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Sense of Wonder
December 2006

日蝕貧乏知恵者猫
青海チベット鉄道〜世界の屋根2000キロを行く
お昼に虹
南極地域観測事業開始50周年』 記念切手発行
南極観測50周年 500円記念硬貨
小笠原エコツーリズムキャンペーン
ハッブル望遠鏡、シャトルで修理へ

2006.12.27
青海チベット鉄道〜世界の屋根2000キロを行く

青海チベット鉄道〜世界の屋根2000キロを行く
 2007年1月2日(火)21:00〜22:30
 2007年1月8日(月) 8:35〜10:05(再)
 NHK総合
 どこまでも連なる崑崙山脈、標高5072メートルの世界最高の峠ごえ、眼下に広がる果てしない雲海、橋下を流れる長江の源流、地平線で紺碧の空と溶け合う白く凍った湖、点在する遊牧民のテント…。「世界の屋根」を貫く青海チベット鉄道が今年7月に開通、青海省の西寧からチベット自治区のラサまでおよそ2000キロが鉄路で結ばれた。沿線には、これまで目にすることが出来なかったチベット高原の壮大な風景が展開する。

 また、ここは世界で類を見ないほどの厳しい自然環境でもある。標高4000メートル以上の区間がおよそ1000キロに及び、その多くは凍土地帯、およそ400キロにわたり大自然が広がる無人区間も通過する。そのため、列車には完全気密状態を保ち常に新鮮な酸素を供給できるなどの最新技術が投入されている。

 番組では、この青海チベット鉄道を世界に先駆けて取材、雲上の大パノラマをたっぷりと紹介する。あわせて、最新のテクノロジーが駆使された車両の魅力、厳しい自然環境下で運行を支える人々、さまざまな目的でラサに向かう人々との車内でのふれあい、伝統を守りながらも列車の開通で変わりつつある沿線住民の暮らしなどを紹介する。


 青海チベット鉄道。
 中国での表記は青蔵鉄路。
 開通のニュースを見た時に目を引いたのは、その高低差の図でした。
 不確かですが、西寧から一気に崑崙山脈へ駆け上がり(途中で深い谷へ降りて、再び登る場所もあったような…)、標高4000m以上を延々走るという過酷さ。
 飛行機を利用する場合も心配ですが、その急勾配は余計に高山病が懸念されるように思えましたが、気圧調整や高気密設計、酸素マスクなどの機材が導入されていると知り、少し安堵。
 途中には、世界最高駅(5038m)唐古拉(タングラ)があるそうです。

 同鉄道の開通により、北京、成都、重慶、蘭州、西寧、上海−ラサ(拉薩)間が鉄路で繋がったということのようです。(実際の運行はこれからの場所も含む)
 北京−ラサ間が48時間とのこと。
 しかし、飛行機で1時間かからない距離を12時間かけて走るアラスカ鉄道でも、車窓から野生動物を撮ろうとすると、ブレたりします。
 時速120kmほどで走行するという青海チベット鉄道車中からは、雄大な景色や野生動物を見物することが可能とのことですが、特に後者の撮影は結構難しいのかも知れません。

 そして、北京−チベット間が鉄路で繋がった…ということは、政治的意味合いも大きいということですよね。


雑誌『旅行人』2006年秋号(左の書影)
 〜アンダーグラウンド地下世界への旅〜

 ページ数など不明ですが、長岡洋幸さんによる夢のチベット鉄道 青蔵鉄道乗車記が掲載されています。『2006年夏号 ラサの21世紀』も併せて入手すると良さそう。


多くの世界一を記録 青海チベット鉄道
 中国人民共和国駐日本国大使館のサイトより。
 青海チベット鉄道にはいくつもの世界記録があるとのこと。

青海チベット鉄道
 とても詳しいです。
 こちらは中国登山・トレッキング相談所というサイトのコンテンツの一つです。

青海・チベット鉄道とラサのショトン祭り7日間

 こ、こんな記事も発見。(*_*;)

青海チベット鉄道、壊れないうちに乗っておこう!


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2006.11.30
お昼に虹

 今朝の天気予報だったかで、昨日の午前11時半頃に仙台で虹が見られたというTVのニュース。
 扁平な二重の虹の写真が紹介されていました。

 朝食中の家人と

 「綺麗に撮れているねぇ」

 「11時半だって」

 「仙台かぁ、緯度高いんだねぇ」

 「うんうん」

 お昼にも虹が見えるほど、太陽の南中高度が低い…という訳。
 
 そう言えば、昼間の長さが一番短いのは冬至頃ですが、日没が一年で一番早いのは今頃です。


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2006.11.8
南極地域観測事業開始50周年』 記念切手発行

特殊切手『南極地域観測事業開始50周年』発行
 南極探検の歴史に思いをはせて…

 2007年1月23日(火)発行
 シート式、シール式(こちらは絵ハガキもセット)の2種類を発売。
 いずれも券面は80円。
 シート式は、80円切手×10種類で800円。
 シール式は80円切手×10種類にポストカード5枚付きのセットで1000円です。



 シート式は大きなテーブル氷山とオーロラ&観測船ふじと観測飛行機、コウテイペンギンのバックに綺麗なカーテン状オーロラ、タロ、ジロ、しらせと観測隊員、雪上車…。
 シール式の方にはオーロラは含まれていませんが、氷山か雪原上に大きくペンギンなどの動物が大きくあしらわれ、それらが丸や小判型などの形の切手になっています。
 額装するならばこちらの絵柄の方がカッコ良いと思いますが、シール式の切手は糊の経年変化はどうなのでしょう?
 最近、こういうセット絵柄(?)の記念切手が多いですが、使うときに悩むのですよねぇ。(^^;;)
 シート式のほうは10枚1シートではなく「1枚から販売します」と書かれているので、例えば「ペンギンとタロ&ジロの部分だけ、10枚ずつ下さい」などのリクエストも可能ということだと思いますが…。(^_^;)

