ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1965年


   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Miles Davis "E.S.P."      (Columbia)
   マイルス・デイヴィス『E.S.P.』


01、E.S.P.
02、81
03、Little One
04、R.J.
05、Agitation 
06、Iris 
07、Mood

    Wayne Shorter (ts) Miles Davis (tp)
    Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
    Tony Williams (ds)      65.1.21/22


 ショーターが参加し、いままでライヴ・アルバムを作り続けていたマイルスはさっそくスタジオに入る。これがショーターがマイルス・バンドに入って最初のスタジオ・テイクのアルバム。

 さて、黄金クインテットというのは伝説化してしまっていて、ジャズの全てを変えてしまったとか、アコースティック・ジャズの最高峰だとかと本気で書いたりしてるのを見かけることがあるが、それはつまり「伝説」である。
 もちろん『Sorcerer』『Nefertiti』の時期の黄金クインテットはまさに完璧というべき完成度に達していたバンドだったが、この二枚が録音される以前の、つまり64年の結成から66年までの黄金クインテットは、同時期の他の新主流派、例えばショーターのリーダー作と比べると、どこか古めかしい、まだ50年代を引きずった演奏をしていたのが実状である。だからこそ一般大衆にも親しみやすかったのだが。
 例えば64年4月の『Night Dreamer』や64年12月の『Speak No Evel』の先鋭性に比べて、65年1月録音の本作にはまだマイルスの『Someday My Prince Will Come』(61) あたりのほのぼのとした響きが残っている。65年10月の『The All Seeing Eye』や66年2月の『Adam's Apple』に比べると、66年10月の『Miles Smiles』はもっと古き良きジャズの要素を残してる。
 どこが違うのかというと、マイルスだと思う。つまり『Miles Smiles』までの黄金クインテットではまだマイルスが古い演奏スタイルから抜け出してなく、また、新主流派的方向性とは別の方向にバンドを持っていこうとしていた。そのマイルスの方向性の違いが音楽にブレーキをかけてしまっていたのだ。
 『Sorcerer』『Nefertiti』の頃になるとマイルスはショーターに好きなようにやらせることにし(曲も1曲も書いてない)、演奏スタイルもショーター流に合わせて改めた。それによって黄金クインテットがショーターの方向性で揃い、完璧なクインテットが出現したのである。
 しかしこの完璧さはどこか人を寄せ付けないような鋭さのある完璧さだった。つまり一般受けはせず、売れなかった。
 そこでマイルスが再び主導権を奪いかえしてテコ入れを始めたのが『Miles in the Sky』以後といえるだろう。

 と、いうわけで本作は、後の『Sorcerer』『Nefertiti』(67) の研ぎ澄まされた世界を知ってしまった耳で聴くと、この頃はまだけっこうほのぼのとした雰囲気が残ってたんだな、という気がしてしまう。少なくとも『Night Dreamer』(64) より昔のアルバムに聴こえる。
 といっても、ハンコックのバッキングはもうゴツンッとくる斬新な響きだし、トニーのドラムも疾走感がある。ロンのベースもぐいんぐいんくる。ショーターのサックスにいたっては、どこかシュールな響きさえ出てきた。
 ところでこの後マイルスは健康を害して療養生活に入るのだが、この時点でも健康状態が思わしくなかったのかもしれない。どうも元気がない。
 マイルスはいつもテーマ部と第一ソロという一番目立つ部分を自分が演奏することにこだわるミュージシャンなのだが、本作では冒頭の"E.S.P."ではショーターに先にソロをとらせるし、"R.J."はショーターのソロからはじまり、"Agitation"はトニーのソロから始まる。"Iris"はテーマ部からショーターひとりでの演奏……と、マイルスの影が薄い。
  
 本作はトニーのドラムの疾走感が気持ちいい"E.S.P."で始まる。このトニーのドラムがこの新バンドの「売り」ということだろう。本作ではこの後"R.J."、"Agitation"が、やはりトニーのドラムの疾走感を生かしたタイプの曲となる。なかではテーマを単純にし、フリー・ブローイングに近いアプローチをした"Agitation"が新しい試みだということだが、この時期ならフリージャズ派ではとっくにやってたんじゃないかと思うんだが、どうなんだろう。(フリージャズにはあまり詳しくない)
 つづく"81"は、エイト・ビート。"Watermelon Man"以来のハンコックの得意パターンなんで、てっきりハンコックの曲かと思っていたが、クレジットを見たらマイルスとロンの共作だった。ここでのショーターのソロがいい。
 "Little One"はハンコック作の不思議な雰囲気のバラード・ナンバー。ハンコックとショーターの相性の良さがうかがえる。
 ラストの2曲がぐっと深くなり、個人的には本作ではここが一番好きだ。
 ショーター作のバラード、"Iris"はショーターがテーマから黒々とした、やるせないような世界を描き出す。続くマイルスのトランペットの音がなさけない。調子が外れてる部分もあるし、やはり元気がない。その後にまたショーターのソロに移って一安心。
 続く"Mood"もバラードで、今度はマイルスもいいソロをとる。そのマイルスが吹く後ろで、ショーターがサックスでバッキングをつけだし、マイルスが吹き終わると同時に、さらに一段高い次元でショーターが吹きはじめる。ゾクゾクする……。

