盛岡で見られた部分日触 1915(大正4)年8月11日
   

盛岡で見られた部分日触
1915(大正4)年8月11日




賢治が盛岡高等農林学校1年次の8月に、盛岡で部分日触がありました。画面は15分おきに 欠けてゆく様子をシミュレートしたものです。
早朝に起こった日蝕です。盛岡での最大食分は0.5。
小笠原諸島の母島では金環蝕帯が通っており、東京天文台の早乙女清房及び水沢緯度観測所 の橋本技師が出張しています。


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