■■徒然散歩記2004■■■


じゃらんじゃらん


    12月19日[トタン屋根の12人]

    12月 5日[フリマ&ツーリング]

    11月21日[トタン屋根の女]

    10月26日[マダム・メルヴィル]

     6月22日[自慢]

     5月25日[デザインのはなし]

     5月20日[歌詞]

     5月11日[江ノ島鎌倉界隈]

     4月 6日[このHP]

     3月24日[無音]

     3月10日[例え]

     2月27日[初期化]

     1月27日[ひさしぶり]

     1月 1日[2004]


徒然散歩記 1998〜2004


12月19日(日)

[トタン屋根の12人]

どこかにいそうな人物造型。
私は演出していて大事に思うことです。

「どこかにいそうな」とは、人格のことを差します。

職業ですと「二重スパイです」とか、おいおい凄いだろう。
会った事ないし、「二重スパイ」とか「お洒落泥棒」とか「捕鯨船の人」とか。

みたいなことになるいので、「こういうキャラはいるかもね」みたいな事。
リアル感ってなものは、そこに宿るのでは、と思っています。

人の感情に共感出来る箇所を見出せるかどうか。

12月17日に千秋楽を迎えた「トタン屋根の女」
それはそれは濃い人々が12人。

トタン屋根の下、ひと組の母娘を軸に、濃い人々が集いました。

舞台ってもののライブ感満載の公演でありました。
いいカンパニーを作り上げたんだな、うちらって、と
爆笑&謝りの、千秋楽前公演だったものよ。

ありがとう お客さま。
お花、お酒、頂く。
酒とバラの日々。
なんて幸せ。

人は様々。
人生様々。

千秋楽の日は、第一次打上げ。
そして翌日も本打上げ。

皆と、美味しい酒を飲め語れる幸せよ!




12月5日(日)

[フリマ&ツーリング]

昨晩から今朝にかけて、嵐だった。
嵐去った12/5は、観測史上最高の暑さ。

「トタン屋根の女」稽古場一派は、
稽古場近所で開催されていたフリーマーケットに出かけた。

こんな晴天青空に、稽古場だけに篭ってるなんて!
生物として どうかしている。
ってなことで。

っていっても、
「さ、足りない小道具や衣裳探すよ!」
という意味もあった……のだが。

この嵐の前に、
思いがけずのツーリングもした。

思いがけずのツーリング。
こういうのは、なかなか ない。
なかなか ってか、はじめて?

夜だったから寒かったけど、あったかくて。
そんなツーリングでした。

川を越えるのは、
何故だか知らないが、
ワクワクドキドキするものだね。




11月21日(日)

[トタン屋根の女]

12月、舞台を一本演出します。
御案内ページをつくりました。
そちら御覧になってください。




10月26日(火)

[マダム・メルヴィル]

天王洲アイル。
モノレールに乗って行くところ。

劇場は、スフィアメックス
期間は、2004年10月15日(金)〜11月14日(日)

