かこのうまや

郷土史物語

かこのうまや

播磨風土記賀古郡の条に於ける「駅家里」の研究

長谷川慶明

　播磨風土記賀古郡の条最後尾が左記の記事をもって終っていることは周知の通りである。

　　　駅家里土中由駅家為名

一体この駅家里とは現在の何所を指すのであろうか。既に吉田東伍博士の大日本地名辞書もその指摘を躊躇し、古くは和名抄にその名称すら脱漏されあるが故に、以後の諸書も現加古川市加古川町加古川当りを推定するもの多く、随って各関係書の困惑乃至は矛盾すら惹起しているかの感がある。今、以下いさゝかその考証を試み愚見を提供してみたい。

　さてこの十余字を勘案してみるに前文から推して賀古郡内に駅家里なる集落があり、農耕に適する土質としては中の中、その里名は駅家なることによると云うことをいっているのである。凡そ日本における古代の駅とは、不備ながらこの使命をもったであろうものを察し得るのであるが、正しくは孝徳天皇大火年（六四六）正月の「駅馬伝馬を置け」との詔こそわが駅制創設の確実な文献であるといわねばならぬ。

　そして駅とは全国主要幹線道路に沿って、主として大化改新以後鎌倉時代以前に於て、官用を以て旅行するものに対し人馬の継立てをなし、宿舎食料の供給をする為に置かれた機関である。鎌倉時代以後はこれを宿駅または宿といったのであるが、無論これらは単に名称が変更されたというのみでなく、各時代に於けるその所在地や設置数も極めて大きく変動している。それ故に個々の社会的背景を考慮せずして一律に定義づけることは、無理であると共に誤解のおそれさえある。

　たゞ何れにせよ、この意味に於て、駅は少くともその時代その地域に於ける産業、経済、交通、文化の地方的一中心をなしたであろうことは想像に難くない。上記賀古郡駅家里も風土記編纂前後の時代、賀古郡内に於ける如上の使命をもつ主要集落であったことは論をまつまでもない。

　しかしながら播磨風土記駅家里の条には、最初に掲げた通りの極めて簡単な記事があるのみであって、何等これ以上の説明はない。さあれ幸か不幸か、同賀古郡条下の本文中にたまたま

　　出雲臣比須良比売給於息長命墓有賀古駅西

という一文がある。然らばこゝにいう賀古駅と上記駅家里とは一体どういう関係にあるのであろうか。

　愚考するに、山陽道は勿論諸道の駅は、ほゞ一日歩行々程たる約十数キロ毎に設置されているが、山陽道の横断する賀古郡は東西約八キロ、南北亦約八キロの平坦な小郡であって、その地理的条件から郡内に当時二個駅あったとは到底考えられない。随って賀古駅とはそのまゝ駅家里であるとみるべきであって、公称、俗称の相違であろう。更に憶測をたくましくするならば、郡司に任命された地方豪族もこの集落を拠点としていたのであろう。

　それはとも角、背負うわ二十五年以降郡内町村が急速に分解離合していったその旧加古郡が、ほゞ風土記の賀古郡であることはいうまでもない。その加古郡内に於ける中心集落で、且つは又旧山陽道に沿ったものを指摘しようとするならば、誰しも旧加古川町の寺家町、加古川一帯を一応首肯する外ない。事実旧加古川の集落が江戸時代に宿場町として重要な役割を演じ、又それ故に繁栄していたことは確実な記録のあるところではあるが、現在の加古川市街がそのまゝ風土記にいう賀古駅であり駅家里であると断定することは、早計であるといわざるを得ない。

　こゝで「カコ」と称する地名を扱った文献を探索することにしよう。先ず一応注意しなければならぬものに万葉集がある。即ち同集巻の三にある

　　稲日野も行き過ぎがてに思へれば

　　　　　　　　　心恋しき可古能島見ゆ

という柿本朝臣人麿呂の短歌である。この可古能島とは一体何所であろうか。そして又賀古駅との関連は如何であろう。

　この短歌は一連の前後数百の彼の歌から推察して、人麿呂の海路旅中の実観を歌ったものであるから、少くとも彼の目に映じた実景であろうことは推察に難くない。併しながら本歌は古来難解の歌であって諸説一致しない。万葉地理研究兵庫篇にも諸説を掲げて検討しているが、結局同書共著者の増田徳二、坂口保両氏共上島（通称ホウラク島）をさすのであるか、現在の高砂市街地域一帯を指すのであるか問題であるが、唯、加古郡の海岸にあると見る説に於て一致している。

　惟うに加古川の河口に於ける沖積作用と、人工的土木工事の結果、人麿呂時代とはその景観を著しく変貌せしめ今日これを端的につき止める自然地理的ポイントを押えることができないけれども、恐らく現高砂神社所在地一帯を指したものであろう。若し然らば今日迄の所説を信ずる限り可古能島は今問題に取上げようとしている賀古駅乃至駅家里と直接には関係ないと断定すべきである。

