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* インド旅日記 *


2001.1.17〜2.3

バングラデッシュ、ダッカ

トランジットのために一泊。寝るだけで、ちょっともったいなかった。
何もかも不明だが、結構良い部屋だった。バスタブ、朝食付。

パスポートとエアチケットを空港受付?に預けるとプラスチックの色つきの札のような物をくれた。
空港出口までゆくと迎えが来ていて札はそれぞれのホテルのものらしく、同じ札の者が集められバンで運ばれる。翌日の乗り換え便の行き先、出発時間別に分けられていたようだ。早朝発なので街に出られる時間はなかった。

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カルカッタ

カルカッタ(コルカタ)のホテル・パラゴンに、この冬から給湯器が付いた。
2000年11月には、なかったらしいが、2001年1月18日前後に泊まった時には利用できた。バケツに汲んでシャワー室で、行水できる。
けっこう寒かったので、嬉しかった〜。このホテルは造りが迷路っぽくて楽しい。
オーナーもフレンドリー。英語がダメだというと宿帳は日本語でいいことに。
サンキュー!
1月18日カウンターに配達されたばかりの旅行人1月号があった。
わ〜うれしい!オーナーに声をかけ読ませてもらう。
真知さんのファースト・キスの話が印象に残った。
こんな異国の地で旅行人が読めるなんて。
そういや、定期購読は1月で切れるのだ。郵便受けはいっぱいやろな。

(バラナシの久美子ハウスで読んだ12月号にラオスで投函した絵はがきが掲載されていた。
それがまた嬉しくて絵はがきをバラナシで出す。
3月号にまたまた掲載された!しかし、定期購読はまだしていない。
3年は無理だと思う・・・だって・・・)

サダル・ストリートからハウラー駅までリキシャで
行くことに。料金がなかなか折り合わない。
「40Rで10Rはバクシーシ。合わせて50R」とリキシャ・マン。
親父ははりきって暗くなりかけた通りを駆けだした。
初めて乗るリキシャだ。思ったより目線が高くなっている上に、 道の真ん中を走るので街の景色がまったく違って見えた。
まるで映画を見ているような、夢を見ているような不思議な感覚だった。
周りの人や建物がスローモーションで揺れていた・・・・
レール?え、線路を走っている!
振り返ると客満載の路面電車が迫って来た。リキシャは雑踏をかき分けるように 路地に曲がり、市場のような所を西に抜けると川にぶつかった。
少し北へ行ったハウラー橋の手前でポリスに止められる。
リキシャは通行禁止らしい。(一方通行?)仕方がない、降りて歩こう。橋を渡れば駅だ。
リキシャ・マンは知らなかったようだ。
「ジス・イズ・ノット・ハウラーステーション」
あたしは50Rは払えないと告げ、40Rを渡す。彼はしぶしぶ諦めたよう。
それでもあたしは40Rはちょっとぼられていると思った。相場っていくら?

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あたしだけが知っている

ベトナム、ニンビンの「スター・ホテル」
(ツーリストバスの定宿)105号室のシャンデリアとカルカッタ、サダル・ストリートの
「ブルー・スカイ・レストラン」のシャンデリアが同じだった!
きっと誰も知らない、あたしだけが知っている。
もう二つ、ベトナムのフエThanh Binh H.の205とサイゴン・Ocean H.305の 部屋のライトが同じだった。Ocean H.305の方は飾りが少し取れていたが。
ふんとに、しょうもないものに目がいって困る。
あと、小さい冷蔵庫は泊まったホテル皆同じだった、と言っても4軒だけど。

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久美子ハウス

バラナシでは、やはり久美子ハウスだろう、そう思った。
噂はいろいろあったが良いか悪いかなんて泊まった人の 主観でしかない。
いや、何よりもあたしの名前が久美子だからなのだ。
話のネタ的にもおもしろいじゃない!
十数年前友人が旅の写真を見せてくれたが、
その中に久美子ハウスの写真があったのだ。
その時はこんな家もあるんだと思っただけ。
久美子ハウスというペンキの文字は毛筆でかいたような文字だったと記憶にある。
そんなこともあって久美子ハウスに決めていたのだ。

バラナシ初日はカント駅で一緒になった母子連れと一緒に
Om Vishuwanath Lodgeに泊まった。
朝は、あちこちのスピーカーから流れる大音響のアザーンに起こされる。
暗くなっての到着だったし、オートリキシャに乗って連れてこられたので
位置関係がちんぷんかんぷん。
しかし、朝日の方向に進めばガンガーに辿り着けるはず。