今公演してる真っ最中。
「マダム・メルヴィル」

ツアーもあります。
大阪 11月17日(水) シアター・ドラマシティ
愛知 11月25日(木) 名古屋市民会館中ホール

思っていることと、
実際口にする言葉と、
同じこともあれば、違うこともある。
同じ言葉を言いながら、ホントの時とウソの時がある。
自覚はあまりない。

なんてことは、やってるハズさ、世の人々。
「自覚」がないから、気付いていないかな。

「マダム・メルヴィル」

演出助手で参加でした。
まだ過去形じゃないな。


劇中で、成宮寛貴さん演じるカールが言う、
『もう一度別れのシーン見てもいいですか?』

そう空中に、天に向かって投げかけたい。
そんな「別れのシーン」があるってのは、
考えるに、
考えなくても、それは、幸せなことだと思う。


私が観劇評に書いた『偶然の男』と同じ劇場での、この公演。
客席数200の贅沢を、是非味わって頂きたい。

チケットは前売り開始即日完売とのこと。

が、観たい方は、
こんなHPのこんなとこを覗いている奇特な方で、観たい方には、
日時よりけりでチケット取れる かも です。
是非、御一報

初日開け、19日までは公演を観ていました。
それ以後は、行けず。
行きたい極まりない。


「マダム・メルヴィル」

最後に交わした言葉は、
最後に交わした視線は、
最後に交わした思いは。

確かめたい と、そういう事もあり、
あいまいなれど、覚えているソレを、繰返し思う事もある。

前者なれば、思い半端に残すソレであり、
後者なれば、思いは思いとして完結しており。

結構、最後ってのは、
これで終わりとは分かっていない最後ってのは、
なんでもない日常が続いていくかのようなものだ。

「マダム・メルヴィル」でも、やはりそうであるように。

これで終わりだと分かっている終わりと、
これで終わりとは分かってない終わり。

これで終わりだと分かっている終わりは、あまり覚えていない。
これで終わりだと分かっている終わりだけに、いいハズがない。
そういうのは、人はきっと、忘れるんだろう。

分かっていなかった終わりを繰返し思う。
気付くと、思い返している。
ものすごい楽しい時にも、いきなり思い返したりする。
人ってのは不思議なものだ。

「マダム・メルヴィル」
私は「石田ゆり子さん 今日の一言&今日の行動」記録をつけたい衝動に駆られた。
駆られた、稽古場と本番の日々。

日々 何を 言って&おやりになった のかは、ココでは、秘密です。
ご本人に了解とってないので。

「秘密」と書くと、軽い冗談事でも重くなるんで、
稽古場が微笑ましさにつつまれる みたいな。
そんなエピソードだと思いねぇ。

ま、ともかくこの舞台観よう。

しかし、観に行きたい!
日替わり村岡ルースが今日は何やったのか気になる。
パパ五森登場の緊迫感を感じたい。

観に行きたい!

終わりは またいつか はじまるかも しれない。


舞台は、劇場に行かねば!
舞台中継は、どれだけ見事に撮ったところで、かなわぬのです!

その舞台を頭の中で思い返す。
映像を、同じ舞台の映像を見返すのではなく。




6月22日(火)

[自慢]

萩尾望都さんのお見送りをした。
これは自慢していいでしょう。

日本が世界に誇る、
手塚治虫氏&萩尾望都氏。

表現者として、
もっと評価されてもいいおふたかた。

っていうか、萩尾望都氏をもっと評価しようよ日本。

これがヨーロッパだったら、もっともっともっと望都……。
でも欧州に「漫画」という芸術ジャンルはまだ確立前なのだが。

エンキ・ビラルはおいといて。

たまたま、舞台観劇後に、一緒に観た方と、関係者の方と、
常のごとく「飲み」してての出来事でした。
その場に、そのカンパニーに関わり有る(原作者として)萩尾氏がいらしまして、
で、その帰りだけ「お気を付けてー」と見送りだけした という。

「ポーの一族」で、命を学び、
「百億の昼と千億の夜」で、神を学び、
「半神」で、血の哀しみと愛を学び、
「ウは宇宙船のウ」「恐るべき子供たち」で、文字をビジュアルに出来る事を学び、

「百億の昼と千億の夜」も光瀬 龍氏が原作なんだが、
もとより好きなレイ・ブラットベリ&ジャン・コクトーを
こうまで見事にやられるとは!

レイ・ブラットベリといえば「華氏451度」
最近では、「華氏911」
マイケル・ムーア万歳。

閑話休題。

「11人いる!」で、ラストの気持ちよさの醍醐味を学び、
「残酷な神が支配する」では、もう脱帽です。
いやもう、とっくに脱帽なんですが。

萩尾望都。
まだ未経験の方は、経験しよう。
手塚治虫氏はもう故人だが、
萩尾望都氏は現役だ。
同時代にいる幸福を、味わえる時に味わおう。




5月25日(火)

[デザインのはなし]

私は演出家です。
演出という仕事は大変説明しにくいので、よくサッカーを例えに使います。

監督=演出
選手=役者
練習=稽古
試合=公演
サッカースタジアム=劇場
観戦者=観客

装置、衣裳、照明、音響、現場総指揮者、制作、スタッフ 全て必要です。
(スポーツの中でもサッカーが舞台芸術に似ているのです=好きですし)

