葛飾区再生計画案行政編


FATA REGUNT ORBEM ! CERTA STANT OMNIA LEGE

(不確かなことは運命の支配する領域。確かなことは法という人間の技の領域)

―― ローマの格言 ――
 
【05、地域振興】
 
0501、「公園」「通り」の愛称命名権の販売

自分の町に愛着を持ってもらう

公園、区道あるいは細街路に愛称(名前)をつける権利を売る

(例)松五郎通り
 

0502、出張公聴会

常任委員会、特別委員会の議場外実施(夜間、休日も可)。参考人の形式で住民の意見陳述を求める。
 

0503、自治町会基本条例の策定(議員提案の形式)

[基本認識]

 過疎の村においては新住民と旧住民の間の葛藤は新住民の数が極めて少ないのが普通であるから表面化してこない。しかし、都市部においては新住民と旧住民の数が拮抗ないし、前者が後者を上回ることがめずらしくない。だが、そこに現存する自治町会の役員構成は旧住民側が圧倒的多数である。こうした一見、新住民除外の感じは、仏教や儒教の影響の痕跡を残す地域共同体に若干のノスタルジーを感じながらも、先の大戦で国家主義によって利用されたという記憶とあいまって自治町会解体の主張、あるいは無関心層の増大につながってゆく。
 だが今日「小さな政府」が志向されている。ならばこれまで役所の果たしていた役割の一端を個人か、あるいはこうした地域団体が担わねばならないことは必然であろう。そしてこの地域団体は高齢者、年少者あるいは国籍を異にする者、目の色、皮膚の色を異にする者、宗教、考え方を異にする者、全ての者が「ここに住まう」を唯一の条件のもとに関与できる正規の構成員として認められなければならない。本案は後掲プラン0506を制度的に保証しようとするものである。
 事案の性格上『議員提出案件』として徹底した議論をお願いしたい。

⇒ 上記の「基本認識」は、自分の認識ではあるが「25年目の新住民」には違和感も覚える。25歳から50歳という人生のコアの部分をこの地で過ごし、子供も生まれ(彼にとってはこの地が故郷)、父もこの地で眠っている。町の中で消防団やら町会の役員(総務部長)を務めながら地域に関わって行くと最早、新住民と旧住民を分ける議論は自分の中で説得力を失っている。なのに敢えて何故、上記のように新住民と旧住民にこだわった物言いをするのかと言えば、阪神・淡路大震災の恐怖である。議員としての「個人視察」で震災後3ヶ月の彼の地を歩き回って、「地域に連携のないところほど被害が大きかった」ことを知ったからである。この轍を自分の町に踏ませてはならないとする思いである。

 新住民の中には「25年目の新住民」もいるが「昨日からの新住民」もいる。熱心な者のみの自治町会活動ではだめなのである。防災でも子供の教育でも高齢者の居場所でもいい、何かの地域の共通のテーマのもとに、先ず隣近所が、次に町内が、そして区が、と「まとまりの輪」を広げたいと願うものである。それにはほっておいてただ時間の経過の助けを待っているのは能が無い。それには区が積極的に関与し地域連携の触媒の役割を果たすことが肝要であると考える。

自治町会を区のパートナー(行政の単なる下請けではない)と位置付け、権限・人(地域担当制)・金(補助金)を付与する。

町会エリアと代表選出規程を含む自治町会規約を明確にする。
有職者が代表に就任できるように補佐役の職員を配する(地域担当制)。
補助金については会計報告の明確化(一般会費ないし寄付金収入等については内部自治の範囲→関与しない)。

「地域担当」職員はその職務のゆえの手当てはない。会合等の個人負担分は区負担とする。「地域担当」は地域を学ぶ研修と位置づける。(cf.0319

集合住宅自治会もそれ以外の中に取り組む形態で。

自治町会非加入の自由の保証、その場合の対策を検討

★区が自治町会に補助金を出すというのは、自治が損なわれる危険はないか。

⇒現行でも葛飾区の場合、各種の名目で補助金は出している。これを世帯数、面積、当該自治町会の地理的条件等々に応じて各自治町会が自由に使えるひもつきでない補助金に性格を変えようというものである。

★現在ある自治町会への非加入者がある程度集まれば、同一エリア内に「第二自治町会」を結成出来るとするのか。

⇒自治町会は本来、打算抜きで結合した集団であるから利益集団的な「第二自治町会」は念頭に置いていない。しかしそれが親睦団体である以上結成をとどめる権限も必要もない。

地域と交わる!投書2題

  (01.01.22 産経新聞 投書)

都会生活でも人間関係密に                     今尾敦史 21(大学生)

 先日、宮崎県の民俗芸能である「高千穂の夜神楽」を見に行きました。僕が生まれ育った埼玉県とは違う文化に直に触れることができ、貴重な経験をしました。その舞や歌には、高千穂の各集落で世代を越えた伝統が脈々と受け継がれていました。そこで感じたことは、小さいころから大人たちに交じり、こうした夜神楽などを通じて自然に礼儀作法や対人関係を学び取っているのではないか、ということでした。たしかに、都会では便利で快適な生活が送れるかもしれませんが、それは集団から個人へ、という動きにもつながっているような気がします。他人とあまりかかわらずに十分生活できてしまうというところに危険を感じてしまいます。先の成人式で起こったようなことは、こうしたことと無関係ではないのではないでしょうか。目上の人に対する礼儀、尊敬といった基本的なことを身につけずにいたら、とても成人したとはいえません。都会でも地域の関係を密にしたりして、精神的に豊かな人間を形成できる環境をつくるために一考の余地があるのではないでしょうか。     (宮崎市)

