English念仏山教信寺塔頭Duetsch
法 泉 院
(New)法泉院檀信徒会様専用Entrance(情報)
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***法泉院の主な布教/教化活動***
宗教法人「教信寺」法務局
宗教法人「法泉院」寺務所
各種法要、仏前音楽結婚式、法話会、写経会
茶道(表千家)、華道(池坊)
声明・ご詠歌・和讃・謡曲・舞踊
人生なんでもQ&A
天台フィルハーモニー聖歌合唱団・練習所
天台フィルハーモニー管弦楽団・総合事務局
音楽の館奏楽堂定期サロンコンサート(10分ミニ法話付き)
体験合宿(小・中学校対象)、音楽セミナー(高校・大学・一般対象)
社員研修道場(新入社員・一般社員対象)、国際文化交流会、海外研修旅行
その他、音楽の館コンサート協会活動は
「音楽の館コンサート協会」ホームページをご覧下さい

<最新情報お知らせコーナー>
( New)2010年CB和尚の辻説法と各地公演予定&記録( New)
( New)慶悟沙彌の「感動体験と、季節のミニ見に法話」シリーズ(New)
 
法泉院関連kyousin Links
「法泉院檀信徒会様専用Entrance」
「法泉院の主な布教/教化活動案内」
「法泉院庫裡増改築寄附願い趣意書」
「楽劇/教信沙彌の生涯」
「念仏山教信寺」
「教信寺 Photo Gallery」
「国際宗教音楽研究所」
(^o^)トライやるウィーク2001(^<>^) 
「国際平和団体/仏教寺院/郷土文化/リンク集」

長谷川慶明名作著書Books Links 
「教信シリーズ(1)かこのうまや」
「教信シリーズ(2)松のみどり」
「教信シリーズ(4)孤城落月」
「人間尊重と仏教」
「社会福祉と教信沙彌」

法泉院関連式次第Ceremony Links
「長谷川慶明師を偲ぶ集い/一周忌追悼法要次第」
「長谷川慶明七回忌法要式次第」
(七回忌法要法泉院本殿席次表)
「長谷川慶明13回忌法要次第/慶明法話集&慶悟TB特番集2枚組DVD制作」
「良慶大和尚100回忌、慶照大姉25回、妙慶法尼1周忌/式次第」
(1.25.100回忌、法泉院法事懐石席次表)
「法泉院仏前音楽結婚式/式次第」
「弦楽合奏付き音楽葬儀式次第」
「法泉院音楽葬儀/式次第」
「法泉院晋山式音楽法要/式次第」
「長谷川慶明師H.12.1/6葬儀追悼関係記録」