やっぱトルシエはえらかった。

おいといて。

日本は映画だけ「監督」なんて言葉に訳すからややこしくなったんだ。
全部「演出」って言葉に訳せばよかったのに。

ん? そうすると、スポーツの「監督」は?
これは意味違ってくるからなあ。

おいといて。

こないだ、演出の説明を求められた。
求めたその人は、もう私の「サッカー」の例えを聞いていた。
だから、「デザイナーと建築家」の例えで説明した。

私は、もとはそちら方面の学校出身者であり、その仕事をしてきた。
だから、その頃の友人達に「デザイナーと建築家」の例えで演出の説明をする。
そうすると、
「何故演出家なんだ?」という問いが「ああ、なるほど」に変わる。

もとより「デザイナーと建築家」の説明も難しいのだ。
一般的に「デザイナー」といえばファッション系を想像されるのだろうし、
「建築家」といえば、図面引いている人ということになるのだろうし。

と、そのように思っていたので、
「デザイナーと建築家」の例えは、その関係者に限っていた。
が、「サッカー」以外の例えを求めたその方は、舞台業界の方で、
「サッカー」より「デザイナーと建築家」の例えのほうが分かったと言う。

新しい発見でした。

熱い舞台人の、その方と話しているのはとても楽しい。


さて、デザインについて。

只今銀座のGGG(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)で
「佐藤卓 展」開催中です。
5/10(月)〜5/31(月)

佐藤卓氏のデザインしたモノは、身近にあります。

「ニッカ・ピュアモルト」
「ロッテ・チューインガムシリーズ」
「ヘネシー・ナジェーナ」
「RMKスキンケアシリーズ」
「明治おいしい牛乳」

等々。

そして、NHK「にほんごであそぼ」企画メンバー及びアートディレクション。

その展覧会での氏の言葉を抜粋で下記に。

今回の展覧会について。
佐藤卓

自分を他人にする。そんなことはできません。
ですがデザインという仕事は
自分をどこまで他人にできるかということなんですね。
それをちょっと難しい言葉で言うと「自分を客体化する」などと言います。

デザインは、デザイナーの手元から放たれた途端に環境に溶け込みます。
デザイナーの思うようにはなりません。相手や環境のものになるんですね。
それを受取った側が、そのデザインにどう接しようが自由なんです。
思いもがけない接し方を接する側が発見してくれることもあります。
携帯電話が紙の重石になっていることなど、
その発見すら使用している本人も気付いていません。
自然な行為の中にデザインの本質があるんですね。

演出と同じだ。
と、半ば強引ですが、通じるのです。

時間と興味のある方は、ぜひこの展覧会に行かれて下さい。
入場フリー(無料)ですし、
デザイナーってこういう仕事なんだということが楽しくわかります。

展覧会場で、各々の商品(=作品)へのコメントをきっちり読んでいくと、
楽しいし、何より「おまけ」がついてきます。
コレ、かなり自慢になる逸品です。

それと、もひとつ氏の言葉を下記に。

失敗した仕事。
ニッカで企画されたウィスキー「コーンベース」「ライベース」。
多くの人が具体的なデザインに参加して出来上がったもので成功した試しがない。
デザインの決定に於いては民主主義はあり得ない。

ものごとは失敗した時よりも
成功した時にどれだけその成功の理由を知るかが重要である。

これだけ読むと「高飛車なヤツ!」となってしまいそうなんですが、
まったく反対です。
まったく反対な氏だからこそ、上記の失敗を悔しがる。
それは、よくわかるのです。

さあ、GGGに行こう。
月末までだぜ。




5月20日(木)

[歌詞]

前回、
サザンの「Kamakura」の「鎌倉物語」が頭の中で聴こえる。
と、書いた。
書いたので、
「鎌倉物語」ってどんな歌(歌詞)だっけと思って読みなおしてみた。

こういう歌詞だったんだ。

歌詞って、
覚えている歌と、メロディしか覚えてない歌ってあるんだなあ。
と思った。

「鎌倉物語」ってこういう歌詞なんだ。
と、「鎌倉物語」歌詞を読みながら思った。
冒頭の『鎌倉よ何故 夢のような虹を遠ざける』
しか覚えてなかった。
そういうわけでの、鎌倉といえば「鎌倉物語」みたいな。