 全体的に見ると、個人的には何故かメッセンシャーズの『Buhaina's Delight』(61)とイメージがダブる。もちろんメンバーの個性は違うのだが、なんとなく雰囲気が似ている気がするのだ。
 『Buhaina's Delight』もメッセンジャーズにハバートとシダー・ウォルトンが入ってすぐのアルバムだった。新しいメンバーと少しづつ形を作っていこうとする感じなんだろうか。


03.3.29


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

  Wayne Shorter "The Soothsayer"       (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『スースセイヤー(予言者)』


01、Lost
02、Angola
03、(Angola (alt.take) )
04、The Big Push
05、The Soothsayer
06、Lady Day  
07、Valse Triste

    Wayne Shorter (ts) Freddie Hubbard (tp)
    James Spaulding (as) McCoy Tyner (p)
    Ron Carter (b) Tony Williams (ds)    1965.3.4


 65年もショーターは前年に引き続いて3作のソロ作を録音する。64年のソロ作が持ってる力をストレートに出した、直線的・構築的に完成された演奏だったのに対し、65年のものは曲線的で形を崩した、完成を通り越して爛熟し、退廃的、技巧的複雑さへと向かう、美術様式でいけば古典期の後にくるマニエリスム期の美術のような味わいがある。そのため64年のものと比べると、少しとっつきにくいかもしれない。本作、そして次作の『Etcetera』が当初オクラ入りしたのもそのせいかもしれない。が、感覚的にわかってしまえば、さほど難解というほどのものでもないと思う。

 本作は当時の、いわゆる新主流派を代表する傑作の一つだ。ホーンはジェームズ・スポールディングのアルトを加えて、3管となっている。
 64年には2管編成で『Night Dreamer』、『Speak No Evel』という名作中の名作を作ったショーターは、しかしマイルス・バンドで『E.S.P.』(65)を録音した後、2管編成でのソロ作を作らなくなる。それは、どうやらマイルス・バンドでも好きなようにやらせてもらえそうなので、2管でやりたいことはマイルス・バンドで、マイルス・バンドでできないことをソロ作でやろうと考えたからではないか。
 ということで、これ以後のショーターのソロ作はワンホーンか、3管以上の編成に分かれるが、ワンホーンによるアルバムはインプロヴァイザーとしてのショーターをより強く押し出し、70年代以後のワンホーンによる集団即興演奏へと続いていく方向性が見え、3、4管による大型コンボによるアルバムは、より編曲重視の方向性が見える。
 マイルス・バンドでできないことをの考えはバンドのメンバーの選択にも反映されている。前作『Speak No Evil』(64)ではハンコック、ロンは参加してもドラムスはエルヴィンのまま。そしてトニーが参加した本作ではピアノをマッコイに戻して、リズム・セクションがマイルス・バンドと重ならないようにしている。
 当時のマイルス・バンド、いわゆる黄金クインテットは実質的にはショーター=トニーの双頭クインテットというべきバンドだが、本作ではそのショーター、トニーが揃ったことで、比較的マイルス・バンドのサウンドに近いものとなっているように感じる。
 しかし『E.S.P.』のわずか1ヶ月ほど後とは思えないほどの先鋭的で完成されたサウンドだ。まだ50年代ほのぼのジャズの尻尾をつけている感じの『E.S.P.』に比べ、本作は新時代の音になっている。ショーター、トニーは『E.S.P.』より1ランク高いレベルで息を合わせているように感じる。
 けれど、このマイルス・バンドとの音の近さがおもしろくないと思ったのか、あるいはジョー・チェンバースという素晴らしいドラマーと出会ったためか、ショーターはこの後のソロ作ではトニーを使わなくなる。
 また、ショーター作品には初参加となるスポールディングのアルトが全編を通してすごくいい。この人の演奏はショーターの音楽には実によくハマる。サックスとフルートの二刀流の人だが、個人的にはアルト・サックスの音色が気にいっている。本作ではそのアルトだけで通している。