法泉院歴代年譜
平安時代:教信(貞観8年8月15日寂/30年在住)承和3年(836年)賀古の駅の辺に庵を構える。
鎌倉時代:法然・親鸞・一遍らが教信を敬慕し、湛阿・法明らが融通念仏・野口大念仏音楽法要を修した。
室町時代:堂宇十三、僧坊四十八を数える大伽藍
安土桃山時代:浄金(1524-1602)教信寺で出家した僧で黒田官兵衛の父・孝高と囲碁仲間であった。播州加古郡野口で生まれた浄金の1人息子の彦次郎が17歳になった天正三年(1575)、官兵衛に預け元服させ野口籐九朗と名乗らせた。後に野口左助一成と改名し、黒田24騎の1人として母里多兵衛と共に官兵衛・長政に仕え大活躍、寛永二十年四月八日、八十五歳で世を去る。福岡城の石垣普請奉行であり、慶長11年(1606)三月〜九月、江戸城天守台石垣を担当した。
天正以前不詳:天正6年4月4日教信寺全山兵火焼失
第01世住職:俊盛(慶長11年11月15日寂/39年在住)山門南光坊天海弟子、永禄10年(1568年)着任、天正6年4月4日教信寺全山兵火焼失、天正8年草堂一宇造立、慶長6年一山5坊計70石(播磨鑑)
第02世住職:尊長(正徳元年12月24日寂/39年在住)天海弟子、慶長18年本堂建立上棟中大阪陣にて中止(播磨鑑)、元和5年境内竹木田畠
第03世住職:海傳(延宝7年12月27日寂/35年在住)天海弟子、先規の通黒印認可
第04世住職:行傳(元禄7年2月12日寂/16年在住)
第05世住職:観空(         /23年在住)
第06世住職:恵快(享保15年2月27日寂/16年在住)
第07世住職:恵観(宝暦4年12月24日寂/24年在住)
第08世住職:快辨(宝暦8年1月23日寂/5年在住)
第09世住職:千淳(天明6年11月8日寂/29年在住)大辻橘氏出身、25菩薩面/持物等調整
第10世住職:淳盛(寛政6年10月25日寂/8年在住)刀田山寶生院より来住
第11世住職:栄淳(文化年中讃州大通寺へ転住)
第12世住職:栄信(文政元年12月25日寂)
第13世住職:恵深(文政年中辞任)
第14世住職:快全(嘉永2年3月2日寂)
第15世住職:快照(安政5年5月24日寂)
第16世住職:智圭(住職期間不満1年)明石郡多聞実相坊へ転住
第17世住職:快恵(教信寺本堂失火焼失)山王権現宮造立(元治元年2月)
第18世住職:長谷川良慶(明治42年2月3日寂/世寿82)安政6年4月6日刀田山浄心院より来住、市内別府町新野辺錦屋長谷川氏出身、釣鐘一宇(明治3年)・本堂(明治13年)・開山堂(明治25年)
第19世住職:長谷川慶篤(昭和21年5月9日寂/世寿76)姫路藩士永田氏出身、山門東西石垣築地造(大正4年)・梵鐘金仏具供出(昭和17年)
第20世住職:長谷川慶明(平成12年1月6日寂/世寿87)本堂屋根瓦葺替/内陣改装・境内整備・表/裏参道増幅・法泉院庫裏/書院改修新築・旧山陽道風土記の道道標・郷土史歴史出版書物多数・教信沙彌の浄土思想を全国的に知らしめる。加古川市加古郡仏教会会長、加古川市文化財審議委員長、天台宗教職員連盟・兵庫教区教信会会長、初代加古川中央ライオンズクラブ会長、初代世界連邦加古川支部会長、等の代表を歴任し社会に貢献。加古川市文化連盟賞・加古川市文化功労賞受賞。
第21世住職:長谷川慶悟(昭和29年10月25日生誕)教信寺寺領及び本堂・薬師堂・開山堂・他伽藍を震災より復興完工し、平成15年5月の落慶大法要の大導師。落慶法要では83年振りに25菩薩来迎練り供養復活させ、開山堂に行道面陳列。2015年4月5日満桜の境内伽藍を特設舞台と渡橋を設置し50年に一度の御開山教信上人1150年大御遠忌大法会大導師として秘仏阿弥陀如来像ご開帳や25菩薩練り供養や266名の稚児行列を復興成就させ、檀信徒は元より地域大衆と全国教信ファンをこの世の極楽浄土に具現化させ歓喜の法悦へ導いた。1980年法泉院別館音楽の館/奏楽堂建立。2005年法泉院食堂寺務所改築。天台フィルハーモニー音楽監督として「佛教聖歌集」など仏教音楽等多数作曲し欧米各地でも公演。楽劇「教信沙彌の生涯」自作自演し教信沙彌の浄土思想を国際的に知らしめる。法泉院住職就任までは郷土とウィーンを拠点に欧州と日本の文化交流に貢献。兵庫県新進芸術家奨励賞・加古川市文化連盟賞受賞。

近年の法泉院法嗣弟子比叡山本山得度者
長谷川慶悟・西川慶宣・西川慶円・西川慶乗・米田慶隆(法光寺住職)・長谷川妙香・幣慶成・長谷川慶光・藤本慶剛・長谷川妙慶

<法泉院気質の伝統>
前住職の長谷川慶明師は明治四十五年二月十五日生まれ。
大正、昭和と戦後の混乱期を乗り越え、全ての知識人に尊敬される深い教養とお人柄で、全国に教信沙彌の思想を伝え、現在の教信寺に復興されてきました。
慶明住職の足跡は、教育現場、社会福祉活動、宗教活動を分け隔てなく、今日まで全く自然に教信沙彌の佛教思想を現在社会に実践し、壇信徒は元より、地域社会、仏教・キリスト教を始め多くの宗教者、政財界、文化人に生き仏様と崇拝されつずけました。
 しかしながら、さる平成12年1月6日に89歳の行年をもって大往生されました。
1月9日通夜法要に引き続き、1月10日天台座主猊下をお導師に迎えして本葬儀を執り行いました処、宗内外の200名を越える僧侶の読経の中、3000名以上の生前懇意にされた各界の方々が弔問参列され、深い悲しみの中、この世でのお別れをされました。
前住職は常に儀式・形式・論議だけに囚われる現在の仏教界のあり方に嘆かれ、本来の仏道修行者として、地域社会から広く世界中の方々まで接しられ、深い慈しみの心で何万人にも正しい道を説かれたのです。
坊守(寺庭婦人)の長谷川(翠嶺)菊野は大正十年六月十四日生まれ。慶明前住職と共に法泉院の活動に献身的に尽くし、また、茶道(表千家)・華道(池坊)・琴・日本舞踊・精進料理・各界ボランティア活動を通じ寺院内外で接した全ての人々に愛され、大変な人気を得ておられます。
平成九年、お二人の二人三脚は金婚式を迎えられ、多くの方々に祝福されました。
法泉院に一度でも訪れ、お二人のお人柄に触れられた方々は誰しも、大きな慈愛に包まれた様に、自然に心をときほぐされ、無意識の中に菩提心を起こし、お二人のファンになってしまったのです。まさに、生きた菩薩様と観音様です。

