リー・モーガン
Lee Morgan









      (目次)
     ■リー・モーガンとショーター
     ■リー・モーガン
     ■リー・モーガンの早熟さ
     ■リー・モーガンの成熟と夭折
     ■トランペッター、リー・モーガン
     ■アルバム紹介




■リー・モーガンとショーター

 リー・モーガンは年齢でいえばウェイン・ショーターより年下だが、プロ・ミュージシャンとしては先輩という、微妙な位置関係にいるトランペッターだ。モーガンはショーターの初録音で共演、初リーダー作においても共演し、そのままメッセンジャーズでも共演した。
 ショーターがメッセンジャーズで共演したトランペッターはモーガンとフレディ・ハバードであり、このうちで、よりショーターの資質に近いところで優れたコンビネーションを見せたのはハバードのほうだと見るのが一般的で、ハバードは新主流派・モードジャズの代表的なトランペッターと見られているふしもある。いっぽう、モーガンはといえば、ハードバップ〜ファンキー・ジャズの人という印象があまりにも強烈で、新主流派というイメージはあまりない。
 しかし、その作品をきちんと見ていくと、ショーターからより積極的に何かを学びとり、それを自分の音楽へと生かそうとしていたのはモーガンのほうであり、自己のリーダー作でも新主流派的なスタイルにこだわり、積極的に推し進めようとしていたのは、むしろモーガンのほうではなかったかという気もしてくる。

 モーガンとのショーターとの初共演は録音されているかぎり59年、ショーター初の録音となるウィントン・ケリーの『Kelly Great』のセッションだ。その後、モーガンはショーターをメッセンジャーズに誘い、共演する一方、自己のリーダー作でも積極的にショーターのオリジナルをとりあげてきた。それらの演奏は、『Here's Lee Morgan』(60) 『Expoobident』(60) 『The Rumproller』(65) 『The Procrastinator』(67) そしてモーガン参加のハンク・モブレーのアルバム『A Caddy for Daddy』(65) で聴ける。
 モーガンが自己のリーダー作で新主流派的なものを本格的に追求しはじめたのは『Serch for the New Land』(64) 以後で、このアルバムは麻薬禍での一時引退から戻ってきた直後、『The Sidewinder』(63) の2ヶ月後に録音されている。結果、商業的に成功したのは『The Sidewinder』の路線だったが、モーガンはその路線のアルバムを作る一方で『Serch for the New Land』から続く路線の音楽も追求していく。
 個人的には『Live at The Lighthouse』(70)や『Lee Morgan (Last Album)』(71)などはそこから生まれてきた要素も大きいのではないかと思っている。
 とはいえ、果たしてモーガンを新主流派と呼ぶことにはやはり違和感を感じるのだが、60年代前半で既に新主流派的な試みをやめてしまうハバードよりは、やはりモーガンのほうが新主流派的なものへのこだわりを見せていたように思う。



■リー・モーガン

 モーガンは1938年生まれで、フレディ・ハバードやマッコイ・タイナー、マイク・マイニエリといった人と同年の生まれとなる。これらのメンバーの中でもデビューは最も早く、56年の11月、18歳の時にいきなりリーダー作を録音してデビューしている。1933年生まれのショーターにしてみれば、年齢的には5歳年下、プロ・デビューした時期でいえば3年先輩ということになる。
 と、見てみて意外に思ったのは、モーガンがショーターよりわずか3年早くデビューしていたに過ぎないということだ。そう思ったのは、モーガンはショーターより音楽的に一世代前から活躍していた人という印象があったからだ。モーガンというとハード・バップの人、対してショーターはハード・バップ以後の人というイメージがあるからかもしれない。とはいえ、イメージだけでなくこの3年がかなり重要な意味をもつのも一方では事実だろう。
 というのも、いわゆる伝統的なジャズ・ファンと呼ばれる人にとって、50年代後半の数年間はまさに黄金時代というべき時期で、そういったファンの音楽への興味はほぼこのへんに集中しているからだ。そして、その時期にモーガンはデビュー直後から大活躍し、まさに時の人だった。そのため、単なる3年という数字以上に強く印象づけられているのかもしれない。
(このへん、エルヴィス・プレスリーがあれほど伝説的に騒がれながら、デビューから軍隊へ入るまで活動期間はわずか3年だったという事実も連想させる。もちろんエルヴィスはその後復帰はするが、復帰してもしなくても、エルヴィスの伝説はほぼこの最初の3年だけで充分であった)
 さて、56年の11月にいきなりリーダー作でデビューしたモーガンは、そのまま56年のうちに3作もリーダー作を録音してしまう。いかに期待されたミュージシャンだったかということがわかる。
 この時期の代表作としてはブルーノートの『Lee Morgan, Vol. 2』(56) や "I Remenber Clifford" の入った『Lee Morgan, Vol. 3』(57) 『Candy』(57-8)、非リーダー作ではコルトレーンの『Blue Train』(57) などなど。この時期がモーガンがハード・バッパーとして大活躍していた時期だろう。
 そしてジャズ・メッセンジャーズに入り、『Moanin'』を録音するのは58年の10月であり、以後メッセンジャーズでの活動をとおして、ファンキー・ジャズがモーガンの代名詞のようになっていく。翌59年にはついにショーターがメッセンジャーズに入ってくる。



