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* ベトナム旅日記・2 *


2000.12.5〜12.20

2000.12.5

フエ3日目。
Thang Long H.=5$
5階最上階。バルコニーに増築した一番安い部屋。
そこここにバルコニーだった形跡が残っている。気になるのは覗かれるということだ。
アジアのカーテンはぎりぎりぎっちょんで隙間が出る。
変な格好で部屋をうろうろするから心配なんだ。
OSAKIと書かれた白いサンダルがベッドの下に忘れられていた。
ここからはフエの南東が望める。

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2000.12.6

フエからホイアンへ。雨模様。
古都に雨はよく似合う。麗江もそうだった。
データ的にフエは雨が多いらしい。しゃーない。
Phu Thinh H.=7$、冷蔵庫付。奥に長〜いホテルの一番の奥。
洗濯物が乾きにくいし、ベッドも湿っぽい。
入り口にあるパソコンでホテルの青年がマリオで遊んでいた。

深夜0時に外で遊んだ白人が戻って来、通路にあるソファーで3時まで馬鹿笑いを止めない。
うるさいと文句を言うが、トホホ、余り通じてないみたい。
「ええ加減にせんかい!今何時やと思ってるんや!」
と英語で言えないのがくやしい!マナーが悪い、静かにするようジェスチャーをする。
そうしたらなんだか喧嘩腰になって近付いてきた。
「怒りたいのはわしのほうじゃ、おまえが悪いんじゃ!」と心で叫ぶ。
・・・・どこからかホテルマンがぶっ飛んできて仲裁に入った。
あたしは他人に常識はずれの迷惑かける人が我慢ならない。
白人は夜型の生活の人が多いので近付きたくない!
後で、思うに・・・・・
「し〜っ!」と言ったのが効いたようだ・・・・「くそったれ!」
知らぬ間に、言いたいことを言っていたのだ。ああ、あたしが怖い!

鶏粥(チャオ・ガー)の旨い屋台を見つけた。3000VD。夕方5時くらいから出店する。
3日続けて通う。この街でグリルド・フィシュを頼むと切り身だったり、1匹だったり。
あたしの好みで言えば、市場で見た太刀魚を塩焼きしてくれる方がいいのになと思う。
バインミーは市場の北側の屋台が繁盛してた。2000VD。
おやつは小さなビニールの袋にはいったヨーグルト・アイス(正式名は不明)1000VD。
輪ゴムで留めてあるのだがはずさず、歯で袋の角をかじって穴をあけ ちゅうちゅうと吸い出すのが正当?みたい。ほんまかいな!うまい。
でも、お腹の弱い人には勧めない。自家製みたいだから。

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2000.12.7

チェックアウトし、荷物を預けミーソンの遺跡へ。
ツアー料金2$、入場料55,000VD。
途中大雨に降られ、雨宿り。
遺跡に彫られた仏像の顔はそぎ取られている。 ホテルの名刺に地紋が入っているのは、ホイアンの流行か・・・

Thanh Binh H.=12$。ちょっと高いが泊まる事に。
だってぇ、バスタブがあるんだもん。
シングル・ベッドとWベッド、冷蔵庫もクーラー(使わないが)も 扇風機もお茶セットもある。
ただ、電源がカード式でキーホルダーに付けてあるので外出の時電源を落とすと
洗濯物の乾燥が出来なくなるのが難。小物なら部屋にいるときに回せば乾くが・・・

あさってのニャチャン行きの予約をいれる。
本当はホイアンからサイゴンへ行く直行のツーリストバスが あればいいんだけどなかったのだ。
きょうも英語がわからず悪戦苦闘!身振り手振りがどんどん激しくなる。
悲しい・・・・

夕食に入ったレストランの女性は口が達者!
白人の青年と結婚したばかりで、しっかり者のようだが、ちょっとうるさかった。
飯時に話しかけないでほしい。あたしは食べるときは一心不乱に食べたいのです。
だって、料理が冷めるもの。

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2000.12.8

大物の洗濯物を頼んだ。ちょっとくやしい。8000VD。
中国の交通飯店以来だ。
惜しいと言うより時間があるので自分でやってもいいと思うから。
ホイアンは小さい街だから何周もしちまった。

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2000.12.9

カオラウを食べに小さな食堂にはいると主人が日本の雑誌を見せてくれる。
ブルータスのベトナム特集の本。この食堂のスープ麺が紹介され、 お礼に出版社から送られてきたものだった。
取材して、本をちゃんと送ってるのかと感心。
当たり前かも知れないが、他にも沢山取材しているからそちらにも送ったかと 推測できたから感心したのだ。
主人は嬉しかったに違いない。よかったね!

