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こぼれ話・5



2002.4.15(月)

ただいま〜!

「こぼれ話・5」以降は2001年10月23日から2002年3月27日までのお話です。

あっという間の5ヶ月ちょっと。
半年ぐらいの予定だったが、桜のために切り上げた、割にはあまり見に行っていない。
・・・花粉症が復活して、煩わしいのだ。
お外の方が断然さわやか!

相変わらずの失敗やら、ハプニングだって終わればいい思い出。
寒かった北インドや東南アジアの熱風もすでに過去・・・
これ進行形にするのは、いつ?

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痩せた〜!

旅を始めて3ヶ月弱、バンコクの宿で体のあちこちを測る。
測るって、いったい何で?と思うかもしれないが、あたしは巻き尺をもって旅に出るのだ。 いや別に体のサイズを測るつもりで持って出た訳ではない。
あたしの変な趣味のために携帯しているのだ。
それは宿の間取りを描く趣味だが、それは他で紹介しているのでここでは省略。
太腿5B、腰回り5B、胴回り8B、胸囲5B(:*_*:)。
残念ながら、体重計は自宅になく出発前に測っていないので何とも分からない・・・
バンコクの宿で測るには測ったのだが、あまり正確ではないらしい。 これが正確なら、あたしは4.5キロ位痩せたことになる。 近くのスーパーで1B投入して体重を測る。う〜〜〜〜ん!である。 元の体重がすごかったんだろう・・・。
自分が「あ、痩せている」と気付いたのはデリー、アーナンダ・ホテル。 部屋に膝から上が映る鏡があって、着替えるとき何気なく見たときにである。
「え〜〜〜」と自分でも驚いた。
そこにはほっそりとした(世間の標準ではなく、あくまでもあたしの基準なので 意義は唱えないで欲しい)
あたしがいたのである。そういや貴重品袋の留め位置が違ってきてたな・・・
これはネパール・トレッキングと北インドの2日おきの移動、 きちんと摂らなかった食事が原因と思われる。
あたしの体は備蓄してあった脂肪をエネルギーにせっせと取り込んだのだ。 ラクダみたいでちょっと悲しかったが、スリムになった体は動きやすかった。 しかし、Gパンはぶかぶか・・・。ブラジャーの中の胸は情けない状態になっていた。

帰国して、あたしはバカ食いをしている。
あっという間におデブになるな・・・

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憧れの国境

国境という言葉に胸がどきどきする旅人は多いことだろう。
島国に育った日本人なら自分の足で越えたいと一度くらいは思うに違いない。
前の旅で中国とラオスの国境をテクテクと歩いて越えたときの感動は忘れられない。
そして、気のせいか国境の名前って、旅心を誘う地名が多い。
今回の度での国境越えはいくらかあったが、ネパールとインドの国境の名はなかなかイカしてる。
東の「カカルビッタ」、西の「マヘンドラナガル」。
なんだかドラマチックな地名だ。
それに惹かれた部分もあった。そして、マイナーな国境は何かとリスクがあることを知った。

2001.12.2:タクシーを拾いポカラのバス停に向かう。
レイクサイドから歩くには2キロ程あり、荷を背負って歩くには辛い距離だ。
チケットを手に入れるため前日に歩いて行って場所も確認しているので安心感はあった。
待合室から階段を下りながら「マヘンドラナガル行きのバスはどれですか?」
という英語のフレーズ復唱/(^_^;)していたら、すぐそばのバスに目がいった。
英語で地名が書かれていたので念押しに訊くと間違いなかった。
「マヘンドラナガル?」だけで通じてしまった。
あたしの旅の英語は1単語〜2単語で、フレーズにもならない。

バスは予定通りに出発。
ポカラの町はずれで軍の検問があった。あたしはいいみたいだった。
その後バスは南下していく。スノウリの少し手前を西に折れるはずだ。
そしてその辺りでまた検問があった。
ま、国境近辺は、こんなもんだろう・・・
暗くなってバスは停まった。検問だった・・・
10時頃レストランで夕食休憩になるまで5〜6回、軍と警察の検問。
ローカルな国境はこんな風に検問が多いのかと少し心配になった。