　又日本書記応神天皇十三年の記事に「一に云う」として「カコ」の地名お依って起る由来を述べる中に、二回に亘り「鹿児水門」なる語が出ている。井上通泰博士の播磨風土記新考や加古郡誌には、これを現稲屋辺りと推定し、首肯される説であるけれども、可古能島と同様、今直接の関係は考えられない。

　更に風土記自身賀古郡の本文には「賀古松原」と称する地名が二度出ている。上記新考には記事中の「松原御井」を現尾上町養田南部の松原清水の小字に擬し、松原はその東方一帯にあった松林を指すと云うは、尤もなりと云うべきであるが、是れ亦賀古駅とは直接関連づけて考えるべき地名とは云い難い。

　こゝに風土記とは何等かの関係があったと推察される延喜式を一考しなければならない。延喜式は、延長五年（九二七）十二月二十五日藤原忠平の奉進になるものであるが、式中巻二十八兵部式に

播磨国駅馬　明石三十疋、賀古四十疋草上三十疋大市、布勢、高田、野麿各二十疋、越部、中川各五疋

とある。これは正しく、既に同式に掲げられている全国各同の駅馬数が、大路の駅二十疋、小路の駅五疋前後の基準から推察して、賀古駅は当時全国に稀な大駅であったことが想定されるのである。勿論播磨風土記は和銅六年（七一三）から霊亀元年までの三ヶ年中に少くとも編集出来ているのであるから、延喜式との間、約二百十余年を経ている訳である。

　元来わが国の駅前は大和朝廷の統一国家建設と並行してその盛衰が見られるのであって、殊にこの和銅霊亀以後延喜延長迄の二百余年間は、帝都がしばしば移動されたとは雖、朝廷の大陸文化摂取への努力が、自ら太宰府という九州の拠点と都とを結ぶ山陽道を、主要陸上交通路として取上げ、発達せしめたことは当然であった。この幹線路上にある賀古駅に、東の明石駅、西の草上駅との距離や、それらとの間における地理的交通条件からであろうが、全国何れの駅と比較しても、段違いの四十頭もの駅馬を常置されたことは注意すべき事象である。

　さて我々はこゝで考古学的資料を一見して置きたい。昭和四十三年度から数次に亘り、二国バイパス建設敷地の一部、溝ノ口地帯及び川西地区砂部地帯で、弥生中期以降鎌倉に亘るとおぼしき住居跡を中心として、各種の遺物遺跡が発掘調査されている。それは現加古川市街地からはそれぞれ東北約一キロ及び西北約二キロの近くではあるが、低湿地内の微高地で旧加古川の流れの中に浮ぶ小範囲の中州であったのではないかと推察される。直接関係者の今後の研究発表を期待して止まない。唯、水害のおそれのあるこの遺跡が、賀古駅の遺跡であると考えることだけは無理である。

　上記遺跡とは別に、現在加古川市野口町野口に洪積台地の西端褶低部を利用し、築造されている駅ヶ池（ウマヤガイケ）と称する約十二、四ヘクタールに及ぶ灌漑用池がある。土地の伝承としては後述する教信沙弥が平安初期築造したと伝えている池である。明石駅と推定される大蔵谷近く、摩耶坂及び摩耶谷と称する字があるより類推して、上記駅ヶ池附近に賀古駅があったのではなかろうかと、一部の疑問を残しつゝも推定している播磨風土記新考の説には讃意を表したい。因に同書は当時の加古川の主流は現在より相当東部にあり、随って現在の加古川町加古川の聚落は川の右岸にあったことを主張しているが、注目すべき卓見と云うべきである。

　駅ヶ池と関連して、同野口には現在約二ヘクタールの境域に諸施設を配置した教信寺と称する綜合寺院がある。同寺の開基と称される教信沙弥は、わが浄土思想史上特記すべき人物であるが、彼に関する現存最古の記録は寛和年中（九八五～九八六）慶滋保胤の撰にかゝる日本往生極楽記に載せられている。同書は聖徳太子以下有名無名の道俗男女四十二名の浄土往生者の伝をあげているのであって、その第二十二人目に勝如の伝があり、且つその附伝として教信の小伝を載せているのである。そしてその教信臨終の言として

　　我是住播磨国賀古駅北辺云々

とあるのであって、これを以て教信が日本往生極楽記以後今昔物語、往生拾因を始め幾多の述作に見られる通り、奈良末期平安初期の人とするならば、同じく奈良仏教の官僚化権力化を目の辺りに見、体験して、真実仏教の革新的使命を痛感し、最澄、空海一派の姿勢とは又異にした、非僧非俗主義を実践する為に、山陽道随一の賀古駅に活躍の拠点を見出し、留錫したことは、如何にも教信に相応しい着眼として首肯出来るのである。