■リー・モーガンの早熟さ

 初期のモーガンを見るとやはり、わずか18歳でデビューして大活躍するという早熟さが、どうしたって目立つ。アイドル歌手ならともかく、ジャズという音楽を考えたときに、やはり彼の若さは当時も驚異的に受け取られていただろう。
 人によっては、早熟なアーティストというのに特に強い関心を持つ人もいるようだ。十代で才能を発揮して20歳で死んだラディゲに憧れて20歳で夭折したいと願った三島由紀夫などはその一例だろう。しかし、個人的にはそういった早熟さというのに、とくに関心を持つ気はない。
 アーティストとして早熟な人というのはどういう人なのかというと、時代が求める資質と本人の資質がピッタリと合っているような人なのだと思う。つまり、素直に自分がやりたいことをすれば、それが時代が求めているものでもある人。素直に全力で前進しようとすれば、それを時代が歓迎してくれるような人だ。
 そのような幸運はそれほどあるものではない。たいていの場合、才能あるクリエイターは本当に自分がやりたいことを形にすれば世間には評価してもらえず、受け入れられるもの、金になるものを作ろうとすれば、自分がかならずしもやりたくないことをしなければならない……ということのギャップの中で悩むことになる。自分の資質と時代が求めているものとが違えば、当然どのように自分と時代とを折り合いをつけていくかを考えながら進んで行かなければならない。
 つまり、早熟とはあるクリエイターと彼を取り巻く環境との幸運な巡り合わせの産物だということができるだろう。
 例えばランボーが早熟だったのは先にボードレールからヴェルレーヌにいたる象徴主義の環境があり、その環境に中にそれにピッタリ合った才能を持って生まれたからであり、ラディゲが早熟だったのは先にコクトーがいたからだろう。
 つまり、誰かが苦労してレールを敷き終えたときに、たまたまそのレールの上を走る才能を持って生まれあわせたような人……というこではないか。だからこそ何も考えずに他人が敷いたレールの上を爆走できるし、だからこそさほど障害がなく若くして遠くまで到達できる。
 モーガンが早熟だったのは当然、彼が登場した時にハード・バップという環境があり、クリフォード・ブラウンという先人と、その突然の事故死という状況があったからだろう。
 つまり、彼の前にハード・バップというレールが敷かれた時に、たまたまそのハード・バップに合った才能を持って生まれあわせ、クリフォード・ブラウンが夭折し、彼に代わる才能が待たれていたときに、たまたまクリフォード・ブラウンとおなじトランペットという楽器のプレイヤーとして、絶妙のタイミングでデビューできたことがモーガンが若くしてあれほど活躍できた理由だろう。
 先に個人的には早熟さというのにとくに関心を持つ気はないと書いたが、それはそういった生まれ合わせの幸運さ、タイミングの良さというのに、さほどおもしろみを感じないからだ。つまり、たまたま他人がレールを敷き終えたところに登場してそのレールを爆走した人より、道なき原野にあれこれ悩みながらレールを敷いていった人のほうが見ていておもしろいと思う。つまり、ランボーよりもボードレールのほうが、ラディゲよりはコクトーのほうが、深く研究してみるといろいろおもしろそうな気がする。(といっても両方とも読み込んでいるわけではないが)
 それに、そのようなタイミングの良さ=早熟さがはたしてそれほど幸運とばかりいっていいのかというのも、疑問でもある。
 つまり、そのようにあまりにも時代に合った才能を持って生まれるということは、同時にある困難ももっている。時代は変わるものだからだ。
 ある時代にあまりにもピッタリと適応しているということは、次の時代にはそれほど適応していないということである。モーガンやソニー・ロリンズが60年代のぶちあたった壁というのは、そういう壁だろう。つまり50年代にはモーガンは全力で前進しさえすれば、それだけでよかった。しかし、60年代に入って時代が変われば、今度は全力で前進しさえすればいいというわけではない。その新しい時代と折り合いをつけながら進んでいく方法を学ばなければならない。
 ランボーが若くして詩を書くのをやめたのもそれがあるのではないか。ラディゲだって若死にしなければ、どうなっていたかわからない。
 いっぽう、60年代に入ってもマイルスやコルトレーンが好調だった理由もそこにあるだろう。マイルスは40年代に登場し、しかし自分の資質と時代が合わずに、時代と折り合いをつけることを学ばなければならなかった人だ。そうして50年代と折り合いをつけていく作業から、今度は60年代と折り合いをつけていく作業に移ることは、それほど困難ではなかった。30歳まで芽が出なかったコルトレーンも同様だろう。
 そしてショーターもまた、50年代という時代とは資質が合わなかった人である。初期のハードバップ的なセッションでのショーターの浮きかたを見ればそれがわかる。