夜中、バスは道の端に停まった。乗客の男達数人はチャイ屋で話し込んでいる。
なんだか運転手が仮眠をとっているように思えたが、定かではない。
2時間ほどの停車の後バスは動き始めたが、1時間もしないうちに道路の真ん中に停まった。
動く気配が全くしないなと思っているうちに眠ってしまう。

目が覚めると外はわずかながら夜明けが感じられた。
乗客達は木ぎれを集めて焚き火を始めている。 小さな焚き火に十数人が押し合うように手を差し出して暖をとっているのは滑稽だ。もちろんここにもチャイ屋があった。明るくなってくると、他の車も停まってるらしく、たくさんの男達が、歯を磨いたり顔を洗ったり、また藪の中へと姿を消していく。あたしも、排泄しておかなければとバスを降りてビックリ。 ざっと見ても5〜60台連なって停車しているのだ。 殆どは大型トラック。 どうやら検問が開始されるのを待っているようだった。
7時過ぎ、検問は始まり、1台が済むごとに1台分のスペースだけ前進する・・・・・
あたしの乗っているバスは中程にあり、じっと待つしかない。
検問を通り過ぎたのは8時をまわっていた。その後も2〜30分於きに検問は続いたのだ。
乗客に気の毒なネパール人、いやインド人かもしれないが、中年の男がいた。
検問の度にスーツケースを開けさせられるのだ。
その光景は思い出しても、申し訳ないが笑えてくる。
検問の係官は全員調べるときもあったが、おおかたは抜き打ちチェック。乗り込んできたときの、気分で調べるようだがよく観察しているとパターンが分かる。スーツケースには迷彩柄のカバーが掛けられていたせいもあるかもしれないが・・・男の席は多分一番目立つのだろう。
「またか・・・」とウンザリしているのが気の毒と言うよりおかしかった。

きっとマイナーな国境だからだ。あたしは単純にそう思った。
しかしそれが間違いだと知ったのは、インドに入って数日してからである。 「マオイストのテロ」と日本人が教えてくれた。そういやアーナンダ・ホテルで働いているネパール人が「ネパールは嫌いだ。ファイティング・・・」
と言って銃で撃つ真似をしていたのはそのせいなのかと納得。その時は戦争なんかあったっけ?変な事言うなと思っていたが。そして、またまた後日ネパールの中西部は危険地域と知る。度重なる検問は、テロのせいもあっただろうが、もともとちょっと危険な地域だったようだ。
しかし、「マヘンドラナガル」の国境付近はのどかな感じがしたんだけどね・・・

知らないって良いことなの?悪いことなの?と考えてしまう。
知ってたら、多分小心者のあたしは行かなかっただろうなぁ・・・

おまけ
野生のクジャクが木から地上に舞い降りてきたのには驚いた。 ネパールは山国というイメージがあったが長い距離、左右に山らしきものは見えなかったのも驚き!

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地図大好き

ああああ、ほ、欲しい!

あたしは地図を見るのが大好きで、それが鳥瞰図なんかだったりするともう幸せ! 15年くらい前のモノと思われる大阪城近辺の地図を見たときは嬉しかったね。 自分の住んでいた建物や、今住んでいる建物がちゃ〜んと描かれているのだ。
OBPが工事中の時期の地図。

80年位前の大阪市内の鳥瞰図も手に入れた。
印刷された地図をもう一度写真に撮り印刷したモノだ。
これがまた素晴らしい。今となってはもう窺い知ることさえ不可能な大阪市内が
その地図に克明に描かれていた。
道路には軌道と車両が描かれていたり、風呂屋の煙突がたくさん立っていたり、
そごうが十合と描かれていたり、並木なども描かれていたり
中之島中央公会堂の植木がまだ低かったり ・・・・
時の旅人になれるのだ。

ビエンチャンの市街地図も鳥瞰図のものがあり、迷わず買った。
(タラート・サオで買った方が安い(^_^;))

