賢治の星の年譜 1915(大正4)-1920(大正9)
   

賢治の星の年譜 1915(大正4)-1920(大正9)


前年へ戻る ▲賢治の星の年譜のインデックスヘ戻る 翌年へ進む



賢治の星の年譜 1915(大正4)-1920(大正9)
年齢 世間の動き 賢治の主なできごと/天文現象など
大正4年
(1915年)
19才
岩手軽便鉄道(現JR釜石線)全通。
1月、盛岡市北山の教浄寺(時宗)に下宿し、受験勉強に励む。
2月、片岡正夫『化学本論』が刊行され賢治の座右の書となる。
4月6日、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)農学部第二部農芸化学科に首席で入学。寄宿舎、自啓寮に入る。土、日は登山、鉱物標本採集。
8月11日、盛岡で部分日蝕。
8月29日、遠野を歩く。友人高橋秀松あての葉書(書簡10)を書く。
11月15日、アインシュタイン一般相対性理論完成。
大正5年
(1916年)
20才
盛岡高農2年
インドの詩人タゴール来日。 1月20日、部分月蝕。
3月19 日、修学旅行で東京、京都、奈良の農事試験場を見学。
3月24日、修学旅行中、奈良にて歌稿〔B〕258「たそがれの」歌稿〔B〕259「にげ帰る」を詠む。
4月13日、岡山県倉敷市に富田隕石落下。
7月8日、関教授の下で盛岡地方の地質の調査。
7月30日、上京。
8月1日、ドイツ語夏期講習を受ける。
9月5日、関教授の下で秩父地方の土性地質調査見学に参加中、友人保阪嘉内あての葉書(書簡22)を出す。
9月4日、関教授の下で秩父地方の土性地質調査見学に参加中、歌稿〔A〕350「さはやかに」を詠む。
9月6日、関教授の下で秩父地方の土性地質調査見学に参加中、友人保阪嘉内あての葉書(書簡23)を出す。
大正6年
(1917年)
21才
盛岡高農3年
ロシア革命。 1月4日、家の商用で上京。
1月8日、皆既月蝕。
3月17日、再び特待生となり、旗手を命ぜられる。『校友会会報』に筆名「銀校」で短歌「雲ひくき峠等を発表。」
4月、盛岡中学に入学した弟清六と盛岡市内に下宿。
7月1日、小菅健吉、保阪嘉内らと同人誌『アザリア』を創刊。短歌「みふゆのひのき」、短編「『旅人のはなし』から」などを発表。
7月25日、保阪嘉内と岩手山登山。
8月28日、同級生らと江刺郡地質調査のため種山ヶ原などをまわる.。
9月3日、友人保阪嘉内あての葉書(書簡40)を出す。
9月16日、祖父、喜助死亡.。
10月21日、弟、清六らと岩手山登山。作品「柳沢」を制作。
12月28日、皆既月蝕。
大正7年
(1918年)
22才
盛岡高農4年
シベリア出兵。
第一次世界大戦終結。
全国米騒動。
1月25日、滋賀県浅井町付近に田根隕石落下。
1月26日、父と卒業後の進路について対立。
1月20日、『アザリア』に断想「復活の前」を発表。
3月13日、親友保阪嘉内、退学処分となる。
3月15日、卒業論文「腐食質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値」提出。盛岡高等農林学校卒業。
4月1日、研究生となる。徴兵検査、第2種乙種、徴兵免除となる。
4月、平山清次が小惑星の族を発見。
6月9日、盛岡で部分日蝕。仙台に行き古書店や洋書専門の丸善をまわり書籍を購入。
6月24日、部分月蝕。
6月30日、肋膜炎となり1カ月静養。童話の制作を始める。『アザリア』に短編「峰や谷は」を発表。
8月、童話「蜘蛛となめくじと狸」「双子の星」を家族に読んで聞かせる。
9月21日、土地調査で早池峰山などをまわる。
12月26日、妹トシ入院との報で母と上京。翌年3月まで滞在。
大正8年
(1919年)
23才
ベルサイユ講和条約。 1月27日、東京で人造宝石の製造販売の職業を計画するが、父の反対にあう。
1月か2月ごろ、盛岡中学の同期生阿部孝の下宿で萩原朔太朗の詩「月に吠える」に出会い感銘を受ける。
3月3日、退院したトシと共に帰郷。家事に従事。
5月、短編「猫」「ラジュウムの雁」を書く。浮世絵の収集を始める。
夏には短編「女」「土神と狐」(推定)を書く。
10月19日、京都の佐々木哲夫がメトカーフ彗星(1919c=1919V)を検出。
10月25日、京都の佐々木哲夫がフィンレイ周期彗星(1919d=1919II)を初検出。
この年、郡立農蚕講習所で鉱物、化学などの科目で教壇に立ったらしい。
大正9年
(1920年)
24才
日本初メーデー。 5月20日、盛岡高等農林学校研修科修了。関教授からの助教授推薦の話を辞退。
8月21日、はくちょう座に2等星の新星があらわれる。デニング(英)発見。日本では内村鑑三、神田茂が独立発見。
9月1日、京都大学山本一清助教授、天文同好会(後の東亜天文学会)を設立。
9月16日、新潟県清里村に櫛池隕石落下。
10月27日、皆既月蝕。
12月2日、国柱会信行部に入会。父にも改宗をせまる。
この年、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」(推定)「貝の火」(推定)「三人兄弟の医者と北守将軍」(推定)を書く。

前年へ戻る ▲賢治の星の年譜のインデックスヘ戻る 翌年へ進む



メインページへ

宮沢賢治のページへ

☆星のページへ

△山のページへ

kakurai@bekkoame.ne.jp