■リー・モーガンの成熟と夭折

 さて、しかしリー・モーガンという人は早熟の人のなかではめずらしく、時代と折り合いをつけることを学び、それにほぼ成功するところまできていた人だったと思う。
 なぜかというと、近くにショーターがいて、ショーターから何かを学ぶことができたことも大きかったような気がする。モーガンがショーターを意識し、自己のリーダー作でもショーターの曲を演奏し、メッセンジャーズをやめてからも積極的に共演したというのは、そういうことだろう。
 そして60年代後半の低迷期を抜けた『Live at The Lighthouse』(70) 以後のアルバムを聴くと、モーガンがそれらの経験を通して、たんなるショーターの影響ではない、自分独自の何かを掴んでいたような気がする。
 しかし、それが充分に実を結べなかったのは、やはり72年の2月に33歳の若さで射殺されたからだろう。
 日本人のなかには若死にしたミュージシャンが大好きで、そういったミュージシャンをことさら伝説化して高く評価し、健康で長生きしたミュージシャンを無視するような人々が多い。が、そんな気のないぼくとしてはモーガンの死はただただ残念だったと思う。低迷期を抜けだし、これから……という時だっただけになおさらだ。

 いっぽう、マイルス・ファンのなかには、ことさらマイルスを高く評価しようとしてそうするのか、モーガンがもっと長生きしても大したことは出来なかったろうとか、なかにはクリフォード・ブラウンが長生きしても……というようなことを言いだす人がいるようだ。
 そういう意見を読むと考えてみてほしいと思うことは、もしマイルスが彼らの年齢で亡くなっていればどうなっていたかということだ。マイルスが33歳で射殺されたとすると、それは『Kind of Blue』(59) あたりで死去し、その後の作品は無かったということになる。もしマイルスが25歳で事故死したとすると、それは『Dig』(52) あたりで死去し、その後の作品は無かったということになる。
 いったい、マイルスが『Dig』や『Kind of Blue』まで作ったところで世を去っていたら、マイルスがその後あれだけのことをやるミュージシャンであったことを想像できる人がいるだろうか。



■トランペッター、リー・モーガン

 あと、一言だけ。
 60年代のショーター関係のアルバムを、マイルスと共演したもの、モーガンと共演したものを混ぜて漫然と聴いていると思うのだが、単にトランペッター=インプロヴァイザーとして見た場合、マイルスよりモーガンのほうが優れているのではないだろうか。
 ショーターのマイルスとの共演作の後にモーガンとの共演作を聴くと、トランペットが急に天高く羽ばたいて飛翔していくように感じることが多いのだ。あれ、きゅうにトランペットが自由に飛翔しだしたな……と思うと、さっきマイルスとのとの共演作からモーガンとの共演作にCDを取り替えたことに気づいたりする。
 もちろん全体をコントロールし構成的に組み立てていく能力に関してはマイルスのほうが上なのだが、マイルスのトランペットは自分が構成した枠を踏み外さない範囲での優等生的な演奏にとどまり、聴いていると狭い教室に閉じ込められているような気がしてくるのに対し、モーガンのいい意味で不良っぽいトランペットは枠を軽々と飛び越えて飛翔していく。一瞬のインスピレーションがモーガンのほうが上のような気がする。
 それはつまり、演奏全体をコントロールする役割を、モーガンは他人まかせにしていたからこそ可能だったことなのかもしれないが。


