アルバム『GRAND LOVE』プレス資料 玉置浩二論
未知の領域への挑戦を繰り返して到達した第二の黄金時代


 玉置浩二はずっと誤解されてきたと思う。例えば私にとって彼の音楽の最大の魅力は、土着的なパワーにあるのだが、いきなりこんなことをいっても何のこっちゃい? と感じる人が多いのではないだろうか。私の想像では、彼の一般的なイメージといえば、ロマンティックなバラードを得意とするメロディ・メイカー。安全地帯を休業してからは「田園」の大ヒットがあって、歌がめっぽう上手い。そうそう、TVドラマでも活躍してますよね〜といったところだろう。もちろんそれはそれで間違いではない。だがそれだけでは、木を見て森を見ずという諺のように、この才能の巨大さを見過ごすことになってしまう。

 正直に言うと、実はかつての私自身がそうだった。パンク〜ニュー・ウェイヴの硬派なイメージにひたすら憧れていた頃の私は、安全地帯に女性向けの軟弱な音楽といった偏見で接していたため、彼らの音楽が大好きだとカミング・アウトするまでには、いささかの逡巡があったのである。だが私にとってそんな偏見をブッ壊すきっかけは、87年のツアーの模様を記録した『安全地帯LIVE』だった。バンドとの共同アレンジにBAnaNAこと川島裕二を迎えた本作は、とにかくリズムが凄かった。日本のポピュラー音楽において、アフリカ的なリズムをここまでメロディアスな楽曲とマッチさせたという点で、このアルバムの演奏は画期的なものだったのだ。当時の私は日本のインディーズの伝説ともいうべきJAGATARAによってアフロ・ファンクの魅力を思い知らされ、ワールド・ミュージックへの入り口となったフェラ・クティを聴いたりしていたのだが、それに通底する音楽的な磁力をメジャー・シーンでまき散らす存在として安全地帯を意識したのである。こんな私の入り方は玉置浩二のファンとしては、かなり珍しい部類に入るかも知れない。だが逆に言えば、私のような偏ったリスナーをも引き込むほどの音楽的な包容力が安全地帯にはあったのである。それに彼の歌声の魅力は単に上手いといった言葉で済ませられる類のものではない。そのスケールの大きさを人に伝えるには、圧倒的な生命力の発露という意味で、やはりワールド・ミュージックを引き合いに出すのが相応しいと私は確信している.。

 リスナーとしての私の昔話はこれくらいにして、彼の話に戻ろう。玉置浩二というアーティストの最初の黄金時代は、この86〜87年にかけてだったと私は考えている。それを如実に示すのは、アナログ盤にして三枚組という超大作だった86年の『安全地帯V』。全36曲のうち、インストの「夕暮れ」を除く35曲が彼の作曲だというデータを示せば、当時のクリエイティヴィティの爆発の凄さは分かっていただけるだろう。

 それにも増して彼の凄いところは、ミュージシャンとしての音楽的欲求をどこまでも押し進めていく点にある。安全地帯において、いったんバラードを得意とするメロディ・メイカーという作風を築き上げ、周知のように十分な成功を収めているにも関わらず、次々と新たなチャレンジを繰り返していくのである。安全地帯と並行する形で制作された87年のファースト・アルバム『オール・アイ・ドゥ』は、まずバンドと違う顔ぶれでレコーディングするという初めての試み。同時にこれは先に述べた三枚組とそれを携えてのツアーを行った安全地帯が、ひとつの節目を迎えたことの現れでもあった。

 その後に安全地帯は88年『月に濡れたふたり』、90年『夢の都』、91年『太陽』という3枚のオリジナル・アルバムを発表しているが、この3枚のうち後の2枚では、アコースティック・ギターに彼自身の名前がクレジットされている。この頃から彼は、レコーディングにおいて、いちヴォーカリストとしてのみならず、演奏にも取り組むようになってきたわけだ。こうした変化はバラードを中心に構成された93年のセカンド・ソロ『あこがれ』にも踏襲されている。また「大切な時間」で、彼は初めて作詞に自分の名前をクレジットしているのも象徴的だ。
 だが現在に至る流れの始まりは、その次。同じ93年に発表された『カリント工場の煙突の上に』にあるといっていいだろう。旭川という故郷を振り返り、自分の生い立ちをテーマにした『カリント〜』においては、10曲中2曲の歌詞をプロデューサーである須藤晃と共作。そして4曲では作詞作曲からアレンジまでを自分だけで行っているのだ。それまでの彼をメロディ・メイカー、ヴォーカリストとして位置づけるなら、ここからシンガー・ソングライターとしての歩みが本格的にスタートしたわけである。

