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* 中国旅日記・2 *


2000.10.25〜11.8
2000.10.25

楡安園(4)=10元、押金(デポジット)10元
あたしに勝手に付いてきて、客引き料を貰うなんてあまりにも横着!

夜中一晩中音が聞こえる。雨?ではなかった。白人女が白人男を連れ込んでいたのだ。
夢うつつで隣を見たら腕が2本以上あって、びっくり。真相を知った。
ここは5人部屋だからいいが3人部屋で、やられると息がつまる。
邪魔者みたいで不愉快なのよね。あたしはずっと一人旅さ。

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2000.10.26

大理から麗江
楡安園(4)の路地を西に出ると(石段を上る)大きな道に出る。
筋向かい左手前方すぐにバス駅がある。朝は30分おきぐらいにバスはあった。35元。4〜5時間。
ここから麗江に向かう。今日は雨、寒い。峠の道は霧がたちこめ危険だ。
しかし、雨は歓迎なのだ。雨の降る麗江は美しいに違いないからだ。
楡安園で知り合った韓国の学生に紹介してもらった麗江の宿へ行くことに。
日本の青年と一緒だ。四方街を東に抜けて10分ほど歩いた奥まった所。
日本人が数人いた。カップルもいる。
あたしはこのカップルの青年とバラナシで再会することになる。

****客桟(麗江・四方街東の宿)=20元。朝食2元、夕食8元。
潜りの宿なので宿名なし。

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2000.10.27

麗江の街を何時間もあちこちと歩き回る。散歩は楽しい。お決まりの市場ものぞく。
荷物の防犯用のワイヤーは持っていたが、ちょっと細いので、 もしインドなんかに行ったとき、役立つか不安なのでチェーンを買う。3元。 (インドでは駅のホームで太い鎖を売っている)
砂鍋飯がおいしかった。鍋の底の方にじゃがいも、そしてご飯ベーコン。 日本の炊き込みご飯だ。

宿に公安が調査に来るらしい。全国民人口調査だ。 そういえばあちこちに張り紙がしてあった。この宿は潜りの宿なのでやばい。
夜7時から11時まで外出を要請される。
やれやれの一日。

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2000.10.28

夕方、宿の食事を皆でたべていたら主人が言った。
今日、公安が来る、知り合いの家に行って欲しいと。
昨日の外出は一体何だったんだ!日本の青年はおこってその分安くしろと、 詰め寄るが結局折り合いが合わず、彼は出ていった。
昨夜来なかったのなら、今日来るのは明らかだ。
それを黙っていたのが許せないのだ。分かっていたら早い目に宿替えが出来るのに。
まぁ宿側としてはそうなることをおそれて報告しなかったんだろうけど。
あたしは明日ニンランに行くので無駄に体力を使いたくなかったので、 へやに鍵掛けてこっそり寝ていることにする。宿の主人もそれだったらいいと言った。
本当にぐっすりと夜中まで寝てしまった。公安が来たかは分からない。
もういい!今日でお仕舞いだから。ぷんぷん。

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2000.10.29

麗江は今日も雨だった。ワワワワ・・・(古すぎる)

麗江からニンランへ
瀘沾湖を目指す。途中のニンランで一泊。
ニンラン客運站=30元

昼食、焼きめしとおかずを頼んだのだが、焼きめしが先に来る。
殆どご飯ばかりで具がない。あたしが頼んだのは蛋炒飯。(卵炒飯)
とりあえず食べ始めるが、やはりおかしいのだろう、子供が食い入るようにあたしを見つめる。
たまたま、持っていたザーサイ出しておかずにするが、 そのうち来ると思っていたおかずは結局来なかった。蛋炒飯2元。
夜はもう少し普通に食べたいと思う。ご飯、スープ、チンジャオロースーで計9元。
街の小さな食堂だったがうまかった。ただ1人だと種類がたくさん頼めないのがくやしい。
いや頼んでもいいが食べきれず残すのは、好きでないからだ。
腹ごなしに散歩し近くの民族衣装屋さんをのぞく。鮮やかでキレイ。

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2000.10.30

ニンランから瀘沾湖行きのバスは窓の下に止まっているのでらくちんだ。3台停まっている。
山越えは寒い。道はつづら折りで一山の片面を何度も折り返しながら頂上を目指す。
途中道路の真ん中でトラックが昼寝をしていたり、パンクがあったり。
時折、イ族の女の人を見かけた。
荷物を積みすぎていたバスは公安に捕まり罰金を払っていたよう。
窓から路肩が見えなくなると怖かった。道が狭いのだ。
恐る恐るのぞくが、谷底は遙か下にあった。夜は絶対に通りたくない。
摩梭之家=15元、強制夕食10元。
中庭に洗面所はあるがフロ関係はなく風呂屋に行かねばならないらしい。
トイレはみぞ斜面転がし、である。40m離れていて、夜はライトがないと辿り着けないと思う。

なんだかここはもういいと思い明日発つことにする。
綺麗なんだけど九寨溝ショックがあって、感動が薄くなっていた。
比較するものではないが、でも・・・・

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2000.10.31

この犬って何という種類な犬だろう?