05.5.21





   ■アルバム紹介 (今後とも紹介アルバムを追加していくつもりです)


                                                                         
Lee Morgan "Indeed!" 1956.11 (Blue Note)
Lee Morgan "Introducing Lee Morgan" 1956.11 (Savoy)
Lee Morgan "Lee Morgan, Vol. 2" 1956.12 (Blue Note)
Lee Morgan "Lee Morgan, Vol. 3" 1957.3 (Blue Note)
Lee Morgan "City Lights" 1957.8 (Blue Note)
John Coltrane "Blue Train"  1957.9 (Blue Note)
Lee Morgan "The Cooker" 1957.9 (Blue Note)
Lee Morgan "Candy"  1957.11/ 58.2(Blue Note)
Hank Mobley,
Lee Morgan 
"Peckin' Time"  1958.2 (Blue Note)
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Moanin'"  1958.10 (Blue Note)
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Au Club Saint-Germain"  1958.12 (RCA)
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"At the Jazz Corner
of the World, Vol. 1,2"  
1959.4 (Blue Note)
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Africaine" 1959.10 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Au Theatre Das Champs Elysees" 1959.11 (RCA)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Paris Jam Session" 1959.11 (Fontana)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Live in Berlin 1959/1962" 1959 (New Sound Planet)モ★
Lee Morgan "Here's Lee Morgan" 1960.2 (Vee Jay)
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"The Big Beat" 1960.3 (Blue Note)モ★
Lee Morgan "Lee-Way" 1960.4 (Blue Note)
(V.A.)  "The Young Lions" 1960.4 (Vee Jay)モ★
John Coltrane,
Lee Morgan 
"Best of Birdland vol.1" 1960.7 (Roulette)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"A Night in Tunisia" 1960.8 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Like Someone in Love" 1960.8 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Meet You at the
Jazz Corner of the World,Vol.1,2" 
1960.9 (Blue Note)モ★
Lee Morgan "Expoobident" 1960.10 (Vee Jay)
Art Blakey and
the Jazz Messengers
A Day with Art Blakey 19611961.1.2(M & I)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"The Freedom Rider" 1961.2/ 5 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Roots & Herbs" 1961.2/ 5 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"The Witch Dictor" 1961.3 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Art Blakey and
The Jazz Messengers" 
1961.6 (Impulse)モ★
Lee Morgan "Take Twelve" 1962.1 (Original Jazz)
Hank Mobley "No Room For Squares" 1963.10 (Blue Note)
Lee Morgan "The Sidewinder" 1963.12 (Blue Note)
Lee Morgan "Search for the New Land" 1964.2 (Blue Note)モ★
Art Blakey and
The Jazz Messengers 
"Indestructible" 1964.4/ 5 (Blue Note)モ★
Lee Morgan "Tom Cat" 1964.8 (Blue Note)
Lee Morgan "The Rumproller" 1965.4  (Blue Note)
Lee Morgan "The Gigolo" 1965.6/ 7 (Blue Note)モ★
Lee Morgan "Cornbread" 1965.9 (Blue Note)
Lee Morgan "Infinity" 1965.11 (Blue Note)
Lee Morgan "Delightfulee" 1966.4/ 5 (Blue Note)
Lee Morgan "Charisma" 1966.9 (Blue Note)
Lee Morgan "The Rajah" 1966.11 (Blue Note)
Lee Morgan "Sonic Boom" 1967.4 (Blue Note)
Lee Morgan "The Procrastinator" 1967.7 (Blue Note)モ★
Lee Morgan "The Sixth Sense" 1967.11 (Blue Note)
Lee Morgan "Taru" 1968.2 (Blue Note)
Lee Morgan "Caramba!" 1968.5 (Blue Note)
"Lee Morgan- Clifford Jordan Quintet Live in Baltimore 1968" (Blue Note)
Lee Morgan "(Lee Morgan Sextet)" 1969.9/ 10 (Blue Note)
Lee Morgan "Live at the Lighthouse" 1970.7 (Blue Note)
Lee Morgan "Lee Morgan (Last Album)" 1971.9 (Blue Note)
Lee Morgan "We Remember You" 1962/72.1 (Fresh Sound)














  ■Lee Morgan『Complete Introducing Lee Morgan』    (Savoy)

