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* タイ旅日記 *


2001.1.4〜16/2001.2.20〜24

2001.1.4

シェムリアップを朝出発し、夕方暗くなってバンコクに到着。
バンコクの夕陽も美しかった。
7時半を過ぎている。私は、あせっていた。
両替もしていないし、宿探しもしなくてはならない。
カオサンの東貴金属の店の前T字路のところで、東西南北も分からない私はコンパスを見、 カオサンの地図を見比べ、歩き出そうとして、ふと足元を見ると、何やら落ちている。

さっきまではなかった。どうもお金のようだ。
え〜?ラッキー!拾ってびっくり1000とか500とかの数字が見えた。
これってお金だよなぁ、
わぁ、今日両替しなくてもいいかもしれない。
今晩の宿代を一晩借りて明日両替してから、交番に届けよう、
いや、ねこばばしようか?いやちょっと大金すぎる、などと頭はちょっと混乱気味。
しかしガイド本に後で持ち主が現れてひともめした挙げ句、
有り金を全部取られるパターンの事件例を知っていたから、
小心者の私は万が一ということを考えて、猫ばばするつもりはないという意思表示として、 お金は手に持ったままだった。
単なる独り合点だったかもしれないんだけど。
いま警察に届けに行くと8時まであいているバンクの両替に間に合わない。
早く、宿を決めたかった。心の中では、明日にしようと決めて荷物をかついだ。
その時、何気なく後ろを見ると小柄な30位の男がいた。

いつからいたのか?
一瞬、これはヤバイ、これは強盗の手口かもしれないと感じた。
黙っているのは危ない気がして、手に持っていたマップを男に見せ
「この交番は?」
「オーバー ゼヤ」
と通りの奥を指さした。
「サンキュー」
もう、今日届けるしかないと、交番を目指す。
男は絶対つけてきていると確信していた私は途中で振り返る。
少し後ろにいた男と目があった。
やはりね、そう思いつつ、私は少し歩くスピードを落としてみた。
男が偶然後ろを歩いてきたのなら、通り過ぎて行くだろうと思ったから。
男は、通り過ぎた。ここで私がどこかに身を隠したなら、男はどうするだろう、
もし振り返って私がいなかったら探し回るかもしれない。数日滞在するのに危険だ。
予想 通り振り返った。再度訊く。
「オーバーゼヤ?」
男は頷いた。
交番はすぐにわかった。英語が話せないので、大恥をかきつつ説明を終える。
4500バーツ程と1ドル、そしてラミネートがはがれかかったレシートのようなものが拾得物。
警察に届けたなら、言いがかりはつけてはこないだろう。
外には、男の姿はなかった。この男が強盗なら、
私の行動は予想外のものだったかもしれない。
良かったのか、バカ正直なのかはわからない。
うますぎる話は、「要注意!」と思っているけど、これって、思い過ごしだろうか?
でも、500バーツ位なら猫ばばしたかもしれないなぁ〜

20$を貴金属屋さんでタイバーツに両替する。800Bちょっと。
早く宿を決めたい。2軒目のマルコポーロにチェックイン。
クーラー・水シャワー付250B、デポジット300B。
モグラになった気分。穴蔵みたいな部屋だったが静か。街に飛び出し食べ物を物色。
パイン、鶏モモ、焼きそば、汁かけご飯、するめ。これって食べ過ぎか。
するめを焼いてローラーで伸ばしてくれているのを待っていると、ポリスがやって来た。
さりげなくただ食いをしにきたのか?とあたしは思った。
だから、あたしのするめの足ににちょっかいを出そうとした時、
思わず「マイン!」と言ってしまった。
ポリスはぴたっと手は止め引っ込めた。そして屋台のおっちゃんと顔を見合わせ笑っている。
えっ、何がおかしいの?と思ったが足が無事だったのでまぁいいや。