瀘沾湖/朝8時発、2時間足らずでニンランに着くが ここには泊まらず移動することに。
午後に昆明行きのバスが出る。右回りの違うルートがいい。
左回りだと、もときた道で麗江、大理を通過するからだ。
明朝、昆明に着く予定。
ニンラン〜攀枝花経由〜昆明(599km)寝台バス・臥=115元13:00発

あたしは寝るとき、掛け布団は体の下に敷き込んで手を入れられないようにした。
掛けているだけだと隙間から手を入れられ腹巻き辺りをやられそうな気がするからだ。
その腹巻きもファスナーをピンで留めて用心。
うわさ通り盗人はいた!
金目の物は身につけていたので上着は足下に置きっぱなし。
しかし、盗人の中国人には金目の物が入っている上着に見えたのだろう。
「隙のある日本人め、しめしめ」と。
見事やられた! 内側に取り付けたポケットはナイフで切られていて、 中身はない・・・ ポケットに生理用品を2つ入れておいたんだけど・・・
きっと手探りで二つ折りの大金とでも思ったんだろう。どーすんのよ?!
後で確かめた時の奴の顔を想像するだけで笑ってしまうぜ!
まさか、突然始まって必要だったなんて事はないだろうに。

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2000.11.1

朝、7時過ぎ昆明西ターミナル到着。地図を見てどのバスに乗るか探す。
行く先は茶花賓館。30元。
ラオスのビザを申請に行く。43$。どきどきどき!初めて自分で手続きをする。 しょっぱなから間違う。
英語で書くようにとあるのに、ははは、日本語ですね〜この文字は! 時間がかかるがそれもまた良しか・・・
散歩。おや、この季節にジングル・ベルなんて早いぞと思ったら、ゴミ収集車。
ラオスでは、ハッピー・バースデーのメロディーが流れていた。
日本では、そうエリーゼのためにだよね。

56民族記念切手をやっと手に入れる。大理にも麗江にもなかったが昆明にあった。
やっと手に入れたので有頂天になっていて、いつもと違うお金の出し入れをして落としてしまう。 しばらく立ち直れなかった。この旅最大の汚点である。
ま、旅に支障はない金額だがあたしの不注意からというのがくやしかった。
この時から何かがぷちっと切れた・・・・
落とすくらいなら使った方がどんなに気持ちいいか。食べ物も辛抱しないで食べよう!

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2000.11.2

昆明の南にある云南民族村へ。ついでにモンラー行きのバスのチェック。
民族村へのバスは市営と(1元)私設の万達(2元)の2社がある。
1元の差ではなく倍高いと判断。

写真をプリントに出す。現像料3.8元、プリント1枚0.7元。麗江では0.6元だった。
36枚撮り8本を現像プリントして213.8元。ふぅ〜
もちろんミニアルバムに入れてくれてだ。日本のより一回り大きい葉書サイズである。
オリンピックのマークの入ったコアラの人形をくれた。
が、ラオスのMixai G.H.に置き去りにすることに。

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2000.11.3

午後3時ラオス・ビザの引き取りに。
郵便物を送る。
このホテルはラオスやミャンマーの大使館があるせいか夜トイレに起きて用が済んで 出てきたら、白いコートを着た警備員が立っていたりする。
ラオスは本館の1階に移っている。

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2000.11.4

昆湖飯店=25元、デポ25元。4人ドミ。
バス・ターミナルが近いので移る。愉快で明るい台湾の青年がいた。
後は日本人。置いてある荷物でわかる。
ベッドの境に付けてあるブラインドはぐっちゃ・ぐっちゃ〜だった。
云南省博物館へ行く。民族衣装がたくさん陳列されていて見応えがあった。
写真を撮ったのだが後の窓ガラスが映り混んでうまく撮れない。
麗江では店頭に飾ってある民族衣装を写真に撮ると10元取られる。
ここで存分に撮ろう!