　なお、同寺境内々外より布目瓦片が発見されるが、駅ヶ池西南約五〇メートルの古大内廃寺跡や、同池北方約三〇〇メートルの野口廃寺跡より奈良、白鳳の古瓦が発見されたものなど勘案するならば、駅ヶ池周辺の当時の文化の程をある程度推知することも不可能ではない。

　それはさておき、枕草子といえば云うまでもなく、わが王朝時代、宮廷生活者である女流インテリー清少納言の随筆である。その中に次の如き一段があることに注意を要する。即ち第二百一段（金子元臣博士著枕草子評釈、昭和四年二月、第十八版）に

　　うまやは梨原、ひぐれの駅、望月の駅、野口の駅、やまの駅、あはれなることを聞き置きたりしに、又あはれなることありしかばなほ取り集めてあはれなり

とあることである。

金子氏はこの本文中の野口の駅について釈を施し

　　丹波船井郡とも周防玖珂郡とも云へり、他にも野口と云う所あり

と簡単に説明を終っている。なる程丹波にも、周防にも野口の駅なるものがあるが、惟うに金子氏は北村季吟の枕草子春曙抄に和名抄を引用して、如上の推定をしたものをそのまゝ借用したのであろう。尤も評釈の目的は必ずしも一地名の考証などにあるのではなかろうから、今敢て金子氏を責めようと云うのではない。寧ろ氏自身、後の評釈中に述べている如く、極めて特異な主観のひらめきを見せる個性を持った清少納言ではあるけれども、駅というが如き地方的存在を対象としては、それが現実の体験でないだけに、無理にこじつけた感のある随想を並べているにすぎない、と見る見解に讃意を表したい。

　その意味に於て交通々信が今日とは比較にならぬ王朝時代に、平安宮廷の狭い生活に終始していた頃の彼女の主観の中で、駅という概念に於て去来したものは一体如何なるものであったろうか。云うまでもなく宮廷生活という特殊な環境に於ても、把握し得る特殊な駅でなければならない筈である。こゝに私は上記既に多少の考察を深めてきた加古川市野口町野口の、駅ヶ池周辺の考古学的遺跡を関連付けて考えないではおられない。

　延喜式に見る駅馬四十頭という他の大駅の倍数にも当る比較にならぬ多くの馬数、教信沙弥の留錫と創立日なお浅い教信寺、古大内廃寺、野口廃寺、駅ヶ池、そしてそれらを取巻く地方文化、社会、経済、交通、行政等を一連に考察する時、恐らく宮廷生活者中に於けるインテリーを以て自他共に任ずる彼女に、山陽道往還の人達の土産話を通して、この駅が認識されていたであろうと見て敢て不自然ではあるまい。決して平凡な丹波や、周防の野口であったとは私には受取りたくない大きな理由がこゝにあるのである。

　たゞこゝに問題とすべきは、枕草子の野口の駅が風土記や延喜式或は往生極楽記の賀古駅乃至駅家里と同一なのであろうか。若し同一であるならば何故幾様にも呼ばれたのであろうかと云うことである。無論これらが夫々別個の地名であるとするならば、この問題は起らず、又敢て考証の対象にもならないのであるけれども、私は上来種々考察して来た如く、此等は同一土地を指す異名であると見るのである。そのことが又本論考の主目的でもあるのである。

　その為には枕草子の梨原、ひぐれ、望月、やま等の駅が如何なる駅であったかと云うことと、比較検討しなければならないのであるが、そは一応しばらく置き、風土記に云う賀古駅とは賀古郡にある唯一の駅なるが故にこの称ありと見るべく、同じく駅家里とは風土記自身にも述べる如く、駅家あることによるのであるから、現実の地理的地域の広さから見て、加古郡という狭少地域の駅として、二つあることなく同一地を指す異称と断定せざるを得ないこtについては既に触れた通りである。

　然らば野口の駅とは何時頃から呼ばれたのであろうか。今これを明確に立証する積極的な根拠はないが、増鏡にある次の一文は一考に値する。即ち久米のさら山段に

　　十二日（元弘二年三月＝一三三二）に加古川の宿といふ所におはしますほどに、妙法院の宮讃岐へわたらせたまふとて、同じ道、少しちがひたれど、この川の東、野口といふ所までま　りたまへるよし奏せさせたまへば、いとあはれに相見まほしう思さるれど云々