  (01.01.22 産経新聞 投書)

地域行事参加 溶け込む“道”               小川幸也 59 (会社員)

 当地に住みついて早くも4年の歳目が流れた。幸いにして妻と野菜作りを楽しんでいる。収穫祭も毎年、長老たちと行っている。一方、隣近所の連絡役(班長)も一昨年、一年間やり終えた。終わると同時に、町内会長さんから「次は、神社の当番(年番)をやってください」と言われた。「順番なので、いずれやらなくてはならないだろう」と思い、やることにした。神社の年番とはどんなことをするのか特別聞きもせず、神社の総代に要請されるまま月一、二回の神社行事、大掃除、寄付金の集金、団子作りなどをやってきた。地域の先輩たちと一緒になって汗を流し、語り合うことの楽しさを自分なりに味わった。地域特有のスタイルがあることも分かってきた。先祖代々住んでいや人、新しく移り住んできた人、多少の考え方の違いは仕方あるまい。地域全員が協力し合い、なるべく平等に過ごすことが、地域に溶け込む唯一の道だと思う。充実した神社の年番一年間でした。     (埼玉県吹上町)

0504、自治町会エリア内の公園等の区施設の町会への管理委託

清掃とか補修の具体的な管理ではなく、改善箇所の即時報告である。
 

0505、出張所の統廃合または付加機能を加える。(再検討⇒0511

出張所が現在果たしている役割を点検し、証明書の交付事務が大半であるなら、「発行機」を地区センター、特定郵便局、金融機関、駅等に設置して出張所は廃止する。

または付加機能を加える。どのような機能を付加すべきかについては検討課題。

(例)不在者投票の会場、行政相談の会場、区事業のすべての第一次窓口化 出張所の存在理由について検討する。(19箇所の出張所数は適正か?)

◆99.12.5 西水元猿西町会役員会で「区は平成12年を目途に現在の19出張所を三分の一程度に統廃合する計画」との町会長報告があった。

 ⇒こうした出張所の統廃合に関し、現行の手法は先ず事案を自治町会連合会に諮り大体の了解を取り付けたあと各自治町会の役員を2〜3名づつ集めて、念押しする。議会には「自治町会の皆様の賛同を得ております」とか言って「出張所設置条例の改正」とかの議案として提出してくる。一般区民はもちろん議会も無視した、こうした手法は最早改めなければなるまい。こうした案件については、先ず区民に公表すべきである。当然いろいろな観点からの意見なり質問が出てこようがそのことで議論の争点が把握できて、職員は議会を乗り切るため、議員は住民への説明責任を負うため、両者ともかなりの勉強を求められることによって、おざなりでないきちんとした議会審議が期待出来よう。  (cf.パブリックコメント制度)

00.3.29 出張所を7ヶ所の区民事務所にする計画の説明会があった。現行の出張所機能は統廃合の総論賛成と考えていたが、次案のコミュニティの基地、防災拠点など地域のシンボルとして果たすべき機能はある。付加価値を加えて拡充(数の面でも)すべきと考えるに至った。「最高最善の計画です」と言って計画案を示した。計画素案の作成者が内部的にそのように考えるのは当然であるが、区民に対してそのように主張することは傲慢である。変更の可能性のない説明会やらアンケートは行政の「押しつけ」以外の何物でもない。

近隣自治体との比較江戸川区足 立 区葛 飾 区
人 口 626,673人 636,306人 429,820人
面 積49.09平方km53.20平方km34.84平方km
区民事務所(出張所)1719(案=7)
区の示したエリア図

 「素案を作成しないのは行政の無責任」(青木克徳地域振興部長)と言うが、区民を愚民視した行政の思い上がりである。また、エリアから外れた地域を含む地図を異論もなく了承した区の幹部諸君の住民感情への配慮の無さには慄然とせざるを得ない。地方自治とはまさに住民が主役であるべきである。住民との密接度を高めるために地方分権が叫ばれる今日の最大の眼目は情報公開である。一部の物分かりのいい層から順に情報を小出しにして行くのではなく先ず全区民へ知らせるべきではないのか。住民と関係の無いところで決まるのなら、国の役人が絵を描こうが、都の役人が絵を描こうが、区の役人が絵を描こうが地方分権などどうでもよい。地方分権とは行政が何をするかについてばかりではなく、どのように運営するか(手法)についても含まれるのである。

 全ての施策について立案の段階から情報公開せよと言う気はないが、少なくとも今回のような地域社会のコミュニティ創造に大きな影響を及ぼすものについては全区民に知らせ、区民の中の議論の収斂を待つべきであろう。行政は地域住民の共同目的を実現するための事務局に過ぎないくらいの感覚であるべきである。