バンコクで買った地図は、主要な建物なんかはコンピュータ・グラフィックで描かれた 立派な観光地図だ。王宮やらムエタイ、競馬、駅などがリアルできれい。
路線バスは一つ古いジミーくんマップが見易い。(個人的主観)

そして、プノンペンで見た鳥瞰図・・・
プノンペンの市街が分割され数ページに渡って、電話帳の最初の方に掲載されていた。
うう、欲しい!!!!!
こっそりと切り取って、持ち帰りたいと思ったほどだ。宿の人に聞くが本屋さんを教えてくれただけで、だめだった。マーケットへないかと思い行く。あるにはあったがちょっと古い。オルセー・マーケットが平地なのだ。あたしが見た電話帳には描かれていた。シェムリアップからの船着き場やボートも描いてあった。友好橋の円い休憩所まで再現されていた・・・プロジェクトXで観たあの橋だ!
ああ、あの新しい地図が欲しい・・・。
しかし、見つけられなかった。
結局、本をコピーする事にした。カラーは1000R、モノクロ100R。
あたしはモノクロにした。ちょっと後悔している。

誰か手に入れた人、その方法を教えて!!

*しかし、これを描いたのはだれ?すごいぞ!

2002年8月、Getしました!

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死ぬかもしれない

あのときは本当にそう思った。
北インド、ヒマーチャル・プラデッシュ、キナール地方。
シムラーの北東、ジューリ(jeori)からサングラ(Sangla)
山の斜面を切り拓いて造られた車の対向できない未塗装幹線道路。 谷底の川面から100メートルはあるだろうか。ローカル・バスは更に標高を上げていく。道の端には白くペンキで塗られた石ころが置かれていた。ガードレール代わりではなく、ここから先は「落ちるぜ!」と言うための目印。 それさえない場合もある。
当然、道はつづら折り。外側にカーブするときは息が止まる。最後尾のあたしは思いっきり振られることになるのだが、窓枠からは路肩が消え、眼下は断崖絶壁。もしかしたら、 空中にいるのではないかとさえ思った。腰の辺りの脱力感、沈んでいくような不快感。目を閉じたら閉じたで襲ってくる恐怖。ここで落ちたらニュースになるのか?こんな悪路なら毎年数台転落しているのではないか、
多分外国人が乗っていなければ大したニュースにはならないのだろう。
「あかん、あかん、あかん・・・」

無事にサングラに着いたけれど復路のことが気がかりだった。
サングラの村の夏は、さぞかし美しいだろうという気配をのこしたまま冬枯れていた。
その夜、トタンを鳴らしながら木枯らしが吹き荒れる。
翌朝、サングラの村は一面銀世界へと装いを変えていた。
美しすぎる・・・・・

そして、あたしは不安に襲われた。もしかしたら閉じこめられるかもしれない!
道路封鎖?
こんな時期の外国人ツーリストはもちろんいない。仮に、バスが運行したとしても路面凍結という事も考えられる。
「あの道で?!」
気を失いそうになる。

レストランは1軒だけ営業していたが、料理はおそろしくまずかった。ツクパ(チベットの麺スープ、ウドンのようなもの)の麺がもごもごしてまずいのである。
あたしはあまいチャイとまずい麺、スープ、麺、チャイ、麺と代わる代わるに胃の中に流し込んだ。これを食べないと、ほかになさそうなのだ。あっても押してしるべし。薬と思うことにした。しかし最後に水が欲しかった。
厨房の男に声をかけて「水下さい」しかし、英語が通じない。
ジェスチャーをしてもわからない。
この辺りにはネパール人の出稼ぎ労働者がいるというのを蔵前仁一氏の本(インドは今日も雨だった)で読んだことがある。駄目元で「パニ、タトパニ」と言ってみた。すると男は嬉しそうな顔をした。通じたのである。ネパールの旅が、トレッキングで覚えた言葉が役に立った。

