2002.3.11&12王将戦第6局

佐藤康光VS羽生善治

居飛車穴熊対四間飛車

背面角のトリプルクロス

マシュダ談2002.3.13


「電話で失礼します」

「王将戦こっちでみておったよ。あの投稿、シュピーゲルベルク使ったの?」

「一台だけ稼働させました」

「そりゃ三台もいらんがな。バカ息子留守でよかった」

「どこかおかしかったですか?」

「(89手目)37角は読めんかった?」

「投稿時にはすでに電源切っていましたので」

「56手目は63歩ではどうじゃい?」

「本譜より難解な変化です。米長掲示板では63歩はないと断言していましたが、神崎掲示板ではこの手に気がついたようです。変化は違いますけど」

「ありゃ最初から羽生勝ちを期待しとるからね。ハブオタのシャーないクサレマンコじゃがな。神崎はまとも。で、81手目13桂成のあと同角は?」

「先手勝ちは動きません」

「すると50手目64歩が直接の敗着か。先に歩損は無理じゃね」

「後手は先日手を選択する以外なかったと?」

「いや。24手目73桂馬と跳ねたのが疑問。62玉とのコンビネーションが悪い」

「そこで25手目86角が成立したと?」

「それで25手目52金とあがらせたからね。62飛車の攻め筋が消え、先日手もむずかしくなった」

「18手目62玉が疑問と?」

「それはえーんよ。そこで藤井みたいに素直に古典美濃に囲うべき。竜王戦第五局で経験済みなんじゃけどねー。四間飛車の序盤は藤井にとてもかなわんな」

「19手目77角で挑発された?」

「そっ。あれ見て康光の穴熊と勘違いしたんじゃろ。端歩突きあっておるのに」

「未だに佐藤新王将を穴熊党と揶揄している方もいるようですが」

「20手目に74歩としたのが羽生の疑問手1と入力しとけ。それ以後の疑問手はすべてこの74歩から派生しとる」

「この手によって後手は先手を穴熊にさせたということですね」

「そりゃ62玉型で後手が桂馬跳ねれば先手穴熊は必然。それでも穴熊が卑怯な戦法と主張するのは、皮肉でしか生きられん廃人か昔の戦法に拘る懐古趣味者」

藤井先生は居玉で桂馬跳ねましたものね」

「羽生は真似したくないんじゃろ。それが王者の条件との矜恃では63歩も打つ気せんかったんじゃね」

「でも後手はあそこで37角打を見落としますか?」

「63歩成とのコンビネーションで成立した手じゃからね。玉筋に二つ駒があるんで見落としやすい」

「三角帽子の筋と似ていますね」

「あれは桂馬がダミー。これは歩と銀じゃね。羽生が63歩と素直に打てばなかった背面角の筋。歩-銀-角の三連星は羽生64歩の特異点から偶然発生しとる」

「(71手目)最初の64歩打が見事な罠でしたね」

「フツーに打つ歩じゃがな。羽生が打った歩なら羽生マジックと喧伝される。今まで37角のよーな手を見落としてきたから終盤狂言までモノホンマジックと混同して絶賛してきただけ。康光に正確に指されてみればなんのことはない。康光にとっては64歩も37角も当たり前の手」