◆00.5.1 AM0:25 日本テレビ ドキュメント'00『おーい元気か!京都76歳医師の挑戦』として「松五郎の玉手箱 13」所収の医師のハナシが放映された。番組の最後で往診を終えて出てきた早川さんの「暮らしの中に医療を見つける。暮らしの中に福祉を見つける。行って見ないと何も判らない。」と語る言葉が印象的であった。行政もしかりである。区民事務所なんぞと鷹揚に構えた待ちの姿勢ではなく行政の側から区民の暮らしの中に入り込んだ「行政のサテライト」あるいは「ベースキャンプ」として行政の先端基地とすべきである。「暮らしの中に行政を見つける。行って見ないと何も判らない。」のである。

0506、新しいコミュニティの創造(cf.0503

旧住民と新住民との垣根を低くする施策の構築
世代間コミュニケーションの成立する地域社会の構築

出自あるいは文化背景を異にする住民間の「コミュニティとは何か」から検討する。そのためには共通の利害、たとえば「防災」に焦点をあてることも検討する。災害には個々の備えと同時に隣近所との連携も必要である。例えば誰かが倒壊家屋の下敷きになっていても「誰がいないのか」が分からなければ救出のしようがない。日頃の連携の十分な地域ほど被害も少なく、救出も早かったというのは阪神・淡路大震災の教訓である。

防災のように町内の全範囲をカバーしなければならない施策の一方で日々の生活の中では境遇、趣味、価値観を共有する者同士が手を取り合えることへのサポート。(cf.0509)

【モデル自治会の設定】地域内で必要としている(道路や公園の清掃、子育て相談、話相手、ペットの世話、日常家事手伝い等など)ボランティアを高齢者でも誰でも自分の時間と体力の許す範囲で参加できる体制を構築する。(教育の世界に『子供は必要とされて大人になる』という言葉があるが、高齢者も同様であろう。社会で自分が一定の役割を担っていることが、その社会の構成員であることを実感するのである。)ボランティアをする人、必要とする人のネットワーク化。最善の方法を模索するために区内数カ所に「モデル自治会」を設定する。

【町内会に対する私の私見】

日本型文化としての「町内会」

 町内会というと国民総動員体制の戦時下、戦争に非協力的という名目で意地悪そうな町内会の役員や白いたすきをした婦人部のおばちゃんが主人公の家に押しかけてキンキン声で『非国民』となじる姿がテレビや映画で繰り返し繰り返し描かれた影響からか今日の人々の間に町内会に対する拒否反応、さらに進んで反発さえみられる。(私が学部1〜2年のときに参加した社会学ゼミの教員もこうした町内会否定論者であった。神奈川県逗子市では戦後、戦時中の過ちを繰り返さないことを誓って町内会を復興しないことを申し合わせた。――しかし、今日では行政の下請けをしないことを条件にほとんどの町で親睦本位ではあるが町内会が復活しているという。)

 町内会の発生の過程を概観したい。

 日本型のこうした「公私のあいまいな」町内会は西欧社会の原理に合わないから否定されるべきものとする見解もあるが、およそそうした西欧社会の原理なるものも彼らの文化遺産であろうし、「公私のあいまいな」団体の存在を認めるのは我々の文化の型であり、西欧社会の原理が普遍性を持つとも思われない。

 農村部の地縁、血縁に基づく団体とは別に都市部(京都)における町内会の成立は応仁の乱およびその後の政治的統治能力や保護能力の欠如に際し、民衆の側が自らの防衛と相互扶助の必要から団結を図り強固な結束力を持つに至ったといわれる。その後、江戸時代の五人組制度やら、明治期、大正期、昭和初期さまざまな経緯(全戸加入型組織として基本的には政治・行政の指導のもとに出来た組織と相互扶助を目的の自立的組織であろう。)のもとに成立した町内会も冒頭述べた日清・日露の両大戦以降、戦時下には国策を遂行する手足として機能した(させられた)のである。

 第二次大戦後、経済の高度発展に呼応して国民の大移動が始まり若者が都市へ集中し始めた。そこで働き結婚し家を求め生活の基盤をそこに置いても、「江戸っ子的な東京・地付き層の人とは対照的に東京への流入層は一生を東京で過ごす場合があっても、その精神の拠り所は常に故郷にある出稼ぎ人、東京に寝床をもって東京を稼ぎの場と考える人」あるいは「それぞれ異なった故郷を持ち、自ら住む東京には郷土愛のかけらほども感じない人々の集合の場」と言われる(小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会,1979、p.586-587)。これを聞くと在日韓国人、在日朝鮮人の二世、三世がルーツは朝鮮半島であっても、そこに戻ったとしても生活が成り立たず、日本でもまた彼地でも差別されると聞くが、これと似た現象が東京への流入組の間にも起こっている。こうした流入組が人口の構成比が三分の二を越えるようになっても、地付き層の社会的凝集性に比べて流入組は「砂のような」存在であるとも言われる。先述の在日の間には同胞という強い絆があるが流入組にはそうした絆意識もない。こうした、いわば行き場のない層が増大する中で町会活動の空洞化が進行した。昭和40年代、住民運動が既成の住民組織を中核に発生してくるのであるが、これに意識の高い流入層が参加を始めてくる。初期の段階の住民運動が「行為阻止型」であったものが、昭和50年代に入ると「行為要求型」へ、言葉を変えれば「反対」から「主体的な町づくり」へと変化してきた。そして、今日では阪神淡路大震災の教訓も踏まえて町内会に現代的な価値を与えようとする動きも見えてきた。「町づくり」が「コミュニティづくり」と名を変え、行政の手を離れ住民の主体性が増したことにより、こうした「コミュニティづくり」をめざす住民グループと行政の補完的役割を担う(担わざるを得ない)町内会との合流の可能性が高まってきたのである。