宿のあったイスラムのエリアからガンガーをめざす。小さな火葬場があった。
もう地図はいらない。10分ほど歩くと記憶にあった久美子ハウスが現れた。
久美子ハウスの規則をシャンティさんが話してくれる。
やや、くどいかなと思いもしたが、何かあってからでは遅いのだ。
じっさい事件もあったようで警察、大使館、日本の家族と連絡を取ったりと
迷惑をかけた旅人もいるらしい。評判が全て客足に影響を与えるので
くれぐれも注意あれ。
ドミは30ルピー、安い!
どうやら混んでいるようでパイプベッドは当たらない。
本棚の前の床が今夜の寝床
しかし、布団をめくっておかないと
本が取りにくくなるのだ。
枕元にはすぐ窓があって、寝ころんだままで
ガンガーや朝日が眺められる。
地べたに2泊し2階のシングル2号室に移動。
うう、嬉しいが130ルピーと高い!

食事は朝・夕各25ルピーで、夕食は日本食風。
食材の種類が多くないので何日かいると似た料理に当たるのは仕方がない。
しかし、和風味は落ち着く。「何食べたい?」と聞かれたので冗談に 「茶碗蒸し食べたい!」といったら、茶碗蒸し風のほうれん草スープが夕食に出た。
とてもおいしかった!
年に一度の冷蔵庫のバッテリー交換は1万ルピーとか。高すぎると思ったが、根拠はない。

食事は8時過ぎと、19時過ぎ。
下から「食事にしましょう」と久美子さんから声がかかると、 旅人がぞろぞろと降りてゆき1階から3階のドミのテーブルまで、リレーで運ぶ。
それぞれが皿を持ってテーブルを回りながら料理を取っていく。
(取りすぎ注意!人数で頭割りして取るべし。)

朝食は同じ物が毎日出る。(右写真)
トースト(日本の食パンの半分ぐらいなので
皆4〜5枚取る)、ゆで玉子1個、トマト、
キャベツ(キュウリ)、フルーツヨーグルト、
チーズ1枚、ジャム・バターそしてチャイ。

朝、おなかいっぱい食べれば昼食を抜いて1食うかすことも可能?
あたしは、とても軟弱なトラベラー。
インドでは、インド料理をあんまり食べていない。
だって、おいしくないんだもん。
塩からい味ばかりで、だしのない料理はどうもダメみたい。
もしかしたらちゃんとしたインド料理のレストランに行けば
うまいんだろうとも思う。
でも、インドのライタはおいしかった!日本に帰ってヨーグルトで作ってみたが
まずかった。ヨーグルトが違うのだ。ライタはくせになる。さっぱりしたあの味・・・

夜、灯明流しをやっていた。祭なのだ。
屋上から眺めたガンガーも幻想的で思い出深い。
旅人たちはしばし無言で眺めていた。
ただ真夜中はガンガーの中程まで靄がかかり、
あの世とこの世の境界を想像させる不気味さがあった。
ぎぃっ、ぎぃっと誰かがボートを漕いできたら悲鳴ものだ。

近くのアラハバードでは12年に一度のクンブメーラーの祭があった。
その足でバラナシを訪れる信者がいるのだろう、ガートは混んでいた。
祭で流したのだろう、川岸にはマリーゴールドの花が沢山流れ着いていた。

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迷惑な日本人団体ツアー客

久美子さ〜〜〜〜〜んと呼ぶ声がガンガーの方から聞こえてくる。7時前のこと。
なんだと思って見るとまた「久美子さ〜ん!」あれまぁ、ボートに乗った日本人がこっちを向いて呼んでいるのだ。
久美子ハウスの名は団体ツアー客にも知られているのだろう。
何度も何度も呼んでいる。もしかしたら、久美子ハウスに泊まってみたいと心密かに思っていたのではないかな、そんな気がした。
でも、やめて!うるさいから!

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日々の正しい過ごし方?