「羽生さん途中で諦めたんでしょうか?」

「最終盤みてごらん。なんであそこまで羽生は醜く指したと思う?」

「64玉からあわよくば脱出できる可能性がひとつありましたから。その件での投稿は掲載されませんでした」

「そりゃー、文芸部は荒武者みたいに根性ない。そんなんバコバコ投稿させてボコボコ切りゃえーのに」

「投稿しても半時間以上遅れで掲載ですから、その間に6手も進むのではほとんど捨てました」

「最終手の84銀はかなり前からわかったじゃろ?」

「ええ」

「羽生は最後まで康光が間違うと期待したわけね」

「名人戦の対森下戦のように?」

「そっ。最後まで王将位手放したくなかった」

「執念と?」

「見苦しいアガキにしかみえん。だから将棋はどこで勝負がついておったのか記録としても明確にしとかんとね。感想戦で両者がそれを決定し棋譜に印つけて署名すりゃ正直に何でも自己主張するはず。観戦記もそれでもっと盛り上がるよ。それが棋譜の著作権にも関与する。棋譜の複製権は最終的に両者に還元されるが、真の勝者には掲載優先権と印税パーセンテージを割り増しすりゃええ。そうすりゃ醜い勝ちに拘らずもっと序盤に集中できる。そっちの方が人間らしー創造行為じゃね。すっとぼけて逆のこと企んでおる枯れ雄花も気がつくじゃろ」

「ようやく棋譜の著作権のこと話題になってますが」

「勝敗だけでこの十番勝負が互角と言いたがるアホ発言にすがる者がおっては正論など通らん」

「羽生さんへの配慮では?」

「羽生は見え透いた同情など期待しとらん。むしろ否定的意見に燃え上がりそれを将棋で示せる男。棋譜が総てを物語ると知っている数少ない棋士のひとり」

「内容的には佐藤将棋の方が面白かったですか?」

「タイトルホルダーにはそれなりの責任があるからね。挑戦する方が指しやすい。勝ち負け以前に康光の将棋はホクホク生きておったね。負けるときも新手を繰り出し飽きない。こーゆー醍醐味に人間の魂を感じんと。今振り返るとどれもこれも味わい深い一手が多い。今回の羽生50手目64歩も本質はグランサタン。角をあえて追った理由がそこ。単に角を射殺したのでは悪魔らしくない。81手目13桂成もすぐに取るべ。そうすれば端の端まで使った将棋になっとった。まさか王将戦で背面角のトリプルクロスが出るとは思わなかったんじゃろ」

「勝敗は二の次と?」

「勝敗だけで棋士を評価したらイカン」

「どなたかの投稿で、羽生コンプレックスとか、結果的にはという表現がありますが」

「クサレマンコの物言い。勝負は時の運とか言っとった?」

「そうかと思って暗に返信したんですけど掲載されませんでした」

「ほっほ。そりゃソーじゃろ。王将に色紙も強要できる男に宣伝マンやってもらわんと。名人に勝てなかった自分をサリエリに比較し、今度は康光をダシに自分をアピールする喜劇人間はロマンの題材としてはサイコー。それ否定してはいかん。むしろ楽しまんと」

「弟子に復讐させるとか?」

「そりゃサリエリ以下。とことん粘るスカトロジーにムネオ人間以上のものを見んともったいない。棋譜なら実に醜いが、人間なら面白いこともある」

「将棋は人生の投射ではないんですかね?」

「投射じゃよ。羽生はそうでないと言い張ったが、投射には反転、逆行の形もあるんじゃね。ワシの言っとることはひっくり返すとサクレマンコ」

「サクレ=聖なると言うことで?」

「棋士の評価の仕方が変わればご本尊の溜飲も下がるじゃろ。ワシはあの日の光景忘れんよ。そのうち棋譜の謎が全て明かされる。そこから心理状態を読み解くことになるじゃろーね。棋譜の方が人間の嘘より信用できる。プロの棋譜の価値はそこ。アマのようにお遊びでは指さんから。だから勝ち負けから人間を追ってはだめ」

実質的な勝敗を第二のレーティングに反映して棋士の名誉を回復するということでしたね。それが棋譜の著作権にも関与すると」

「それ準備しとかんとプロ棋士はますます自虐的になるだけ。勝敗や既得権など振りかざすよーでは先が見えとる」

「棋士には棋譜以外にキャラが残ると言うことを重視してはいけませんか?」

「それは棋士以外の人間が記すべきこと。棋士がやると性悪人間にされちゃう」

「記号ばっかでは飽きますかね?」

「ワシはもーええわ。康光のえー顔、写真でみさせてもらったんでそれで充分」

「では最後に一言」

「康光! 第1局はうれし泣きしとった。冥途の土産あんがとー!」


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