以前、ミャンマーのインレー湖にある寺の僧侶がジャンピング・キャットの 載った本を見せてくれたことを思い出す。
夜8時出発。車内泊。乗り心地は良くない。
中国のように寝台バスがあるといいのになぁ。
あのバスって中国独特のものなのかしら。

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2000.12.10

朝の7時頃ツーリスト・バンはニャチャンの某ホテルに到着。チェックインはしない。
夜8時の夜行バスでサイゴンに向かうからだ。
荷物だけ預けてやはり散歩だ、散歩に限る。南の端から北へどんどん。
ニャチャン・ビーチで海を眺め、教会を左に見、バスターミナルを通り過ぎ、
ダム市場あたりでぐるぐる迷い、ソムボン橋の手前で定食を食べ、
ソムボン橋を渡り、ポー・ナガール塔の辺りでUターン。
ポー・ナガール塔は修復工事中。
だから橋の上から眺めただけ。10キロは歩いたかもしれない。

あたしはこの街で大事な旅行人ノートを落としてしまったのだ。
探し回る。落とした範囲はわかっている。しかし、見つからない。
と思ったとたん、4〜5ページがぱらぱらと落ちていた。
本体はなかった。とてもショック!
かろうじてサイゴンについての地図などは持っていたので、きっぱりと諦めた。

ハン・カフェのチケットを買っていたのだがシン・カフェに振り替えらる。
人員の関係か?乗客は7人。
楽しくて、嬉しくてしようがないあたしにとっては理解不可能な日本の女子に会った。
不思議だ、こんなんが旅してるなんて。
誰かが楽しく演出してくれるのを待ってるみたいな女子だった。

夜中の休憩。トイレへ。白人が指さした。「女用はあっちだよ」 ひえ〜ごめんなさい。

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2000.12.11

朝、6時過ぎサイゴン、データム通りシン・カフェの前に到着
フォングーラオ通りのOcean H.=7$へチェック・イン。
文化公園へ行く。広くて静か、あ、時々「カンカン」とリズムをとった フテウの音が聞こえる。フテウの音=屋台のラーメン屋のチャルメラみたいなもの。
店の子供などがこれをたたいて「注文を取りに来たよ」という合図の音。
この公園でメガネがひどく曲がっているのに気づく。ベンチに置いてわかった。
ものすごくだんちなのだ。あたしは思い出をたぐり寄せた。
たしか中国あたりで体で押さえ込んでしまったというか下敷きにした記憶がある。
えぇ〜!そんなに前からあたしのメガネは だんちだったのかと愕然とする(きどるな!)
あちこちの街で笑われていたのはメガネのせいだったのか!
「いいえ、メガネのせいではありません。それはあなたがおかしいからだよ。
その証拠に、メガネが直ってからもわらわれたでしょ?」と影のあたしの声。
少しだけ落ち込む。

フォングーラオ通り・ニュエンタイホック通り東の再開発地域の トタン塀の南側の歩道は糞だらけだった。
犬ではない。なぜ南側か。北側は影があり人が涼むのにとてもいいからだ。
自分の安らぐところに糞はしない。

2〜3日滞在日数がオーバーしそうなのでビザ延長を依頼。
ベトナムは楽しかったので、のんびりし過ぎた。
シン・カフェでは1ヶ月しか受け付けてくれなかった。 *イミグレに行けば少数日数の延長も有るらしい。10日ぐらいまでを1日単位で。
1日10,000VD。その上は1ヶ月単位。これは未確認の情報*
シン・カフェに貢いでるあたしであった。

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2000.12.12

カオダイ、クチ・ツアーに参加。6$。
椰子の実教団、カオダイ宗教の寺は強烈としかいいようがない。
けばくてちょっと怪しい雰囲気がする。敬虔な信者の正午の祈りを見させてもらう。
キリスト教の聖歌隊の歌のようなものもあり、おごそかだった。
・・・天井にツバメの巣があるのが愉快じゃないか!