のんびりする。凧揚げをしたり、散歩をしたり・・・・
のどが渇けば甘いチャイを一杯。日がな一日、たらたらと過ごすのが気持ちいい。
大和魂のTシャツを着たソナを冷やかしたり。
ボートで向こう岸に行くも良し、朝日を見、川からガートを見るのも良し。
ボートの親父は火葬は電気と薪があり、薪は1000ルピーすると言った。
電気はいくらかは聞かなかったが安いそうだ。
洗濯石の上でお昼寝。あたしって何処ででも寝てるなぁ。
凧揚げはバラナシで一番人気の娯楽だ。
あたしが凧を揚げようとすると必ず誰かが教えてやるというポーズで凧糸に手を掛ける。
どんどん凧は空高く舞い上がる。教えるのではなく、自分が凧揚げをしたいのだ。
子供も大人も皆そうだった。
ま、いいかぁ、そんな日々・・・

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インドの不思議

インドの商売人はぼったりする人もいるかもしれないが、
理解に苦しむおおらかさというか慈悲というか、がある。
「凧は揚げないのか」「壊れたの」「買えば?」「お金ない」
「じゃ、これで買え」と5ルピーを差し出してきた。これにはびっくり!
「残りでチャイでも飲め」そう言ったと思う。
あたしは日本人でお金がない訳ないのに、そう言ったのだ。
でも、彼は、相場の30Rのボート代を100Rと言って、日本人客から巻き上げている。
わからへ〜ん!
土産物屋筋でも同じような事があった。「買わないか?」「お金ないの」
「じゃあ、あげよう」あたしは慌ててその場を離れたが、一体、これって何?

繁華街からすこしはずれたチャイ屋さんは安かった。
値段を聞くと、客が数人5Rとはやし立てるが店の青年は1.5Rと言った。
よくあるパターンで、地元の客が高い値段を言って冷やかすのだ。
店の人は困ったような顔をしていつもの値段をあたしに告げる。

街で声を掛けてくる人には注意をしなさい。
普通のまともな人は街をうろうろしていない、とシャンティさん。
あたっているかもしれないが、ちょっと悲しい。

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きみは白人か!100リットルのパック!

久美子ハウスの旅人。福岡県の税理士K君。
彼はこの後アフリカへ旅立つらしい。そのため荷物を整理していた。ネパールからの トレッキング帰りで防寒具などの装備がすごい。テント・シュラフ(2)・蚊帳・マット・マフラー・防寒ソックス・コッフェル・コンロ、デジカメ、一眼レフ、魔法瓶、カップ麺(小4個)、ごはんですよ、 文庫本(約10冊)、あとはみんなが持っているような荷物。
そして極めつけは、友人に持ってきて貰ったという「新米三キロ」だった。
100リットルのパックとデイパックでサンドイッチ・マン。
K君は明るく爽やかに旅出って行った。そんな彼から聞いた話。

----犬には、気をつけましょう!編---- チベットあたりで犬に噛まれたという話。
しっぽを振りながら、友好的に犬が近付いてきても
油断してはいけない。足下にきて、いきなりガブリと
噛みつかれた友人がいたとか。
フェイントをかますやつもいるらしいので、ご用心!

----ストリート・ボーイ---- オーストラリアを旅した時、シドニーの街の大通りに立っていた時のこと。
その時の彼の格好は腕を組み、Tシャツに短パン。
その短パンはさらに短く折上げられていたそうな。
すう〜っと白いベンツが横付けされ、窓が開き男が指で合図してきた。
「いくらだ?」
「家族にお土産を買うお金がなかったから一瞬迷った」そうな・・・(おいおいと思う)
勿論「ノー!」だったらしいのだが笑わせてくれるよなぁ。(ほんと?)

待ち合わせをしていた友人もユニークだった。
ショッキング・ピンクの毛布が忘れられない。

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あんな人・こんな人

自分は引きこもりだという21才の青年がいた。お母さんのことが大好きでシグナルを
ずうっと出していたけど、愛してもらえなかったと。
甘えたい時にそれが叶えられなかった彼は、今も子供のままだった。
なぜインドなのだ?中国はどうだ?おもしろいぞ!

4年、旅をしていると言った中年男子。日本に帰るとまずいのか?
ギターがとても巧かった。そのせいで、風邪ひどくさせて、ごめん。
6月、無事に帰国できることを祈ってるぜ!

ほとんどぼろぼろになった麻のジャケットを大事に繕っていたIさん、
インター・ネットは出来た方が便利だから覚えておくんだよ!
「おねぇちゃんにメールを打ちたい」なんて、かわいいね。

サイゴンから幾度となく出会った仙台のD君、4カ国をまたに掛けてとは
すごいなと言うより、旅人のコースは決まってるって事なんだろうね。
知ってる人にそっくりでびっくりしたよ。

新宿歌舞伎町ゴールデン街に店を出しているAさん親子、その後旅はどうでしたか?
ちょっと羨ましいね、お母さんと一緒なんて・・・

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