旅行人ノートをなくした愚かなあたしだけど、富永氏のバンコクマップを
コピーして持っていたのでとても助かった。カオサン周辺はこれで充分。

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2001.1.5

昨夜やはり疲れていたのか、何もせずぐっすり眠ってしまった。
シャワーを慌てて浴び、もっと安い宿を探しに出る。
寺の裏、Chusri G.H.=120B,デポジット50B ツィンの部屋にチェックイン。
わ〜〜〜〜ん!眠れないよ〜!うるさいよ〜!
一階はレストラン。深夜まで営業してるなんて知らなかった。
あたしは騒音だけはダメなのだ。静かな所に移ろう!
でもこれってアジアを旅する上に於いてビッグ・プロブレム!
音に弱い人っていると思う。うるさいと思っても大丈夫な人と、耐えられない人。
あたしは人格が変わる・・・

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2001.1.6

朝、近辺を探すがなかなか見つからない。
時間が少し早いのかもしれない。チェックアウトぎりぎりまで部屋にいるのだろう。
要はタイミングだ。でも早く部屋を決めたい。
一番奥のホテルではないかと思われるSun Shine H.にチェックイン。
150B、デポジット不要。近くにムエタイのジムがある。
共用シャワーがホットなので嬉しいし各階に付いているので何かと便利。
226号は窓がありベランダに出られ、明るく快適な部屋。
あぁ、言うこと無し!カオサンから離れているけれど気にならない。徒歩15分弱。

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2001.1.7

昨日と同じレストランで朝食を食べる。
アジアン・ブレックファースト。雑炊だ。うまい。
通りを眺めてウォッチング。白人の団体が通り過ぎていく。
部屋はあるのだろうか・・・
あら、あの男が乗っている自転車、小さいし低いなんか変。
バンコク・カオサン界隈で普通の自転車、見た記憶がない。
寺の裏へは境内を通り抜けて行くと便利だが、くっそ〜!今日はもう閉まっていた。
夕方6時ぐらいだったかなぁ。季節によって違うかもしれない。
昼間おとなしかった犬がうなり声をあげている。こわ〜!

ベトナムで偶然4回ほど一緒になった白人に会った。思わず「元気〜!」と声掛けてしまう。
彼は笑いながら手を挙げ去って行った。なんで「ハウ・アー・ユー?」が出てこないのだ!
そう、あたしの英語はこの程度。
時間を言う時オクロックを付けずに言ってやり取りに時間がかかったこともある。
ポルトガルでは「何分かかりますか?」の文頭を「ワッツ」で始めてしまい変な顔をされた。
それでも、旅は出来るのだ。多少時間はかかるけれど。良いこともある。
英語が出来なくて便利なのは、会話が弾まないので、
ほっといてもらえる事。だまされにくいという事。ちょっと、悲しいといえば悲しい。
インド大使館へ。

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2001.1.8

な、なんと!中国・九寨溝ツアーで一緒になった千春さんにテラスハウスの前でばったり!
北京留学が修了して帰国途中にバンコクに寄ったらしい。会うもんだね〜・・・
彼女、お腹をこわしているとか、ちょっと心配。
シェムリアップで知り合った「フミさんとナオコさん」にも再会。
2人はあたしより一足先にインドへ旅立つ。バラナシでの再会を願ってバイバイ。
カルカッタ行きのチケット予約をいれる。17日!ぎょえ〜。
タイではお金を使いまくっているようだ。といっても庶民的な喰いモノぐらいなんだけど。

カオサンロード中程のKRUNG THAI BANKのレシートは気を付けないと日付が間違っている。
年・月の変わり目はあぶない。
使い切ればいいが再両替の時は必要(過去3ヶ月以内のレシート)
らしいのでチェックしよう。 (未確認)
戻ってから気が付いたのだが今年2001年の1月5日に受け取ったレシートは
去年の5/DES/00である。年開けてから「日」付けだけが変わっているのだ。
俗にいう2000年問題なのかしら。
おまけに、8/JAN/00というのもある。どうなってんの?

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2001.1.9

通りで再び千春さんに会う。日本の旅人が彼女を病院へ連れて行く途中だった。
「日本人同士ですから」と旅人は言った・・・・

あたしときたら千春さんには悪いが飲みまくり、喰いまくり。
ほんとに本能の赴くままだ。

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2001.1.10

安い部屋を見に行く。フレンドリー2軒見る。
おおおお、これがバンコク・カオサンのドミか!な〜んちゃって、感心するわけない。
2段ベッドは始めて。

フィルムを現像に出す。19本。荷物になるのでプリントはしない。
あたしはかさばるからフィルムケースには入れない。湿気がくるからよくないらしいが
すこしでも軽くコンパクトにしたい。そうしていたフィルムだがこれからインド。
現像して於いた方が盗まれにくいと思ったし変質してぱーになることも防げる。
郵送はしない。紛失の怖れがあるからだ。
中国で現像したフィルムもずっと持ち歩いている。30本だと結構な量だ。
次の旅からは減らしたいと思うが、無理かもね。

