青函連絡船

1981-1983

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 青函連絡船は、1988年3月13日、青函トンネルを津軽海峡線が開通した同じ日に、80年の歴史の幕を閉じた。 それはかつて、北海道と本州(内地)をむすぶ生命線であり生活路線だった。


函館港への入港


函館桟橋での貨車の積み降ろし


函館桟橋への入港


函館桟橋でアンカーロープを手繰る地上作業員

函館桟橋で固定ロープを手繰る地上作業員


函館桟橋での入港時にブリッジから指示を出す船長。船長一人では全てを見ることができないので、多くの甲板員や地上作業員の協力が必要だ。
 或る一等航海士は、船長が青函連絡船を入港させ、桟橋に着ける技術は
神業です、と語っていた。


ブリッジの船長へ船尾の模様を伝える甲板員。函館桟橋

函館に入港した連絡船から下船する乗客

大雪丸の出港時にアンカーロープを外す地上作業員。函館で

出港する大雪丸を見送る


函館を出港する八甲田丸のブリッジでウオッチする重村船長。この時点で、一度引退し、請われて嘱託として船長を務めておられた大ベテラン船長。出港時と入港時が最も気を使うと語っておられた。この方を評して、或る一等航海士の方が、入港する技術は神業だと語っていた。


函館出港時の八甲田丸のブリッジ。中央奥で手を上げ指示を出しているのが、重村船長。

函館出港時の八甲田丸ブリッジで、港内の船舶の様子をウオッチする重村船長。動いている船舶の位置や速度、風速、風向きなど、航海士の協力を得ながら把握する。


津軽海峡に出た八甲田丸ブリッジで一等航海士と雑談する重村船長(左)。


青森港への入港

青森港へ入港する八甲田丸

八甲田丸の青森入港時に支援するタグボート

青森から函館へ向かって津軽海峡上を航行する八甲田丸ブリッジで雑談する船員

八甲田丸の船倉で貨車を固定する作業員。航行中、揺れで軌道から外れることがないように、しっかりと固定される。

コーヒーを求める八甲田丸普通船室の乗客

八甲田丸の船長室で航海日誌をつける重村船長

イカ釣り舟の漁り火が灯る津軽海峡を航行する八甲田丸ブリッジでウオッチする重村船長。夜の航行は、特に神経を使う。

雪が降る函館港で、接岸間近の連絡船(後方)が入港してくる中、桟橋で積もった雪を掃く。

函館港桟橋に接岸する連絡船

函館港桟橋に接岸した八甲田丸。函館を出港しての往復の旅が終わる。

函館で下船した乗客。或る者は函館でその旅を終え、或る者は函館から列車を乗り継ぎ旅を続ける。

函館桟橋から函館駅の函館本線のプラットホームに向かう乗客。そこには、「おおぞら」が待っている。

連絡船桟橋から函館本線のプラットホームへ。また一歩故郷へ近付く。

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Kimimasa Mayama
Photographer
mayama@tokyo.email.ne.jp

updated November 7, 1998