ホテルの部屋の床はコンクリート、暖房はない。2度である。動き回るか、寝床に潜るか。
あたしは早く出ようと思った。わずか2日の滞在、食事の不味さも寒さも辛かった。
サングラの村からは一気にシムラーへ向かう。
心配だった路面凍結はなかったが、同じ道・・・なのである。
最後尾は避けて前の方に乗ったのだが、なんてこった、途中でバスを乗り換えさせられ、川側、最後尾で再びの恐怖を味わうことになった。

おまけ:
隣の幼い少年はおじいちゃん達に押しつぶされ、揺すられ、突然吐いたのであった・・・
これまた前述の蔵前氏の本通りで笑うしかなかった。少年には気の毒だったが。

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統一鉄道

ニンビン(ハノイの南70〜80キロ(?)にあるホアルー、タムコック観光の拠点となる街)から
サイゴンまで統一鉄道に乗る。
バスで上ってきたので下りは列車で、というわけ。40時間ほどかかるようだ。
翌日のチケットを希望すると3日後まで満席。
でも「明日の正午にもう一度来てみて、きっとチケットが手にはいると思うから」と言ってくれ、夜遅くではあるが運良く列車に乗ることができた。
一番安い寝台ベッド414,000d(28$弱)、ここからのツーリスト・バスと殆ど差はない。 三段ベッドの一番上で、インドの寝台を想像して、あんな感じだったら昼は本を読んだりゴロゴロしてすごせるし夜は横になれるし、悪くはないぞと楽しみにしていた。

が!狭い〜〜〜〜〜!!幅58B(長さ185Bと、ここまではいいが高さがなんと53Bしかない!
おまけに天井に取り付けてある蛍光灯が出っ張っているので邪魔だ。生きたまま棺桶で横になったらあんな感じだろう。 首を曲げてもダメで前屈か横になるしかない。
二段目67B、一段目は79B、料金は5ドル位ずつ上がったように思う。
小さなジャパニーズのあたしでさえ辛かった。
中国のように廊下に折り畳みの椅子はなく狭い・・・
昼寝はつらい・・・なぜなら屋根に近いので暑い・・・

と、文句ばかり書いたけど嬉しい誤算もあった。
ソフトスリーパーだけに食事が付くと思っていたら、ハードスリーパーにも計5回食事が付いた。ベトナム人の一食分、ちょっと少な目だが、あたしには充分だったし、小さいミネラルウォーターも付いてくるのだ。必要と思って買った水は飲まなかった。
ツーリストバスで10,000〜20,000dもするようなレストランに連れて行かれるよりよっぽどましだった。

バスとは違った風景が見ることができ悪くはなかった。

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安いツーリストバスの仕組み(バンコク〜シェムリアップ)

寄らんでもええレストランに寄りまくるツーリストバスは嫌いだ。
目的地に着くのが1〜2時間は遅くなる。
しかし、だから安いのだ・・・

よくある日本の格安ツアーとなんら違いはない。

バンコク〜シェムリアップ(100B前後)2$ちょっと
MPツアー=150B、mini Tour=100B、カオサン・ツーリスト・ロッジ=130B
高いチケットも安いチケットもカオサン、バイヨン前、集合直後に係員に収集され、
差別なく乗車・移動できる。
ツーリストバスは特定のレストランや宿へ乗りつけ、そこからバックマージンが貰えるし高い食事代のいくらかもツーリストバス会社に入るのだろう。だから安い?
泊まってもいいのだが・・・
通称「昆明夫婦」に訊くと結構良い部屋だったらしい。

シェムリアップ〜バンコク(7〜8$)
これはバンコクで客の泊まる宿がばらばらでマージンが入らないからだけではないと思う・・・
なぜかバンコク行きは以前から高い。

シェムリアップ〜プノンペン〜サイゴン(その逆)も同じかな・・・

暗くなって目的地に着くのは不安がつのる。
かといって、それこそいつ着くか、何処につくかも不明だったりする。英語がもう少し話せるのなら、絶対ローカル・バスかピック・アップ・トラック!

