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* カンボジア旅日記 *


2000.12.20〜2001.1.4

2000.12.20

どきまぎのカンボジアだ。バンは一本道をひたすら走る。
周りの風景が変わり、建物、自転車、そして顔も変わった。
道は想像していたよりいい。
しかし、強盗が出没するかもしれないという不安は消えない。
出るとしたら、うん、ここではないな、ここでは身が隠せない。
あ、あの木立のあるあの辺りはどうだろう、などと想像ばかりがふくらむ。
せめて暗くなるまでにはプノンペンに着きたい!
陽は落ち、夕闇が迫り始めた頃、ピカッと光りゴロゴロ!
やぁ〜ん!(雷が怖いのではない)
やっと遠くに街の灯りが見え始める。
そして事もなくキャピトルにチェックイン。
これがカンボジアの安宿なんだぁ。
部屋で荷物を置いたと同時にものすごい音が天井でした。雨の音である。
それもものすごい土砂降り。
そう、この部屋は屋上に増築された部屋で屋根がトタン張りなのだ。
ぎりぎりセーフでホテルに着いたようだった。
お決まりの停電がある。
下のレストランで傘をさして夕食をとる。ひえ〜
表の方は吹き降りがあるが、奥は大丈夫!

この部屋には窓がない。あした替えてもらおう。

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2000.12.21

2階の窓付の部屋にチェンジ。
うん、明るくっていい。
しかし、この部屋のヤモリのうんちはでかかった。

両替とお散歩で街を歩き回る。
セントラル・マーケットの中をウォッチング。
普通の商店なら分かるが美容院ばかりが何十軒もかたまってあったのには驚いたし、
ちょっと異様な雰囲気だった。
近くの両替屋はレートが微妙に違うが100$ぐらいでは差はない。
あたしはキャピトルで両替出来るなんてちっとも知らなんだ。
とにかくうろうろと歩き回った。昼は小さな食堂へはいる。
やはり魚を食べたいと思う。うまそうな焼き魚があった。
野菜の煮込んだやつとかスープとか。わくわくしながら一口目を口に運んだ。
悲劇は起こった。ま、まずいのだ。
変な臭みがあって、魚も野菜もとにかくまずくて、はきだしそう。
かといって腐っているという感じでもない。、腐ってる方がよかったよ。
スープの汁だけがまともだった。
残すのはなんだか申し訳ない。店の子は若い女の子だから、 残すと傷つくかも知れないなどと、いつもの癖でいろいろと考えすぎてしまう。
で、店の子がよそを向いている間に、一番の難関の魚をバッグの中に押し込んだ。
残りの野菜はどうにか食べられると思ったが、なかなか手強かった。
3品とご飯で1800R。これからの食事が怖い。
夜はキャピトルの西の方にあるレストランへ。麺の上にでっかいレバーがのってきた。
ぎょっとしたがこれは、まぁまぁ良かった。2500R。
暑い日は、唐黍ジュースがおいしい!味の想像がつくから生の方がいい。
中国では生の冷たい飲み物、食べ物は口にしなかったのに、 あたしはラオスから変わっちゃった!
屋台で売っているジュース、フルーツは飲みまくり、食べまくり。
でもお腹は壊しちゃいない。
キャピトルの道1本東の所に大きくて綺麗なマーケットがある。
ドルでお買い物をする店のようだ。
やはりちょっと高めで、お釣りはリエル。
数日前のY新聞が5$で販売されていた。 もちろん買わない。
隣はファースト・フードの店。

トンレサップ川のほとりで移動する椰子の影を追いながら昼寝。川風が心地よい。
洗濯のついでに体を洗う人、飛び込む若者、裸で戯れるいたずらっ子。
万国旗がはためいている。日本の旗もあった。
その旗の下、少女が数人がおしゃべりをしている。特別何かをしている訳ではないように思えた。
しばらくすると相乗りのバイクが止まり、後に乗っていた少年が彼女らに近付いて来た。
立ち上がった1人の少女と一言二言言葉を交わし去って行った。
デートの約束でもしてたのか、青春だよなぁ。

夜遅く表を眺める。人通りがなく不気味な雰囲気。
向かいの店先にいすが2つ、青年が陣取っている。
最初は分からなかったが、どうやら彼らは警備をしているようで、 ホテルの方を見張っていた。
外国人の溜まり場のホテルだからか?
意外な光景だった。