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2001.1.11

フレンドリーへ。
部屋は東向きで朝日の直撃を受ける。昼からは影になり、ドアを開けていると涼しい。
そして昼間は静かだった。だった、なのだ。
夜の10時ぐらいから翌3:00まで隣のディスコが賑やか・・・つらい。
何故ここに来たかと言えば、うるさいのを知らなかったこともあるが、
ムエタイ見に行きたいがためにホテルを変わったのだ。
ここだったら、ムエタイ見に行った帰りが遅くても大丈夫だろう。
送迎のバンがあるから。寺の裏までの送迎はないし、タクシーに乗るのはためらわれた。
一人で行動していると安全第一で用心ばかりだ。
ま、複数でも油断をすれば危険な目にはあうんだけれどね。
複数で行動半径が広がったひとを見ると、正直言って少し羨ましかったよ。

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2001.1.12

フレンドリー
なんと!16才のパッカーがニュー・フェース。
若すぎる。そんでもって、白人と日常会話を話しているではないか。目眩がしそうだ。
彼は体調を崩したため、予定が狂ったらしく、帰国延長の許可を親に取ると言っていた。
そこら辺は子供かなと思う。華奢でおぼっちゃ間風なのにガッツがある。
掃き溜めに鶴、みたいな少年だった。
このムサイ(むさくるしい)ドミによくきたぜぃ!爽やか清涼剤。

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2001.1.13

紀伊国屋へ行く。おお立派じゃないの!
立ち読みしたり涼んだり。帰りは渡し船で帰る。バスよりずっと速い。
眺めを期待したが、それは水しぶきと一緒に飛んでいった。

もうそろそろ帰国の段取りをしておこうと思う。
あたしがインド・ネパールから再びバンコクへ戻る頃は多分、
日本の学生でいっぱいと思うし、2月の末には帰らなくてはならない用があるから、
早い目にチケットを取る。夕方引き取り。キャセイ航空香港経由2月24日アウト、
心配性のあたし、これでお金を使い切っても大丈夫!
なんと往復を買っちまった。また、来ようと思って。
さぁ、どうなることやら・・・

ムエタイの申し込みをする。いつもより始まりが遅いようで、終わりも遅いらしい。
連れて行かれたのはルンビニ競技場。熱気あふれる場内。
いいなぁ、血が騒ぐというかなんというか。
しかし、一番エキサイティングだったのは賭をしている観客だった。
一発はいるごとに「ゥオーッ!」という歓声とともに飛び上がる。
木組みの観客席はそのたびに揺れて、こわい。
試合も楽しかったが一喜一憂のおっちゃん達も見応えがあった。
メインの試合は終わりから2戦目だと、おっちゃんが教えてくれる。
ゲストハウスに帰り着いたのは0:30。ドアは閉められていた・・・
むろん開けてもらったけど、ここの青年は愛想がわるい。
なぜか?それは、あたしみたいに夜中に帰ってくる客が多くて寝不足だからさ。
でもその仏頂面は何とかせえ!

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2001.1.14

カルカッタ行きのエア・チケット引き取りに行く。
ビーマン・バングラデッシュ、トランジットのためダッカで一泊。
おお、噂のビーマンか。

警察署の北、ガソリンスタンドの手前かにある路地に日本人の経営する
ゲストハウスがある。評判はいいらしくいっぱいのようだ、日本人で。
レストランもある。カレー・ライスという黄色い幟が出ている。
もちろん食べた。味は普通。隣はイスラエルの料理のレストラン。
禁煙席まであった。外国で商売する人同士、ネットワークが組まれているらしく、
ベトナム・ブイビエン通りにある、去年の秋開業したゲストハウス「一期一会」を
紹介してあった。
(一期一会=フエの某日本人宿の元マネジャーと日本人が経営?らしい)