 (おことわり――町内会を社会学的に取扱うならばもっときめこまかな論証をしなければならないとは承知しているが、本稿の目的は、町内会は日本的文化型としてもてはやされたり否定されたりしながらも全戸加入型組織として地域になくてはならない、あるいは「この町内に住む以上ここの町内会に加入するのは当然」とする a matter of fact となっていることを理解していただき、ならば我々はその a matter of fact な町内会に今日的な課題をからませて考えようというのである。それが次の"めざすべき町内会"である。)

あるべきコミュニティと行政とのかかわりとは

  私が本案でめざす「新しいコミュニティ」とはこうしたことを念頭に置いている。大正デモクラシーの影響を受けたとされる『東京市民読本』(1924)に「市民たる者は土着と外来を問わず皆東京の市民である。」「地位や身分や財産が市民たる資格の要件ではない。真の愛市心、憂市心があることが市民の要件である。」と普通選挙制度成立の底流にある時代背景を一にした市民の定義があるがこれらに加えるに、そこに住まうことのみを要件(従って、目の色や皮膚の色が違おうが国籍に関わらず人間として受け入れる)としたコミュニティをめざそうというものである。

 上記の図で言うと[A型組織図]は現在の葛飾区の町内会(単位会)の上位団体として連合会が存在し、単位会、住民の意志を集約するものである。これに対し、[B型組織図]は住民は町内会とは独自にサークルあるいは関心のある委員会を作ることが出来、これらも連合会の中に加わることも出来る、また住民は個人として町内会なり連合会なりにも参加できる。これらの団体あるいは組織を越えて個人として行政とも向き合えるというものである。(つまり、区の主宰する委員会では団体推薦のワク以外に20%は個人応募のワクを残しておくべきとするものである。(cf.0111)) *説明方法は異なるが組織図は越智昇さんのものを借用した。  (倉沢進・秋元律郎編著『町内会と地域集団』ミネルヴァ書房、1990、p.269)

葛飾区の町内会(自治町会)と行政の場合

 葛飾区の町内会は自治町会とよばれ単位自治町会の上に○○地区自治町会連合会、さらにその上に葛飾区自治町会連合会と三層になっている。単位自治町会の町会長が○○地区自治町会連合会の構成メンバーとなりその○○地区自治町会連合会の会長が葛飾区自治町会連合会の構成メンバーとなるというものである。

 末端に位置する単位町会は行政の下請けやら諮問事項だけで動いているわけではないから、単位町会は自らの町会長の批判につながる意見は(役員会内部では激しく議論したとしても)対外的には慎むというのが「近所づきあい」「ボランティア」が基本の町内会の知恵なのである。行政はこうした住民感情、庶民の知恵を逆手にとって狡猾に利用するのである。つまり、自治町会の最高機関の葛飾区自治町会連合会(町連)の内諾を取りつけることによって、自らの施策の是非に対する行政への批判を葛飾区自治町会連合会(町連)批判にすりかえて施策に対する批判をかわし区議会や末端町会の会員(住民)の声を封殺するのである。こうしたテクニックで自らの施策を正当化してきたのである。1913年の第三次桂内閣を批判した犬養毅の『かれらは玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代え…輿論民意のあるところを…結果を先にして、その原因をつくらんとするがごときは、いわゆる逆施倒行のはなはだしきものであって、順逆の別を知らないものである…』を彷彿とさせる。

 今回の出張所統廃合についていうと、財政状況に関係なく(逼迫していない時から)出張所の数は多い自治体も少ない自治体もある。これはそれぞれの自治体の哲学であり、他から容喙干渉すべきものではあるまい。葛飾区の場合は財政難を理由にするが、出張所に配置していた減らした職員は解雇する訳ではあるまいから移動するだけであって人件費そのもが減るわけのものではあるまい。(自然退職者分を新人で補充しないとするのか)単なる移動だけであるとするならば施策間のプライオリティの問題に帰着する。その場合の施策間同士のせめぎあいを公開すべきであろう。私には葛飾区現執行部の地域コミュニティに対する哲学の欠如が不満でならない。 (cf.05050511)

[参考記事](抜粋)
 同地区では、親せきが遠方にいる住民が多い。「長く住み続けるには近所付き合いが大切。いざという時頼れるのは近くの人」と、民生委員の松井三枝子さんら主婦仲間が住民に呼び掛けて、ネットワークを作った。活動の仕組みはこうだ。まず「力を貸せる」住民が出来る仕事を登録する。掃除、洗濯、ペットの世話、子守などだ。事務局に、「手助けして」との依頼があると、"出勤"する。"便利屋"扱いを避けるため無料で続けている。昨年は主婦ら60人が登録、高齢者を中心に掃除、洗濯など約100件の依頼があった。同ネットワークではこのほか、食事会や料理教室、介護講習会なども開いた。「依頼件数は昨年より少し減ったけれど、住民が直接頼みあっているという話を聞く。最終的にはネットワークを通さず、近所同士で助け合える関係を築くのが目標だから、いい傾向です」と松井さん。
 新興住宅地は、地縁・血縁のしがらみなく生活できる快適さが大きな魅力だ。しかし、高齢化が進むと、支え合いが必要なのに、助けを必要としている人も助ける側もどこにいるかさえ分からない。
 ・・・「地域にこだわりながらも、外部の人も受け入れる緩やかなネットワーク。今後こうしたあり方のネットワークが一段と求められるようになるだろう」と大妻女子大学助教授(社会学)炭谷晃男さんはみている。
(『こんな時代だから ご近所づきあい』読売新聞H.11.7.19朝刊)