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2000.12.22

キリング・フィールドに吹く風は爽やかで優しい。
その日もこんな日だったというのか。
穏やかなある晴れた日に、大勢の人々が理由もないままに逝った。
風は吹く。聞こえるのは木々の葉ずれの音。
風だけが知っているのかもしれない。雲ひとつない空。
蝶が舞うフィールド。
狂気の目には何も映らない。

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2000.12.23

王宮と博物館へ行く。
たらたらと歩きながら一昨日のトンレサップ川を目指す。
川の手前に王宮と博物館は南北に並んで建っているのだ。
王宮はいかにもアジアでございますと主張していた。
王宮や博物館には、それなりのものが陳列されていた。
しかし陳列の仕方がこれまたアジアチックで 盗まれはしないのかと心配する。
そして、掃除をしろ!蜘蛛の巣、ほこりを取れ!と大きな声で言いたかったぞ!
でも、これって日本的だよな・・・

陽が落ちるとこの辺りは夜は危険区域になるらしい。昼間はどうってことないのにね。
大きな建物や空き家があったり、民家が少ない。
日本に置き換えて考えても想像はつく。
帰り道に学校があって学生が何やら楽しそうに屋台のおやつをほおばっている。
いずこも同じ下校の風景だ。
ちょっと平和そうでなんだか嬉しくなってしまう。

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2000.12.24

朝、スピードボートでシェムリアップを目指す。
船内、ボートの屋根にはてんこ盛りの旅人!
びゅんびゅんととばす。屋根から下りるとき怖くて緊張し向こう脛を打ってしまった。
スピードボートの犠牲になったモノ。
旅人のサンダル片方、誰かのボールペン。
水面にはじき返されながら、あっと言うまもなく後方にぶっ飛んでいった。
あたしが陣取った席は、エンジンのそば。気が狂いそうだった。
使っていなかった耳栓がいくらか役に立つ。
「トンレサップ川」を航行している時の風景が心に残る。水面から延びた木々がいい。
なかなかいいぞ、トンレサップ川。
「トンレサップ湖」にはいってしまうと、だだっ広くて、楽しみがなくなってしまう。
ボートは昼を少し回ったくらいに船着き場に到着。4〜5時間?

何十人もの客引きのお出迎えだ。「おお、これなら楽そうだな」
で、バイクの後にまたがる。
ドライバーはゲスト・ハウスのボスだった。彼は突然言った「イヌ、イヌ」と。
「何言ってんだ、このオヤジ?」と思ったら前方を犬が横切った。
英語は当然話せ、日本語は片言ぐらい話すのだ。
うわ〜!すごいと思う。あたしは英語さえままならない。
20分ほどでシェムリアップ、国道6号線沿いの「タソム」にチェックイン。
トイレ、シャワー付で 3$。洗濯、朝食(パン+ジャムかバター)と自分で入れる コーヒー(紅茶)が無料だ。あたしは、明るい窓付の部屋が好き。
1階の奥も、まぁまぁ良かったけれどもっと良さそうな2階を希望。
みんなって部屋替えなんてあまりしないのだろうか?
気に入らないときはダメ元で頼んでみるし、 良い部屋がなければ他のホテル移ることも考える。

今日はクリスマス・イブ。
ボスがパーティーを開いてくれ、ケーキと飲み物が回ってきた。
クリスマスにケーキを食べるなんて何年ぶりだろうか?
旅先でこんな風にもてなしてもらえるなんて、嬉しかった。
なんだかシェムリアップが好きになりそう・・・

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2000.12.25

お願いした通り、部屋をチェンジ。明るいし気持ちよさそうな部屋だ。
今日は街をお散歩。アンコール・ワットを見に行くのはもっともっと後。
しかし、バイタクの青年がしつこくつきまとってくる。迎えに来ていた内の1人だ。
昨日からずっとなのでうっとうしかった。
元日の前後の3日間、と答えると奴は態度を変えた。挨拶もしなくなる。

アンコール・ワットに行くまでまだ5日もある。
のんびりしたいと思う。

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2000.12.26

あれ〜、ベトナムで会った英語ぺらぺらの女の人だ!
ゆり子さんといった。ちょっと無国籍風のナイスな女性。
夕方、中庭にいたバイタクの少年が声をかけてきた。
「サンセット行く?サンセット、フリー」
彼も英語といくらかの日本語を話せるようだ。
「フリー?行く〜!」
バイクにまたがり北へ。しかし、途中のゲートで引っかかってしまった。
フリーでサンセットを見に行く者は5時半まで足止めらしい。
ぎりぎりに通行許可がおりるというわけだ。
翌日から有効な券を買った人はパスかな?
ただは、辛抱なのね・・・。同じようなちょっとせこい旅人が数人やって来る。
皆、日本人だった。

