから「X-1G」は過去のものとなっていった。 「X-1」シリーズに上位機種「X-1TURBO」が発売されて、ターボシリーズのみ対応のゲームが増えてきたのである。 なんとも、時代の流れははやいなあ…と、その時は嘆息したものである。

10年以上も前のパソコン、それは電子機器という言葉がもつそこはかとないか細さを、まさに体現していた。 いまでも、記憶メディアは壊れやすいものだが、当時はもうひどいものであった。 友人曰く「昔は地震が来るとまずHDDをおさえたものだよ」。 で、私の「X-1G」もごたぶんに漏れず、FDDが故障したものだ。 最初は、ゲームがうまく起動できなくなった。 DOSすら乗っていない頃のマシンだから、ソフトを起動するにはそのつどリセットをする必要があった。 リセットをすると、FDからソフトを読み込んで起動するのである。 起動しなかったのは日本ファルコムの「ロマンシア」であった。 このソフト、大きな声でいえないが、一時期はやったコピーソフトで友人からコピーしたものであった。 まだ、カセットのダビングのイメージがぬぐい去れていない時期でもあった。 この後、多くのソフトが起動しなくなってしまった。 それならば、サービスセンターなりに持ち込めばいいのだが、中学生の私にはそんな行動力はなく、 結局泣き寝入り…をすることとなってしまった。 それでも、私なりに考え、2台のFDDの上下を入れ換えることを思いついた。 思いついたらいてもたってもいられなくなり、ドライバーで分解を始めてしまったのである。 2台のFDDをはずし、試行錯誤のうえ、ジャンパーピンを見つけ(呼び名は知らなかったが) これが番号を決めているんだろうと当たりをつけて設定しなおし、組み立てなおしたものだ。 結果はあまり芳しくなかったが、パソコンを分解することの面白さを知ってしまい…以後、 買って分解したことのないパソコンは我が家には存在しなくなったのである。(笑)
数年後、「X-1G」を再び引っ張り出して使ってみようと思ったときには…FDDは二台とも 完全に壊れていたことを付け加えておくこととする。


第三回に続く


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