サザンでは、一番好きな歌は?
と問われれば、その当時も今も変わらず「栞のテーマ」。

その当時、その「栞のテーマ」の話に友人となって、
友人が、「彼女(彼)が髪を指で分けるのみてて なんでシビれるの?」って、
聞いてきた。
既に聞いてくる時点で、説明は不可能なんだよね。
っていうか、「シビれてる」時は、何やってても「シビれてる」時なんだよ。

雨が降り続く今宵である。




5月11日(火)

[江ノ島鎌倉界隈]

みんな持ってるサザンの「Kamakura」だった。

高校生だった。

こないだ「江ノ島鎌倉界隈」に遊びに行った。
日本関東が出身でない私は、高校の頃は遊びに来た事はなかった。

サザンが特に好きだというわけでもない。
ただ、高校の頃に周りで流れていた音楽は忘れないものだ。

今は 2004年。
七里ヶ浜でビールを飲みながら、
火をおこしながら、
頭の中で「鎌倉物語」が聴こえる。
ベタだ。

ベタに海眺めていたら、鳥にバケットを持っていかれた。

海岸上空を翔んでいた大きな鳥が、私が手に持ってたバケットを掴み去った。
「バシッ!!!」とか、すごい音させて摘み去った。
バケット、おいしかったか、鳥よ。

電柱の上でバケット食べている鳥を眺めつつビール飲む我ら。

Bryan Adamsが聴こえてくる。
「Heaven」「Jump」「Summer of '69」

「Summer of '69」

「69」
同名の小説がある。
村上 龍「sixty nine 69」

「あとがき」にこう書かれている。

この本は、
1969年に、高校生だったわたしのまわりで起こったことの一部を書いたものだ。
1969年に生まれた人々は、
ひょっとしたら今(1987年5月)高校生なのではないだろうか?
できれば、そんな人達に、読んで欲しい。
これは楽しい小説である。
こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた。
この小説に登場するのはほとんど実在の人物ばかりだが、
当時楽しんで生きていた人のことは良く、
楽しんで生きていなかった人
(教師や刑事やその他の大人達、そして従順でダメな生徒達)
のことは徹底的に悪く書いた。
楽しんで生きないのは、罪なことだ。
わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。
数少ない例外の教師を除いて、
彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。
そんな状況は、今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。
だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは
死ぬまで終わることがないだろう。

そんな「あとがき」のある小説の初版を読んだのは、
まんまと作家の望んだ通りの、
「1969年に生まれた 只今は高校生」の 私だ。

何故、その初版を手に入れたのか(買ったのか貰ったのか)覚えていない。
そして、その当時「sixty nine 69」を読んだことは覚えているが、
その小説が「面白い=楽しい」などと微塵にも感じなかった。

その「sixty nine 69」を、
数年後(高校時代から)の、20代半ば過ぎの頃、読み返した。
持っていた初版本は失ってしまった後の文庫本での再会だ。
何故 読み返してみようと思ったのか、それは覚えがない。

覚えはないが、20代半ば過ぎの私は、ものすごく面白かった。
何故 初版で読んだ当時「面白い!」と思わなかったんだろう。
そう思いながら読んだ。

でもそれは、
『何故 初版で読んだ当時に「面白い!」と思わなかったんだろう』
そう一瞬疑問に思ったソレは、すぐに解決がついた。

その初版を読んだ当時、
私は高校生で、
この「sixty nine 69」の奴等と同じ高校生で、
奴等と同じく、楽しく元気に、
「高校」という時代を生きている最中だった。

現実(リアル)なほうが、自分らでやってるほうが、
面白くって楽しいに決まっている。

その「時代」を終えた後、
終えた後に、より 分かるのだ。
「あれは『楽しい時だった』と」
「高校時代」だったのだと。

そういう「時代」をちゃんと過ごせていたんだなと、
過ぎて振り返る「今」が有ることは、
とても幸せだと思う。

きっと、今から何年後かに、また「今」を思い返す。
「楽しかった」と思い返すに違いない。
でも「今」は それほどは 分かっていない。
何故なら、

だから「今」なのだから。

5月最初の『江ノ島鎌倉界隈』、
みんな持ってたサザンの「Kamakura」。
もう夏のような 空と海をみて 思い出す。

海だとサザン。
雪だとユーミン。
みたいな。
この年代の刷込みってやつですね。

いやあ、しかし(何故かいきなり やっさん=横山やすし キャラ)
暑かったー。
海きれーやったで、しかし!!。

「しかし」が語尾にくる。
この法則に慣れないと「しかし の次は!? 次はないのか!」
という気持ち悪さを味わうことになる。

いやあ、しかし楽しかった。
可笑しかったで、しかし!!