 曲を見ていこう。
 まず冒頭の"Lost"。ショーターが得意とするワルツだが、これまでのショーター作品にはなかったような優雅さのある曲調で、いきなり絢爛たる華麗な世界につれていかれてしまう。ソロに入ると、トニーのドラムをバックにしたソロは、これまでになく内省的で、孤独な印象を感じる。なんだか誰もいない夜中の舗道を、コツコツ靴音をたてながら独りで歩いているような気分。同じ3管でもメッセンジャーズ時代の編曲とはかなり根本的に異なっている。
 ところで本作は録音当時オクラ入りされ、後に発掘されてその完成度の高さに、なぜリアルタイムでリリースされなかったのか驚かれたアルバムだが、そのためかライナーノーツにショーターのインタヴューがなく、ショーターがそれぞれの曲をどんなイメージで作ったかという情報がない。
 『予言者』というアルバム・タイトルや、この"Lost"、"The Big Push"、あるいは"Angola"という曲名はなんだか深い意味があるようにも思えるのだが、そのへんのところがわからないのが残念だ。ショーター以外のミュージシャンなら、実にいい加減な理由でタイトルを決めている場合が多いのだが、ショーターの場合だけは、タイトル以上の奇妙なイメージを込めているのだ。
 続いて2曲目の"Angola"。これは3管メッセンジャーズ時代を思わせるテーマだ。本作では他に"The Soothsayer"にもメッセンジャーズ時代の影を感じる。しかし、ブレイキーではなくトニーがドラムを叩くと、ずっと内省的な雰囲気にかわる。個人的にはこの曲、ボーナス・トラックの別テイクのショーターのソロのほうが気に入っている。
 "The Big Push"も出だしのあたり、ブレイキーが派手に叩いたらメッセンジャーズっぽくなっていたかもしれない。ソロに入ってからのショーターのゆらゆら漂うような吹き方が好きだ。
 "The Soothsayer"はこれも初期のショーターが得意とした、人を食ったような曲想だ。ソロに入るとマイルス・バンドのフリー・ブローイングっぽい曲と似た印象になる。
 "Lady Day"はいつも素晴らしいショーターのバラード・ナンバー。レスター・ヤング、バド・パウエルに続いて、トリビュート・シリーズ3作目といったところか。いちおう書いておくが、レディ・デイとはもちろんビリー・ホリデイのこと。この曲は後にスタン・ゲッツが愛奏曲としていたようで、何種類も録音が残っている。
 ラストの"Valse Triste"は再びワルツ。本作の中では唯一ショーター作ではない曲で、クラシックの作曲家、シベリウスの作だ。よく見つけてきたと思うショーター的な名曲だ。いきなりショーターのソロからはじまり、アンサンブルがアクセントをつけていく編曲も決まっている(アレンジはショーター)。大好きな演奏だ。
 ショーターもこの曲は気に入っているようで、『Footprints Live』(2001)でも演奏している。そういえば冒頭の"Lost"もウェザーリポートの『Live in Tokyo』(72)で演奏されており、リリース順からすれば、そっちが先にリリースした。


03.6.17


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayne Shorter "Etcetera"   (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『エトセトラ』


01、Etcetera 
02、Penelope
03、Toy Tune
04、Barracudas (General Assembly)
05、Indian Song

    Wayne Shorter (ts) Herbie Hancock (p)
    Cecil McBee (b) Joe Chambers (ds)    1965,6,14


 前年の『JuJu』以来のワン・ホーン作だ。しかしその『JuJu』とは大分様子が変わっている。一口に言えば、抑制のきいた、醒めた演奏になっている。
 ショーターには常にシーンの最先端にいながら流行に逆行する、という奇妙な面があるが、これもその一例だ。当時、フリーが流行し、熱く激しい演奏が流行ってる中で、ショーターはむしろ激しさを抑え、あくまで熱くならない、醒めた演奏を指向していく。その様は『JuJu』(64)、本作、『Adam's Apple』(66)と続くワン・ホーン作を聴き比べていくと明瞭だろう。
 中でも本作は空虚さ、なんとも心の置き所がないような醒めきった、しらけた空気を強烈に発散している。本作を聴いていてぼくがイメージするのは、他に人間が誰もいない廃墟の町の、だだっ広い荒れ果てた広間でバンドが演奏しているような光景だ。
 なんでこんな風になったんだろう。60年代半ばの熱狂する時代のなかで、ショーターだけは熱狂を通りこして白けている。あきらかに異様だ。
 また、ドラムスでジョー・チェンバースが参加。すでに見事に息の合った、素晴らしいドラミングをみせている。このハンコック+チェンバースのリズム・セクションがこの後『Schizophrenia』(67)まで、伝統的ジャズ・フォーマットでのショーターのソロ作全作のリズム・セクションを支えていくことになる。
 いろいろな意味で、この後数年のショーターの音楽の基本路線みたいなものを明確に示した作品といっていいかもしれない。