少年にアユタヤのレンタ・サイクルの場所を教えてもらう。

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2001.1.15

アユタヤへ。
53番、右回りが正しいんだが逆方向のバスに乗ってしまいタイムロス。
ホアランポーン駅方面のバスは何度も停車し気が気じゃない。
あかん、もう間に合わんと諦めたが5分前に着いた。間に合った。列車は空いている。
空港の確認も出来た。20分遅れでアユタヤに着く。渡し舟は1Bと2Bのがある。
川岸に対して垂直に進む舟が1B、斜めに進むふねが2Bだった。
貸し自転車を借りる。30B。なんと日本製というか、日本の住所を書いてあった。
簡単なマップをくれた。ガイド本のないあたしにはありがたい。
あちこち回っていたら眠くなり公園で一眠り。
縁台みたいなのがあったので、遠慮なく使わせてもらった。
木陰で心地よい風も吹いているし、寝なきゃ損!

戻ると少年は消えていた。16日にラオスに行くと言っていたが明日じゃなかったんだ。
入れ替わりに大阪の愉快な青年がやって来た。
三味線とTシャツ2枚しか持って無くて、アロハ・シャツとバッグ・パックを買ったら
お金がなくなったとか。それでJ**カードでキャッシングしようとしたら不可!
文無し状態に。往復のエア・チケットで来たらしいので、最悪帰るという手もあるが
4日間しか日にちがない。奴は、片道と変わらない料金だったので往復を買っただけで、
復路ははなから捨てて旅をするつもりだったらしい。
お金が工面出来なければ帰るしかない。
幸い、面倒見の良い名古屋のパチプロ青年が助け舟を出してくれた。
三味線青年は日本のユースなどで有名で、どこへ行っても知られているで、
知っている人がいない所を旅したかったとか。
時々旅を共にしている連れの名は「キャサリン・ため吉」うさぎである。
そんな愉快で屈託のない奴にも異国へ旅立たせるきっかけのようなモノがあったよう。
でも、明るい。「たのしいっすね!」を連発し、しゃべり疲れ果て奴は眠りについた。

竹亭へ。情報ノートを読む。
あたしが泊まったタソムのことを書いてあった。
あたしと同じく楽しかったらしいし、日本語を話すカンボジア青年ガイドの
悪行が書かれていた。同感だった。

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2001.1.16

三味線青年のその後を見たかったが、もうあたしはバンコク・アウトだ。
出発は夜なので、一泊分を払ってベッドでのんびりする。
チェックアウトすると落ち着く場所がなくなるので60Bならいいやと思う。
夕方、ラッシュに巻き込まれないよう早めに出る。
あたしのベッドを日本人が待ちかまえていた。
この宿はマッサージ業も営んでいる。部屋が満室の場合は、
そのマッサージ・ルームがドミに変身するのだ。ただし時間制限があり
客のいない夜10時から朝の7時まで。床にマットが10枚ほど敷かれているのが見える。
50Bで安い。一晩そこで辛抱し、ステップ・アップするという方法がある。
その客があたしの後に来る。ちょっとせかされる気分はしたが先客優先と割り切る。

ドンムアン空港で「*ケウチナ*コ」さんの名前が何度もコールされている。
何しとんじゃ!
あたしの乗る便より早いインド行きのカウンターには、インド人がいっぱい!
明らかに顔が違う。タイとバングラデッシュが人相の違いの境界線。

タイの空港で笑ったり笑われたり
パックが検査機の中に吸い込まれていったその時、一匹の蚊があたしの目の前を
ぷ〜んと横切ったのだ。あたしは反射的に飛び上がってパチンとやってしまった。
係のおにぃさんはびっくりしたみたいだったが、その後、笑われてしまった。

搭乗手続きをしていると近くにいた他の係の青年が受付のおねぇさんに何やら話しかけてきた。
言葉は分からない。手続きは中断。あたしは何気なくカウンターを見た。???
なにやらデジタル・カウンター?の様なモノの数字がめまぐるしく変わり、
やがて68.4だったか、それぐらいで止まった。
一瞬?だったが、はっはっは!あたしは青年の顔を見て笑ってしまう。
彼も気付いたらしく照れ笑いをした。
そう、彼はカウンター横の荷物の重量計にのって、話をしていたのだ。
ちょっとだけ、太り気味だね!とは言わなかったよ。