   Lee Morgan (tp) Hank Mobley (ts) Hank Jones (p)
   Doug Watkins (b) Art Taylor (ds)      1956.11.5/ 7

 この時代であってもジャズマンはまずサイドメンとして起用されて様々なレコーディングに参加した後、ようやくリーダー・セッションがもてるというのが一般的だった。しかし、モーガンは1956年の11月4日にブルーノートにいきなりリーダー・アルバムを録音してデビューする(『Lee Morgan Indeed!』)。しかもその翌日5日と7日にはサヴォイ・レーベルに『Introducing Lee Morgan』を録音。しかも約1ヶ月後の12月2日にはブルーノートに『Lee Morgan Vol.2』を録音……と、リーダー・アルバムばかり立て続けに3枚録音するデビューを果たす。これは、クリフォード・ブラウンの急死によって彼にかわるトランペッターが求められていたという理由もあるだろうが、当時のモーガンがいかに期待の新人だったかがわかるエピソードだ。
 さて、そのうちサヴォイの『Introducing Lee Morgan』は正確にいえばリーダー・アルバムではないようだ。ハンク・モブレー・クインテットの『Introducing Lee Morgan』というアルバム……というのが正式なタイトルである。しかし、ジャケットにモーガン一人がトランペットを吹く姿がデカデカと描かれ、「Introducing Lee Morgan」とデカデカと書かれた下に、その10分の1以下の誰にも見えないような小さな字で「Hank Mobley Quintet」と書かれているのだから、当時のサヴォイ・レーベルが実際はどちらを売り出したかったのは一目瞭然だ。モブレーにしてみれば可哀想な話ではあるが、二人はこの後良い共演者になるので、まあ恨んでもいないだろう。
 さて、このアルバムは当時その『Introducing Lee Morgan』と『The Jazz Message of Hank Mobley,Vol.2』に分散されて収録されていた11月5日と7日のモーガンとモブレーの共演セッションを一枚にまとめ、さらにボーナス・トラックを一曲足したコンプリート版だ。
 モーガンの演奏は実に初々しい。もう少し後になると、個性の色の弱いモブレーより、派手なモーガンのほうが目立ってしまうようになるのだが、ここではモブレーの落ち着いた色のほうがリードしているかんじで、そんな押され気味の初々しいモーガンもそれはそれで魅力的だ。バラードでは早くもスケールの大きい、それでいて繊細な、絶妙のフレージングをしていて、才能と実力を見せつけている。





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  ■John Coltrane『Blue Train』    (Blue Note)

   Lee Morgan (tp) Curtis Fuller (tb) John Coltrane (ts)
   Kenny Drew (p) Paul Chambers (b) Philly Joe Jones (ds) 1957.9.15

 56年末の18歳でのデビュー頃からモーガンのトランペッター=インプロヴァイザーとしての演奏を順に聴いていくと、『The Cooker』やコルトレーンの『Blue Train』が録音された57年の9月頃に最初のピークがあるように思う。いわば一瞬の即興演奏に賭ける凄みみたいなもののピークで、まさにノリにノッているといった感じのインスピレーション溢れる演奏がこの頃の特徴だ。しかしこの頃は後にモーガンの代名詞のようになるファンキーなノリはあまり出ていなく、純粋なハード・バッパーとしての演奏だ。
 『The Cooker』の "A Night in Tunisia" など素晴らしい名演だが、50年代ハードバップを代表する超有名盤ということで本作をあげておく。もちろんコルトレーン以下、共演者たちもすごい。





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  ■Lee Morgan『Candy』    (Blue Note)

   Lee Morgan (tp) Sonny Clark (p)
   Doug Watkins (b) Art Taylor (ds) 1957.11.18 / 58.2.2

 どうも50年代のモーガンのリーダー作というのは、モーガンらしさが最も出ている作品というよりは、モーガンの別の面が出ている作品……といった感がある。モーガンというとまず思い出す、ファンキーで不良っぽくギラギラとしたモーガン像は、モーガンのリーダー作を探しても見つからない。
 本作はモーガンというと真っ先に名前が上がる有名盤だが、繊細で愛らしい、むしろ小じんまりとまとまりのいい演奏が聴けるアルバムだ。だからといって否定するわけではまったくなく、逆にこれほど繊細で美しい演奏のできるトランペッターは他にいないのではないかと聴き惚れるばかりの名演である。バラードの "All The Way" など、ずっと聴きつづけていたい美しさだ。
 モーガンとしてはめずらしいワン・ホーン編成であり、ソニー・クラークのピアノも代表的名演だと思う。





