玉置浩二ソロ・アルバム『GOLD』
〜穏当な装いをまとった作品の凄み〜

(14年5月書き下ろし)




 玉置浩二の音楽を長く聴いてきたが、それにしても本作には驚かされた!
 2010年の安全地帯の完全復活を経て、再びソロ名義での活動を再開した彼は、2012年にセルフ・カヴァー集『Offer Music Box』をリリースしているが、それに続く本作は、7年ぶりのオリジナル・ソロ・アルバムにあたる。
 このアルバムは、ミディアム〜スローなナンバーが多く、ストリングスも活用しているため、サウンドの肌触りはかなり滑らか。だが僕は、本作の収録曲の数々から伝わってくるあまりにも壮大かつ深淵な世界観に戦慄した。

 今から8年前の2006年。僕は雲母書房から出版した「玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから」の締め括りにあたる第16章で、次のように書いた。

 今後も玉置は謙虚にベストを尽くして創作に立ち向かい、穏当な装いをまとった作品の中に、圧倒的なエネルギーを注ぎ込んでいくだろう。

 これは2006年のソロ・アルバム『PRESENT』の発表前後の彼の気配を自分なりに感じたうえで選んだ言葉だったが、2010年にイーストプレスから出版した「玉置浩二☆幸せになるために生まれてきたんだから」では、このテキストから“穏当な装いをまとった作品の中に、”という語句をカットした。それは2010年に完全復活を遂げた安全地帯のロック・バンドとしての破天荒な存在感に圧倒されてのことだった。

 しかしどうだろう!

 今回のソロ・アルバムは、まさに穏当な装いをまとった音作りでありながら、その世界観の強烈さに、僕の心は深く抉られるようなインパクトをくらった。
 まさにソロ・モードの玉置浩二全開というべき内容である。

 では僕が圧倒された本作の世界観とは何か?
僕が感じたものを一言で言ってしまうなら、それは死生観である。
本作幕開けの「それ以外に何がある」の歌詞には以下のような一節がある。

♪生命も死さえも 風の谷間で 山河を巡り 幾歳月の
 調べを聴いて 何千何万年前から ずっと♪

 ここにあるのは、あらゆる時代の人間を生身の等身大の存在として慈しみ、その儚さに涙するような眼差しだ。僕はこれにプリンスが1987年に発表した『サイン・オブ・ザ・タイムズ』と共通するものを感じる。当時のプリンスは、1986年にバック・バンドのザ・レヴォリューションを解散した直後だった。こうした作品の質感は、バンドではなくソロだからこそ生まれるものなのかも知れない。

 先に述べた死生観は、「それ以外に何がある」だけでなく、本作の大半の楽曲の背景となっている。
 例えば日本の女性ロック・ヴォーカリストの草分け的存在である金子マリをゲストに迎えデュエットで聴かせる「かくれんぼ」からは、黒澤明が内田百◯の随筆を原案にした映画「まあだだよ」を連想してしまう。「まあだだよ」という言葉は、内田の健康長寿を願う彼の教え子達が、なかなか死にそうにない先生に「まあだかい」と訊ね、先生が「まあだだよ」と応える「摩阿陀会」という催しにちなんでいるが、この映画のラストは、夢の中で“かくれんぼ”(←曲名ですね!!)をしている少年が、友達に何度も「まあだだよ」と叫ぶというもの。
 この曲でドラムを担当しているのは金子マリの実子で、玉置とは2013年のTVドラマ「東京バンドワゴン〜下町大家族物語」で共演した金子ノブアキ。ちなみに金子ノブアキの父親であるジョニー吉長は、やはり日本のロック創成期から活躍してきたドラマーだったが、2012年6月に肺炎で他界。金子ノブアキも2014年2月12日にソロ・アルバム『Historia』を発表したばかりだが、そのインタヴューで自分の作品で死生観がテーマとなっていると述べている。

 日本を代表するフラメンコ・ギターの名手、沖仁との共作による「屋根の下のSmile」は、子と母の関係から死生観を描いたもの。曲調はあくまでも親しみやすいが、、自分は母親を亡くした記憶が生々しいためか、途中で挿入される赤子の声のSEは、まるで母親が人生の最後に自分の生涯を振り返っている様子を見ているかのようで、思わず息を飲んだ。

