賢治の星の年譜 1921(大正10)-1925(大正14)
   

賢治の星の年譜 1921(大正10)-1925(大正14)


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賢治の星の年譜 1921(大正10)-1925(大正14)
年齢 世間の動き 賢治の主なできごと/天文現象など
大正10年
(1921年)
25才
原敬暗殺。 1月23日、無断で上京。
1月24日、国柱会本部高知尾智燿に会う。
1月25日、本郷菊坂町75稲垣方に下宿。文京社の校正、筆耕の仕事に就きながら街頭布教や奉仕活動をする。
2月、高知尾の勧めにより「どんぐりと山猫」「鹿踊りの始まり」など、多くの童話を創作。
4月初旬、上京した父と関西旅行。
4月4日、父と旅行中に
歌稿〔B〕774「ありあけの」を詠む?
4月22日、皆既月蝕。
6月30日、山本一清著「星座の親しみ」が刊行される。
8月中旬、トシの病気の報に帰郷。
9月、『愛国婦人』に童謡「あまの川」を掲載。
12月3日、稗貫郡稗貫農学校(のち県立花巻農学校)教諭に就任。
この年、「雪渡り」「龍と詩人」「かしはばやしの夜」「鹿踊りの始まり」「どんぐりと山猫」「月夜のでんしんばしら」「注文の多い料理店」「狼森と笊森、盗森」など制作。
大正11年
(1922年)
26才
ソ連邦成立。 1月1日、『愛国婦人』に童話「雪渡り」を発表。稿料5円を得る。
1月6日、心象スケッチ「屈折率」「くらかけの雪」を書き、『春と修羅』収録詩編制作開始。「水仙月の四日」創作。
3月2日、『春と修羅』収録の詩
「ぬすびと」の創作。
4月13日、『春と修羅』収録の詩「有明」の創作。
5月21日、「小岩井農場」を書く。
5月30日、山形県長井市に長井隕石落下。
8月30日、種山が原に地質調査。(31日まで)
8月31日、夕方岩谷堂町(江刺)に下山、田原村(江刺)の原体で原体剣舞連を見る。『春と修羅』収録の詩「原体剣舞連」の創作。
9月5日、吉田源治郎著「肉眼に見える星の研究」が刊行される。賢治の天文知識の源の一つとなる。
9月17日、生徒6名と岩手山登山。(18日まで)
9月18日、『春と修羅』収録の詩「東岩手火山」の創作。
9月27日、『春と修羅』収録の詩「犬」の創作。
9月、農学校の生徒「飢餓陣営」を上演。
11月19日、アインシュタイン来日。神戸港より入国。
11月23日、農学校で収穫感謝祭が行われ、学芸会。
11月27日、妹トシ死亡。『春と修羅』収録の「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」が生まれる。
12月2日、アインシュタイン仙台を訪ねる。
12月3日、アインシュタイン仙台公会堂で「相対性原理について」講演。
12月29日、アインシュタイン帰国。
大正12年
(1923年)
27才
関東大震災。
花巻温泉営業開始。
1月初旬、上京し、弟清六に童話の原稿を持ち込ませるが断られる。
4月、「科学画報」創刊。
5月25日、花巻農学校の開校記念公演として「異稿植物医師」「飢餓陣営(バナナン大将)」を上演。
4〜5月、『岩手毎日新聞』に詩「心象スケッチ外輪山」、童話「やまなし」「氷河鼠の毛皮」「シグナルとシグナレス」を発表。国柱会機関紙『天業日報』に詩「青い槍の葉」他を発表。
6月3日、生徒を引率し登山(6月4日まで)。『春と修羅』収録の詩
「風林」を創作。
6月4日、『春と修羅』収録の詩「白い鳥」を創作。
7月31日、生徒の就職依頼のため青森、北海道経由で樺太に行く。(8月12日まで)
8月1日、『春と修羅』収録の「青森挽歌」、『春と修羅』補遺収録の「青森挽歌三」「津軽海峡」を創作。
8月4日、『春と修羅』収録の「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」を創作。
8月11日、『春と修羅』収録の「噴火湾(ノクターン)」を創作。
8月26日、部分月蝕。
9月1日、盛岡測候所落成。
9月16日、『春と修羅』収録の「宗教風の恋」「風景とオルゴール」「風の偏倚」「昴」を創作。
10月15日、『春と修羅』収録の「過去情炎」を創作。『春と修羅』補遺「自由画検定委員」もこの頃創作(?)。
10月28日、岩手山麓行。
この年、水野千里著「天文童話・星座めぐり」、古川竜城著「星夜の巡礼」が刊行される。
大正13年
(1924年)
28才
レーニン没。 2月12日、童話「風の又三郎」の原稿筆写を教え子に依頼。
2月20日、