 収録曲を見ていってみよう。
 本作は何といってもラストの"Indian Song"だ。
 この曲は広大な大地を想わせる。ベースが遠くから聴こえてくるドラムのようにリズムを刻み、ピアノが周囲を覆う不思議な大気を演出する。その中をショーターのサックスとチェンバースのドラムが、異国的な哀切きわまる旋律を物語っていく。とくに後半、両者の対話が高まっていく様が凄い。
 この曲は後に"Shere Khan the Tiger"となって蘇ったが、むしろ別の曲といったほうがいい。
 冒頭に戻って、"Etcetera"。ふつうに演奏すればポップになりそうな曲調と、空虚でしらけきった演奏とのミスマッチ感がいい。
 つづく"Penelope"はいつもすばらしいショーターのバラード。今回はそのメロディも空虚な広間や誰もいない廊下をただよっていくよう。
 "Toy Tune"。タイトル通り楽しげなメロディだが、演奏はまったく楽しくない表情。虚しさのなかに沈んでいく。
 "Barracudas"は本作の中で唯一ショーター作でなく、ギル・エヴァンス作。『The Individualisum of Gil Evans』(64)の"Time of the Barracudas"と同じ曲だ。ここでもショーターの醒めきって、くねるようにメロディをつむいでいくサックスが素晴らしい。
 この空虚さをどうしたらいいんだ……


03.3.4


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Lee Morgan "The Gigolo"    (Blue Note)
   リー・モーガン『ザ・ジゴロ』


01、Yes I Can, No You Can't
02、Trapped
03、Speedball
04、The Gigolo
05、The Gigolo (alt.take)     (bonus track)
06、You Go to My Head

    Lee Morgan (tp) Wayne Shorter (ts) Horold Mabern,Jr. (p)
    Bob Cranshow (b) Billy Higgins (ds)   1965,6,25/7,1


 名曲"Speedball"で有名なアルバム。『Serch for the New Land』(64)に続くモーガンのソロ作への参加で、ラスト一曲を除く全てがモーガンのオリジナルだ。
 しかし、これは『Serch for the New Land』の延長線上というべき内容ではない。個々の曲はむしろ『サイドワインダー』(64)の路線。8ビートやファンキー色の強い曲中心で、編曲は最小限におさえ、ひたすらモーガンとショーターがブロー合戦することを狙った内容である。
 つまり、『Serch for the New Land』ではショーター色が出すぎた感があるモーガン、今度は自分の得意なフィールドにショーターを誘い込んで、存分にバトルを繰り広げようとしたのが本作ではないか。モーガンは50年代にはグリフィンの『A Blowing Session』(57)を始めとするこの手のブロー合戦で腕を磨いてきた剛の者である。
 しかし、結果からいうと、ショーター相手だとバトルにはならない。いつものように直線的に切り込んでいくモーガンに対して、ショーターの演奏は何とも正体不明で、ぐらぐらと動き回り、重力が奇妙に歪んだ空間へと引き込んでいくよう。正面から切り合うつもりが、ショーターがどこにいるのか実体がつかめてないようなモーガンである。
 けっきょく個々の曲を成立させているのはモーガンだと思う。モーガンが鋭く切り込んでくれなかったら、どの曲も締まらない感じだったろう。しかし、全体を聴き通すと、ショーターの異様なイマジネーションのほうがボディー・ブローのように効いてきて、音楽全体を覆ってくる。それぞれの戦闘では勝ったが、全体の戦局で負けた……といったかんじのモーガンだ。

 1曲めの"Yes I Can, No You Can't"は8ビートのナンバー。『サイドワインダー』以後、モーガンのアルバムの1曲めは8ビートであることが多くなった。求められていたモーガン像だったんだろう。
 続く"Trapped"はテーマ部でもショーターの吹く装飾音的なフレーズが効いている。続く"Speedball"のテーマも、メロディのラストでショーターがメロディを微妙にズラす所が良く、このへんショーターのアドリブなんだろうか。それとも作曲者モーガンがそこまで指定していたんだろうか。
 "The Gigolo"は華やかで哀しいモーガンのトランペットが輝く曲。
 ラストの"You Go to My Head"だけがバラードで、ブローイング合戦の後の休息という感じか。全体通しで聴くとこの曲でのショーターのソロがなぜか印象深い。

 全体としてリズム・セクションの単調さは否めないが(とくにヒギンズ)、やはり主役二人の水際立ったプレイはいつ聴いても爽快だ。



03.3.27


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayne Shorter "Live at Village Vanguard 1965"     
   ウェイン・ショーター『ライヴ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード1965』


01、Eye of the Hurricane
02、Just in Time
03、Oriental Folk Song
04、Virgo
05、In Your Own Sweet Way 〜 Closing Theme

    Wayne Shorter (ts,ss) Herbie Hancock (p)
    Art Davis (b) Tony Williams (ds)   1965.8.1