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再びのバンコク
2001.2.20

カトマンズからバンコクへ。
空港内は良かったのだが、外に出るとあっつ〜!
シャツは1枚脱いだのだが冷え性のあたしはズボンの下にストッキングまではいていた。
辛抱するしかない。10分ほど待つとバスは来た。100B。
乗り場は2箇所空港横にあるらしく、あたしが乗り込んだのは北側だった。
それでもういっぱいになり次の乗り場では全く乗れない。V 熱気ムンムンの都心に入る。昼前、カオサンにつく。先月泊まった宿サンシャインへ。
1室あいていたが、裏手の部屋だった・・・・ まぁまぁだったが、静かと思ったここも裏の建物が大きなホテルでおまけに、
白人がどっさりいるようだった。これは夜中に気付く。
おまけに、早朝出発の客が朝まで眠らずに下手なカラオケを歌っている。
もう、たまらない、昼は静かだというのにね。

ふらふらしてたら、シェムリアップで同宿の英語のうまいゆり子さんにばったり!
彼女、ベトナムは合わなかったと言った。へ〜、そ〜!って感じ。
あたしはベトナムだ〜いすき!なのだ。

8時過ぎ王宮前広場の方で花火が上がった。なに?

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2001.2.21

かぁちゃんの年を取らなくなって2度目の誕生日。

紀伊国屋へ。帰ってからでも良かったが、カンボジアの本を買ってしまう。
日本の定価の方が安かった。

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2001.2.22

お、今日は猫の日では?

洗濯をする。

学生と思われる日本の若者がいっぱい。

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2001.2.23

この旅最後の夜、夕食はトムヤム**だろう!あたしはトムヤム・シーフード!
大きな土鍋がやってくる。ライスとサラダも頼んでいるが、食べられるか心配。
でも難なくクリア!うま〜い。
500Bほど土産を買う。バーツは少し余った。次回に使おう。

荷物を整理する。これは部屋の大掃除に似ていて、
手に取るたびに色んな事を思い出す。日記など読み始めるときりがない。
明日の夜、寒いと聞いた日本にイン(?)だ。アウトは11月か、などと戯れつつ荷造りは終了。

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2001.2.24

いよいよ来たか〜!
朝、寺の裏で屋台のご飯と魚を買う。バスを待ちながら食べる。
20分ほど待った。ツーリスト・オフィスに頼めば安いが、市バスを利用。

乗り換えチケットの注意
キャセイのバンコク〜香港〜大阪というチケットを買ったが、バンコク〜香港はOK。
香港から大阪の予約がはいっていなくてスタンバイになるといわれた。
な、なんでだよ〜!ステイタスのとこにOKとあれば信じるよねぇ・・・
チェックイン・カウンター横のオフィスで調べてもらい、席は確保。
どこにでも落とし穴はあるなぁと実感。
搭乗口の待合室で眠くなる。アナウンスが流れてるなと思った後覚えていない。
誰かに起こされた。最後の客があたしをおこしてくれたのだった。カムサハムニダ!

香港で乗り換え。空港内は漢字がいっぱい。
荷物検査に並んでいるとすぐ後に中国人の親子連れ。5才ぐらいの女の子の興味は、
あたしのしっぽ、ではなく結んだ髪の毛である。ちょこっと引っ張るのだ。
それも何回も。あたしは笑って振り返るだけ。彼女の目に映るあたしは中国人。
本当は何か言ってみるとおもしろいやろな、とは思った。
びっくりして、異邦人への恐怖におののく女の子を見たい気もしたが、
あまりにも大人げないから止めた。

あたしはアジアのバスに乗って帰りたいと思った。
海を走れるぼろいバスで、時々まさに沈没しながら。宿は小さな無人島。
パンクの時は皆で泳ぎながらいっせいに押すのさ。
乗客はアジア人。もちろん日本人も何人かいてたりしてね。 飛行機は東南アジアで隣町へ行くより早く日本に帰り着いた。
10時前だ、急がないと最終バスが出てしまう。
客がいっぱいになるまで、待ちはしないのだ。
走ったせいか外はそんなに寒いとは思わなかった。
服はバンコクを出るときに着たままの服装・・・

高速バスは、ネオン瞬く大阪の街にすいこまれて行った。

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