とある。増鏡は応安末（一三七四頃）までに成っている筈であるから、南北朝時代頃までに既に野口と呼ばれたことは確実である。さてこゝに注意すべきは、この増鏡の文面からみる限り野口は駅とも宿とも書かれてはいないけれども、加古川の宿とは別に野口があるのであって、元弘の変に同じく連座の身である後醍醐天皇は加古川の宿に、そして妙法院の宮尊澄法親王は野口まで到着なっているのである。恐らく文意よりして、妙法院の宮の宿所は野口であったと受取るべきであると思われるが、（宿泊所は教信寺？）何れにしろ、何らかの理由で、この頃迄に、加古川の宿が宿としての機能を発揮する迄に発達し、反面賀古駅即ち野口の駅はそれだけ衰微し、わずかにその面影を残しているに過ぎなくなっていることを物語る何ものでもない。なお両者の東西地理的関係位置だけは現実に於て文面と何等矛盾していない訳である。

　併し更に考えてみなければならぬことは、地勢地形の変貌である。通説に随って枕草子が藤原道長の栄華を極めた西暦一千年前後の頃に執筆されたものと仮定し、増鏡が足利義満の応安天授の頃（一三七〇頃）の作とするならば、この間三百七、八十年間に於ける社会、経済、政治、文化の変動が、自らこの野口という土地を自然地理の上からと相関々係に於て変貌せしめたであろうことは憶測に難くない。

　云うならば貴族政治から武家政治へ、荘園の発達から崩壊へ、そして守護地頭の抬頭に伴う封建制度と、それらを支えている経済と社会組織。こうした時代の流れの中にあって源平の争乱や、元冦や、南北朝の戦乱が如何に山陽道の駅々を社会的に異なった性格に変貌せしめたであろうかということは余りにも明白である。

　とまれ上述の通り自然地理の上からの地形の変動と、社会的変貌の相関々係に於て観察しなければならないと云うことを述べたが、上記引用の増鏡久米のさら山段の記述を重ねて一考したい。何となればこの記述を素直に解釈する限り主上が加古川の宿に在すと同時に妙法院の宮は「この川の東野口」まで到着相成っている訳である。そのことは言葉の表現から、加古川の宿が川の右岸（即ち西であってそれも極めて川に接近）にあり、川を隔てて左岸（即ち東）に野口があるとしかどうしても受取る外ない。今日現実の野口は勿論、加古川の市街地も共に川の左岸即ち東に所在するまゝの地理的関係位置に於て、加古川の宿に在した主上の位置を仮に基準とし、妙法院の宮の当時の位置を表現するには「この川の東野口」とは表現が出来ない筈である。換言すれば主上の位置が川の西で、然も川に接近した位置にあってこそ、表現される自然の記述であると云わねばならぬ。

　このことは加古川の宿が現在の市内米田町船頭（旧印南郡）辺にあるか（Ａ）、加古川の本流が現在の加古川市加古川町加古川より東側を流れていたか（Ｂ）、増鏡の記事が間違っているか（Ｃ）の三つ何れかの仮定を満足させなければ、成立し得ない立論である。即ち（Ａ）は現河川の位置を元弘当時以来加古川の本流として動かし得ざるものとしての仮定であり、（Ｂ）は現加古川の市街を同様に動かし得ざるものとしての仮定である。然れば（Ｃ）は一応考証の外に置くとして、この（Ａ）（Ｂ）二案何れを採るべきか。

　上記播磨風土記新考や加古郡誌に述べる如く、現在の加古川市加古川町の加古川、木村、稲屋、西河原、友沢は明治二十二年四月一日地方自治制度が布かれ町村制実施まで、印南郡に所属していた事実が、加古川下流デルタ地帯の河道は極めて複雑混乱状態であって、次第に今日の河道（旧加古、印南両郡境）に整理される以前、むしろ大字加古川、木村乃至友沢以東の水流こそ加古川の本流として郡境をなしていたことを雄弁に物語る証拠であろう。唯その流川が後年何等かの理由で廃川となり陸地化され、今日に至ったと見ることは敢て不自然な憶測ではない。

　それは恰も加古川下流の支川（新郡境をなしていたから却って本流と云うべきかも知れない）洗川はかって江戸時代盛んに船運に利用されたものであるが、昭和十四、五年頃現加古川本流から取入れ口を意図的人口的に遮閉の上、近年埋立て廃川となり、その跡には宝殿中学校建築を始め、工場化住宅化の波が押寄せつゝある。随って該川を以て旧加古印南両郡の境界とされ、加古郡内に所属した高砂、荒井地帯は、現加古川を隔てゝの加古川市（旧加古郡）以上に旧印南郡側と社会、経済、交通、産業百般に亘り緊密な関係を結び、旧加古郡圏より離脱の形勢にあるのみでなく、既に先年印南郡の諸町村と合併して大高砂市を創設し、現在更に印南郡志方町と合併気運進捗しつゝあるは争えぬ事実であると共に軌を一にする逆現象であろう。

また今日に於ても加古川市米田町平津や船頭一帯（旧印南郡内）が現加古川の本流を越えて、明治二十二年加古郡に編入された上記木村の泊神社氏子として存在することは、町村制実施以前、木村と船頭、平津地区が地勢や社会生活の上から、共同連帯意識を以て見　されることに自然であったというべきで、これ亦加古川本流の旧位置を何処に設定すべきかであるかの一証というべきである。

