連絡船は、様々な人たちに利用されました.。 転勤・転校で北海道に引っ越して来る人たち、本州へ移って行く人たち。 集団就職で本州へ旅立って行く中学生や高校生たち。 その桟橋は、出会いや別れの場となりました。 連絡船がその役目を終える頃には、「集団就職」という言葉もほとんど死語となり、中学校を卒業して就職する生徒たちも、もはや「金の卵」とは呼ばれなくなっていました。 青函鉄道局の駅員の方が、連絡船桟橋と函館本線のプラットホームの間を、お年寄りの荷物を持つのを手伝ったり、手を引いている姿をよく見かけることができました。
足の悪いお年寄りが一人、函館本線のプラットホームに降り立った。どこから来たのかお尋ねすると、稚内から来た,と言う。 行く先を問うと、四国まで行くのだと言う。 函館駅の助役さんが、ホームから桟橋に通じる階段の下に居て、「荷物を持ちましょうか」と言うと、2.3度断わったが、持ってもらった。 この旅に出る前に、医者に診てもらい、お墨付きをもらって出てきたそうだ。 |
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集団就職で北陸へ向かう中学卒業生。無理にも笑う娘。押し黙ったままの娘。 |
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転校していく級友を乗せた八甲田丸を見送る小学生。 |
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恋人の乗った八甲田丸を見送る中学生。 |
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updated November 7, 1998