漁船の脇で飲んだ珈琲は絶品でした。
味も状況の可笑しさも。

今宵は 半月が 南の空に きれいである。




4月6日(火)

[このHP]

ここんとこ更新やってます、このコーナー「徒然散歩記」。

更新やってるといっても、
前に比べてというだけで、
誉められたものではございませんが。

ここんとこ更新やってます、このコーナー「徒然散歩記」。
「言葉」扱ってるからでしょうか、最近。
実際問題として。

さて、
言わずもがな、ですが、
色々ココ「徒然散歩記」に書いている事は、
非常に、わかり辛い こと ばかりですね。

何故なら、
このコーナー「徒然散歩記」は、
このHP主催(マスター)私の独り言コーナーです。
親切のようで、親切でないツクリになっております。

読んでくださっている方、ありがとうございます。
読み飛ばしてくださっている方、お好きなように。

スミマセン。

しかし、
このHPの、他のコーナーは、
「寄ってください、読んでください」の、
やる気満々のコーナーになっております。

メール投稿コーナーは力作揃いです。

「観劇感想」『メール投稿』ばかり。
私自身の「観劇感想」は、ほとんどないです最近。
投稿 金子さん ありがとうございます。
コメントは、毎回好き勝手に書かせて頂いております。
しかも「劇評」にあんまり関係ないこと等ばかり書いているし。

「日本語教室日記」 「スペイン四方山話」の更新がないのは淋しいです。
しかし、もとより、
「好きなときに好きなように書いてメールで送信してね」ってなことなので、
気長に新作をお待ちしております。

『メール投稿コーナー』以外の「やる気満々」コーナーは、
「稽古場日記」シリーズです。
この「稽古場日記」シリーズ、
筆者は私だけではありません。
ありませんが、全体構成は私がしております。
「寄って、読んで、楽しんでいって!」
というコーナーになれば と 作ってまいりました。

毎回、「今回は、どう趣向を変えてやろう」
などと、結構楽しんで作ってまいりました。
今となると、私自身のいい思い出アルバムになっております。

今後も機会あれば
また新たな趣向の
「稽古場日記」が出来ればな と 思っております。
思っておりますが、実際どうなるかは また別の話。

サクっと言うと、
この「徒然散歩記」以外は、
「寄ってって、読んでって」というコーナーってことです。

個人HPですから。
色々ご無礼お許しください。




3月24日(水)

[無音]

「言葉」
前回に続き「言葉」シリーズ。

「言葉」
この上記を生業としている私は、
だからこそ「言葉」をあまり信じていません。
それがどれほど不確かなものか、
考えれば考える程に思うからです。

何かを表現する、たった一つの手段でしか「言葉」というものはすぎなくて、
すぎないのにかかわらず、
まるで「互い」を分かりあうのが、「言葉」でしかないように思われています。