■(00.5.12)木下さんが町内会に着目されている点に興味をいだきます。議会とは別のもの、役所とは別のものに関心を抱かれる姿勢がなにかと違ったものを感じます。こだわりがやはり必要なのでしょう。(From 吉田つとむ町田市議会議員)

⇒私は「都市で孤立する“個”のセーフティネットとしての公の保証を行政が果たすことが求められ、基礎的自治体としての市区町村が担わなければならない」場合、こうした役割は行政だけでは担いきれないと思っている。様々なバックグランドを持つのではあるが、“地域に住めばそこの町内会に加入することを当然”と受けとめられている「町内会」を何とか活用できないかと考えるのである。この“当然”という意識を大切にしたい。

グローバル化時代の地方自治               (01.01.10 読売新聞)

「安心の網」担い手に  地域で支える意識重要

 人、モノ、カネ、情報が国境を超えて飛び回るグローバル化の時代は、地方自治の役割を改めて問い直している。                                 解説部 青山 彰久

 グローバル化の問題は、遠い所で起きているのではない。例えば、外国人労働者の流入に伴って増える外国人とどう向き合うかを考える自治体が増えている。外国人労働者の増加は、地球規模の競争激化で国家の格差が広がり、低い所得しか得られない国の人々を、高い所得が得られる国へと国際移動させるからである。グローバル化に伴う現象が地域で起きている。

 静岡県浜松市では10年間で外国人登録者が急増し、昨年には17,000人を超えた。90年に入管難民法が日系人の就労を緩和して以後、各企業が雇用を増したため、いまやブラジル人が暮らす日本最大の街になった。市は当初、外国人の増加を一時的な現象とみていた。だが、昨年実施した外国人生活調査の結果に驚いた。定住化が進んでいた。7年以上の滞在者が46%、家族世帯は79%に達していた。生活上の悩みが増え、健康保険の末加入者が半数を占めていた。今後、高齢化すれば介護問題も出る可能性もある。国籍が違っても、同じ税金を払う市民である。医療、子育て、教育などの分野で、国籍に関係なく人々の生活を支えていけるサービスをどう構築するか。同市は点検を迫られている。

 この種の悩みは各地で起きつつある。本来、どの自治体も、日本国籍を持たない在日韓国・朝鮮人との関係で検討しておくテーマだった。「ニューカマー」と呼ばれる人々の登場を契機に、自治を洗い直す時だろう。

 人の国際移動だけでなく、マネーの流れの変化からも、グローバル化に伴う自治体の役割が変化する、と神野直彦・東大教授(財政学)は指摘する。同教授によれば、年金や健康保険など、国が主導する現金の給付は頭打ちになっていく。なぜなら、マネーは世界を動き回る以上、一国だけが突出して重い負担を課せば資本は他の国へ逃げるためだ。浩果として、国の財源は増やしにくく、現金給付の拡大は望めなくなる。したがって、国主導ではなく自治体主導で、介護援助のように、住民の選択と負担で行うサービスの給付へ重心を移すことがグローバル化への対処方法になり、地方自治体の責任と地方への税源移譲、地方分権の必要性が生まれてくるのだという。

 実際、西欧各国は80年代、グローバル化に向けたEU(欧州連合)を発足させるのに合わせて「ヨーロッパ地方自治憲章」を制定、分権と地方財源強化を打ち出した。大きな政府による福祉国家の手法よりも、暮らしに近い地方政府の手によって、具体的なサービスの給付を増やしていこうということだった。

 グローバル化と各国の社会サービスの関係は、サーカスの綱渡芸人とロープの下にあるネットに似るという。芸人がロープの上で技を披露できるのは、落ちてもけがを防いでくれるネットが下に張ってあるからだ。リスクもあるグローバル化経済を生きる人々にとっても、ロープの下にネットがあるように、社会サービスがあれば、失敗を恐れず競争に挑んでいける。激しい競争をもたらすグローバル化が加速するほど、医療や介護や子育て支援、教育や住宅政策といった「安心のネット」が必要になってくる。

 地方自治の責任は重い。どんな道をたどってきたのであれ、同じ街に募らすことになった人々の生活を、ともに地域で支える、という自治の原点が、問われていくようにみえる。グローバル化が加速するいま、地方自治に必要なのは、リゾート開発でもダムでもない。異なる国から文化や考えが違った人も受け入れ、互いを尊重しながら安心して暮らせる無駄のない仕組みを作ることにある。