さてひる返って、末法思想の発達が浄土教の発展となり平安末鎌倉期に入るや、永観、親鸞、一遍を始めとする浄土教系の人達によって先に掲げた非僧非俗口称念仏浄土思想のパイオニアたる教信沙弥への崇敬がたかまり、沙弥の再認識となったのであった。

　そのことは自ら教信の思想や信仰及び生活姿勢の研究となり、教信に関するこの頃の幾篇かの述作が今日に残される結果となったのである。それらの中一部は彼の留錫地を相変らず賀古としているが、法然門下の敬西の著作と想定される進行集には

　　播州賀古郡西野口

としているのである。進行集は文永十二年（一二七五）以前の作なることは確実であるから、よし枕草子の野口の駅が丹波や周防であったとしても、今対象としている野口の地名は増鏡より更に少くとも約百年以前まで遡り得る訳である。

　こゝで風土記に立帰りその里数を郡毎に比較検討してみる必要がある。

　　　　播磨風土記郡別里村表

　右里村表計欄は所在地の所属郡名の判然としないものは之を除き、又沃瘠度と里数合計の差あるは沃瘠度記入なきによる。備考欄は必ずしもその郡内所在とは云えないが一応各郡記事中に記載された里村名の合計である。

　この表を以て按ずるに、万葉地理研究兵庫篇にも指摘している如く、今日平坦にして最も人口稠密な旧加古、印南両郡に里村少きは、その地域の過半が当時加古川の氾濫地帯に属し、沼沢地であって居住に不適であったことを意味するのではなかろうか。加毛の比較的里数多きは現今の加東（小野市を含む）加西（現加西市）両郡の広地域であるが故と考えられると共に、飾磨、揖保の断然多きはそれぞれ市川、夢前川及び林田川、揖保川の流域で、米作地として適した地帯であったからであるとみることが妥当であろう。宍粟も亦備考欄を取上げれば集落が多いがそれは小規模原始農業に適すると共に、鉄産業としてのコンビナートの使命を持っていたからと見るのは憶測が過ぎるであろうか。

　加古川がしばしば氾濫したことは、加古郡誌が播磨興地通志や益田堤物語を引用して、慶安承応の頃まで益田新村船頭村などは河流沙面であり、川巾も十丁余り、水脈も二流ありて船渡りも両度に及び、その間多泥にて逆旅困難を極めた。そこで明暦、萬治の際、姫路候松平式部大輔、封民に令して益田村八十岩橋辺から米田村まで、所謂益田堤を築いたので西岸地帯は助かったが、その為東岸の大野、中津、河原村など水害が多くなったと述べている。

　近世に於てさえ然りとするならば、況んや中世、古代に於てはなお更であって、左岸即ち東岸は現に大野、水足、坂元、長砂を連結する洪積台地の西端以西、加古川の市街地を含み、印南郡にかけての沖積地一帯は、約一〇メートルの低地をなし、その地域に後世入植したと考えられる居屋河原、篠原、中津、河原、大川町、西河原、砂部、出河原、岸、島等を始め、曽っては河中というか、沼沢地であったことを意味する集落名を多く存していることは尤もなりと云うべきである。

　この意味に於て現国道二号線（それは近世の山陽道と殆ど接近平行している）の通ずる坂元辺りから、旧印南郡魚橋辺りまで約八キロは、風土記は勿論延喜式の時代に於ても加古川の河床反乱原と見るべきで、随って自然地理地勢に大きく左右された記式時代の山陽道は、現野口坂元辺りから洪積台地の西縁に沿って、現水足、大野へと西北に向い、加古川の最も狭まった日岡山麓から升田山麓へ渡河し、更に神吉、中西、大国を経て魚橋辺りへと洪積台地東南縁を西南下したと推定されるのである。

　斯様に考察することによって、延喜式の「賀古四十疋」の駅馬常備の必要性もさることながら、集落としての賀古駅の使命が如何なるものであったかを如実に窺い得るのではないであろうか。因みに上記旅程に該当する古山陽道に擬し得る古道は、現今なお辿り得るものが断続ながら残っていることも付記して置きたい。

　以上各方面から考察を深めて来たが、風土記は勿論延喜式の時代に於てさえ、沼沢地帯と推定される地域に属する今日の加古川市街地が、決して当時駅と云うが如き安定を先決条件とする集落に適した土地であったとは考えられない。それ故に今少しく東方の洪積台地に駅家里を求めるならば、上来種々考証した条件具備の現野口町野口の辺を該当せしめざるを得ないことゝなるのである。