「空明と傷痍」を創作。この頃より詩集『春と修羅』第二集の創作が始まる。
2月21日、皆既月蝕。
3月24日、鱒沢、五輪峠、人首、水沢(緯度観測所)などを歩く。(3月25日まで)
3月25日、『春と修羅』第二集「人首町」「晴天恣意」を創作。
4月19日、盛岡から北上山地の外山高原まで歩く。(4月20日まで)『春と修羅』第二集「〔どろの木の下から〕」「〔いま来た角に〕」、 『春と修羅』第二集補遺「〔どろの木の根もとで〕」を創作。
4月20日、心象スケッチ『春と修羅』(関根書店)を自費出版。『春と修羅』第二集「有明」「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」「北上山地の春」、 『春と修羅』第二集補遺「〔あけがたになり〕」を創作。
5月4日、『春と修羅』第二集「山火」を創作。
5月8日、水星の日面通過。
5月18日、生徒と北海道修学旅行出発。(5月23日まで)
5月19日、函館にて『春と修羅』第二集「函館港春夜風景」を創作。
5月21日、苫小牧にて『春と修羅』第二集「牛」を創作。
5月、水沢緯度観測所の千葉武志、太陽黒点の観測を開始(1939年4月まで継続)。
6月22日、『春と修羅』第二集「林学生」を創作。
7月5日、『春と修羅』第二集「〔温く含んだ南の風が〕」「〔この森を通りぬければ〕」を創作。
7月17日、『春と修羅』第二集「薤露青」を創作。
7月23日、辻潤が「春と修羅」を賞賛。
8月10日、農学校生徒と「飢餓陣営(バナナン大将)」「植物医師」「ポランの広場」「種山ケ原の夜」を上演、一般公開。
8月15日、皆既月蝕。
8月16日、河原坊に野宿し早池峰山に登山(8月17日まで)。
8月17日、『春と修羅』第二集「〔北いっぱいの星ぞらに〕」「早池峰山嶺」を創作。
8月23日、火星の大接近。565万kmまで接近し-2等になる。
9月25日、金星の掩蔽起こる。
10月1日、「子供の科学」創刊(誠文堂)。
10月2日、『春と修羅』第二集「〔南のはてが〕」を創作。
10月11日、『春と修羅』第二集「善鬼呪禁」を創作。
10月12日、『春と修羅』第二集「ローマンス(断片)」を創作。
11月2日、『春と修羅』第二集「命令」を創作。
11月23日、『春と修羅』第二集「孤独と風童」を創作。
12月1日、イーハトヴ童話集『注文の多い料理店』を刊行。
12月、童話「銀河鉄道の夜」を菊池武雄らに語り聞かせる。
この年、古川竜城著「星のローマンス」、神田茂著「彗星」が刊行される。
大正14年
(1925年)
29才
JOAKラジオ試験放送開始。 1月5日、三陸旅行に出発。(1月9日まで)『春と修羅』第二集「異途への出発」を創作。
1月6日、三陸旅行中に『春と修羅』第二集「暁弯への嫉妬」を創作。
1月8日、三陸旅行中に『春と修羅』第二集「発動機船〔断片〕」「旅程幻想」、『春と修羅』第二集補遺「発動機船 第二」を創作。
2月5日、『春と修羅』第二集「冬」を創作。
2月9日、部分月蝕。
2月から森佐一、7月から草野心平と交わり、森編集「貌」草野編集「銅鑼」に詩を発表。
4月2日、『春と修羅』第二集「〔硫黄いろした天球を〕」「〔そのとき嫁いだ妹に云ふ〕」「発電所」「〔はつれて軋る手袋と〕」、 『春と修羅』第二集補遺「〔雪と飛白岩の峯の脚〕」を創作。
5月10日、森佐一を誘い岩手山登山。(5月11日まで)『春と修羅』第二集「〔つめたい風はそらで吹き〕」を創作。
5月11日、『春と修羅』第二集「春谷暁臥」「国立公園候補地に関する意見」を創作。
7月19日、『春と修羅』第二集「鉱染とネクタイ」を創作。
8月4日、部分月蝕。
8月10日、早池峰山登山、河原坊に野宿。(8月11日まで)『春と修羅』第二集「〔朝のうちから〕」「渓にて」を創作。
8月11日、『春と修羅』第二集「河原坊(山脚の黎明)」「山の晨明に関する童話風の構想」を創作。
8月、森佐一らと花城小学校で開かれた詩の展覧会に作品出品。
9月4日、北海道美唄市に沼貝隕石落下。
10月1日、野尻抱影著「星座巡礼」が刊行される。
11月、東北大早坂助教授をイギリス海岸に案内してバダグルミ化石を採集。
11月20日、木星食起こる。
12月3日、長野の田中静人がわし座にウィルク・ペルチャー彗星(1925k=1925XI)を独立発見。
12月、「冬(幻聴)」を発表。「オツベルと像」「ざしき童子のはなし」「猫の事務所」岩手日報に変名にて「法華堂建立勧進文」発表。

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