◆お年寄り、障害者世帯のごみ…江戸川区、戸別収集… お年寄りや障害者のごみ出しの負担を減らそうと、江戸川区は3月1日から、戸別訪問収集サービスを始める。対象は」65歳以上、または、身体障害者で集積所までごみを持っていくことが難しい世帯。ごみの種類にかかわらず、清掃車での収集の際、職員が各戸へ立ち寄る。希望の世帯へ清掃事務所の職員が事前に訪問、調査の上、サービス提供の対象になるかどうかを決める。申し込みは、管轄の清掃事務所へ。江戸川清掃事務所(3684-6060)、小岩同(3673-2551)、葛西同(3687-3896)。都内東部5区では、墨田区が昭和50年代初めから同様のサービスを行っているほか、江東区も実施を検討している。また、23区では世田谷、杉並、渋谷、練馬などの区ですでに実施しており、港区も近く始める予定だ。

<木下茂樹の感想>

 この記事を読んで感じるのは“隣近所、人情紙風船”である。お年寄りや障害者のごみ出しが負担になることは分かる。が、そのお年寄りや障害者の人の家先からゴミの集積場まで『出してよ』『あいよ』と頼み、頼まれる近所の人間関係をどうして作れないのであろうか。江戸川をはじめ行政が手助けすることは決して悪いことではない。むしろ拍手を送りたい。だが一方でこうした“手厚い”行政が思いと逆の方向に作用するのではないかと危惧する。住居地の町会で役員をやっているが、個と個が融合しにくくなっていることを痛感する。そしてその分、公の役割が増加せざるを得ないのである。頭では小さな政府を求めながらポピュリズムに堕する危険をはらむ民主主義の醜さが典型的に出る場面である。

0507呼び寄せ老人に対するケアー援助対策

いきなり老健施設入所の場合は以前住んでいた、あるいは本籍のある自治体に一部負担金を求める。再度戻った場合も考えて両自治体でフォローする。

プラン1012とも関連するが、生活の基盤をいきなり切り取られて都市に生活するのであるから話し相手、友人の無さに悩むことが考えられる。元気な場合の働く場、友人づくりの場の情報提供など新区民として暖かく迎える配慮をする。
 

0508、ストアレス、キャッシュレス時代の商店街振興についての検討

すべての品目でストアレス、キャッシュレスになるわけではあるまいが、これまで地域のコミュニティの核の役割を果たして来た小売り商店を中心としたストアレス、キャッシュレス時代の商店街振興についての検討を事前にすすめておく。

★小売店vs大型店舗、コンビニの進出、通信販売・ネット販売の脅威など、既存の商店街を取り巻く環境の変化にどう対応するのか。

⇒??? 残念ながら知恵がない。各商店や商店街が一般の人の購買心の変化を読んで実施する対応策に対し支援するとしか言えない。

⇒個人の自由な選択、自由競争、市場の効率性といったアメリカ的価値に基づく経済上の理念が社会構造にまで影響を及ぼしているのであるから、日本的な伝統価値への回帰や家族的絆の回復なくして、そうしたコミュニティの中に組み込まれた形で存在する個々の商店からなる商店街の振興はあり得ないかもしれない。自治体は自治体コミュニティの中心のひとつに位置する商店街にモノの購入に付随した付加価値を期待して支援するのである。ならば、個々の商店の売らんかな、儲けんかなの姿勢は発展の阻害要因となろう。 (99.12.12)

(01.02.01 読売新聞 ネットワーク)

長野市 大型店依存 行き詰まり 活性化へ模索続く

 長野そごうとダイエー長野店が相次いで撤退した長野市の中心街で、地元商店街が新たな活性化策のあり方を巡り苦悩している。財政難の行政も手をこまぬいているのが実情で、両店が撤退した後のテナント探しも難航している。流通大手の経常不振が続くなかで、大型店に依存した地方都市の街づくりが見直しを迫られている。(正本恭子)

〜〜〜〜〜〜〜

 善光寺の門前町として発展してきた長野市の中心街。JR長野駅から善光寺を結ぶ大通りに沿った2キロの区間には10ヵ所の商店街がある。長野そごうとダイエー長野店が立地していた「銀座商店街」では「そごう、ダイエーの撤退後、お客がめっきり減ってしまった」(地元商店主)と嘆く声が多く聞かれる。

 ダイエー長野店は昨年12月末に閉店した。地上8階建てのビルでは1階と地下1階に限って、書店やカメラ店など地元商店の14店舗が営業を続けているが、来店客は少なく、閑散としている。

 長野店は76年に開業した。「当時のダイエーは飛ぶ鳥を落とす勢いで、ビルもダイエー仕様で設計された」と長野店のビルオーナーの一人の荻原英司・朝陽館荻原書店社長は語る。このビルはダイエー側の意向で来店客に買い回りを促すために客用エレベーターがない。これが現在、テナント探しが難航している原因の一つだ。

一方、長野そごうは83年に開店した。もともと経営不振だった地元百貨店の丸光を再建するためにそごうが出店したが、売り場面積が11,200平方メートルと狭いことから業績不振に陥り、2000年7月に破産を申請し、経営破たんした。

 そごうが撤退する他の地域では地元自治体がテナントビルを買い上げて後継テナントを探す動きもあるが、長野市は長野オリンピックの巨額の投資などで財政的な余硲がない。長野市商工課の島田稔課長補佐も「行政主導で活性化を図るというわけにはいかない」という。

 ダイエー長野店、長野そごう撤退の 原因は、本体の経営不振が原因ばかりではない。長野市全体の商圏は95年に896,500人だったのが、97年には675,000人にまで縮小した。長野市の小売業の年間商品販売額も、99年は5,065億円と97年に比べて8.2%減少している。 2000年1月に長野市の商店主らが「新流通構造研究会」を発足させた。研究会は商店街の集客力を高める手法を検討してきたが「会発足の矢先にダイエーとそごうがなくなってしまった」(荻原さん)ため、今のところ効果のある対策は打ち出せていない。