 ものの本によると、マイルス・バンドにハンコック〜ロン〜トニーが揃ったあたりからマイルスの体調はすぐれなくなり、65年に入るとついに長期休養に入る。それらの期間、マイルス・バンドはマイルス抜きのカルテットでステージに上がる機会が多かったらしい。
 そしてマイルス抜きでステージに上がった時のハンコック〜ロン〜トニーの三人はフリーがかった凄い演奏をしていたらしい。当時マイルス・バンドのサックス奏者だったジョージ・コールマンは「あの三人はあんた(マイルス)がいないと、とんでもない演奏をする。とてもついていけない」といってバンドをやめている。
 しかしいままで、ではそのときこの三人がどんな演奏をしていたのか、聴くことはできなかった。
 しかしこのブートレグで、ついにジョージ・コールマンがいっていた「とんでもない演奏」、マイルス抜きのマイルス・バンド(なぜかベースがロンではなくアート・デイヴィスだが)が、ショーターをフロントにした願ってもない編成で聴けるようになった。
 さて、これは65年のマイルス休養中のマイルス抜きのマイルス・バンドがヴィレッジ・バンガードに出演した模様がであり。演奏は全体で46分ほどで、音質は残念ながら良いわけではないが、めちゃくちゃ悪いわけでもない。貴重な録音だと思えば充分聴ける程度。

 内容ははっきりいって、重石であったマイルスがいなくなるとここまで行くか……という演奏だ。
 まずトニーの凶暴なまでのドラムが凄い。マイルスがいるときは加減して叩いてたんだな、というのがよくわかる。『Fore & More』(64) なんて目じゃないといった怒涛のようなドラミングだ。
 しかし、そのトニーに他の共演者がやはりパワーで対抗したら、単なる阿鼻叫喚の大騒ぎ大会になってしまう(じっさい後のトニーの『Emergency!』(69) などはその感がないではない)。しかしここではショーターがそれをあくまでクールに音楽的に受けとめ、ハンコックがすかさずその間に入って、トニーをパワーばかりのから回りに終わらせず、知的にぐんぐん前進していく力へ変えていく。逆にいえば、ショーターの先鋭的でクールな音楽にトニーが凶暴なまでのパワーを与えている演奏だ。
 また、選曲もおもしろい。この前後のマイルス・バンドが商業性を考えてライヴでは有名スタンダードばかり演奏していたのに対して、ここではオリジナル中心。観客への遠慮なしだ。
 このバンド、商業的な面も含めた目くばりの良さではマイルスがいる時のほうが上だが、それを考えなければ、音楽自体の先鋭的な凄みの点では、マイルス・バンド史上最高といわれる黄金クインテットは、実はマイルス抜きのカルテットでの演奏の時のほうが上だったとわかる。このバンドにとってマイルスは有能なリーダーであると同時に足枷でもあったのだと思う。
 しかし、そのマイルスの力をもってしても、セールス的にはまったくふるわなかったというこの時期のマイルス・バンド、マイルスがいないこのメンバーだけでやってたら、もっと売れなかったことだろう。


04.10.15


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Tony Williams "Spring"        (Blue Note)
   トニー・ウィリアムス『スプリング』


01、Extras
02、Echo   
03、From Before
04、Love Song   
05、Tee

    Wayne Shorter, Sam Rivers (ts)
    Herbie Hancock (p) Gary Peacock (p)
    Tony Williams (ds)       1965.8.12


 トニー・ウィリアムス、19歳にして二作めのリーダー作だ。
 知ってる人はとっくに知っているだろうが、60年代のトニーはかなりフリージャズ指向の強い人だった。本作もそんなトニーのフリージャズへの傾倒が強く出た作品で、ショーターの参加作としてはグレシャン・モンカーの『Some Other Stuff』(64) と並んで、もっともフリージャズに近づいた作品だろう。
 メンバーはリーダーのトニーの他、ショーター、ハンコックが普段はマイルス・バンドでモード・ジャズをやっている同僚。そしてトニーの恩師のサム・リヴァースと、現在ではキース・ジャレットのスタンダーズの人というイメージの強いゲイリー・ピーコックが、この頃はフリージャズの人である。

 "Extras" はピアノレスのカルテット。この曲はトニーはもちろんだが、ピーコックのベースがすごくいい。個人的には、本作にいつもの演奏とは違った価値を与えているのは、ピーコックの存在だと思う。このリズム隊の好演が、いやが上にも緊張感を高めて、ショーター、リヴァースとも迫真のソロが続く。こういうのをサックス・バトルというのだろうが、ぐねぐねとのたうち回るリヴァースに対し、ショーターは颯爽とした印象がある。
 つづく "Echo" はドラム・ソロで、"From Before" で初めてハンコックが入って5人全員の演奏になるが、この曲はピアノが主役で、サックスの二人は添え物的なかんじ。
 つづく"Love Song"はショーターが抜けて、リヴァースのワンホーン・カルテットとなる。この曲でのハンコックのソロは本作中でも聴きどころだ。
 ラストの" Tee" がまた5人全員の演奏だが、ほとんどショーターのソロ中心で、 "Extras" とならぶ本作でのショーターの聴きどころだ。

