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* 中国旅日記・1 *


2000.10.10〜10.24
<おねがい>

中国語を理解しているように思える記述もあるけれど、推測と想像ばかり。
中国語を教えてくれだとか、中国語でメール送信しないでね。

追記:こら!最近迷惑メール、中国からも来てるぞ!(2006.08.18)

2000.10.10

旅は始まった。
今までの旅とは違う、あたしにとっては、初めての長期旅行。
といっても4〜5ヶ月だ。
もうあたしを思い留まらせるものはなに一つない。
9時半過ぎに南港に着いた。おお、あれがあたしの乗る新鑑真!とてもシンプルな待合室。
11:00乗船開始。12:00に出航。翌々日の10:00着。
大阪〜上海は2日弱。2等で片道2万円、往復3万円で帰りは1年オープンで使わなければ 払い戻しがあるようだ。1ヶ月間のビザが船内でも取れる。
あたしは旅行代理店で6ヶ月有効2次ビザ(2ヶ月を2回)を取った、 と言うか2ヶ月を1回で良かったのにそうなっていた。
新鑑真は一路上海へ。満月の夜、海は凪いでいて、鏡のようだった。
月は恐ろしいくらいに明るく、星は思ったほどよく見えない。
太平洋で満天の星を見られたらどんなに素晴らしいかと期待していたが、う〜ん、残念!
この船はシャワーのみで湯船はない。(蘇州号には湯船があるそうだ)
乗船客も少なく、あまり混む風でもなかった。
髪を乾かそう。あぁ、良い物がある。それは洗面所にあるハンド・ドライヤー。
みんなやっているかもしれないけれど、ひらめいた。
ハンド・ドライヤーの吹き出し口に頭をさげるとガーと作動する。
便利〜!あたしはこれで、下着もそこそこ乾かした。
あまりみっとも良くないので、誰か来たら中断しようとは思っていたが、誰も来なかった。
船だからといって貧乏パッカーばかりとは限らない。
素敵な中年夫婦は、特等室に泊まっていた。彼らは、旅ごとにテーマがあり今回は 「船で一番いい部屋に泊まる」だそうな。
拝見させて貰う。部屋は8畳ぐらいの広さとトイレ・バスタブ付。
入り口には花が飾られていた。
船首にあるため、昼過ぎになると陽がさしこむ。
レストランの値段は普通かちょっと安いぐらい。
ご飯が50円、漬け物100円は安かった。
ボーイはもう中国人、徐々にボルテージは上がってゆく。

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2000.10.11

8:30、船内で上海から成都までの列車、硬臥席を手配。
午後に返事が来るが13日まで満席。
この席は取りにくいらしいく軟臥にする。軟臥なら船で取らなくても上海に着いて からでも大丈夫と言われる。頼み直しすると時間とFax代がかかるから?
実際、上海ですぐにとれた。

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2000.10.12

早朝、飛び起きて甲板へ。船はもう河口に入っていて左右の岸壁は港の様相を呈していた。
空はまだ暗く、灯りが点る港の風景に胸はきゅんとなった。
行く先や帰る時期を、だいたい決めているのに
「あたしは、一体どこへ行こうとしているのだろう」
流れてゆく、当てのない終わりのない旅を始めている様な気分になったのは何故?
初めての長期の旅のせいか。

乗船記念として箱入りの筆3本セットが朝食から戻ると、ベッドに置いてあった。
う〜ん、困る〜!だって旅の始まりに貰っても嬉しくない。
帰りにだってあたしはいらないのだ。
以前はTシャツだったらしいが、そっちのほうがよかった。
同部屋の才媛の中国人にあげる。

外はちょっと寒かった。やったぜ!上海、ユーラシア大陸に上陸だ!

タクシーに乗りメーターで、船着き場(浦江飯店あたり)から
上海駅前の遠東不夜城飯店まで18元。
宿代はちょっと高い!いや相当高い。上海の情報をほとんど持っていなかったあたしは、 船で知り合った旅人と留学生に従った。なんとも頼りない旅の始まり!
旅人がガイド本をしっかり予習していて両替やら、チケットの購入はどこそこでと しっかり決めていた。だから、初日は駅前ということに。
チェックイン後、同じ建物の中にある銀行で両替しチケットを手配しに行く。
軟臥705元+服務費5元。購入する所によって服務費は違う。
交通飯店の旅社では40元もとられた!
地下鉄に乗る。1区間2元、もちろん近年発行されたコインで。