<父を偲んで>
 前住職のご人格がそのまま1/10日の本葬儀に現れ、直前まで大雨だった天候までも穏やかな一日にして頂きました。当日、天台座主猊下大導師さまを始め、本山特使さま、各御寺院さまに多数ご出仕・ご随喜・回向賜り、また、加古川市長様始め多くのご来賓の方々より弔辞をお読み頂きました。お陰様で誠に素晴らしい立派な葬儀が執り行なわれました。
 まさに生前各界各派、多くの皆様と分け隔てなく心を開いてお付き合いなさった結果、3.000人を超える大勢の方々にご会葬ご焼香賜り、また、過分の香典を頂戴いたしました。今なお葬儀後も凶報聞き付け、ご焼香に来られたり、ご香料が全国から送られています。
 皆様は法印さんと法務・講演・講義・日常生活を通じて接しられ、良くご承知の事と思いますが、あらためて、前住職の遺徳の偉大さを知らされた次第です。
 念仏山を開かれた日本浄土思想の先駆者、教信上人の思想哲学、郷土史の研究に於いても、各宗本山長老を始め、浄土仏教系大学教授から学生研究者まで、生涯、誰もが認める第一人者であり続け、教信上人の現在の伝承者として、その生活は教信上人の生まれ変わりそのものでした。また、晩年、喉を通る食事の量が激減するにつれ、身体がやつれていくお姿は、まさに即身成仏なさってるかの様子でした。
 私事で恐縮ですが、私は父の大きな加護のもと、音楽界で最も尊敬する日本の師匠を訪ねて東京へ、そして、世界最高の師匠を求めてウィーンへ留学、国内は元より各国の大学教授にも直接師事を仰ぎました。また、多くの宗派の僧侶の方々にも出会いましたが、私にとっては前住職慶明師が、誰よりも偉大な師匠であったと、今更ながら再認識させて頂いた様な次第です。
 病臥の床につかれ、重い書物を手にする事が出来なくなる寸前まで、常に書庫で寝泊まりされ、夜遅くまで研究熱心に多くの知識を修得され、深い教養と智恵は、ご面会された、それぞれの専門分野の学識者までも感銘を与えるほどでした。
 皆様と共に、慶明前住職に直接、現世の我々もお導き頂いた事に感謝と敬意を捧げ、慶明前住職に此の世で出会えたご縁の喜びと、誇りをいつまでも心に留め、大きな慈しみと優しさに溢れた慶明前住職のお心を、必ずや来世に伝え残す精進に努め追善供養させていただきます。合掌  平成12年1月6日遷化 記.法泉院 第21世住職 長谷川 慶悟

