東海道黄金時代のつばめ

一等展望車と特ロの時代

 JR九州の787系つばめは車両デザインの素晴らしさだけでなく、昼行特急から食堂車が無くなった時代に敢えてビュフェの復活や、個室やコンパートメントを含めたグリーン車を作ったり、客室乗務員によるサービスといった具合に国内最高のサービスを提供してきたことは周知の通りです。戦前と戦後の東海道本線で活躍した「つばめ」も国鉄の威信を賭けた素晴らしいサービスが提供されていました。ここでは一等展望車と現代のグリーン車を中心に鉄道サービスについて考えてみたいと思います。



【客車時代のつばめ 〜1960.5.31】


昭和56年7月に運転された「復活つばめ」

   客車時代のつばめは運賃・料金・車両など全てが明治以来の伝統的な3等級制の時代でした。
 等級制とは現在のように普通運賃に対して各種料金を払うというものではなく、運賃や各種料金の全てに等級が敷かれていました。 金額的には昭和35年の時刻表を見ると運賃が二等は三等の2倍(特急料金は東京ー大阪の場合3.6倍)、一等は二等の2倍(特急料金は1.5倍)の差がありました。 これを現在の東京ー新大阪間の新幹線のぞみ号に置き換えて単純計算(物価の違いや税金の違い等は一切無視)すると普通車指定席(3等級制では三等)片道14,050円に対して一等車は片道約64,000円になります。 東京ー新大阪間が往復で12万円強も掛かるとすれば現在のグリーン車常連者もちょっと考えてしまうのではないでしょうか。 なお今の新幹線グリーン車はハード的に見ると展望車時代の特別二等車と同等ですが、同様の単純計算すると料金的には片道約37,000円(のぞみグリーンは片道18,690円)となり、昔の二等車でさえ今よりもかなり割高な料金だったようです。


戦前はEF55が牽引していた時期もありました。

 戦前から「2代目つばめ」までの時代における特急列車は東海道線が中心で、その他の路線では急行列車のみの運転でした。 その東海道線も電車特急「こだま」登場までの昼行特急は「つばめ」「はと」の各1往復づつしか運転されない貴重な列車でした。 日本の大動脈の特急列車の運転本数が少ないということは切符の入手が非常に難しく、更には料金も高価なため特急列車は庶民にとってかなりの高嶺の花であり、今のような大衆特急列車ではなかったようでした。 特に一等車に関しては、例え庶民がお金を払って一等車に乗車したとしても、上流階級の社交場のような雰囲気の車内は場違いな場所だったようです。 お金さえ払えば学生でも特急グリーン車に簡単に乗れる今日からはとても想像がつきません。


2代目つばめのテールマーク(九州鉄道記念館)

 一等車は戦前の超特急「燕」運転開始直後においては一等展望車の製作が間に合わず、一等寝台車を座席車として使用した時期もありましたが、大半は一等展望車が使用されました。  一等展望車は前位側である展望デッキ側から展望室、一等客室となっています。 展望室は2人掛けと1人掛けのソファーが配置され談話室の役目を果たしていたそうです。 一等客室は1人掛けの椅子が並んでいましたが、特別二等車(特ロ)登場後は自在腰掛(リクライニングシート)になったようです(マイテ49の場合、空調装置の関係で展望室との境界の座席のみボックスタイプの二等座席を配置)。 なお展望室は談話室としてのフリースペース的役割をしていたらしいのですが、座席数から見ると展望室10名、一等客室14名程度に対して、各種本の乗車実績を見ると一等客室の座席数よりも若干多く乗っていた記述が見られ(18〜20名)、一等の販売定員が一体何名であったかは新幹線世代の私にとっては不明ですが、いずれにしても特ロや二等車より更にゆったりした空間を提供していたことだけは間違いないようです。
 ソフト面では二等車以上では列車給仕が乗客のお世話をしていましたが、一等車の列車給仕はつばめガール登場後も大ベテランの男性列車給仕長がお世話することで二等車に対して差別化を図っていました。