知り合った1人はチベットを目指す旅人、里美さん。
彼女は4ヶ月ほどラサに、そしてインド、パキスタンを旅すると話していた。 もう1人は西安の留学生。
そう、中国語をちょっと話せるので、お世話になっちゃったって訳。

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2000.10.13

留学生は早朝に飛んで行った。
彼女は宿泊税を気づかず、立て替えた薬代も、一端出しかけていたが、 料理が来て中断されたため払ったと勘違いしたまま、去っていった。
通訳料とあきらめる。 旅で、貸し借りは絶対しないでおこうと心に決める。
その逆もあるかも知れないので、いい教訓になった。

残った我々2人も、早々にチェックアウト。ドミトリーのある 浦江飯店へ。

おぉ、なかなか重厚なホテル、こんなとこにドミなんてあるのかと思ったが ちゃんとあった。ゆったりとした12人部屋。
バスタブ、ロッカー、たんす、テーブル、テレビお茶セット。
そう、あたしのドミトリー・デビュー!
安い宿はいくらか泊まったことはあるが、ドミは初めてなのだ。

里美さんが屋台で食事をしたいと。
路地裏に地元の客で満席の出店を見つける。漢字を見ればだいたい見当はつく。
あれはきっと旨そうだ「鶏肉砂鍋」とメモに書いて小姐に見せる。
料理が出来る頃には席も空きそうだ。と、どこからかポリスがやって来た。
なんだろうと様子をうかがっていたらどうやら路上に、はみ出して商売しているのを
とがめているらしい。主人は必死で見逃して欲しいと訴える。
10分ほど言い合いは続き、従業員も外の方からゆっくりと片づけ始めた。
そのうち立ち去ると思っているようだ。(すべて、推測です。とほほ)
「どうしよう」と言いながら立ち去れないあたしたち。だって食べたいのだ。
果たしてポリスはいつの間にかいなくなった。席も空き料理も上がってきた。
ぐつぐつ煮立っていてふうふうしながら一口。顔を見合わせ「おいし〜!」

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2000.10.14

昼前、チェックアウト。日本人男性が食事をおごってくれた。ラッキー。
列車は19:57出発。時間はたっぷりある。
里美さんが、図書館へ行こうと言う。時間つぶしもちゃんと予定にあったらしい。
なかなか綺麗な図書館だった。トイレに紙もあった!
ここから、地下鉄で上海駅まで行く。3元。中国は人が多いと実感する。
駅は東側を工事していた。駅前で交代で買い物に行く。
とりあえず水とバナナだ。水は2〜3元ぐらい、駅前のような所だと3元。
軟臥席の待合室は他とは別にありゆっくりと座って時間を待つ。
電光掲示板があり乗る列車を確認。漢字って有り難い。
中国読みしなくても理解できるからね。

突然彼女は、ぽろぽろと涙をこぼした。
日本に置いてきたつもりの様々な思い、そしてこれからの旅への不安からか・・・
言葉に出来ない思いが涙になったのだろう。
何かの答えを探しに来ているような気がした。

そう、旅の始まりも終わりもセンチメンタル・・・

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2000.10.15

朝靄が美しい。線路で工事をしているがみんな手作業。
すれ違う列車はとてつもなく長い。
昼、洛*東駅停車、同室の中国の人に昼食をごちそうになる。謝謝!
ここで列車は方向転換。

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2000.10.16

山羊が多い気がする。 あ、子犬のように黒い豚が走っている。ふふ、可愛い!
土色の川、吊り橋、棚田、黄色いとうもろこし、列車の汽笛が旅を実感させる。
そろそろ到着だ、列車の中がなんだかざわつき始める。
車掌が地図を売りに来た。4元。
里美さんは暗くなって成都に着くのはいやだと言っていたが、まだ明るい。
日暮れまで1時間はあるだろう。早々にタクシーに乗ってホテルへ。
「ばいばい!」あたしは九寨溝ツアーの情報を手に入れてから、宿を決める。

駅前の旅社をのぞくと熱心に勧めてくる。明日のツアーがあと1席残っているとか。
バス代、宿泊・食費、入域料、保険料込み(全包)で780元。
これを払い、今夜宿に泊まると所持金が心もとなくなる。
翌日発だと両替も出来ない。次のツアーにすると言うと、首を振った。
迷ったが、明日行くことにする。ちょっとあわただしい。
九寨溝は10月いっぱいで閉鎖され、来年の春まで入れない。