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2000.11.5

昆明の締めはやはり過橋米セン!だね。10元のを注文、結構豪華。
(麺、薄焼き玉子、うずら、ゆば、にら、もやし、人参、白菜、キクラゲ、ハム、 ザーサイ、鶏肉、豚肉、からし?とまぁこういったものが少しずつ入る)
幸せってこんな時に感じる。ささやかで、可愛いもんです。

昆明〜モンラー(811km)大型臥=139元、予定時間は多分21〜22時間。
しかし、出発は客がなかなか集まらず3時間遅れ。
このバスは寝床がござ風だった。
お、いいねぇと喜んだのは束の間で、これには辛いものがあった。
というのも中国のバスは上下左右によく揺れるのは周知のこと。
揺れるたびにあたしの体はスーと流れてゆくのだ、ござの目に沿って右に左に。
滑り止めのない寝台バス。一晩中踏ん張っていた。あまりにも悲しすぎる。

オリオンを仰ぎながら用を足す。今日も満天の星がきらきら光っている。

左の青年はあたしに用があるとき「チンプトン」と声を掛る。
その言葉であたしが反応するのに気付いたからだ。

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2000.11.6

朝8時過ぎ道路工事のため2時間30分足止めをくらう。
その時後から来た中型ののバスに乗り換えさせられる。なんで?
バスは暗くなった7時前モンラーに着く。
青年ドライバーと綺麗な車掌さんが「お腹は、空いてないかい?
泊まるとこは決まってるの?」と訊いてくれているようだ。
眠るポーズは中国も同じ!みたい。
地図を見せるとあちこちと回って宿を探してくれ正面で停めてくれた。
「ここがそうだよ」
あたしは嬉しくなった。とても不安だったもの。謝謝!謝謝!
忘れないよ、絶対に。ありがとう!
こんな出来事が知らない街や村に足をむかせるエネルギーになるんだ、と気付いた。

南疆賓館=22元、テレビ、扇風機付、トイレ共同、水シャワーは一番奥のトイレ使用。
中国人は20元のようだ。机の引き出しに伝票が入っていた。
部屋が暗いので電球を買いに行く。
店の主人は取ってくると行って何故か外へ出ていった。
7〜8分ほどもして戻ってくる。これだろうとショーケースの上に置いた。
「これこれ。で、いくら?」「10元」「高い。あたしはこのまえ1.5元で買った」
と書く。その店にいた客らしい男がニヤッと笑った。
主人はばれたかという顔をし、そして渋そ〜な顔をした。
「3元」「高い!」
主人は何処かで買ってきたようだった。
「だったら、他で探して買えよ」「ん、分かった3元で買う」
と、まあこんな風な訳が付くのだが全て想像。
しかし仕草とかあの状況を考えたらこんなんやろ。

部屋は明るくなった。でもすえ臭い。

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2000.11.7

モンラーの朝、なんとなんと誕生日!
あしたはラオスへ、で、散髪をする。8元。
街にはマッサージ屋さんが多かった。散髪屋さんと思ってはいるとマッサージ屋さん。
市場で餃子が6個入ったミーセンを食べる。3元だったが、餃子なしなら2元。
焼き芋を売っている夫婦がいた。「いくら?」と訊くと、旦那の「1元」と おばちゃんの「2元」がほぼ同時に聞こえた。あたしは笑うしかない。買わなかった。
2元で買うのはイヤだし1元で買うと旦那が後で攻められるだろうから。

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2000.11.8

9:00モンラー発、2時間前後でモーハンへ
途中マウンテンバイクでツーリングしている、白人男性を見かけた。
やるなぁ!バスとあまり変わらない速度だ。トホホ

国境へ
あたしにも今回のテーマというか目標があった。
未だ、踏み越えたことのない国境というものを歩いて越える事だった。
中国とラオスの国境は2キロ位あるらしく、 乗り合いトラックのような物で移動する人が殆どのようだ。
しかし、あたしは彼らの誘いを断り、パックをしょって歩いた。 誰もいない山あいの道をふうふう言いながら進む。
道の左側に指標のような碑ががあった。 「ここや!」自分の足でボーダーを超えるんだとどきどきした。
カメラをセットしてリモコンでシャッターを押す。「やった〜!」 あたしは一人旅なのだ。せめて1回の旅で1〜2枚ぐらいは 自分の写真があってもいいかと思い撮る。
そうそう、あたしは外国初めての旅(フランス)の時の写真は1枚もないのだ。
ラオスに入ったとたんに道が悪くなった、というか道路工事中だった。
この国境で、1週間ほど前に茶花賓館で同室だったカトリーヌと再会。
彼女はムアンシン、あたしはムアンサイヘ。

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