そしてその日本人が「10月10日・・・・」と、あたしに話しかけてきた。
その日はあたしの旅の始まりの日だ。
こいつは何を言おうとしているのか、一瞬身構えた。
「鑑真号にのっていたでしょう」
あたしはびっくり仰天!覚えはなかったけれど嬉しかった。
こんな風に何ヶ月か過ぎて旅人達は再会をするのかと。
楽しく話をしていたら通行の許可がおりた。
急げ!あたしは知っている沈み掛けた夕陽の早さを。
しばらく走ると道の正面にこんもりした木々が見えた。
バイクは左に、次は右に折れる。
記憶に焼き付いているアンコール・ワットのシルエットが夕闇の空に浮かび上がった!
声にならない声を上げる。鳥肌がたった。ここでは「寒ぶイボ」とは言いたくない!
巨大なシルエットのアンコール・ワットを眺めつつ、夕陽のポイント「プノン・バケン」へ。

数え切れないくらいのバス、車、バイクが駐車していた。
そこが登り口とすぐに分かる。
ものすごく急な坂道というか崖をふうふう言いながら上る。頂上は芋洗い状態だった。
本日のあたしの不幸はこの後おきた・・・
おお、もう沈みかけているではないかとシャッターをきる。
カシャ、カシャ。
そしてその次のカシャはなかったのだ。うえぇ〜〜〜〜〜ん!
あたしのカメラは危篤状態、もしくは仮死状態に。
半テンポずれてしまったのだ。
カメラの蓋をあけるとoffに、閉じるとonになっちまう!
「オー・マイ・フッタ!」とは言わなかったがね。
いっぺんで憂鬱になった。
これからが旅のハイライトだっちゅうの(古!)にカメラが故障?
直せるだろうか?いくらかかるのか?何日かかるのか?使い捨てカメラを買おうか?
いっそ、なくてもいいか・・・・いや、それはあたしが可哀相・・・
などと色んな対策が浮かんでは空しく消えていく。

もうアンコール・ワットを垣間見てしまったあたしは、抑えが効かなくなってしまっていた。
3日券で12月30、31、1月1日なんてだめだ!
30日まで辛抱できない。それに3日間なんてどう考えたって足りるものか!
ガイド本を見てシュミレーションしてみたが、あわただしそうで拒否反応が出そうだった。
拒否反応って何だ?とも思ったがとにかく早く見に行きたい、
たっぷりと浸りたいと思ったのだ。
明日、川向こうのカメラ屋さんに行こうっと。

プノンペンで日本人男性が刺されたらしい。ひえ〜物騒?
しかし事件の起きた場所は売春宿のような所らしく、女の取り合いが原因とか。
犯人は政治家の親戚筋でどうのこうのと、噂の真相は不明だ。
ただ、刺されただけであの街は危ない、とかは考えない。
そういう場所に行かなければトラブルには巻き込まれないからだ。
男性諸君、ご注意あれ。
あの時が一番無防備であることを知っておこう。
あ、女性諸君も!

701号室の日本女性がお腹をこわす。病院へ行き点滴を打ってもらったらしい。
夕方には帰ってきた。1万円ほど掛かったらしいが大事に至らなくてよかったよ。
彼女は、無茶である。朝、お腹をこわしてずっと下痢をしてると言いながら、
バナナ・シェイクを頼んだらしい。その後悪化。
飲むのを止めても良かったが、そんなものを頼むぐらいだから大したことはないと思っていた。