次は宿探しというか、予定の宿の電子科技大学賓館へバスで向かう。1元。
駅前から乗ったおじいちゃんがあたしに付いてきて心配してくれた。謝謝!
服務員の女は言った。「メイ・ヨー」おおお!これは効きすぎだ〜。
あたしは結局、里美さんが泊まる予定の交通飯店へタクシーで目指す、13元。
交通飯店の受付嬢は当然、英語を話す。40元、朝食付だ。
3人部屋、日本人はあたしだけ。里美さんには会わないことにする。

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2000.10.17

8時に昨日の旅社まで行く。タクシー交通飯店〜成都駅前、13元。
後で分かったのだが、ホテルまで出迎えに来てくれるらしい。
そう言えばしきりに説明していたのが出迎えのことだったように思える。
あたしは言葉が分からなかったので仕方なかった。
しかし昨日の場合は宿がまだ決まってなかったので どっちにしてもここに来るしかなかったのだ。
日本人1人すっげ〜美人の留学生、千春さんが参加していた。
とても中国語が上手で、あたしは随分と助けられた。
彼女がいたからこの旅は一層素晴らしいものとなったのである。
ツアー客は皆裕福な人々だった、我々も含めて。
ガイドは若い青年だ。皆賑やかで楽しいし気さくである。 冠雪した山の頂を左右に見上げながらバスは奥地へと入っていく。
チベット族の集落があり、なるほどと思わせる家や、旗?が見受けられた。 ホテルの室内は遠東不夜城飯店にそっくりだった。中国では外国人が泊まっていいホテルは、 それだけあって快適にすごせる。
食事は当然おいしかった〜!幸せだよね。
このツアーでは高級料理はなかったが庶民料理が8皿ぐらいは出てきて満足させてくれた。

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2000.10.18

あまりにも美しい、九寨溝。紅葉、雪を頂いた峰、白い月、青い空・・・
某テレビの世界遺産のナレーションならこうなるだろうと、シナリオを創る。
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2000.10.19

黄龍の五彩池までの道のりは結構あった。
しかしその間にも途切れることなく神秘な池が延々と続いた。
ゆっくりと歩こう。なぜなら高度がどんどん上がっていくからだ。
寺の辺りは標高3500メートルを超える。高山病が心配な人は酸素袋を借りよう。
お値段は、50か80か100元、覚えていない。あたしは自力で大丈夫だった。
往きの上りは2時間はかかるだろうが、下りは1時間かからない。
池の中には絶対入ってはダメ。禁止されている。
鍾乳石が成長するには気の遠くなるような時が必要だからだ。
そして掟を破ると高額の罰金がある。いくらかは不明だがツアーの男性が払ったらしい。
記念写真が大好きみたいで場所争いになったりする。
人を押しのける中国人、それに眉をひそめる中国人。いずれも中国人。

上海から成都行きの列車であった青年は九寨溝がナンバーワンと言った。
2回来たことがあるらしい。その気持ちがよくわかった。
今、観光ブームの中国では有名なところはどこも混雑しているようで、 ここも例外ではなかった。

緑のリンゴは安く(1元で3個はあったと思う)赤いリンゴは4倍ほど高いとか。

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2000.10.20

屋根の中央の飾りはなに?幾何学模様の。ただ重ねたものもあるし、 透かし瓦みたいなのもある。
(気になっていたら後日訪れた麗江辺りでは猫だった。痩せた人相の悪い猫が、 耳としっぽをピント立て、お尻の穴を見せながら屋根のてっぺんに陣取っている。
帰国して本を見てたら瓦猫(カオマオ?)とあった。守り神らしい。ナットク!) この日は土産物売り場まわりだ。中国の人たちは次々と買い物をしていく。
成都に帰着。両替をする。ツアーではお金を使う必要はあまりなかった。
土産物を買わなければお金はいらない。トイレ代ぐらいか、使うのは。
交通飯店の中の旅社で昆明行きの軟臥の予約を入れる。
324元、服務費はなんと!40元。

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2000.10.21

千春さんが言ってた民族切手を手に入れようと成都の郵便局へ。
切手屋さんは外にあったがお休み。郵便局の周辺は活気があった。
一番は携帯電話ゾーン。楽しかったのはやはり市場。