　これを要するに、風土記の駅家里即ち賀古駅は、延喜式往生極楽記の賀古駅であり、それはやがて加古川の左岸に於けるいなみ野への入口として、枕草子、進行集、増鏡の野口駅乃至野口とも称されることゝなったが、加古川河道の自然沖積と、人為的整備の進捗と共に、かっての沼沢地が漸次干拓され、増鏡の頃には幾条もの河道横断の必要はあったであろうが、既に交通上有利な直進横断コース（中世山陽道）が開発されていたのであって、こゝに野口の「賀古駅」から加古川の「加古川の宿」へ、交通の要衝は移行していたと見るべきである。

（昭四四・九・二三脱稿）

註

�　清寧紀二年に「乗駅馳走」、錦明紀州二年に「駅馬召到」崇峻紀五年に「遣駅使於筑紫将軍所」、推古紀十一年に「駅使以奉上」、皇極紀元年に「従筑紫国乗駅馬来言」、同二年に「筑紫大宰馳駅秦日」等あり。又古事記には崇神天皇の条に「是以駅使斑手四方」、垂仁天皇の条に「貢上駅使」、景行天皇の条に「爾貢上駅使」、清寧天皇の条にも「貢上駅使」等とある。

�　播磨風土記新考及び日本古典全集の井上通泰博士説によれば「墓」は「宮」の誤りと見るも、古典全書の久松潜一博士説は「墓」のまゝでよいと見ている。私も敢て「宮」の誤りと見る必要はないと思う。然してこの墓は別嬢の侍女、出雲臣比須良比売のものと見るべく、現坂元部落の人家の中にある和泉式部の墓と称する玉垣を囲した鎌倉期と見　される立派な宝篋印塔、或は更に西方約五百メートルにある具平塚と称される古墳の何れかを擬するは如何であろう。

　前者は曽って古墳形式のものが該地にあったのではなかろうか。そして坂元部落が入植発展するに随って破壊され宅地化されたのではなかろうか。それは少くとも鎌倉末期頃までのことであって、当時流行の宝篋印塔を以てこれに替え、余地を利用したとも考えられるのである。以後何時の頃よりか「出雲」と「和泉」のゴロの通ずるより誤って伝えられて今日に至っていると見るのは、あまりにも牽強付会であろうか。

　後者は大正二・三年の頃播州鉄道高砂線（現廃線）建設に当り、この古墳の土砂を利用せんと破壊しかけたところ、従事者が頓死することあり中止したと伝えられている。現在は周遍裾部を削取られた中心部のみが残されている。破壊当時には周湟があったと云う。

　上記二者何れにしろ賀古駅を野口と推定した時、風土記の文面に矛盾なく該当する訳であるが今後の検討を俟たなければならない。

�　大正中期から始まった加古川の河川改修工事以前、高砂への入口相生橋は数件の人家のある中州で長・短二掛けの橋になっていた。

�　昭和十年の春陸軍飛行連隊を加古川河口附近に設置する計画の発表あり、早速工事に着手された。それは加古川東岸河口から池田、新野辺を経て別府川西岸河口附近にかけての広大な沖積地一帯であった。その年の冬であったか、翌年早春であったか、私は整地完了するまでに、その様相の変貌するを哀惜する気持で、該地を一日散策した経験がある。勿論それ以前の中学時代、学校教練の演習でこの辺り一帯を駆け廻った思出もある。

　整地工事は相当進捗していた。西部地区内にあった今津部落は既に強制移転にはいっていたが、何十年も経た黒松の生茂った大小様々な砂の堆土が無数に点在して展望は全くきかない。開墾された田畑が堆土の間に広がり、静かな農村風景を画いていたことを覚えている。海岸まで出ると、何百年の潮風に耐えぬいてきた根上りの老松が種々様々の姿態で自然堤防に並んでいた。松風の音がヒョウ　　　と鳴って、万葉や風土記の世界にある思いであった。西端加古川の堤防近くに風土記にある「松原御井」と伝える井戸もあった。今加古川文化財審議委員会でもその保存に苦慮しているものである。

　戦後は農地化、入植、海水浴場、そして近江絹糸工場と目まぐるしく変貌し、更に最近は沖への厖大な埋立地と合せて、神戸製鋼の一貫工場になろうとしている。この地区と浜国道を越えて尾上神社、浜ノ宮神社周辺の松林は勿論一帯のものであるが、これ等を一括して「賀古松原」と云うべきであろう。

�　木下良神奈川大学教授は「びぞん」六四号（一九七六年八月三〇日刊）所収「空中写真に認められる想定駅路」と題する所論中に、高橋美久二氏の「播磨国の古代駅家」（ＦＨＧ、１１、野外歴史地理学研究会一九六八）を引用し、類従三代格「駅伝事」に所収の山陽道本路に沿う諸駅の駅馬数を減ずることを指示した大同二年（八〇七）の太政官符によれば、播磨には九駅あったことが知られる。その一つは続日本後期承和六年（八三九）二月戊寅条に見える佐突駅であることが判るが、他の一駅については駅名も所在地も不明であった。