【つばめガール・はとガール 1950.6.1〜1960.5.31】


復活つばめ号出発セレモニー

   列車給仕は山陽鉄道の一等車が起源だそうですが、「つばめ」では戦前の超特急燕時代から二等車以上で列車給仕のサービスが展開されてきました。 つばめ号、はと号に女性客室乗務員「つばめガール」、「はとガール」が登場したのは1950年(昭和25年)6月1日からになります。
 「2代目つばめ」や「はと」の編成は一等展望車1両、二等車5両、食堂車1両、三等車2〜4両、三等荷物合造車1両と優等車の割合が多いのですが、つばめガールは特別二等車(特ロ)を1人1両の割合で受け持ち、一等展望車は勤続25年から30年の大ベテラン男性列車給仕長が担当したそうです(外国人一等展望客がいる場合はつばめガールが展望車も担当)。
 「つばめガール」の仕事は現在の「つばめレディ」のグリーン車専属乗務員や東海道新幹線のグリーン車専属パーサーに似ていますが、電報の取り扱い、車内灯の入切、窓の油煙拭きなど昭和20年代後半らしい仕事もありました。更には客車区での車両の清掃なども行っていました。
 「つばめガール」は特急つばめが電車化される前日の1960年(昭和35年)5月31日で廃止されました。

【つばめガール以外のサービス】


   食堂車では一・二等客を対象に食堂長又は会計係が車両を回って予約を承り、予約時間になると座席まで迎えに行ったとのことです。
 なお151系時代の食堂車で同様のサービスがあったかどうかは記述が無いため不明ですが、パーラーカーの給仕に食堂の予約をお願いすれば動いてくれたと思われます。

【3代目つばめ151系パーラーカー時代 1960.6.1〜1964.9.30】


151系時代のヘッドマーク(九州鉄道記念館)

 つばめの151系電車化に際し、これまでの一等展望車に替わってクロ151パーラーカーが連結されました。 このクロ151パーラーカーはフリースペースが無い点以外では誰が見ても一等展望車に匹敵する車両ですが、形式は「クイ」ではなく「クロ」で登場しました。 これは等級改訂を考えてのことなのでしょうが、電車化後1ヶ月間は従来の3等級制下で運転されましたが、この期間は一等車ではなく二等車の表示をして、二等料金に別途「特別座席券」を必要としていました。つまりは一等車ではなく、特ロ以上一等車未満ということなのでしょうか?最近疑問に感じています。 2等級制に改められた後は他の二等車同様に一等車になりましたが、やはり別途特別座席券が必要でした。


交通博物館の特別展「JR電車100年記念展」に展示されたクロ151パーラーカーの「R−2型」一人掛けリクライニングシート

 151系時代のサービスですが、二等車以上に乗務していた「つばめガール」は廃止されましたが、列車給仕サービスはパーラーカーだけに残りました。 列車給仕サービスがあったということでパーラーカーでは客車時代と大差無いサービスを受けていたことが予想されます。 なおパーラーカーではクッキーやコーヒー、紅茶のサービスがあったことが後世まで語られている特筆すべきサービスでした。 しかし、その僅か4年後に東海道新幹線が開業したことでその後の東海道では特ロレベルのサービスしか受けられなくなりました。



【現代のグリーン車について考える】


 以上のような過去のつばめを見ていると3等級制下の一等車に憧れてしまいます。 現在等級制は廃止され、優等車への乗車は普通運賃に対して特別料金を加算する形の特別車両グリーン車になりましたが、現代に果たして3等級制下の一等車に相当するものはあるのでしょうか?