クチ・トンネルもすごかった。休憩の時タピオカを塩をつけて頂く。
もちっとしてうまい!芋味である。
どくろの看板があった。ここは1970年代ベトナム戦争の激戦区、 地雷はまだいくらかは残っているらしい。

あさりの酒蒸しの安い屋台を見つけた。
夜、8時ぐらいからシン・カフェの斜め筋向かいにやって来る。3000VD。
他の所は5000VDぐらいらしい。ただし、テーブルもイスもない。
あたしは地べたに皿を置いて殻は路上にポイしながら食べた。
ここに連日通ってしまった。
もう一品のお気に入りはプリン。1000VD。
コーヒーと細かく砕いたきらきらな氷をかけてくれる。
プリンの甘さとコーヒーのほろ苦さが、何ともうまいのでいつも2つ食べていた。
場所はブイビエン通りの北向きに入る路地の入り口。フジカラーの看板があり、 南筋向かいにはメンソレータムの女の子の看板。夕方から置き始める。
そしてこの路地を少し入った所にアサリのおばちゃんの家がある。
この辺りは小さい小さい市のようになっている。
あたしが後日泊まったMiss.Ha G.Hもこの路地をくねくね曲がった奥にあった。

フォングーラオ通りにも抜けられるしデータム通りにも抜けられる。

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2000.12.13

ブイビエン通りの東の方にあるカフェ(通路)は、 アイス・コーヒー(カフェ・ダー3000VD)を飲み終わるとお茶をポットに入れて 持ってきてくれるので氷が残ったグラスに注いでアイス・ティーとして楽しめる。
お茶はサービス。ホットのブラック・コーヒーは1500VD。
女主人も控えめで感じが良く何度か通うが、ここの常連に要注意のシクロの 親父がいるので、気をつけろ!
手口は古典的で、観光客が書いたと思われる(さくらかも)喜びと、感謝の手記。

「いい人です。最初私も怪しいと不安だったんですが、行って良かった。
だまされたと思って行ってください。
普通の観光なら行けないところを回ってくれて、おまけにお家に招待してもらい、奥様の豪華な手料理を頂きました・・・
・・・それで50ドルは安いと思います・・・」ご丁寧に写真付。

ひっえええええ〜〜〜〜〜!
いるんだ〜!こんな人って。
なかには、こっそり忠告しているのもあった。

「誘われました。ここは、笑いながら読んでください。いやなら断りましょう・・・」

顔色を変えると、忠告の意味がなくなるからだ。
奴は、40才ぐらい、背は160センチちょっとでやせ型、 色黒で頬ぼね高く目がギョロっとして前歯が数本抜けている。

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2000.12.14

昨日の明け方と今朝の明け方、泊まり客の女が言い争ったり泣いたりしている。
な〜んかおかしい。カップルのようなそうでないような男と女の痴話喧嘩・・・!
チェックアウト、 宿を探す。
データム通りのLe Le H.で安い部屋はないかと聞くと「サーティーン」
「エクスペンシブ」と答えたら路地裏の安いゲストハウスに連れて行ってくれた。
Miss.Ha G.H.=6$、エアコン・扇風機、ホットシャワー、デスク付、清潔。
コンパクトな部屋だが必要なものは全部ある。あ、開けられる窓がないので換気は悪い。

市内1日ツアーに参加。6$。
戦争証跡博物館が印象に残る。
沢田教一氏の名は知ってる人も多いだろう。
当時の反戦ポスターが目を惹く。

チョロン市場はいかにもアジアという雰囲気が気に入る。日を改めて来よう。 ビザ延長をしたパスポートを受け取る。

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2000.12.15

午前中カンボジアのビザを申請しに行く。午後受け取り。
またまた時間がかかる。これは、苦行だ!