　併し明石、賀古両駅のほゞ中間に播磨国分寺と同系の古瓦が出土する明石市魚住町の長坂寺遺跡をこの不明駅に比定し同地が和名抄の明石郡邑美郷に当るところからこれを邑美駅と仮称した。

　然して邑美、佐突両駅が廃止されるに当り、各二〇疋の駅馬がそれぞれ前後の駅に一〇疋ずつ移配された為、明石は邑美の一〇疋を加えて三〇疋に、賀古は邑美、佐突両駅のそれぞれ一〇疋を加え四〇疋、草上は佐突からの一〇疋で三〇疋になったのであろうと提起している。

�　昭和三五年頃阪神電鉄宅地開発部が野口町内会や駅ヶ池水利組合から一千万円弱の代価で該地東部約三分の二即ち八ヘクタールを購入し、同四五年頃埋立て建売住宅に売出した。現在は約二百戸の単立住宅に化し阪神団地と称している。

　埋立てに際し筆者は団地名を「駅ヶ池団地」と命名する様、且つ又団地内小公園には歴史的駅ヶ池の伝承や説話「片目の鮒」の説明碑を建設する様要望して置いたが、前者は経営的見地からか無視され、後者も亦満足なものが建立されているとは云えない。

�　鎌谷木三次著「播磨上代寺院阯の研究」所収第二七「古大内廃寺」には奈良時代に属する法隆寺式伽藍配置の寺院遺蹟と推定されている。この遺蹟中央部を、今、南北に縦断する道は、維新後加古郡役所が設置され、更に郡会（米谷十三郎議長）開設に伴いその議を経て建設されたものである。随ってそれ以前の道は遺蹟の西側を迂回した一メートル余の道があったに過ぎない。

　遺蹟は昭和十五年頃から急速に破壊され始め、現在では唯僅かに西南部の一角に祠を中心に残されているに過ぎない。積極的に寺院跡と判定し得を塔心礎は見当らないが、礎石であったと思われる自然石十数個が、祠の周辺や記念碑台石に使用されている。南北貫通道路以西は昭和十五年頃まで通称「ダンの森」と呼ばれる一面の松林で、周辺より約一メートル高い台地をなしていた。又東側も開拓されてはいたが同様台地であった。上記縦貫道路は戦中戦後二度にわたり拡幅され又人家も地区内に建ち遺蹟は一層不明瞭な様相になってしまった。

　今里幾次氏は「播磨国分寺式瓦の研究」に於て、該地調査の際偶然採収した出土鬼瓦を契機に、一部の疑問を残しつゝも賀古駅の駅舎跡ではないかと論考されている。なかなかユニークで傾聴すべき説ではあるが更に検討すべきであろう。

�　鎌谷氏上記著書所収第六「野口廃寺」

�　延喜式には丹波野口駅馬五疋、周防同二十疋とある。

�　野口の集落は江戸初期には更に寺家村とも称されている。教信寺の門前集落としての性格から呼ばれたものであろう。

�　市内加古川と寺家町の大体境界線に南北に通ずる大通りがあり大川町と云うが、大正期の命名ながらこの辺を含め曽ての本流関係遺跡と見られる。又、加古川公民館脇に現在は暗渠になっているが昭和初期まで分岸寺川があった。なお、現本流の東岸にありながら西河原と称する大字石も元本流位置を考証する一証である。

�　加古川市は機先を制して昭和五十四年吸収合併し、現在は加古川市志方町となっている。

�　現加古川本流の対岸になって同郷意識が希薄になった為か先年氏子関係を解消した。

�　大正末期から昭和初期にかけて、私が県立加古川中学校へ通った五年間にも、確か二回唯一の交通路旧山陽道が洪水に洗われた記憶がある。その為通称「イチの橋」と呼ばれる八丁畷の旧三陽道別府川渡橋の辺りが最高二メートル近く盛土崇上げされ、或は同水門巾を倍増された。国道二号線も亦現在水門拡幅中である。

　又母方の祖母から、中津（当時母の実家所在）を始め沖積地帯の全部落が洪水に見舞われ、小舟で避難したことがあったと云う話を聞いたことがある。恐らく明治中期のことであろう。それ程加古川の氾濫は戦前まで毎年の年中行事の如く、幾何かの被害を与えたものであった。

　長年月に亘る加古川本流の改修と戦後日岡山麓に於けるポンプアップ施設の完備、更には今進捗中の別府川拡幅工事の完了を俟って、今後はその被害はなくなることであろう。

�　昭和三十年春、水足の沖積地区に灌漑用水源サク泉に当り、地表下三、四メートルで腐植葦や流木とおぼしき木片多量を掘出した。如何に加古川流路が東方まであったかの証拠であろう。