そんなことはないですよね。
例えば「写真」。

ある一枚の「写真」を、
「言葉」に完全に置き換えるなんて無理で、意味のないことでもあります。

そして、
無口な、情熱的なギターひき。
無口な、雄弁な筆のタッチの画家。
無口な、燃える魂を持つサッカー選手。
数えきれない「無口」な表現者たちがいます。

その人を分かるのは、言葉だけではなく、
心が動かされるのも、言葉だけでもない。

だからこそ、
「言葉」は大事に、慎重に、選ばねばならず、
だららこそ、
「言葉」は、ただ、「言葉」だけなのだ、ということを忘れてはいけない。

「言葉」が、心に響くのではなく、
「言葉」の持つ、心が、心に響くのだということなのでしょう。

例えば、
「愛している」と、誰かが言ったとします。

どんなふうに「愛している」のかも、
どれくらいに「愛している」のかも、
わかりません。

それに、
嘘かも しれない。

しかも、その意味含むところは、
「嫌いです」かもしれません。

だがしかし、「愛している」という『言葉』を言った。
それは確かなことです。
だけど、それだけのことです。

「言葉」は「言葉」にしかすぎない。
それは、そういうことなのです。

逆に、
「大嫌いだ」と、言ったとします。
その含む意味は、 「死ぬほど好き」
かもしれないわけです。

そう思えば思う程、どうなってくるかというと、

「なんでもアリだな」
ってところでしょうか。

「ところでしょうか」って、
どーなの、自分。

私は、演出家ですから。
「言葉の病」にかかっているようなものでして。

多かれ少なかれ、各々様々な専門分野の人は、
各々様々な病にかかっているのでしょうから。

お互い様です。
きっと。

魚屋さんは、きっとどこでも魚をみかければ、目にとめ凝視し、評価してしまうでしょうし、
営業マンは、テレビドラマの登場人物の「営業マン」役にツッコミを入れることでしょうし、
デパートにお勤めの方は、心穏やかに他店のウィンドウショッピングは出来ないでしょうし。

お互い様です。
きっと。

演出家の私は、
だけど舞台演出家なので、
「言葉」だけの病にかかっているわけにはいきませんが。

「言葉」

「顔も見たくもない!」
と、言い放ちながら、
実は、今「顔も見たくもない!」と言い放った相手の為になら、
今この瞬間命かけることに迷いもない。
その事が、言い放ったその後の、
 しん とした 劇場総てを包む 無音の間に、
無音の間に
真実確かに 感じ取れる。
そんな 無音 を 創りたい。

逆も しかり。

「君の為なら 死ねる」
と言った後の、
無音 の 闇 を 創りたい。
嘘 と いう 闇。

舞台照明に 眩く照らされていながら、
そこに 無音 の 闇 を 創りたい。

「嘘」
それには
良いも悪いも、ないのでしょう。
それに
良いか悪いかなんていう評価は、
「どちら側」にいるのか。
それけのことでしょう。

結局、
「なんでもアリだな」
ってところでしょうか。

拠り所は、その人柄。
その人の、人となり。

オープンハートで本日もGO!




3月10日(水)

[例え]

初期化されたMacintoshは無事に作動中。

2月27日(金)[初期化]にて、Macintoshを舞台に例えたけれど、
例えはあくまで例えなわけで。

たくさんのいろんな人の力が集まって、増幅され、昇華し、
モノゴトが、生まれる。
それが、舞台の魅力なわけです。
舞台含む、統べてコラボレーションの魅力なわけです。

Macintoshで私が使用している
「Photoshop」や「Illustrator」も、
Adobeのプログラマーが 思いついて、開発してくれたから、ココにある。
だから、
私がココでこうしてソレを使って何やかんややっていられることも、
広義でいえば、コラボ か?

統べて 世は コラボレーション。
ありがとう この世!

究極な「ありがとう」だな。

おいといて。

「例え」。

同じ言葉だからといって、同じ思いを抱くのかというと、
それは、違う。

そういうつもりで言ったことが、
そういうつもりには伝わらない。

「言った」「言わない」の不毛な争いは、
だから、
不毛なのです。

だから、
きっと、
「例え」た方が、
この言葉(文章)を、同じ思いで つかまえることが出来そうだ。
そういう時に、「例え」を使います。

が、そこでまた、「言葉」は、思いをすり抜ける。
コチラは、良きコトのつもりで「例え」に使ったのに、
相手にとっては、悪しきコトな場合がある。

これは、もう、仕方のないコトなのだろう、か。

これは、もう、仕方のないコトなのだとしても、

人生は続いていくのだ。

続いていくのなら、
きっと、いつか。
いつか、多分。

同じ思いを つかまえることが 出来るのかも しれない。

演出家は 言葉という「あいまいなモノ」と 格闘し翻弄されながらも、
捕虫網ふりまわして、劇場という草原を走り廻っているのです。
タモをふりまわして、劇場という渓流を跳び廻っているのです。