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2000.12.27

川向こうのカメラ屋に行くと店の主人と、来ていた白人の客に覗き込まれて
笑われてしまう。おかしいのかいなぁ・・・・
「マーケット」と主人は言った。ここでは直せないらしい。
店を出るとバイタクのおっさんがたむろしていた。
値段交渉だ。
「ワンダラー」「エクスペンシブ!」
「ツーダラー」「ええええぇ〜?!」
「スリーダラー」なんで高くなるのよ〜!!
みんなで大笑い。からかわれてしまう。結局往復3000Rで成立。
でも翌日は2000Rで往復したので、ちょっとぼられちゃったみたいだね。
シェムリアップの東、国道沿いにあるマーケットのカメラ屋さんにはカメラはなかった。
しかしカメラは5〜10分位で直る。
「ハウマッチ?」と訊くとその店にいた青年達がはやしたてるように
口々に50ダラーを連呼。主人は静かに「5$」。よ、よかった〜!
川の近くまで戻る。バイタクのおっさんが「スリーダラー」とぬかしよった。
ほうら来た来たと思った。英語は話せないが、あたしが言われた通りに
払うなんて思ったら大間違いヨ!そう、あたしは大阪人!
「ワンダラー」「ツーダラー」「スリーダラー、オーケー?」
とすばやく1000R札を1枚ずつ3枚おっさんの手に乗せた。
おっさんは、てのひらを見てニヤッと笑った。バイバーイ。
大阪の人ならこのジョークを理解できるはず。

直ったのが嬉しくて散歩してたら500R拾う。わ〜幸せ〜!
しかし、この幸せも夜には不幸のどん底へ!

明日からアンコール・ワットに行くんだとうきうきしていた。
そうだ、フィルムを入れて点検をしなければね・・・・カシャ・・・・
またしても次のカシャはならなかったのである。
い、いや〜〜〜〜〜〜〜!
ちゃんと直してくれたのお?

タソムの前には屋台がある。旨いジュースと簡単な食事が取れる。
ここには連日日本人の連中で大盛況。
話をしている内に飄漂舎(大阪の旅の本屋)の藤井さんを知っているという旅人
奥田君(飄漂舎の近所在住)と藤井店主や西中島南方の話で盛り上がる。
おまけに彼とは面識こそなかったが、旅行人の蔵前編集長が来た日に店内で
すれ違っていたのだ。
やぁ、大阪人ってのりがいいなぁ!

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2000.12.28

カメラ屋の主人はあきれたような顔をしたが黙って直してくれた。
今日もすぐに直った。あたしはここでテストをしたいと言う。
またすぐに壊れては困るからだ。 店の主人を撮ることにする。
カシャ、次は全員で・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・シ〜〜〜ン 
そう次のカシャはならなかった。
皆の目の前であたしはカメラを壊しちゃったのさ。トホホだよ。
青年が言った「ユー・アー・デストロイヤー」が頭の中でエコーする。

主人は本当に呆れてしまってか、何も言わない。
でも、何か細工を施してくれているようだ。
それを待ってる間、青年達が日本語を教えてくれと言った。
ほんの少し教える。20分ほどすると復活。
テスト撮影も終了。故障の原因は蓋を強く引きすぎていたようだ。
引きすぎ防止のツメを付けてくれていた。
修理代はいいから写真を送って欲しいと主人は言った。
あたしの旅はまだまだ続くので、バンコクでプリントし早々にカメラ屋の主人に送った。
届いたかどうかが、ちょいと心配。
さぁ、アンコール・ワット三昧するぞ〜!

アンコール・ワット
静か。虫の声、鳥のさえずりが時々聞こえる。
昼近いせいか観光客は、何処かへ散らばって閑散としている。
プノン・バケンと違い、広大な遺跡だから溢れかえることはない。
ぐるりと一周し、お気に入りの場所を見つけ、手紙を書くもよし、日記を付けるもよし。
あたしは裏手に回ってとりあえず一休み。
これほどの贅沢ってあるのだろうか?

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2000.12.29

はじめてのサンライズを拝んだ後、一路バンテアイ・スレイへ。
道は2本あるとバイタク少年・ルティーは言った。
100万円で出来たという小さな橋を渡る。
途中風景は涙があふれそうなくらいのどかで、安らいだ。
バンテアイ・スレイは小さな遺跡だから団体の観光客が
押し寄せる前に行った方がいいとガイド本にあったが正解。予想以上に綺麗だ。
こぢんまりとはしているが、必見の遺跡だ。
心ゆくまで鑑賞する。
2001年になってからは一部ロープが張られて近くで鑑賞できないらしい。

