盛岡で見られた部分日触 1918(大正6)年6月9日
   

盛岡で見られた部分日触
1918(大正7)年6月9日




賢治が盛岡高等農林学校3年次の6月に、盛岡で部分日触がありました。画面は20分おきに 欠けてゆく様子をシミュレートしたものです。
朝方に起こった日蝕ですが、食分が大きく、意識的に見ていた可能性があります。 盛岡での最大食分は0.8。なお、賢治はこの日仙台に書籍購入に出かけています。
小笠原諸島の鳥島では皆既蝕帯が通っており、京都帝国大学(山本一清)、東京帝国大学など が観測隊を派遣しています。


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