言葉言葉言葉。

ソレ(=言葉)は、本当は、たいした問題では無いのに、
問題は、だいたい ソレ(=言葉)から生まれるのです。

だからこの世は、この世の縮図の舞台は、
面白く悲しく たまらなく魅力的なのだ。

言葉言葉言葉。

『 I Was Born To Love You 』
QUEEN大躍進。
英語ってなんてストレート。
ストレートなのが最近は大躍進。
韓国ドラマもその流れ。

ストレートと、単純は違うよね。

わかりにくく、真直ぐいこう。

言葉言葉言葉。




2月27日(金)

[初期化]

25日深夜、うちのMacintosh、フリーズ。

作業中に画面が固まってしまうことはよくあることで、
で、いつものごとく、再起動した。
しかし、画面にあらわれるのは、いつもの「スマイルMac」じゃなく、
『フォルダに「?」』マーク。
何度やっても。

アウトだ。
初期化だ。
するとも。

Macだからね、しょーがないんだ。

何故、初期化の事態になったのか、
Macに理由はない。

Macと出会って10年以上。
初期の頃のMacには、もっと理不尽な目にあっているので、
これしきのこと。

今までウィルスにかからなかったのだから、
丈夫なほうだ、うちのMac。
あ、今回もウィルスのせいじゃないから。
システムがクラッシュしたってとこかな。

自分の作品や資料で消えたものは、
自分でつくったんだから、必要ならまた作ればいいのだが、
困ったなってのが、住所録。
住所録は全くバックアップしてないし。
他はしてんだけどね。
現在進行形中なのはしてないから消えたが。

住所全部入力またするのかよ!
っていうのもあるけれど、住所わからない人もいるのです。

ということで、
コレを読んでいる、知人友人関係者のみなさん。
住所を送信してください。
そうするとメルアド登録の復帰にもなる。

そして今、Macの状況はというと、
こうして、HP、更新している次第。
ってな具合の、ほぼ復帰OK。

只今、初期化から 1日と半分ほどたった 27日宵の口。

ネットに送ってあるものは こうして消えず、
また ネットから 持ち帰ることが 出来る。

ま、いずれにしろ、
統べてモノはいつか消える。

Mac向かい、
「今の君は、公演が終わり、バラシも終えたあとの、何もない舞台のようだよ」

とか、
ちょっとだけボヤキながら、
その空舞台に、
様々構築しておりました 一昨日夜から。

様々 前より よく構築されている。
人は 学んでいくものですな。

今さらのMac格言。
バックアップはしといたほうがよいぞ。

とか言って、するのか自分?




1月27日(火)

[ひさしぶり]

ひさしぶりに、高校時代の友人と何人かで飲んだ。
何年かぶりに会う友人もいて、
卒業以来「はじめて会うな!」な方もいて、
で、会った瞬間「かわってないねー」と言われたりもして。

そっか かわってないのか。
でも 今 髪 伸ばしっぱなしだがな。
とか、よぎりながらも、
これはきっといいことなんだろうと思ったりして。

地元からお互い東京に出てきてて、
ま、それまで各々海の外内移動様々あれど、
今は日本の東京にいて、
お互いにお互い「こんなことになっているとはねえ」と。

なかなか、おもしろいな。

そして、その時、私たちがいたあの高校は、
今思い返しても、口をそろえて、
「あれは、おもしろい高校時代だった」と。

そんな高校時代であったことを、
時が過ぎれば過ぎるほど、幸せに思う。

モノ演出する人と
モノ書いてる人と
モノ売買する人と
モノの動き検討する人が、ひとつ卓囲んで飲んで喋ってて。

日本の未来や世界の未来が明るいか暗いかは、
さあ、
わからないけれど、
ともかく自分らの未来くらいは何とかしようぜ と、
そんなことを思ったりしながら。

思ったりしながら、
半端に終電無くした夜でした。

学ぼうよ、自分。




1月1日(木)

[2004]

あけましておめでとうございます

「高慢で、夢みたいなことばかり言っている、クールなロマンチスト」

己が己に失望したり退屈などしている暇などない
今年を過ごせる人間でありますように。

そうして、お互い様に、
楽しく真剣で愉快な本年でありますように。




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