 全体的に、方向性からいえば合っているはずのリヴァースの演奏が、可もなし不可もなしといった程度で、必ずしも方向性の合ってないはずのハンコックやショーターの演奏のほうが緊迫した名演になってる気がする。


03.11.14


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayane Shorter "The All Seeing Eye"   (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『オール・シーイング・アイ』


01、The All Seeing Eye 
02、Genesis
03、Chaos 
04、Face of the Deep 
05、Mephistopheles

    Freddie Hubbard (tp & flh) Alan Shorter (flh-5)
    Grachan Moncur III (trombone)  James Spaulding (as)
    Wayane Shorter (ts) Herbie Hancock (p)
    Ron Carter (b) Joe Chambers (ds)    1965,10,15


 ダークな混沌の空気に包まれたコンセプト・アルバムで、この時期のショーターのイマジネーションの頂点を示す壮大な傑作だ。しかしショーター初心者には決しておすすめできないものなので、手を出さないように。
 ショーターという人の特徴は音楽の向こうにイマジネーションが満ち溢れており、それが音楽的イマジネーションだけでなく、映像的、物語的、その他のイマジネーションも多量に含んでいることである。そのため音楽以外のイマジネーションが例えば曲名となってあらわれたり、音楽の背景となるコンセプトとなってあらわれたりする。しかし、それぞれのイマジネーションが別個に存在するわけでもなく、連動しているものだから、ショーターのアルバムのうち特に音楽的イマジネーションが豊かな作品は、音楽以外のイマジネーションも豊かである。
 その意味でいって、やはり本作は『Night Dreamer』以後のショーターのイマジネーションがついに第一のピークにさしかかったという意味で大傑作というべきだろう。しかしあまりに高度なイマジネーションに満ちているために、なかなか近づきがたい作品でもある。一度挑戦してダメだったとしても、再度、再々度聴いてみてほしい。

 さて、ショーターのコンセプト・アルバムの特色はコンセプトが音楽の自由さを阻害することなく純粋に音楽として楽しめる作品になっており、音楽がコンセプトを説明するための副次的なものになってしまうような失敗は犯さない点にある。本作もその例に漏れず、純粋に音楽としても楽しめるものだが、本作に関してはショーターのコンセプトきちんとを理解して聴くことをおすすめする。そのほうが何倍も楽しめる作品といえるだろう。
 本作のコンセプトはアルバムのライナーノーツにかなり丁寧に書かれているので詳細はそちらにゆずりたい。大意を説明すると、冒頭の「The All Seeing Eye(あらゆるものを見通す眼)」は虚無の空間の中にあらゆるものを見通す眼(=神)が存在し、世界の「創造」の行いを始める……という内容。2曲めの「Genesis(創世記)」はあらゆる生命が創造されていく様子、3曲めの「Chaos(混沌)」は以上の神による創造に対して人間がもたらした混沌、そして4曲めの「Face of the Deep(深淵の顔)」は、そのような「混沌」に対立するかたちで神がもたらす希望に満ちた平和……。最後の「Mephistopheles(メフィストフェレス)」は神による創世の前から存在し、数多くの惑星を旅してきた「悪魔」……という内容。
 旧約聖書的といいたくなるような壮大なスケールの世界だが、神の創世とは別に悪魔がもとから存在するという考え方はユダヤ・キリスト教の考え方と異なり、むしろゾロアスター教に近いのではないか。あるいはアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』のイメージが念頭にあったのかもしれない。
 ところで、個人的にはこのような壮大なスケールのコンセプト・アルバムがそれほど違和感なく聴けたのは、この後にくるプログレッシヴ・ロックのコンセプト・アルバムのほうを先に知っていたからだ。実際、作品を包むダークな雰囲気やSF的幻想性など、本作はある程度プログレと共通しているところがある。
 しかし、プログレとは60年代末から70年代前半にかけてイギリスを中心としたヨーロッパで主に発達したロックのサブ・ジャンルであり、コンセプトの壮大さも数多くのバンド、ミュージシャンが寄ってたかって競い合って築き上げていったものだ。
 65年の時点で、アメリカで、ジャズという分野で、一人でこんなことをやっていたショーターという人は、やはりとんでもなく特異な存在だったような気がする。

 メンバーは上記のように4〜5管の大編成だが、これはアンサンブルを増加し複雑な編曲をつけるためであり、各曲で全員がソロをとるわけではない。
 音楽は先述のコンセプトにそって展開していくので、テーマ〜各演奏者のソロ……といった従来のジャズの定型から外れ、各曲ともかなり自由な構成になっている。ウェザーリポートのアルバムでショーターはこのような物語的に展開するように編曲した音楽を「音楽的冒険物語」と表現しているが、本作はそんな70年代半ば以後のウェザーリポートや、あるいは『Atlantis』(85) の先駆的な意味もあるし、もっと近くでは『Super Nova』(69) の世界に連なっていく作品のように見える。