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  ■Hank Mobley - Lee Morgan『Peckin' Time』    (Blue Note)

   Lee Morgan (tp) Hank Mobley (ts) Wynton Kelly (p)
   Paul Chambers (b) Charlie Persip (ds)     1958.2.9

 トランペットという楽器本来の音の美しさ……という点でいうならば、モーガンのトランペットの音が最も美しかったのは『Candy』の半分や本作が録音された58年の2月頃ではないかと思う。
 この頃のモーガンのトランペットの響きはほんとうに美しい。銀色に輝く天国のような響きだ。音を聴いているだけでほれぼれとしてしまう。
 しかし美しすぎて、ブルースやファンキーな演奏には向いてない音のような気もする。この後モーガンはメッセンジャーズに参加し、この時期より幾分濁った音でファンキーなスタイルを築いていくが、もしかすると音を濁らせたのは、ファンキーな演奏をするためわざとやったのかもしれない。
 ハンク・モブレーはデビューの頃から共演を繰り返していて息が合っている。ケリー、チェンバースのリズムもいいが、欲をいえばチャーリー・パーシップのドラムはちょっと弱い。ここにフィリー・ジョーが入っていたら……などと思ってしまう。
 しかし、それにしても美しい音だ。この時期マイルスはエフェクターを使ってトランペットの音を人工的に加工していくことを始めるが、マイルスの気持ちもわかる気がする。10歳以上年下のトランペッターにこんな音を出されたら、とても生音では太刀打ちできないと思ったのだろう。





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  ■Art Blakey and The Jazz Messengers『Au Club Saint-Germain』  (RCA)

    Lee Morgan (tp) Benny Golson (ts)
    Bobby Timmons (p) Jymie Merritt (b)
    Art Blakey (ds)         1958.12.21

 1958年の秋にモーガンは、ブルーノートでよく組んでアルバムを作っていたベニー・ゴルソンと共にメッセンジャーズに加入する。当時メッセンジャーズは低迷を続けていた状態だったのだが、モーガンが加入してすぐの10月に録音したブルーノートの『Moanin'』が大ヒットし、一気に復活する。
 モーガンと聞くとすぐファンキー・ジャズと連想する人が多いだろうが、ファンキー・ジャズの代名詞のようなモーガンというイメージは、これ以後の主にメッセンジャーズにおける演奏によって築かれたもので、自分のリーダー作でのモーガンには実はそれほどファンキーな演奏はない。つまりはモーガンはブレイキーによって、そのファンキーな資質を引き出されたというべきだろう。
 さて、その『Moanin'』はファンキー・ジャズの名盤という評価を受けているが、ファンキーなモーガン〜メッセンジャーズの極めつけというべきは、その年の暮れに録音されたこのライヴ盤だろう。ブレイキーの煽りたてるようなドラムを受けて、くねっては突き刺すように進むモーガン、燃え上がるティモンズ、だれも素晴らしく熱い。ジャズが最も熱かった時代を感じさせる。ベニー・ゴルソンのソロは好きにはなれないが、彼は編曲者としてこのバンドを支えていたので、ゆるそう。




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  ■Lee Morgan『Here's Lee Morgan』    (Vee Jay)

   Lee Morgan (tp) Cliff Jordan (ts) Wynton Kelly (p)
   Paul Chambers (b) Art Blakey (ds)     1960.2.3

 モーガンがショーターと出会ってから最初のリーダー作であり、Vee Jay からの最初のリーダー作になる。この時期、ショーターも Vee Jay からリーダー作を出していたわけだが、ショーターと Vee Jay との相性はあまり良くなく、デキはイマイチだった。が、モーガンと Vee Jay の相性は良い。演奏しているのが普通のハードバップだからかもしれない。
 Vee Jay は Blue Note と違って楽器の生音を忠実に録音するレーベルだが、本作でも演奏とともに、より生音に近いモーガンのトランペットの音色そのものも大きな魅力になっている。
 さて、モーガンはショーターと共演歴のあるミュージシャンの中で、最もショーターを意識していた人の一人だろう。メッセンジャーズを離れた後もソロ作で何度も共演。また、自己のソロ作でショーター作の曲を積極的に演奏してきた。このショーターと出会ってから最初のリーダー作でも、はやくもショーターの曲 "Running Brook" をとりあげているし、この後、『Expoobident』(60) 『The Rumproller』(65) 『The Procrastinator』(67)、またモーガン参加のハンク・モブレーのアルバム『A Caddy for Daddy』(65) でもモーガンの発案でショーターの曲をとりあげている。
 ほかにビリー・ホリディの歌唱でも有名なバラード、 "I'm Fool to Want You" など、選曲・演奏の両面でみて、モーガンのハードバップ時代の代表作の一枚といっていいデキではないだろうか。