 94年の『LOVE SONG BLUE』になると彼が歌詞を書いていない曲は1曲のみ。しかも曲調も、それまでのようなバラードだけでなく、アッパーで明るいメロディを持ったものが増えている。メロディのヴァリエーションが一挙に広がっているのだ。こうした新生面は、95年のライヴ・アルバム『T』を挿んで到着した96年の『CAFE JAPAN』に収録された件のヒット曲「田園」に顕著だ。
 だが『CAFE JAPAN』における新生面は、それだけではない。本作以降の彼はギター、ベース、ドラムス、パーカッションなども自分で演奏。マルチ・プレイヤーとしての力量を世に示し始めたのである。これが昨年の『JUNK LAND』となると、根底にシリアスなメッセージ性を持ちつつ、歌詞においては言葉遊びとでもいいたくなるような奔放な実験を行うと同時に、それまであまり見せることのなかったブラック・コンテンポラリー的なアプローチも展開するといった具合。世に冒険的といわれるミュージシャンは多いが、ここまで次々と新しいことをやり遂げてしまうアーティストはむしろかなり珍しいといっていいだろう。しかもそれらがいずれも過渡期的な危うさを見せない完成度の高さなのだから、創作における彼のテンションの高さがとてつもないものだろうということくらいは、作品に触れているだけでも想像がつく。
 それなのにどうしたことか、今の日本では彼に音楽的な側面から切り込むメディアは皆無に等しい状況なのだ。こんな理不尽なことがあってたまるかと私は苛立っていた。今回は運良くそうした思いが伝わってこの原稿を書かせてもらっているわけだが、今できあがったばかりの新作『GRAND LOVE』は、またしても大きな飛躍を遂げた作品である。
 初めて全曲を本人が作詞というのも見過ごせない要素だが、本作の最大の特色は、なんといってもサウンドのプロダクションに対する姿勢にある。もちろん彼は、実験的なアイデアの面白さだけを乱暴にぶつけるタイプのミュージシャンではないので、エキセントリックな印象は受けないかも知れない。しかしレコーディングのプロセスを知っている人ならば、ヴォーカルの響きやパーカッションのグルーヴなどを噛みしめるほどに、その大胆さに驚愕するのではないだろうか。個々の具体的な指摘は楽曲ごとの紹介で触れるが、この文章の最初で私が土着的と書いたパワーは、彼自身が手掛ける領域を広げたことで、ヴォーカルとかメロディだけでなく、遂にサウンド全体から放たれるようになったのだ。

 現在の玉置浩二は、そのクリエイティヴィティにおいて、間違いなく第2の黄金時代に突入したといえるだろう。



楽曲解説及び『GRAND LOVE』アルバム総論

1 願い
 ガット・ギターの響きが印象的なバラード。玉置浩二の王道をいくようなスタイルだが、意外にも楽曲はキーボードの安藤さと子との共作である。元々はレコーディング・スタジオで彼女が作曲していたのを玉置が気に入り、こうした形で完成させたもの。アルバム・タイトルにもなっている『GRAND LOVE』という大きなテーマは、こうしたプライヴェートな愛情へのささやかな願いからスタートするということだろう。そうした意味あいを考えると、このシンプルというよりも簡素な演奏がますます味わい深く感じられる。

2 DANCE with MOON
 スティングに通じるようなエキゾチシズム漂う幻想的なナンバー。アコースティック・ギターとベース、パーカッションのフレーズの間から生まれる空間的な広がりが、月の砂漠という歌いだしのイメージを喚起する。にもかかわらず、この曲のヴォーカルにはほとんどリヴァーブがかけられていない。そのため響きは穏やかでも決してムードだけに流れることのないテンションの高さが伝わってくる。寝転がりながらマレットでロー・タムを叩くなど、さりげなく聴こえるパーカッションも、音色の選択は天性のセンスで貫かれている。