そうだ、朝早く出たので朝食を取っていないことに気づく。
そばにあったレストランで朝食を頼む。やはり高かった。
食事中、しきりに「***に行こう。滝、大きい」と誘われる。
行くことに。バイタクで20分かからなかったか?小高い山に分け入ると言った感じ。
途中、尿意を催し繁みに入って、やるか・・・、あいや待て待て、
それはまずかろうと気づく。ここは危ない。
トイレのために横道に逸れて、地雷を踏んじまったら大変だ!
ペンキで木を塗ってあるのは遺跡への道標かと思っていたが、
これから先は地雷源だというマークだとか。
結果として目印にはなった。山に入って歩くこと30分。
そこは、クバル・スピアン。川の流れの中に遺跡があった。
なぜ、こんな所に?もしかしたらカンボジアって、
あちこちにこんな遺跡が存在するのかと思うとどきどきした。

夜、チェンラで旨いと聞いていたカレーを食べる。2$。
「ふ〜ん、バーモント・カレーやな」と推察していたら、当たりだった。
ここの人なつこくて大胆な猫がかわいい!催促しに膝の上に乗り、手を出してくる。
大盛況のゲスト・ハウスで日本人がいっぱいだ。

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2000.12.30

2度目のサンライズ。
あれだけしつこく付きまとってバイタクに乗ることを約束させたくせに、
サンライズに間に合うための時間に奴は来なかった。
30分待っても来ない!むかつく〜〜〜〜〜〜!
部屋に戻り横になる。しばらくするとノックの音「おねぇさん、おねぇさん」と呼ぶ声。
バイタク野郎だ!ドアを開けるとおどおどとした奴がいた。
「ノー・モア」と言ってドアを閉める。
後でゆり子さんに訊くと「ノー・モア」はきついと言われた。
だって、英語知らないんだもんね。奴が妙にイヤなのは何故か?
消極的な感じがするのに予約を取り付ける時のしつこさがイヤなのだ。
しかしあたしは、最初に奴に3日間ね、と言っている。
散歩し頭を冷やす。 日本人約束守る!と言うわけでアンコール・トムとその周辺へと出掛ける。

あぁ、なんてすごいんだ!
バイヨンはそんなに広くないが四面仏塔が圧巻だ!
間近で見ると大きい。少しずつ表情が違うのがまたいい。
中庭の隅には復元されないままの崩れた建物のパーツが山積みされていた。
それを見ながら「仕方なかったのかもしれないが、移動しちゃったら復元は不可能」だと思った。
微妙な位置関係、重なった角度などの情報が失われてしまったからだ。
なんだか惜しい!
日本なら、こんなパーツが1個あっただけでも大騒ぎになるだろうにね・・・・
縄で囲って立ち入り禁止にするだろう。ここでは土足で踏み倒している。
観光客に頼らざるを得ないからか、と思うと複雑な気持ちになる。

ここら辺の遺跡には木造の部分もかなりあったらしいが、この環境では残っていない。
というより1000年近く経っていれば当たり前なのだが。
想像すら出来ないのだ。

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2000.12.31

今日はホリデー、というのはおかしいか、ずっと休暇なんだから。
遺跡巡りはしないことに。
タイ在住でシェムリアップに観光に来ている日本人女性、 さかいさんにおいしいタイ料理の店に連れて行ってもらう。
今日は大晦日、アンコール・ワットで何かあるらしいから行かない?と誘われる。
8時をを過ぎているというのに北へ向かう車やバイク、人通りが多い。
途中の広場ではコンサートのようなものをやっていた。
アンコール・ワットはライトアップされ幻想的だった。
去年は20世紀最後の日ということで、国王は来るしカウントダウンもあったらしい。
今年も何かあるかなと思って数人で来たが、9時過ぎには追い出しに。
粘ってみたが、だめだった。

で、タソムに泊まっているあたしだが、チェンラで衛星放送を見ながらカウントダウン。
タイのおかまが沢山うつっていた。
遠くで花火が10発ほどドド〜ンと上がり、その後暗い夜空にふわぁりふわりと、
小さな灯りが、風に乗って南の方へ飛んでった。小さな気球?のようなものか。
不思議でちょっとファンタジック・・・
クメール語で新年おめでとうと書こうとするが、難しい。
スゥオースダイ・チュナム・タメイ!