 かつての三等車である現普通車は冷房装置の普及や、特急用普通車座席のリクライニング機能の追加など、昔に比べれば格段にグレードアップされ、設備面だけでは3等級制下の特別二等車には及ばないものの、二等車以上になったことは間違いないでしょう。
 しかし現在の標準的特急グリーン車は2代目つばめで登場した回転式リクライニングシートを装備した特別二等車(特ロ)「スロ60」が基本になっています。 この標準的グリーン車も時代の変化と共に冷房化、人間工学に基づいた設計、座席の3列化などの改良はされていますが、根本は特ロのまま変わらないように思えます。
 一等車と呼ぶには二等車と比べて差別化がされていなければなりませんが、100系新幹線以降に増えた個室グリーン車が果たして一等車に値するかどうかというところです。 現状の個室グリーン車は個室というプライベート空間を提供するという点で特別二等車たる特急用標準グリーン車とは差別化が図られました。 しかし、ハード面でのゆったり度やサービスのソフト面を考えると果たして一等車と呼べるかどうかは疑問です。
 現代版一等車を強いて挙げるならば寝台特急カシオペアのカシオペアスイートや同じく寝台特急トワイライトエクスプレスのスイートでしょうか。 これらは寝台車ですが、部屋の広さや設備から見ても一等座席車としての代用は十分可能でしょう。
 また、スーパービュー踊り子号のグリーン車専用サロンを一等展望車の談話室と捉えた場合、シートピッチをそのままで座席を1&1配置にした場合には一等車と呼べるのかもしれません。



成田エクスプレスのグリーン車
一見クロ151パーラーカーを彷彿させますが・・・

 かつての一等座席車は皇室用車以外では展望車しかありませんでした。 これらの客室内の座席は1人掛けが基本のようですが、成田エクスプレスのクロ253−0で2003年頃まで見られた1&1シートは見た目にもパーラーカーに近い車内を提供していました。 しかし、シートピッチが普通車並に狭い点(たった1000mm、パーラーカーは1100mm)やソフト面のサービスが皆無な点(登場時はフリードリンクサービスやNEXレディによる案内サービスがあったがすぐに廃止。)から一等車には程遠いように思えました。
 理想としては1人掛けシートを1300mm以上のゆったりとしたシートピッチで配し(場合によっては枕木方向への固定座席配置も)、展望車の談話室に相当するような専用ラウンジを車内に設けたり、ソフト面では客室乗務員によるサービス、更には列車外に空港ラウンジのようなグリーン車専用ラウンジサービスを加えれば現代版一等料金を払う価値も出てくるかもしれません。

リレーつばめDXグリーン車
ファーストクラス並みのスペックを持たせることで特ロの域を脱しましたが・・・

 グリーン車サービスでは国内で最も評判が高いJR九州787つばめグリーン車において客室乗務員「つばめレディ」が「つばめガール」並のハイレベルのサービスを実施していることでソフト面では一等車並のサービスを提供していると言えるものの、客室設備では個室が一等車未満の特ロスペシャルといったところでしょうか。 一般グリーン席では座席が1&2配置であるとはいえ、基本的には特別二等車の域を脱していないように思えましたが、05年10月にTOPキャビン席をリニューアルしたDXグリーン席が登場しました。航空機国際線ファーストクラス並みのスペックを誇るDXグリーン席は国内の鉄道にパーラーカー以来の特ロ以上一等車未満の座席が復活したと言えるでしょう。 しかし、航空機国際線最新ファーストクラスで主流になりつつあるプライベートを重視したフルフラット・ソロシートのサービスと比べてしまうとDXグリーン席も一昔前のファーストクラスに見えてしまいます。まだまだハード面、ソフト面共にサービスの改良の余地はありそうです。

 
ANAの最新ファーストクラス「NEW FIRST CLASS SEAT」

日本の鉄道車両もハード面をここまでグレードアップすることが出来れば現代版一等料金を払ってでも乗りたくなるのですが・・・
 

 04年6月にJR東日本はジョイフルトレインの高級バージョン「ハイグレード車両」を製作すると発表がありました。 そして同時に新製する皇室用の「特別車両」使用の際はハイグレード車両の一部車両と差し替えて運転するとのことです。 となると「特別車両」運転の際はハイグレード車両がこれまでの供奉車の役割を果たすことになるので、「ハイグレード車両」も限りなく一等車に近いものになることが予想されます。 また、05年10月にJR九州のリレーつばめに登場したDXグリーン席が九州新幹線全通時に九州新幹線、はたまた会社自体のイメージを左右しかねない「新幹線グリーン車」にどのように反映されるか今から楽しみです。



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