賢治の星の年譜 1909(明治42)-1914(大正3)
   

賢治の星の年譜 1909(明治42)-1914(大正3)


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賢治の星の年譜 1909-1914
年齢 世間の動き 賢治の主なできごと/天文現象など
明治42年
(1909年)
13才
中1
伊藤博文暗殺。 2月、綴り方「冬季休業の一日」を書く。
3月26日、花城尋常高等小学校卒業、成績優等で「高等小学読本」などを与えられる。
4月5日、県立盛岡中学校(現県立盛岡第一高等学校)に入学。鉱物採集に熱中。Helpのあだ名がつく。
4月、日本天文学会が発足し、「天文月報」が発刊される。
6月18日、盛岡で部分日蝕。
7月27日、岐阜県美濃市付近に隕石雨。
9月25日、オーロラ、北海道・秋田・新潟で出現。
11月27日、皆既月蝕。
この年、日本天文学会編「天文通俗講話」が刊行される。
明治43年
(1910年)
14才
中2
日韓併合。 1月下旬、1910年1月の大彗星(1910a=1910I)が明るくなる。
5月、ハレー彗星地球に接近。
6月18日、博物教師に引率されて岩手山初登山。
11月2日、盛岡で部分日蝕。
この年、一戸直蔵著「星」が刊行される。
明治44年
(1911年)
15才
中3
花巻に電灯つく。
石川啄木没。
アムンゼン南極点到達。
1月、短歌の創作開始。
1学期より2学期にかけたびたび教師に反発。エマーソンなどの哲学書を愛読。
7月5日、水沢臨時緯度観測所木村栄所長が帝国学士院第1回恩賜賞を受ける。
8月、盛岡市北山、願教寺の「仏教夏期講習会」にて島地大等の法話を初めて聴いたと推定。
10月22日、盛岡で部分日蝕。
この年、ブルックス彗星(1911c=1908III)出現。
明治45年
大正元年
(1912年)
16才
中4
花巻に電話開通。
東北大凶作。
タイタニック号沈没。
5月27日、仙台方面へ修学旅行。初めて海を見る。
9月26日、部分月蝕。
11月、歎異士鈔に感動。
大正2年
(1913年)
17才
中5
憲政擁護運動。 3月12日、新舎監排訴の動きにより全員退寮させられ、盛岡市北山、清養院(曹洞宗)に下宿。
3月22日、
皆既月蝕。
5月21日、北海道方面へ修学旅行。
9月15日、皆既月蝕。
この年、デラバン彗星(1913f=1914V)出現。
大正3年
(1914年)
18才
第一次世界大戦勃発。
パナマ運河開通。
3月23日、盛岡中学卒業。
4月、肥厚性鼻炎手術で岩手病院に入院。手術後発疹チフスの疑いのある高熱のため再入院、看護婦に片思い。父、看病中に倒れて入院。
5月末頃、退院。
9月4日、部分月蝕。
9月、父に高等農林学校受験を許される。島地大等編「漢和対照妙法蓮華経」に感銘。

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