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2001.1.1

サンライズは別のバイタクの青年と行くことに。
シェムリアップに来てバイタク歴はまだ2ヶ月、あまり知らないようだ。
日本語は習い初めてまだ1週間だとか。英語は話せる。
「大丈夫?」と訊くと「ノー・プロブレム」
けれど何度か道を間違えたり、とんちんかんな事を言う。
ま、新米だし、明るいから許しちゃう。
次の遺跡に移るとき「大丈夫?」と訊くと今度は「メイ・ビー」
と答えるようになった。彼は「メイ・ビー」のフレーズがいたく気に入ったようで、
タソムに帰るときも「メイ・ビー」を連発した。

新しい年の、いや新しい世紀を迎えるアンコール・ワットは観光客でごったがえしていた。
明るくなるにつれ周りの様子が異様なのに気づいた。8割は日本人だったかもしれない。
そういえば昨日、「新しい世紀を世界遺産のアンコール・ワットで迎えよう・ご一行様」
と書かれたバスを見たなぁ。しかし、カンボジアのガイド青年には感心させられる。
英語と日本語を流ちょうに話す。
生きるための糧と言ってしまえばそれまでだが、すごい。
シェムリアップでよりよくくらすための必要条件にさえ思える。
5割欧米人、 4割日本人、1割は他のアジアの旅人・・・・

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2001.1.2

のんびりと午前中すごす。
昼過ぎ、出掛けることにする。
今日は何処にいこうか・・・、主だった遺跡はだいたい回った。
遺跡も良いが、あたしはバイタクに乗ってあちこちツーリングするのが結構好きみたい。
「西バライに行きたい、ぐる〜と回りたい」「オーケー」
国道をしばらく西に行って北上。池にぶち当たると東へ右折。
池の南側の道はすごくてこけるかと思ったが大丈夫だった。
空港のそばを通過し走っていると、真正面にアンコール・ワット。
そうか、こういう位置関係かと納得。アンコール・トムを素通りし東バライへ。
木陰を走っている時は結構涼しく気持ちがいいが、
それってカンボジアの人にとっては「寒い」らしい。
熱帯の国ではそういう風に感じるのかと自分の中の小さな常識は書き換えられた。
28°くらいだろうが風に当たると体感温度が下がり寒いんだろう。
突然、バイタク君がバイクを止めた。どうやらパンクらしい。
これから苦行が始まった。トホホ
周囲に当然家はない。どこかの村で修理するらしい。
それって何処?目の前には長い一本道が歓迎をしてくれていた。
寒いと行った彼は「暑いね」を連発。
遠くでボム!と音がした。地雷だと、バイタク君は手で爆発する仕草をした。
歩いていたから聞こえたんだろうな、乗り物で移動していたら絶対に気づかないに違いない。
彼は遺跡(東メボン?角に像がある)にあたしを置いて近くの村へ修理に行った
近くの村ってどれくらい離れているのだろうか。
帰り道、そんな村は見えなかったのだが。
ここの売り子は、他の子比べ、しつこかった。
「タイヤ、タイヤード」などとしゃれをかますが分かったかなぁ?

次は「バイヨン」
ここの南西角がお気に入り。2方向が眺められるし、日陰にもなる。
バイヨンはしっかりと陽を浴びている。
時間、場所によってそれは変わる。

本日の締めはアンコール・ワットのサンセット。
ナイスポジションをゲット。
近くに同宿の奥田君もいた。彼は明日、プノンペンに発つ。
日の出・日の入りは余りにも雲がないと良くない。
太陽を隠さない、程々に欲しい。だって雲に光りが反射して一層きれいだもの。
だから、曇っていても思った以上の茜色の空を楽しめて嬉しかったことが幾度かある。
最後まで塔に残っていたら、ポリス?が来た。
うわ〜ひょっとしてやばいかもしれん!と不安になる。
ただでさえ分からない英語を一層分からないふりをする。
しかし彼は気だての良い人だった。そしてなんと、ビエンチャンのタラート・サオ(市場) で買った手帳とと同じものを持っていた。タイ製である。

夕食はカレー。あたしはカレーが大好きなのだ。

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2001.1.3

もう、最後の1日になってしまった。
3日間と約束したバイタクにのりアンコール・ワットへ。
今日のお気に入りを見つけ、中央祠堂を見上げながらお昼寝をする。
少し離れた所ではカンボジアの家族連れがピクニック。
タイミングが良いと遺跡は驚くほど静かで心地よい。