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  ■Lee Morgan『The Sidewinder』1963 Blue Note

   Lee Morgan (tp) Joe Henderson (ts) Barry Harris (p)
   Bob Cranshaw (b) Billy Higgins (ds)     1963.12.21

 クスリの治療のため2年ばかり休養し、復帰して吹き込んだ最初のリーダー作だ。
 大ヒット作であり、売れすぎたがため(?)に熱心なジャズ・ファンからは軽く見られることも多いアルバムだが、さて、ほんとうのところ、どうなのだろうか。
 個人的にいえば、ビリー・ヒギンズのドラムは嫌いだ。対話をまったく拒否したように最初から最後まで同じペースで叩きつづけるドラムを聴いていると、どうにかドラムの音だけ消せないものかと思ってしまう。
 しかし無骨なジョー・ヘンダーソンとモーガンのフロント・ラインはすごく良い。モーガンはこの時、まだ体調万全ではなかったらしく、音がちょっと悪い。しかしそうであってもファンキーに吹ききる姿勢はなんともカッコイイ。また、ここでのジョーヘンは持ち味の攻撃的な野性味とポップな曲想が調和して、ジョーヘンにしては親しみやすく、かつ魅力的な演奏になっていると思う。さらにバリー・ハリスのピアノも硬派でいい。
 全体としては完璧とはいいがたいが、そう悪くいうほどのものでもないような気がする。けっこうのジョーヘンの入門盤としてもいいのではないか。




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  ■Lee Morgan『Live at the Lighthouse』 1970 Blue Note

   Lee Morgan (tp,flh) Bennie Maupin (fl,b-cl,ts) Harold Mabern,Jr. (p)
   Jymie Merritt (b) Mickey Rocker (ds)   1970.7.10-12

 60年代後半の数年間、モーガンは低迷していた感がある。時代の求めるものと、自分の方向性とをどう折り合いをつけていいかわからず、迷っていたような印象だ。とはいえ、それはスタジオ盤だけでの話で、例えば『Lee Morgan-Clifford Jordan Quintet Live in Baltimore 1968』(Fresh Sound) におけるライヴ演奏を聴くと、あいかわらずモーガンはステージ上では絶好調の演奏を繰り広げていたことがわかる。しかしそれは以前通りのハード・バップ〜ファンキー・ジャズのスタイルで熱演しているというだけの話であり、つまり「何も考えないで、今までどおりにやれば、名演ができる」ということの証明でしかなく、当時の迷いに何らかの回答を見出した様子ではなかった。
 しかし、そのモーガンが低迷期を通り抜け、ついに何かを掴んだ……という感触を感じさせるのが、このライヴだ。
 もともとはLP2枚組で4曲がリリースされ、CDでは実に2倍の8曲がプラスされて全12曲入りの3枚組CDボックスとしてリリースされている。
 タイトルどおり70年のライトハウスでのライヴ演奏を収録したものだが、前記のこの2年前の『Live in Baltimore 1968』と比べるとスタイルがまったく変わっている。楽器編成こそ普通のアコースティック・ジャズと同じだが、リズムやフィーリングが、何といったらいいのか、これまでと違ったものになっている。そしてこの後の『Lee Morgan (Last Album)』(71) もエレクトリック楽器を使用してはいても、スタイル自体はこれを引き継いでいる。
 ただ、正直いうと、ぼくはどうもこのベニー・モーピンというサックス・プレイヤーがあまり好きになれない。もし、もう少し早くモーガン・バンドのサックス奏者がビリー・ハーパーに変わっていて、ここで演奏しているのがハーパーだったら、どんなにうれしいか知れないとも思ってしまうのも事実なのだが。まあ、これは単なるぼくの好みかもしれないが。




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  ■Lee Morgan『Lee Morgan (Last Album)』 Blue Note