3 ルーキー
 大鵬薬品チオビタドリンク2000のCMソングとなった移籍第一弾シングル。歌詞は大のジャイアンツ・ファンである玉置が、巨人軍の高橋由伸選手をイメージの一つとして書いたものだが、新たに社会人となった人々への応援歌としても受け取れる内容で、商品にマッチしているだけでなく、LOVEの対象を少しづつ広げていくアルバムの流れを作っている。アコースティック・ギターの放つ野性味のあるグルーヴとこちらに走って近付いてくるかのように響かせ方を変えるヴォーカルが、見事な躍動感を伝えてくる。

4 HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜
 オルゴールの奏でるメロディをバックに、オープニングで聴かせる安藤さと子と玉置のコーラスが、幸せそうなカップルの過ごすプライヴェートな時間を、映像的に描き出す。音楽的な演出といってもいいような小粋な導入だ。ひょっとしたら玉置は、TVドラマへの出演などの経験を、こうした音楽的なアイデアとして実らせているのかも知れない。最初と最後が囁くような穏やかさをたたえているだけに、願い、祈り、誓う部分のテンションの高さが、切実さとして迫ってくる。さりげないが豊穣な生命力を感じさせるパーカッションも聴きもの。

5 GRAND LOVE
 極めて音数の少ない演奏が、リラックスしたムードを醸し出す。大きなGRAND LOVEを形作るのは、つまるところ出発点であるひとりひとりのささやかな日常のひとこまなのだ。それにしてもここで歌われるLOVE SONGという言葉は、なんと広がりと深みをもっていることだろう。それはすなわち玉置浩二の歌うLOVE SONGの深さなのだ。その言葉に導かれるようにして奏でられるエンディングのインスト部分にもディープな色っぽさが漂っている。

6 RIVER
 歌詞はここへきて自分の願いを語るのではなく、他者を励ます語り口になっていることに注目したい。この曲における愛情は男女間だけのものではなく、友人に向けたものへと広がっている。つらい時に人を癒してくれるものとして音楽と自然(RIVER)をあげているあたりは、まさに等身大の玉置。これまたヴォーカルにほとんどリヴァーブをかけていないミキシングは、その等身大の玉置が、リスナーのひとりひとりを励ますために部屋を訪れたかのような効果をあげている。レコーディングの常識からいえば相当に大胆なアイデアかも知れないが、それがこれほど自然に聴こえるのは、単にインパクトを狙っての選択ではなく、楽曲としての必然性に貫かれているからに他ならない。こうした音作りが可能なのは、安全地帯時代にも関わっていたエンジニア長島道秀氏と玉置のコンビネーションがあるからこそだろう。

7 カモン
 これまでの流れとは一変して、エレキ・ギターとキーボードの絡みが、ジャジーなムードを生んでいる。間奏パートでトロンボーンのように聴こえる音は、実は玉置が肉声で出しているもの。多重録音によるアカペラ・コーラスも含めて、玉置ならではの声のマジックが堪能できるナンバーである。歌詞では東京での生活を苦手にしている玉置の本音が吐露されているが、言葉遊びと絡めることにより、ネガティヴな語り口だけが際立つことのないようになっている。

8 BELL
 シングルのカップリング・ナンバーであり、KIRIN“JIVE”のCMソングでもある。曲の感触はアコースティックなものだが、ここではソロ・ツアーのメンバーであるカルロス管野によるパーカッションが、重要なポイントを占めている。プログラミングを担当しているのは、「田園」でもお馴染みの藤井丈司。歌詞は玉置が自分が音楽家として務めるべき役割について語っているようにも受け取れる。

9 RELAX
 こちらはリズム・プログラミングも玉置自身が担当。佐野聡のトロンボーン以外のトラックは、すべて玉置本人による演奏だ。彼にしては珍しく、ヴォーカルのメロディではなく、ギターのリフを中心に込み立てられた楽曲である。曲名とは裏腹に、後半ではギターもヴォーカルもグンとパワフルで、アレンジも歌詞も実験的。アルバムの流れをギュッと引き締めている。