今朝、ゆり子さんと奥田君がトラックのアウトサイドで発った。
気持ち良さそうだ。明日はあたしなんよね。
滞っていた空気が流れ出した。そんな、朝だった。

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2001.1.4

いよいよ、シェムリアップともおさらばだ!
外はまだ暗かった。とりあえず朝食を取る。 ポットの湯があっという間になくなる。
バンコクに向かう旅人10人ちょい。
いざ旅立つとなると宿の建物がなんだかよそよそしい感じがする。
後はトラックを待つのみ。今日は日本人ばかりのトラックなのか。
別れを惜しんでさよならをする。しかしトラックは、反対の東へ。
マーケット近くで客を乗せるためらしい。白人が1人。
そしていよいよかと思ったら今度はタソムの東隣のガソリンスタンドへ。
さっき別れを惜しんだというのにまた舞い戻ってきて、ちょっとしらけちゃうよ。
その時我々を見つけたタソムに出入りしているティナがみんなにガムをくれた。
ありがとう!こんどこそ本当の出発だ。
西へ、西へ、西へ。しばらすると荷台から歓声があがった。
朝、タソムに来ていなかった、ナナと年長のバイタク君2人がバイクを飛ばして
見送りに駆けつけてくれたのだった。みんな大喜び。
しばらく併走し、スピードをあげ前を先導するように走る。
やがて右にバイクを寄せスピードダウン。
「ありがとう、そしてさようなら!」

ドライバーはなかなか、気配りが行き届いた人だった。
道路の大穴を避けるのは勿論だが、やむを得ず突っ込むときはスピードダウンをしてくれているのが分かった。
噂通りの悪路ではあったが、辛くはなかった。
雨も降っていないし、あ、インサイドだったからではなく、多分荷台でも楽勝だったと思う。
荷台の旅人も平気そうだった。

・・・・・ひとこと言いたい・・・・・
自分で管理できない楽器を買うな!
あたしは荷台に載っている青年に楽器を持たされた。
外で壊れてしまいそうだからと。狭い車内で、尖った飾りのある楽器は凶器。
あちこち、突き刺さりそうになったり、当たったりと、いい迷惑!
最初4人だったので、まぁ、良かったが白人が乗って5人になるとビッグ・プロブレム!
国境に着いて渡したとき、「ありがとう」ぐらい言えよ〜〜〜〜〜〜!!
福岡から来ていた若者4〜5人のグループの1人。
グループといっても旅先で知り合った仲間なんだろうけど。

国境への道は悪路だったが、乾期だったためかトラブルはなかった。
検問所のようなのは何カ所かあったがこれも問題なく通過。
3日前にあった橋がなくなっている、と日本人タカが言った。
日々変わる道路状況、油断は出来そうにない。

ベトナムであった女の子達は国境越えに2日かかったと言っていた。
腰まで泥水に浸かってトラックを押して大変だったとか。
でも、忘れられない良い思い出になったと。
そうなのよね、旅先での辛かった事って思い出になるんよ。
命に関わらないのなら、大歓迎よね。

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タソム

あたしはここでの毎日がとても楽しかった。居心地も悪くない。
ひとのいいボス、Mr.Mang Meng。
愉快で明るいバイタクのドライバー。
皆が旅人に気遣ってくれていた。

あたしはドライバーよってたかって、からかわれてばかりいたが、
それはそれで楽しかった。不本意ではあったけれども。

日本語の理解率も結構高いし、
ここに出入りしているガイドは日本語ぺらぺら。
あまりうますぎて失礼なことだと、ちゃんと分かっていてわざと言う。
あっぱれではあるが鼻につく奴もいた。奴は嫌みな奴と思っていたら、
バンコクの竹亭の情報ノートにも、悪行が書かれてあった。
銀杏のてっぺんに髪の毛を着けたような青年だ。

バイタクのドライバー達は熱心に勉強をしている。
観光業に携わるものとしての資格なのだ。
上達するのも早い。もし1年後に再び訪れたらきっと驚くだろう。

18さいのルティは人なつこい。頭がいいみたい。
「”絶対”で日本文つくって」と言われる。
あたしが英文と一緒に教えられるフレーズは1つしか知らない。
「私は絶対あなたを忘れない」
「I'll never forget you.」
ノートに書き込んでいく。
ルティは言う。
「あなたは私を絶対忘れない」
わ〜ん!自分で言っておいて恥ずかしくなっちまう。

ナナも愉快な奴だった。
しきりにベンメリアへ行こうと誘ってくる。
次に来た時に行こうね、きっとねと密かに誓う。

タイピングしながら心が弾んできた。夢ではなかったシェムリアップの日々。
絶対に行く!あたしは行くのだ!

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