ベンタィン市場は小ぎれいで団体の観光客向きのよう。そのせいか食堂は軒並み高い。
インスタント・コーヒーと干しエビを買う。
干しエビをかってどうするかなんて聞かれたくない。
食べるのさ、おやつがわりに。

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2000.12.16

ベトナムの1番の目的はメコン川クルーズ。一泊二日15$。
ガイドは街中を走っているときに、ベトナム人のバイクの必要性を語り 一種のステイタスみたいなことを言った。しかし、高価なのだ。
お金がないと色んな希望がなくなる。「ノー・マネー、ノー・ハニー」とガイド。
大受けであるが、あたしゃしらけたね。
だって少し前のクチ・カオダイツアーのガイドからも聞いたからだ。
マニュアルでもあるのかなと思った。

メコン川はよかった〜。
両岸に住んでいる子供達が手を振って挨拶をしてくれる。
みんなかわいい!
でも、ボートを漕ぎながらすれ違った子供は、じっとこちらを見つめてはいるが表情は硬い。そちらの方が妙に気になった。
メコンのジャングルをボートはゆっくりと進む。
夕陽が反射した川面、椰子のジャングルと舟のシルエットが黒く浮かぶ。
爽やかな夕暮れ・・・

宿で韓国の青年と同室にされる。まぁドミと思えばいいと判断。しかし彼は違った。
既婚者がそういうことをするのは罪になるらしく部屋をチェンジ。内心ほっとする。
部屋の机の上に水が置いてあった。
4000VDか、いや、よ〜っく見るとVDではなく$の文字が!
4000$ひえ〜!いくらなんでもこれは書き間違いだろうと推測できたが、
いや待て待て、あり得るぞ〜!もちろん手は付けなかった。
あたしは結構慎重と言うより、本当は臆病者小心者である。

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2000.12.17

朝、半強制的に宿のレストランへ。
本日昼過ぎまでメコンのあちこちを見学。
帰りのバスでマイクが回ってきた。何か芸をするのがお決まりらしい。
歌えないあたしはハーモニカを吹く。

再びMiss.Ha G.H.にチェックイン。今度は隣の7ドルの部屋に。
3日で20ドルとなる。前回と違うのは、ツィンで開けられる窓がある、ということだ。
あたしは明るい窓付の部屋が大好き。暗いのは気が滅入る。
ここには5つしか部屋はない。
路地裏で入り口も普通の家と変わらないので、連れて行ってもらわないと分からない。

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2000.12.18

チョロン市場へバスで行く。3000VD。
名探偵コナンの文庫本が10数巻並べられていた。海賊版だろうなぁ。
ベトナム語を勉強する人には楽しいかもしれない。

フォングーラオ通りの古本屋さんでカンボジアのガイド本を購入。

靴を洗う。もう1ヶ月洗っていなかった。

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2000.12.19

シンカフェのT/C両替は手数料3%。「高い」と言うと「ベトコン・バンク2%」
でそんなに差はない様な言い方をした。
しかしデータム通りの北角にあるベトコン・バンクの出張所では1.5%だった。
これは大きい。(くーっ!ハノイは無料だった)
ただ、ドルへの両替は持ち金が少ないようなので注意が必要。
昼ぐらいに行くと7時に来てくれと言われる。そして行くと不足し品切れに。
タイミングがむずかしい・・・
ここであたしの知っている人にそっくりな青年を見た。息子さんかもしれない。
彼は両替が出来なかった。

プノンペンまでのバス代12$。
ベトナムではドルをたくさん使ったなぁ・・・

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2000.12.20

7:30チェックアウト。
ゲストハウスの女主人は寝転がったままでバイバイしやがった。
いくらなんでもそれはないだろうと思う。唯一の客だって言うのにね。
朝食はフォー、急いで食べる。
シン・カフェ前には本日のツアー参加の旅人が大勢いた。
あたしはプノンペン行きのバスに乗り込む。
ガイドが名前を読み上げ最終チェックにはいった。1人来ていない。
こら〜!日本人〜!30分ほど遅れてくるが、謝罪はなかった。くそがきめ〜。
こいつはイミグレでも飛び上がってカウンターの中を何度も覗いたりバンのイスでも寝そべって行儀も悪く、次の街で絶対一緒にならないようにと祈った。
もちろん、「こら、覗くな」とか「行儀悪いぞ、みんな辛抱してるのに」 と言ったサ。
あら、怒ってばかりのあたし。

空は青くいい天気だ! 東はベトナムのゲート、そして西にはカンボジアのゲート。
絶対読めない文字があたしにおいでおいでをしている。
よお〜っし!い・く・ぞ!

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