 そしてラストのタイトル曲「GOLD」。

 荘厳なストリングスをバックに歌う歌詞の視点は、幕開けの「それ以外に何がある」と同じく壮大なスケール感に満ちている。僕に限らず長年のファンの中には、玉置が1998年に発表したソロ・アルバム『GRAND LOVE』のラストに収めていた「ぼくらは…」を思い起こす人も少なくないと思う。
 この歌に出てくる“いこう”という言葉の響きは圧倒的にスリリング。
“GO”と“PASS AWAY”の両義性をはらんでいるのに加え、転生のイメージさえほのめかしている。アルバムと曲のタイトルが「GOLD」となっているのは、儚い命の存在への祝福や慈しみの意味を込めてのものであるように感じられる。

 この歌詞を玉置と共に共作しているのは須藤晃。

 かつて須藤は、尾崎豊が早世して失意に沈んでいる最中で玉置浩二と出会い、代表曲「田園」をはじめとするソロ・アーティストとしての玉置浩二の最初の黄金時代を築いた人物だ。
 今回のアルバムで須藤が歌詞を共作しているのは、「GOLD」の他に「サーチライト」「かくれんぼ」「宙」と全10曲中4曲だが、須藤の名前が本作のブックレットに“Sound Making Cooperators”のひとりとしてクレジットされていることからも、単純に作詞を手伝ったというようなレベルではなく、本作の創作のプロセスで極めて重要な役割を果たしているようだ。
 アルバム『GOLD』に連動するツアーでは、玉置と須藤のパートナーシップの本格的なはじまりとなった「カリント工場の煙突の上に」に加え、尾崎豊の代表曲「I LOVE YOU」のカヴァーも披露しているのは、玉置と須藤がお互いのことをしっかりと理解しあい尊重しあっていることの表明としても受け取れる。

 ここまで壮大で、ともすれば宗教的な色彩を帯びても不思議ではないようなテーマに取り組みながらも、寸止めで過剰にスピリチュアルな表現となるのを抑制している点にも注目したい。
 僕はスピリチュアルな領域にアプローチする際、“委ねる”のと“縋る”のでは、決定的に異なるものになると考えているが、玉置浩二は決して作品に宗教的な価値観に“縋る”ような脆さを持たせることはない。その時々でモードは異なるものの、あくまでも音楽という領域に踏みとどまり、音楽家としての責任感と使命をまっとうしてきた。
 1998年から現在にいたるまで、バカの一つ覚えのように「玉置浩二をミュージシャンとして評価するべきだ」と繰り返してきた自分としても、心からの喝采を贈りたい!

 最後に本作から感じた今後への期待について書いておきたい。

 かつての玉置と須藤の蜜月時代は、他の人間が立ち入れないような気配もあった。
だが本作に反映されている現在の玉置の人間的な交流の広さは、以前には無かったオープンな境地を感じさせるものだ。本作に参加しているゲストは金子マリ、金子ノブアキの母子、沖仁だけではない。桑名正博の実子でミュージシャンの美勇士、桃乃未琴名義の頃に楽曲を提供した女性シンガーの平岡恵子も、アルバムにもツアーにも参加している。
 「いつの日も」でアコースティック・ギターを奏でている押尾コータローとの交流の深まりも周知のところだが、個人的にはこの曲のシンセサイザーを、近年EP-4の活動を再開したBANANAが奏でているのも嬉しい。
 なお、2014年4月1日から安全地帯&玉置浩二のオフィシャルファンクラブ「Cherry」は、株式会社カリントファクトリー(東京都渋谷区、代表取締役 須藤晃)に運営業務の委託を開始している。
 つまり今後の彼らの連携はさらに深まっていく気配が濃厚なのだ。今回のアルバム『GOLD』という大きな成果をあげた玉置と須藤のコラボレーションが、今後どのような展開となるのか、その予感につい高揚してしまうのは、決して僕だけではないだろう。
            ネ?


98年 ビデオ「WE CAN BELIEVE IN OUR“JUNK LAND”」レヴュー
98年 アルバム『GRAND LOVE』プレス資料〜玉置浩二論
99年 ビデオ「“GRAND LOVE”A LIFE IN MUSIC」ライナー
99年 アルバム『ワインレッドの心』プレス資料
01年 玉置浩二3万字インタヴュー
05年 アルバム『今日というこの日を生きていこう』レヴュー