   Lee Morgan (tp,flh) Billy Harper (ts,fl) Harold Mabern,Jr. (p,elp)
   Jymmie Merritt, Reggie Workman (b) Freddie Waits (ds,recorder)
   Bobbi Humphrey (fl) Grachan Moncur III (tb)    1971.9.17-18

 LP2枚組の大作で、CDでは1枚におさまっている。名前がそのままタイトルになっているのはモーガンの復活作とする意図があったように思うが、不慮の死により最後のスタジオ盤になってしまった。
 当時のモーガンのレギュラー・クインテットに、アンサンブル要員の2管とベースを足した8人編成による演奏である。メンバーを増やしLP2枚組にしたのは、マイルスの『Bitches Brew』(69) へ対抗するような制作者の意向だったのかもしれなし、エレピを使い、ベースをエレキとアコースティックのツイン・ベースにしてリズム・セクションの編成・サウンドを工夫しているのもマイルスの影響かもしれない。しかし、モーガンが作り出そうとしたサウンド、スタイルはマイルスとはまったく別のものだったといえる。
 それは本作の "In What Direction are You Headed?" や "Croquet Ballet" あるいはスタジオ録音できないまま終わった "I Remember Britt" などが特徴的なように、生理的に受け入れやすい快適なリズム、サウンドと、緊張感溢れるジャズ的な即興演奏を融合させるスタイルだ。
 ご存知のように72年にチック・コリアの『Return to Forever』が大ヒットすることによりジャズ/フュージョンのシーンの空気は一気に変わってしまうのだが、このような快適なリズム、サウンドとジャズ的演奏の融合というスタイルはその『Return to Forever』(72) やショーターの『Native Dancer』(74)、ウェザーリポートの『Tales Spinnin'』(75) 『Black Marcket』『Heavy Weather』(76) などが追求した路線である。
 モーガンが方向性を見失い低迷していたのは60年代後半から71年までの、つまり72年に一気にガラッと変わってしまう以前のシーンだった。つまり、モーガンは72年以後のシーンでこそ生きる個性であり、これからモーガンの時代が始まるところだったのだ。そのモーガンがついに自分の道を見つけ、そして時代のほうもモーガンの方へ向いてきた72年の2月に射殺されてしまったのは何とも皮肉であり、残念としか言いようがない。
 本作がどのような評価を受けているのかよく知らないが、モーガンの最高傑作とあげてもいいような傑作だと思う。個人的には冒頭の "Capra Black" の頭の分厚いアンサンブルが好みじゃなくて、2曲めから聴いてしまうことが多いのだが、これは単なるぼくの好みの問題だろう。ほかはサウンド、方法、そしてモーガンの演奏も決まりまくっていると思う。




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■Lee Morgan『We Remember You』    (Fresh Sound)     Lee Morgan (tp) Jimmy Heath (ts) Barry Harris (p)
    Spanky DeBrest (b) Albert Heath (ds)     1962.11.17

    Lee Morgan (tp) Billy Harper (ts) Harold Mabern (p)
    Jymie Merritt (b) Freddie Waits (ds)     1972.1.28

 モーガンの死後発掘されたライヴ音源であり、1962年と1972年の、2つの録音が収録されている。やはり注目されるのは、モーガン最後期にあたる1972年の3曲だ。
 ブルーノートの『Lee Morgan』(71) はレギュラー・クインテットに臨時参加メンバー3人を加えた8人編成の大所帯だった。それはそれでわるいとはいわない。しかし、当時のビリー・ハーパー入りのレギュラー・クインテットでの演奏を、やはり聴きたいと思ったとき、知ってる限りでは本作ぐらいしかないのではないか。個人的にベニー・モーピンがあまり好きでない事もあり、モーガンの晩年のレギュラー・バンドではサックスがビリー・ハーパーに変わったこのバンドのほうがずっと好きだ。
 その72年のライヴ音源は3曲、合計20分強の分量に過ぎなくて残念なのだが、しかし音質も選曲も良く、これだけでも充分満足できる内容だ。
 まず "I Remember Britt" の演奏が嬉しい。これは結局スタジオで録音しないまま終わってしまった曲だが、ここでクインテットでの演奏が聴けるのが何より貴重だ。そして『Lee Morgan』に入っていた "Angela" と、やはり最後はこれの "The Sidewinder" となる。どこかでこのグループのライヴ音源が発掘されないものかと願っているのだが、とりあえずこの音源が発掘されたことを最大限によろこびたい。大好きなアルバムだ。


05.11.27


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