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2000.10.22

午後、交通飯店(ラサ行きの玄関口・ここで大概の旅人が手配)のロビーで 新鑑真で一緒だった青年に会う。ラサに行って、もう帰ってきたというのだ。
10日間というのはそういう日数なのかと感心。あたしの時間とは違うのだ。
成都駅の一般待合室はすごかった。
大きな体育館みたいで、1000人いやもっともっといるようだ。
あたしは軟臥なので別の部屋へ。
案内係の小姐は背がすらりとしていて綺麗で親切な人だった。
時間がきたら声をかけてくれ、乗る列車も教えてくれた。あたしは礼を言い列車を目指す。
と小姐が声を上げてぶっ飛んで来た。はは、あたし間違っていたみたい。
子供に教えるような優しい笑顔でもう一度教えてくれた。謝謝!
背は子供なみでも一応大人の部類よ。

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2000.10.23

昼頃、昆明に着く。駅前で刀削麺をたべる。これは、だんご汁やな。
食べていると通りがかった物売りと視線があった。しまったと思ったが後の祭り。
店の中に入ってきた。でも買わない。
近くをうろうろしたら一回りして元の駅前へ。バスが並んでいる。
バス・ターミナルっていつみてもエキサイティング。
乗るつもりなどなかったのだが声を掛けてきた客引きのバスは、 明日ぐらいに行こうと思っていた大理行きのバスだったのだ。
渡りに舟とはこの事で飛び乗る。70元。
昆明12:55発〜17:45下関着、ローカルバスで下関18:20発〜18:45大理古城着1.2元。
ローカルバスに乗るときに行き先の地名を確認するのは当たり前だが、 二つぐらい手前の地名を控えておくと下車の準備が前もってできて慌てなくていい。
あたしは下関のバス停でスリと遭遇。バスが来るのに気をとられていた。
ふと振り返ると膝辺りに付いているポケットの蓋を、今まさに開けようとしているスリと 目が合ってしまったのだ。奴はすっ飛んで逃げた。「何しとんねん〜!ばかやろー!」
むろん日本語で怒鳴った!

四季客桟=10元、レンタ・サイクル=10元。西洋人が好きそうな宿だった。
机の両脇にユーカリの枝を吊してあった。蚊よけか?

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2000.10.24

四季客桟の朝、YMTVがロケに来ていた。部屋のナンバーをペンキで消したり、 電気のコードをはずしたり。
けんかのシーンらしく俳優がアクションの打ち合わせをしている。
見ていたかったが出掛ける。

チャリを借りてアルハイを右に眺めながら北上。
道路は2本あるが、ユーカリの並木道のある旧道(西側)を選んだ。
喜洲に行くつもりが沙坪(シャーピン)まで行ってしまう。
なぜ気付いたかというと地区の境界には挨拶の書かれた 横断幕が必ず?あり、それに
「ニー再到大理来」大理にまた来てねみたいな意味かなぁ、 書いてあったからだ。
ちょっと行くと湖が終わった。慌てて引き返す。 (負け惜しみではないがこの辺の水郷はよかった)
喜洲到着。藍染めが壁いっぱいに貼られていて綺麗。
民族衣装を着た女が「安い、安い」と声をかけてくるがごめんね、 いらないんだよ。
往復40キロ位あったかな、7時間ぐらいこいでいた。さすがに少し疲れる。
新貨幣の告示ポスターがあった。100元の毛氏とか、コインとか。
(九寨溝のツアーでトイレのし払いにコインを出すと珍しがってのぞき込みに来たのは、 まだこの辺では流通してなかったからだろう。
後日の南疆賓館でも毛氏のお札は初めてのようで何か言っていた)

夜、菊屋でカツ丼を頼むが・・・・・・
不満男が先客でいて白人の悪口ばかり言い、**虐殺の話にまで及びかける。
「それはここで話題にすべきじゃないでしょう」と店の小姐に聞こえないように注意。
ここの小姐は日本語が分かるんだよ、それを知っていて言うなんて無神経すぎる。
まずい飯が余計まずくなるやんか〜!
九寨溝・黄龍寺ツアーで千春さんは、中国人に
「ジャパニーズ・キルド・チャイニーズ」
とすれ違いざまに言われたとか。一緒にいた中国人は英語を知らなくて
「なんて言ったの?」
と訊いたらしい。言動は要注意!旅をさせてもらっているという気持ちを持ちたい。

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