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バナナの効用

いつだったか気付いた。
バナナを食べ過ぎると便秘になることを。そしてそれを逆利用! 冷たい物を飲み過ぎ下痢を起こしたときに食べると下痢は止まる。(速攻ではなく半日ほど遅い)ただ、いつ食べるのを止めるかだ。果てしなくばくばく喰うと次は便秘になって辛い目に遭う。
バナナはあたしが行った国にはどこにでも簡単に手に入り便利。
非常食としても役に立ってはくれるが要注意!
これは、あたしのみの効用で他の人がどうなるかは知らない。
でも、試して欲しいなぁ・・・

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しょっぱい水

アーグラーの水はしょっぱかった。
歯を磨いたときそう思ったが気のせいかとすぐに忘れた。
ブラック・コーヒーを飲むと塩味がし、気持ち悪かったので砂糖を入れる。
そうしたら、もっと気持ち悪くなった!
和菓子のあんは、甘みを増すために隠し味かどうかは知らないが、塩を入れる。
それに似た味をまずくした、と表現したらわかってもらえるだろうか?
あたしは日本でも作れそうなアーグラーのコーヒーを再現する気はない。

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デリー駅前の旅社

列車のチケットを手に入れるため、デリー駅へ。
外国人専用窓口は二階にある。ガイドブックで位置を確認していたあたしは、 迷うことなく二階への階段を目指した。
3段ほど上ると突然男が目の前に立ちはだかった。
「何処へ行くんだ?」「チケット売り場」あたしが男の横を上ろうとすると
「今日は閉まっている」「なんで?」「*****の祭で休みだ」「いつ開くの?」
「あさってまで休みだ」「え〜〜〜〜!」男は通せんぼしてあたしを制している。
「ここはダメだが、ネクスト・ドアで売っているから、連れて行ってあげよう!」
「・・・・・」「さぁ、早く!」
戸惑うあたしを男はせかし、どんどんと駅構内を歩き、更に駅前の広場を進む。
その時インド人がたくさん並んでいるチケット売り場に視線がいった。
並んでもいいとも思った。
それを男は見逃さずに「インド人オンリー」その一言で、こいつ怪しいと確信した。ま、チケットさえ入るなら別に何処でもいいのでついて行く。駅前の道路に面した建物の2階に連れられていった。出発日と安いシートを希望すると、時刻表を出してきて料金の所を見せてくれた。
なんだか高い・・・450R位するがちゃんと印刷された時刻表のようだ。あたしの中では100R前後と思っていた。
旅社の男は空席確認のためコンピュータで調べてくれ、そして何処かに電話している。隣の席には白人旅行者がいる。まともかなとも一瞬思った。
「チケットは明後日までフルだ」
「え〜!」やはりおかしい。シムラー辺りのチケットが寝台ではないのに明後日までフルなのは不自然すぎる。
旅社の男はバスならあると言って写真を見せてきた。料金は420〜430R位で列車と変わらない。
かなりいいバスらしいが高すぎるし、そんなのに乗るならローカル・バスに乗って行った方がましだ。あたしは「ローカル・バスが好きだからチケットがないなら、それで行く」と断って駅前旅社を出た。
そしてすぐにデリー駅の外国人専用窓口へ向かった。絶対閉まっていない、営業していると。旅行人・富永氏のマップに「問題の多い旅社が並んでいる、くれぐれもだまされないように」と書かれていたのが頭の片隅にあったからだ。
あたしを旅社まで連れて行った男がいないことを確認して階段を一気に駆け上った。外国人専用窓口は皓々と灯りが点き通常と思われる雰囲気で開いていた。 翌日のデリー〜カルカの2等チケット(98R)を難なく(?)いや、チケットを買うとき英語が不十分で、係の人の失笑はかったが、手に入れることができた。

帰り道、うわ〜こんなことって、実際あるんだ!
怪しい旅社が多いことを知らない旅人は、だまされて高いチケットを 買わされているんだろうなぁ・・・

デリー〜カルカ(二等:98R)
カルカ〜シムラー(二等:34R)登山鉄道:約5時間、座席は木、当日券のみ、
トンネル100ちょっと。トンネルの入り口にナンバーがついている。
夜中に出る寝台車もあるようで(未確認)、時刻表に載っていたのはそれかもしれない。