 全国各地で商店街などの街づくりを調査してきた日本政策投資銀行の藻谷浩介地域企画部調査役は「長野市のダイエー・そごう周辺の中心市街地は、大型店に頼りすぎて白助努力にかけていた」と指摘する。そのうえで「市の中心部という立地を生かし、行政とも協力して、まず居住人口を増やす努力が必要」としており、他の大型店の誘致などではなく、地道な努力の必要性を指摘している。

0509、各自治町会はホームページを開設する。 (cf.0703

各自治町会会員向け&地域向け情報の発信。メールによる相互通信を可能にする。

遠くの情報より近くの地域の情報を発信することが町会の役割を増すことになろう。多くの人がその個々に出来る範囲で町会に関わることによってコミュニティの密度が増して来るのである。行政主導のコミュニティ作りに期待するのでなく地域住民が主体的に個々に特徴ある新たなコミュニティを再構築することが求められている。プラン0506はそのようなコミュニティ作りを制度的に支援、保証するものである。

0510、複数回目の成人式を挙行する。

第2回目成人式=中年式(40歳対象)、第3回目成人式=還暦式(60歳対象)、
第4回目成人式=○○式(80歳対象)、第5回目成人式=○○式(100歳対象)

式(催し)事務局(企画・運営)は該当年齢の二分の一の世代で勤める。全区的な催しか、 地域毎の催しかは検討事項。それぞれ、4月、6月、8月、10月の第3日曜日あたりに実施。

【第4回目成人式=○○式(80歳対象)区内最高齢者祝辞】

『ご参列のお坊ちゃん、お嬢ちゃん。もう尻の殻はとれたかのう。足が痛いの、腰が痛いのと言うのは20年早いわさ。生意気な口を叩くのは歳が三桁を超えてから。これからも家族や社会に我まま一杯に、周りから憎まれ嫌われながら、元気に第5回目成人式でまた会いましょうや。そのとき私は百ン歳ですな。』

★たまたまアクセスした日に「0510」が新しく加えられていましたが、この施策を実施する目的は何ですか。 (00.1.11)

⇒20歳の「成人式」が「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」(『国民の祝日に関する法律』第2条)であるのに対し、以後の第二回目、第三回目などの「○○式」どんな意味があるのかの質問であろう。

 自らが生きて来て、40歳になろうが、60歳になろうが行政から祝い励まされる筋合いはないかもしれない。基本的には「遊び心」であるが、地域の中での同級生探しの意味もある。義務教育時代を共に過ごせば同級生は分かるが以後に住まうことになった者にとっては不明である。同級生というのは好き嫌いを取り混ぜて妙な親近感がわくものである。少子高齢化時代の地域での横の糸(連携)になることを期待している。また、式を演出するのが当該年齢の半分世代であるから、そことも連携が生まれればとも思っている。 (00.1.14)

0511、平成12年2月『区民事務所配置計画案』の白紙撤回。旧19地区体制の復活

 現執行部の下、葛飾区地域振興部は、平成12年2月『区民事務所配置計画案』において「第1章 出張所のあり方の基本方向について」"出張所再偏の背景"として

『(前段省略)一方、地方分権における住民自治の考えは、「自らのまちは自らがつくる」という、自治意識に基づいた住民自身の多様な地域活動によって、豊かな地域社会が築かれることを理念としており、地域に関する課題を、その地域で生活する区民が地域活動に率先して加わり、解決していくことが重要となってきている。

 しかし、少子化・高齢化の波は、地域社会構造をアンバランスなものへと変化させ、人々の価値観が個人・家族単位となったことで人間関係を稀薄なものとしたために地域活動の担い手が減少しており、自治町会で中心的な活動してきた方々の高齢化や後継者不足が、地域活動の活性化を妨げる要因になりつつある。

 このような現状を踏まえ区は、自治町会をはじめ地域に根差して活動する区民を強力に支援し、地域活動の活性化に寄与すべく、出張所の地域活動支援機能の充実、強化が急務となってきているのである。』

という。基本的な認識の誤りを犯している。高齢化による後継者不足ではなく、地域に対する「私の町」という所有者意識の欠如が後継者不足を招来するのである。

 プラン0505で述べたように、行政側で絵を描いて変更の可能性のない説明会やらアンケートは行政の「押しつけ」以外の何物でもない。また区民を愚民視した行政側と、行政を「お上」とへりくだる意識の抜けない一部の物分かりのいい層(町の名士)が仕切っている(と誤解されている)、発言しても変わらない(自分の努力の無意味な)町会なんぞに関わりたくもないのである。地域活動の活性化を妨げる要因は行政の姿勢そのものである。大阪府下、兵庫県下の自治体(全部とはいわないが)には居住歴1年の町会役員がゴロゴロしている。地域がコミュニティとして作動している。(担当職員は勉強不足である。)