<母を偲んで>
 平成19年5月9日、午後11時30分死亡推定とされた突然の母の遷化に驚き、嘆き悲しみに打ちひしがれました。
 介護施設に日曜以外は、毎日寺院から通っていたので突然と言えば突然でした。その日は、いつもの様にデーサービスから帰って来て、楽しみにしてる「おやつ」も食べないで寝てしまわれたのです。しかし毎晩付き添い介護をする長女と次女も、私も、2.3日前から観測史上この時期に各地で30度以上を記録する真夏日と2日ごとに急に気温が激しく上下する変化に、疲れられてるのだとしか思えなかったのです。
 朝のデーサービスのお迎えの時間が近づき準備の為、すぐ隣で寝てた姉が起こしに行くと、既に息をひきとられ硬くなってしまってたのです。隣に寝てる姉も気が付かない間の事です。なんともあっけない、まるで先代住職の時と同じ様に自坊の寝室での大往生でした。
 思えば母は、浄土宗の寺のお嬢様として生まれ育ち、先代住職が戦後帰還されてすぐに法泉院にお輿入れされたのです。いわば一生を阿弥陀如来に捧げて寺院運営のサポートに徹した一生だったと言えます。
 生前の活動は多岐に渡り、多種多芸、茶道華道は言うに及ばず、筆絵画、短歌、日本舞踊、琴、足踏みオルガンからハーモニカまで優雅に楽しまれる風流人かと思えば、一晩で着物を仕上げる和裁や、子供や孫達の洋服を縫い上げる洋裁のセンスとスピードも、プロが舌を巻く腕前でした。
また、寺院・家事の仕事に於いては、戦後の貧乏生活から菜園を作り精進料理の食材をまかなうタフさも兼ね備えていました。近年まで毎日の様に、突然の来客から様々な会で一度に来訪されるお客に対して、アッと言う間に10人20人50人100人分くらいなら気の利いた御食事を作ってしまうのです。食材がなければ、庭の草花まで旬の天ぷらとなり、庭先の紫陽花やハランの葉を積んでは素敵な皿となり色彩豊かに盛りつけられ、その上、箸もとには季節の花や干支が描かれ、誕生日の人には誕生花と花言葉まで添えられるのでした。
 いつ何時も、どんな逆境も粋な計らいで楽しくされます。また、どんなに苦しくても愚痴を言わず楽しく笑いながら常に完璧にやり遂げる、長男の私から見ても二人として存在しないスーパー母さんでした。
 例えば、檀信徒の皆さんが広い境内の掃除に来て下さる日の朝も、いつものように夜明け前から掃除をしているのです。先代住職が「壇家が掃除に来るから今日は休みなさい!」と気遣いしても、母は「折角、壇家さんがお寺に来てくれるんだから気持ちよく綺麗にしてお迎えしてあげないとね〜!」と草引き落ち葉掃除をさっさとしてしまうのです。結局壇家は「折角来たのに草も生えて無く掃除もするとこないな〜!」と、高い庭木の剪定するしか奉仕作業が無い始末だったのです。しかも、その作業中に全員の軽食を作って丁度終わる頃に冷たい麦茶と熱いうどん、食後に井戸水で冷やしたスイカを笑顔で出して労をねぎらうのでした。
 毎週土曜日のお茶とお花の稽古日になれば、朝からの庭掃除もこなしてから参道石畳に打ち水し、書院の床からトイレまで生け花を飾り、炉に炭を入れて、まるで正客を迎えるように庭や座敷に凛とした空気を漂わせつつも、爽やかな自然の空気を取り入れて生徒を迎えるのでした。
 まったく人を持てなす為なら、とことん労働を惜しまず阿弥陀佛に接するように、接客までの準備のご奉仕を捧げるお姿は、身内や手伝いの一部の人しか知らない事なのです。そんな事を決して口にすることなどありえないので、若輩の来客や茶花道の生徒は、最初は気が付きません。やがて稽古を重ねて行くにつれて、先生の偉大さを知り始め、漸く、その見えない時間の苦労に気が付き、皆が敬服してしまうのでした。
 そんな自分に厳しい労働をする母でしたが、人に対しても、捨て猫や草花に対しても、厳しくしたことなど見たことも聞いた事もありませんでした。それどころか慈しみと奉仕の精神が旺盛な会話や振る舞いでは、常に馬鹿を演じ、人を安心させて、回りに大笑いを誘う普段の姿の方が印象に残るのでした。
 阿弥陀如来の示導に随い先代住職を健気にサポートするお姿と、美しい日本女性の鏡のような嗜みを総て免許皆伝修得していながら、常に研究勉学を怠らず、けっして自慢したり横柄な態度をとるなど思いつきもしない純心爛漫な心で一生を終えられたお姿に、将にこの世に舞い降りた観音様の一生を見届けさせて頂いた気がします。その母の子として、これ以上の敬意と感謝の気持ちはありません。 
 突然の悲しみに連絡が行き届かなかったにも拘わらず、通夜・葬儀には各宗派を問わず本当に多くの寺院住職様とご夫人様、政財界のトップ、親族一同、茶花道の同僚から弟子、檀信徒からご町内の皆様で1000名以上の旁々に見送られ、惜しみない感謝とご冥福を祈られたのです。
 子供3兄弟から孫9人の殆どの親友・知人、先生・生徒までもが「お母ちゃん!おばあちゃん!」と親しみを込めて呼び、誰かまわず「ただいま!」と言って日参する日々に、誉れに思う反面「僕のお母ちゃんやで〜!」と幼少の頃は少々嫉妬する気持ちすら芽生える程でした。
 明るく朗らかで裏表のない純真な心は、出会った総ての人に敬愛敬慕され、生涯父に尽くしお慕いされた母を最高の誇りに思います。
 文化的で楽しい団欒のお寺を作ってくださり、有り難う御座いました。お二人が築かれた法泉院の気風を絶やさない精進を、この世に残された皆で致しますので、どうか安心して、阿弥陀如来様と父の待たれる西方極楽浄土へお旅立ち下さり、ご浄土からお二人で法泉院を見守っていてください。本当に本当にお疲れさまでした。合掌。  平成十九年五月六日遷化  記.教信寺貫主法泉院住職慶悟

住所:〒675-0012兵庫県加古川市野口町野口465
TEL:079-422-7189(法泉院)
TEL:079-425-1350(音楽館)
FAX:079-422-0902(専用線)
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