 あと特筆すべきはラストの "Mephistopheles" で、この曲だけウェイン・ショーターの作曲ではなく、ウェインの実兄のアラン・ショーターの曲で、演奏にもアランが参加している。おそらく録音されているものとしては、兄弟の共演はこの曲だけではないかと思う。トランペッターであるアランはフリージャズのジャンルで活躍した人らしく、リーダー・アルバムもあるらしいが、ついぞ見かけない。弟と比べてかなり地味な音楽生活をおくった人らしい。しかしこの曲のなんとも奇妙な曲想はかなりおもしろくて、本作のなかでも聴きどころとなっている。


03.12.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Miles Davis "Complete Live at The Plugged Nickel"    (Columbia)
   マイルス・デイヴィス『コンプリート・ライヴ・アット・プラグド・ニッケル』


「disc-1」
01、If I Were a Bell
02、Stella by Starlight
03、Walkin'
04、I Fall in Love Too Easily
05、The Theme

「disc-2」
06、My Funny Valentine
07、Four
08、When I Fall in Love

「disc-3」
09、Agitation
10、'Round About Midnight
11、Milestones
12、The Theme

「disc-4」
13、All of You
14、Oleo
15、I Fall in Love Too Easily
16、No Blues
17、I Thought About You
18、The Theme

「disc-5」
19、If I Were a Bell
20、Stella by Starlight
21、Walkin'
22、I Fall in Love Too Easily
23、The Theme

「disc-6」
24、All of You
25、Agitation
26、My Funny Valentine
27、On Green Dolphin Street
28、So What
29、The Theme

「disc-7」
30、When I Fall in Love
31、Milestones
32、Autumn Leaves
33、I Fall in Love Too Easily
34、No Blues 〜 The Theme

「disc-8」
35、Stella by Starlight
36、All Blues
37、Yesterdays
38、The Theme

    Wayne Shorter (ts) Miles Davis (tp)
    Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
    Tony Williams (ds)         65,12,22/23


 『E.S.P.』を65年の1月に録音してからマイルスは健康が悪化して入院、年末からようやくライヴ活動を再開させられるまでになったが、この後のスタジオ盤『Miles Smiles』がようやく66年の10月になって録音されているところから見ても、この頃のマイルスは完全復活というにはほど遠い状態だったようだ。

 この頃のマイルス・バンドはスタジオ盤でもワン・テイクで録音していたはずだから、ライヴといっても録音方法にはそれほど変化がないはずだが、こうして聴いてみるとやはり大きな違いがあるようだ。
 1曲の長さが10〜20分と長いことから、各プレイヤーのアドリブ演奏も長くなり、演奏の自由度が大幅にアップしている。
 この頃もマイルス・バンドの演奏曲目は諸般の事情で、『Miles in Berlin』等、63〜64年のライブ盤と同じような曲目を演奏しなければならなかったようだが、もう各メンバーとも、できればこんなスタンダードより新しいオリジナルを演奏したかったようだ。そのため、ショーター、トニー以下の4人はライヴ演奏の自由度の高さにまかせて、どんどん曲から逸脱していって、自由に広がっていく演奏を繰り広げている。

 後年ショーターはこのプラグド・ニッケルでのマイルスほど、マイルスの気迫に圧倒されたことはないと語っている。唇の状態も良くなかったせいで、ミスも目立つのだが、それをおぎなうほどの凄い気迫でステージに立っていたらしい。
 ショーターという人は自分の手柄を声高に言うよりは、他人を賞賛するタイプの人らしいが、この言葉もショーターらしい表現だと思う。
 実際のところ、ショーターがこの時のマイルスを評価しようとすれば、気迫を評価するよりほかないと思う。たしかに健康状態も良くなく、ミスが目立つが、それ以上にマイルスと他の4人のメンバーの目指している音楽に分裂が生じていて、あきらかにマイルスだけ別の方向を向いているからだ。この時のマイルスの演奏が素晴らしかったというのなら、なんでこんな事態になったのかという話になる。
 ショーター以下4人のメンバーの演奏は、いわゆる「新主流派」の方向に揃っていて、素材となった古き良きスタンダード・ナンバーのメロディからどんどん逸脱し、外へ外へと音楽を開いていこうとする。
 が、マイルスは逆に、一聴すると古臭くも思えるスタイルの中に閉じこもり、音楽を閉じていってしまう。
 マイルスによって閉じてしまった音楽を、ショーターがなんとかこじ開け、広げていく。と、他の3人も走りだし、音楽は大きな広がりをもって走りはじめる。が、またマイルスの演奏が始まると、音楽はあえなく失速して閉じていってしまう。このライヴ演奏はそんなことのくり返しで、ハッキリいってしまえばマイルスが演奏の足を引っぱっているような気さえする。
 どうしてこんなことになったのか。一時期入院しているうちにマイルスも浦島太郎のような、古くて時代遅れの人間になってしまったのかというと、そういうことでもなく、次の『Miles Smiles』(66)までいくと、この頃マイルスが何を目指していたのかもわかってくる。どうもマイルスはいわゆる新主流派とは別の方向に進もうとしていたようなのだ。
 しかし、この時点では、新主流派方向に突っ走ろうとする4人にたいして、水をさそうとするマイルスの孤軍奮闘は、あまりいい結果をもたらしてない気がする。
 ハッキリいって、この時期のマイルス・クインテットにとって、マイルスはブレーキになっていたように感じる。どんどん先へ、ひとりでに進んでいってしまう他の4人にたいして、マイルス一人がブレーキとなって、減速させていたような気がする。
 といっても、これはぼくの見方。マイルスの側から聴いている人にとっては、どこへ飛んで行ってしまうかわからない他の4人を、マイルスがブレーキをかけてなんとか地面に留まらせているように見えるのかもしれない。