 こうした発想のもとに、旧19出張所体制を維持拡張する。(現19出張所の管轄エリアはそれぞれ歴史的、伝統的つながりもあろうが原則として町名内での分割はせず、一町名単独ないし二〜三の町名の合体した範囲に変更する必要はあろう。)従って平成12年2月『区民事務所配置計画案』は白紙撤回する。事業として動いていれば中止する(当該条例の改正ないし廃止)。ただし、着工後の増改築は竣工させる。職員の配置については再検討する。

 出張所には所属の町会ごとにホームページを開設できるようにするためのパソコンルームを設置する。単なる区の出先機関でなく地域コミュニティ、地域防災の拠点とする。地域のお年寄り、民生委員、保護司、保健婦、各種専門家などの相談員からなる子育てから嫁姑の確執問題、生活上の近隣トラブル等々の「よろず相談窓口」の開設など、地域で暮らしていく上での必要な事項を全て網羅する。(cf.0505)

⇒区案のいう『人々の価値観が個人・家族単位となったことで人間関係を稀薄なものとした』のは真実であろうし、それに地方から都市への居住地の移動がこれに拍車をかけたのであろう。青年団活動の衰退は軍隊の組織を模したヒエラルキー型組織は最早受け入れられないの証左であろう。(私自身わずか数年の消防団員経験であるが「消防署長殿に頭右!」という体質にはなじめなかった。)

 今日はNET社会に代表されるように1対1の横のつながりが重視されるのである。NPO組織、ボランティア組織、あるいは宗教団体の日常活動においてもそうであろう。(特に宗教にあっては神と私、開祖と私といった余人を交えない関係が基本である。)これまでは各組織とも自己の価値に基づく活動をしていたのがここ数年、地域に目を向ける傾向が現れている。つまり、自らが住んでいる地域を、住んでいるという事実を越えた価値を地域活動あるいは地域住民同士の連携によって再発見しようという動きである。

 こうした動きも察知出来ず、地域の拠点とすべき「出張所」の削減案はいかにも安易で愚かというほか無い。緊縮財政のゆえに予算を削減するとしても筋肉を減らしているのか脂肪を減らしているのか区別がつかないのではなかろうか。(00.3.30)

0512、区民の区民による区民のための広報誌の発行

19の出張所毎に各5名程度の「街角レポーター」を公募で選任(任期1年、再任不可)し、当該出張所エリアのニュースなり歴史的なことなりを、区民の目でレポートしてもらう。
各出張所チームともに各回2ページで年に3回発行。(区公報に折り込んで配布) (cf.静岡県豊田町)

00.6.25 産経新聞投書

『住んでいる所が好きになることが、住みよい町作りの第一歩です。そのためにはその地域社会のことや、地元の先達の功績を知ることが何よりも必要です。偉人、賢人といっても遠い過去の人たちでなく、近代の野に埋もれた先覚者たちを発掘し、光を与え、広く世に知らしめたらと思っています。……郷土を知らず、自国の歴史を知らずして、郷土愛や愛国心など生まれません。(戸塚光男さん)』

◆ 00.12.24 (読売新聞)広報紙編集に区民公募 足立区読者増狙い導入決定

 編集を区民の手にゆだねて、読まれる広報紙を作ろうと、足立区は隔月で発行している広報紙「あだちエクスプレス」の編集スタッフを区民から公募することにした。テーマや編集方針も区民に任せる予定。区政のPRが目的の広報紙に区政への批判が掲載される可能性もあるが、編集を担当している区広報課は「区民の本音を聞き、読まれる広報にするにはむしろその方がいいと判断した」としている。

 「あだちエクスプレス」は全16ページ。月2回発行しているタブロイド判の「広報あだち」の補完的な役割を果たしている。92年4月の創刊で、介護保険、高齢者福祉、子育てなど、区民の関心の高いテーマを掘り下げる特集記事が売り物。

 しかし、区内23万世帯に全戸配布されている割に反響が少なく、同課の丸田直美さん(37)は「せっかく苦労して作っても、あまり読まれていないのでは」と嘆く。

 読まれない理由を内部で検討した結果、@職員では区政への問題提起や批判的な記事が書けないA区の職員に遠慮して、区民は本音を言わないB企画がマンネリ化する―などが挙げられ、打開策として『開かれた区政』を目指しているのだから、思い切って区民に任せた方がいいのでは」との意見が出され、区民からボランティアの編集者を募集することになった。

 活動期間は来年3月から2002年2月までの1年間。定員5人で、報酬は年間3万円(交通費含む)。対象は区内に在住する18歳以上の人で、履歴書に必要事項を記入し、「私の考える広報活動」を400字でまとめ、区広報係へ郵送する。来月17日必着。2月1日に書類審査、同月上旬の面接を経て、同月中に合格者を決定する。合格者は3月の編集会議に参加し、5月発行の「あだちエクスプレス」に向けて、取材、執筆に入る。

 丸田さんは「不安もあるが、その分、区民の本音が載せられるはず。職員への厳しい質問、突撃取材ができる人を歓迎したい。ふだん意見を聞く機会の少ない若い世代の人にできるだけ参加してもらえれば」と話している。

【関連】1033、「高齢者文化会館」+「託児所(保育園)」複合施設の設置

小学校区域に1ヶ所(現行19出張所管内2〜3ヶ所)のわりで「高齢者文化会館」と「託児所(保育園)」の複合施設を設置する。(cf.10051010)

⇒元気な高齢者に体力の範囲内で孫・ひ孫世代のお世話をお願いする。(cf.0506)


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