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再会

再会できると思った旅人には会えない・・・
思ってもいなかった人と、「え〜!こんなとこで〜?!」なのだ。

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木陰でごめんなさい

遺跡巡りで困ること、それはトイレである。
主だった遺跡の近辺には有料トイレがあるのは知っている。
でも、ちょっと歩かないといけなかったりで、暑い時間帯はつらい。
某遺跡は広く観光客は、少なかった。
起伏があるので木陰でちょっとしゃがめば見えない。
「ごめんなさい」と心で叫んではいたが、爽快だった・・・・
アンコール・ワット南のトイレは1000Rとドアに書いてあるが、高いよな。
だからやめた。
バイヨン東の売店奥は500R、これぐらいが限度と思う。
トイレがない売店のお姉さん方は、どこでやってんの?
もちろん、青空の下、木の陰とか、窪地、藪の中だよね?

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ダンス

旅人は暇なのだ・・・
いや、失礼、あたしは暇なのだ。
プノンペンのT@Tゲスト・ハウスでのこと。
あたしは、スポンジのベッドは嫌い。妙に沈んでいくし、ソフトな感じが暑苦しい。
で、床に寝る。が、いくらなんでもタイルに直接は痛い。
バスタオルと持っているスカーフや巻きスカートを広げて横になる。
安定感があって、落ち着く。
カバーのない扇風機は首を振ることもなく回り続けている。
目線が変わると、妙なものが見えてきたりする。
ベッドの足についた埃に目がいった。その埃は、ずうっと揺れているのだ。
いや、リズムを持って右に左に伸びたり縮んだりを繰り返し、
まるでダンスを踊っているように見え、長い間見入っていた。
本当に暇なんだという現実にちょっと苦笑いのあたしだった。
バンコクでも埃のダンスを見つけてしまったが、即、撤去した。

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アリは一匹でも異国の地で生きて行けるか?

アジアの宿にアリは付き物である。
後で食べようと思っていた食べ物にアリがたかっていると、悔しい。
そんなアリが、パックの中に潜んでいて日本に連れ帰ったとしたら
どうなるだろうか?
冬は寒いし、土は殆どないし死ぬしかないのだろうか・・・
・・・死んでもわからんやろなぁ・・・
絶対、一匹ぐらいは連れて帰ってると思う。
帰国前は一応荷物の点検はするのだが、完璧ではないと思われるので
検疫さんごめんなさい!

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安いか?!

ベトナム・ニンビンの市場で買った。パイナップル。
大きさは青年男子の握り拳ぐらい。小振りだが一回食べるには十分な大きさのものが200D。
路上で売っているものは半分で1000〜2000D位だったかな。レート:1$=15000D

カンボジアのアイス・キャンデー100R。レート:1$=4000R
同じようなのがバンコクで3B。レート:1$=43B

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予感?予言?的中!!

当たらなくてもいい心配事が当たってしまった・・・
今、イスラエルでのテロである。
去年のアフガニスタンで戦争が始まらんとしていたとき
気になっていたのが現実となってしまった。
2001.9.25にアップした
「こぼれ話/平和は何処へ行った?」に載せているので詳しくはそちらを。
実は、古い写真集は3冊ではなく4冊買った。
いくらなんでも、4冊目の国ではこんな争いは起きないと思っていたので外した。
何故なら、それは日本、世界遺産にも登録されている白川郷、
あの茅葺き屋根の集落の写真集なのだ。
ネパール、アフガニスタン、イスラエル、白川郷・・・

ま、単なる偶然なのだが3つも重なると、次も当たるの?なんて思っちゃう。
もしかしたら、某宗教団体が白川郷で・・・・

四つ目が当たったら、あたしは怖い・・・
でも、5冊目はないのでそれ以上の心配はしなくてすむ。

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