10 ワルツ
 安藤さと子の書いた楽曲に玉置が歌詞を書いた小品。テーマになっているのは再び男女間の愛情だが、ここで描かれているカップルは、すでに出会ってからかなりの年月を共に歩んできたことが察せられる。あるいは彼らは「HAPPY BIRTHDAY」で描かれた男女の未来の姿なのかも知れない。

11 フォトグラフ
 年月を共にしてきたカップルの思い出をしるすフォトグラフ。そこに映っている景色は、ずっと変わらないがゆえに時の流れの無情さをも示してしまう。ひょっとしたら歌の中の主人公は、すでにパートナーと死別しているのかも知れない。誰しも一度だけの生ならばこその喜びと切なさを綴ったこの曲にいたって、玉置が描くLOVEは、死生観をも含んだものへと深みを増している。ラストにさり気なく流れるオルゴールが意味深だ。きめ細かなグルーヴを発しているドラムスは、キック、スネア、ハイハットをバラバラに録音したもの。これもいわゆるレコーディングの常識にとらわれていては生み出せない妙味である。

12 ぼくらは
 3分に満たないコンパクトなサイズだが、このアルバムのテーマに相応しい雄大なスケール感を放つナンバー。ゴスペル風のコーラスを導入に置いていることから察するに、この曲の<君>とは人間を越えた存在なのかも知れない。ギターに導かれるようにして出てくるワールド・ミュージックのような旋律は、玉置が民謡を歌った声にディストーションをかけたもの。とんでもないことを思いつく人だ。この声が意味するのは人間が祈る時の内なる叫びか、あるいは神の声か。人によって想像するところはさまざまであろう。ちなみに玉置の祖母は民謡の先生だったため、彼は幼い頃から民謡に親しんできたという。このパンフレットでしつこく指摘した彼の土着性の秘密は、実はそうしたバックボーンにあるのかも知れない。日頃の彼の発言からは、旭川の出身ということを強く意識していることがうかがわれるが、いずれにしても核家族化が進んだ大都市では、彼のような素養を持ったミュージシャンが育まれる機会はなかなかないに違いない。

 全曲を通して聴けば分かると思うが、本作は決して派手な作品でない。それぞれの楽曲のサイズは3分前後とコンパクトなものが中心だし、サウンドも厚味ではなく、間で聴かせるタイプのものが大半を占める。だがその間が発するリズムには濃厚な生命力が宿っているのだ。ポイントのひとつはレコーディングの進め方にある。現在のポピュラー音楽のレコーディングでは、ドラムスとベースを最初に録音するのが半ば常識となっているが、本作の収録曲は、ギターやピアノから録音を始め、ドラムスを後半から入れているものばかり。極めてスリムなサウンドの中で、パーカッション類が記名的な歌心を放っているのは、決して偶然ではない。

 またプライヴェートに語りかけるような穏やかさで、聴く者を『GRAND LOVE』という壮大なテーマにまで引き込んでいくという構成も、初めて全曲の作詞を行った人物の作品とは思えない緻密さである。しかし玉置は決して言葉先行のタイプのミュージシャンではない。本作の歌詞は全て曲が作られた後に、仮歌の響きを大切に紡ぎ出されたものばかり。言霊という言葉があるが、玉置の場合は自意識ではなく<音霊>に従って声に言葉を肉付けし、私達へメッセージを伝えているのだ。本作における彼は、音霊の命じるところを私達に指し示すという意味で、ある種シャーマンに似た役割を果たしているように思う。

1998年4月25日



98年 ビデオ「WE CAN BELIEVE IN OUR“JUNK LAND”」レヴュー
99年 ビデオ「“GRAND LOVE”A LIFE IN MUSIC」ライナー
99年 アルバム『ワインレッドの心』プレス資料
01年 玉置浩二3万字インタヴュー
05年 アルバム『今日というこの日を生きていこう』レヴュー
14年 玉置浩二ソロ・アルバム『GOLD』