�　戦前頃まで「大野渡し」があったが、長い歴史と伝統に立ったものであった。

�　橋本政次氏著「播磨考」所収「国道考」には駅家里附近の山陽道は現位置と大差なきよう述べられているが、それとは矛盾するが如き意見として同「加古川考」には日岡の上流下流に於ける該川流路の変遷の大きかったことを論究されている。後者の考証からも駅家里近辺の山陽道は拙稿の如く見る方が妥当であらねばならぬ。（昭四四、一〇、三註畢）

本文作成に当っては上掲諸書は勿論、左記文献にも負うところ大なるを記し謝意を表して置きたい。

佐伯有義校訂標注増補　日本書紀（朝日新聞社六国史）

井上通泰校訂　播磨風土記（日本古典全集）

久松潜一校訂　風土記（朝日新聞社編刊日本古典全書）

神田秀夫、太田善麿校注　古事記（仝　右）

武田祐吉著、萬葉集全注釈

幸田成友校訂　古事記（岩波文庫）

黒板勝美編　延喜式（新訂増補国史大系）

岡　一夫校註　増　鏡（朝日新聞社編刊日本古典全書）

長野嘗一校註　今昔物語（仝　右）

田中重太郎校註　枕草子（仝　右）

慶保胤撰　　日本往生極楽記（大日本仏教全書）

　仝　　　　　仝　　　　　（国訳一切経）

三善為康　後拾遺往生伝（大日本仏教全書）

師錬撰　元亨釈書（国訳一切経）

永観集　　往生拾因（国訳一切経）

荒木良雄著　播磨の文学

橋本政次編　現代文播磨風土記

平野庸修編　播磨鑑

秦石田撰　播磨名所巡覧図絵

坂本太郎著　上代駅制の研究

浅山円祥著　一遍聖絵六条縁起

松岡静雄著　播磨風土記物語

魚澄惣五郎著　斑鳩寺と峰相記

市誌編集委員会編　加古川市誌

加古川市教育委員会編　加古川郷土史研究、一、二、三、集

橋川正著　日本仏教文化史の研究

右近純教稿　教信沙弥の研究（雑誌「無尽灯」大正六年九月～一〇月）

島田清稿　播磨東部地方に於ける出土古瓦に就いて（雑誌「夢殿」一九册）

神戸新聞社編　祖先のあしあと

　仝　　右　　川と生きる

角川書店編　兵庫県地名大辞典

跋

　本論考の骨子は遠く、私が竜谷大学文学部在学当時、魚澄惣五郎博士の昭和八年度購読「風土記」に於ける提出レポートである。その後勤務校兵庫県立農業高校文芸誌「水脈」、加古川市教育委員会編「加古川郷土史研究」矢作粂蔵編「新教育公論」等から請われるまゝ、「駅家里考」と題しその都度修正補筆して発表してきた。

　偶々昭和四十年十二月加古川市教育委員会から市文化財調査報告第三集（印南野、一、）が出版された。該報告書は市内平荘町の又平新田にあった古墳、即ち加古川工業用水ダム古墳群の第一次調査報告書であるが、書中附載の一つとして大久保強氏の「加古川市と上代文字─播磨風土記を中心として─」と題する一文が載せられている。

　勿論そこには「駅家里」も取上げ一応妥当な考証もなされているのであるが、今敢てその他私の見聞資料も援用し、又私自身も筆硯を洗って大久保氏と同一結論の考証を試みた次第である。

　おこがましくも重ねて蛇足を加えんとする所以は、云わば加古川市発祥の母胎とも見做される駅家里について広く市民の認識を高められんことを念願すると共に、現時点に於ける将来への一里塚たらんとする微意に外ならない。

　又、かねて私は真実を求め真実に生きた教信沙弥の生活姿勢に心を引かれ、日頃から沙弥の心底に触れたいものと願っている。その為には如何に思想面の探究をしようとも沙弥が晩年こよなき歓喜の生活を送った舞台たる当時の賀古駅を、時間的にも空間的にも理解するに非れば、沙弥の心奥を窺い得ないで終るであろう。この意味に於て、　憶測をたくましくした独善の謗りを逃れないであろうが、何故この地に教信が留錫したかの社会的背景を探ることに使命を感じたからでもある。

大方のご教示を願って止まない。

（昭四四・一〇・六録）

　本篇は「教信シリーズ」中の�である。五篇で編成される予定であるが�、�は既に刊行済につき併読を乞う。

　この度私の所属する加古川中央ライオンズクラブが記念アクティビティとして日岡山上、山麓や古山陽道と推定される道添いに石柱数本を建立してくれた。旧印南郡側や渡河地点については未建ながら本稿が一応の記念ともなり、爾後の指標となれば幸甚である。（平、元、三、一〇）

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