 さて、本作のコンプリート版は8枚組のボックスセット(外見は7枚組に見える)だが、いろいろな編集でバラ売りもされている。ぼくのような、あくまでもコレクターではなく、音楽ファンでありたいと思っている人間には、はたしてボックスで買う必要があるのか、バラ売りで充分なのか、けっこう迷った。結果的に中古で見つけたので、ボックスを買ってしまったが。
 結果的に言わせてもらえば、これはお金に余裕があるなら、ぜひボックスで買うべきもののだと思う。マイルス関係のボックスセットは数あるが、そのうちでこれは最も入手する意味のあるボックスセットではないか。
 そもそもマイルスの関係のボックスセットは買う意味のないようなものも多い。スタジオ録音を集成したボックスセットは、バラで容易に入手できるアルバムを単に集めて、それにチョコチョコっと未発表音源を足しましたというものか、『ビッチェズ・ブリュー』のボックスのように、マイルスがボツにした未編集リハーサル音源(ほとんど曲とはいえないようなもの)を集成したようなものばかりで、さほど欲しいとも思えない。
 入手する意味があるのはライヴのボックスだろうが、モントルーでのライヴの20枚組なんていうのは、20年弱におよぶ期間のライヴ音源を集成したものであり、統一感なんてモトからないんだから、もう少し小分けにしてリリースしてくれたほうがはるかに親切だ。
 そこへいくと、本作の同時期のライヴの8枚組というのは、理にかなった編集だといえるし、マイルス・バンド史上最高のメンバーがそろったといわれる黄金クインテット時代のライヴなんだから、当然中身も濃い。


03.11.4


追加)
 ミシェル・マーサーの『フットプリンツ』を読んでこのライヴがなぜこのような演奏になったのかが初めてわかった。
 ごく簡単に説明すると、当時マイルス・バンドのマイルスを除く4人のメンバーは演奏につまらなさを感じていた。曲目はあいも変わらずマイルスが50年代に演奏したナンバーばかり。4人のインタープレイも最初のうちは刺激的だったが、長い間同じメンバーで同じ曲を演奏するうちに他のメンバーの演奏が予測できるようになってしまい、だんだん飽きてきてしまった。そこで4人はマイルスには内緒で画策する。「4人で実験してみないか? マイルスがソデに引っ込んだら、いままでとは全く違った演奏をする。それぞれのメンバーができるだけ他のメンバーが予想もできないような演奏をして、それでどうなるか試してみるんだ」
 4人はおもしろい、やってみようということでまとまり、でもどこでやろうかと迷う。「そんなステージ上で、どうなるかわからない実験みたいなことをやって、お客さんが許してくれるのか?」「プラグド・ニッケルに来るお客さんなら許してくれるんじゃないか?」「そうだプラグド・ニッケルでやろう!」
 そしてプラグド・ニッケルでのライヴ当日、ところが会場へ行ってみるとレコード会社の人間がレコーディングの準備をしているのに気づく。どうも今日のライヴは録音されるらしい。そこで4人は相談する。「それでも、やるか?」「今日やろうってずっと楽しみにしてたんだし、やろう!」
 そして演奏が始まり、マイルスがソロを終えてソデに引っ込むと4人は約束していた通り、思いきり自由な演奏を始める。その演奏を聴いてマイルスは驚き、4人に言う。「なんだそれは! やる気なのか?」
 4人は答える。「やる気だ」
 マイルスは言う。「おもしろい。やりたいだけやってみろ! でも、オレが演奏してる時は従来どおりの伴奏をしろよ。そのかわりいつもより長い間ソデに引っ込んでいてやる。オレが引っ込んでいる間はやりたいだけやってみろ」
 その、マイルスがいつもより長い間ソデに引っ込んでいた演奏の記録が、このライヴだ。


09.6.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。

このホームページに記載されている内容の無断引用・無断転載等を禁じます。
(c) 2004 Y.Yamada