 余談ながら、シール式の切手は日頃良く使う切手こそ、シートやコイル式で簡単に貼れるようにして頂きたいと、個人的には願っているのです。
 年賀切手や慶弔用切手は一回に使う枚数が多いことでしょうから、特にシール式を熱望しています。
 毎年、年賀ポストカードに切手をペタペタ貼る作業は、水分が完全に乾ききるまで重ねられないため(写真面が汚れたりくっ付いてしまったり、切手につける水分が多いと写真面が反り返ったりするので難儀するのです)、枚数が多いこともあって(^^ゞ)かなりの時間と場所を必要とします。
 シール式だと綺麗に貼れるし、楽だろうなぁ…と常々思っています。


南極観測50年

こども南極観測隊



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2006.11.7
南極観測50周年 500円記念硬貨

南極観測50周年 500円記念硬貨
 ↑デザイン

財務省
 南極地域観測50周年 記念硬貨発行について
 4月28日付け

南極地域観測50周年記念貨幣の引換えについて
 11月6日付け

 2007年1月23日から全国の銀行(信託銀行、外国銀行在日支店を含む。)、信用金庫、信用組合、商工組合中央金庫、労働金庫、農林中央金庫、農業協同組合、信用農業協同組合連合会、漁業協同組合、信用漁業協同組合連合会(日本銀行本支店は不可)と郵便局の窓口で引き換え開始。



 ニッケル黄銅の500円硬貨。
 表にはカラフト犬の『タロ』『ジロ』初代南極観測船『宗谷』、裏には南極大陸とオーロラがあしらわれたデザイン。(文句を言うつもりはないのですが、オーロラは雲に見えます。^^ゞ)
  発行枚数660万枚 のうち642万枚が店頭引き換えで(残りはセット物の通信販売)、初日は一人2枚以内の制限があるとのこと。

 同記念として、切手も発売されます。
 こちらもオーロラの他、南極観測にかかせない船舶や雪上車、ペンギンの愛らしい姿がデザインされています。


南極観測50年

こども南極観測隊


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2006.11.2
小笠原エコツーリズムキャンペーン

小笠原エコツーリズムキャンペーン
 特賞:小笠原体験ツアー(シー・カヤック、トレッキング体験。宿泊、往復乗船券付き2名招待)
 2007年2月28日(水)24時まで




 ボーニン(ボニン)諸島は、小笠原諸島の別名。
 小笠原村役場によると、小笠原諸島は、1593(文禄2)年、信州深志(松本)の城主小笠原長時の孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
(小笠原貞頼なる人物は実在しなかった−幕府が小笠原諸島の個人所有を認めたくなかった?−など、この話にも諸説あるようですが…)

 では、何故ボーニン諸島なのでしょう?
 こちらを拝見すると、1853(嘉永6)年の黒船来航のペリー提督が絡んでいるようです。
 江戸後期の書物中にあった「小笠原諸島は無人島である」という記述の「無人(ムニン)」を(通事が)誤って「ボニン」と訳してしまい、欧州で「Bonin Islands」として広まったとか。

 漁船・捕鯨船が難破して漂着、中にボーニンという姓の方がおられたのが由来であるという話も聞いた気がするのですが(ガセ?^^;; ルーツは分かりませんが、欧米系住民にセイボリー/瀬堀姓がいらしたのは確かですよね?)、最初に定住したのは江戸時代後期の1830(文政13)年、白人5人とハワイの先住移民20数人が父島に上陸、とのこと。

 その後、江戸幕府や明治政府の調査、開拓により1876(明治9)年には国際的に日本領土として認められ、欧米系の方も住まれていた訳ですが、1882(明治15)年に全員帰化させられた…と、これも小笠原村役場のサイトで分かりました。

 そして、第二次大戦後にはアメリカ統治領となり、1968年(昭和43年)に日本に返還されましたが、返還記念切手は南国情緒たっぷりです。(返還○○年記念切手というのもあったと思うのですが、郵政公社郵便局では見つけられませんでした。*_*;)


小笠原父島にて この地を訪れたのは一度だけ。
 それも1988年3月18日の洋上での皆既日蝕の後に立ち寄ったというものですが、紺碧の素晴らしい海(Bonin Blueとも呼ばれるとか)や亜熱帯の自然に魅了されました。

 イルカやホエール・ウォッチング、ダイビングでも有名ですし、イセエビなどの豊かな海の恵みの御造りや、変わったところではアオウミガメの煮付け(カメ養殖所もありました)などに舌鼓を打っていらした方もおられましたっけ。
 事前に知ってはいたものの品川ナンバーの車を実際に目にすると不思議でしたし、道路わきの茂みなどあちこちに散乱していたアフリカマイマイの殻にビビッたり、野良ヤギと戯れたり、海岸でメノウを探したり、通船をして下さった漁師の方々も気さくで…短い時間でしたが素敵なひとときでした。

 在住の方々には空港問題は切実だと思うのですが(生活全てが『おがさわら丸』頼みというのは不便ですし、医療面の不安は大きいことと思います。「島内で急を要する重病が発生した場合、海上自衛隊硫黄島基地所属のヘリコプターにより硫黄島を経由して航空自衛隊の飛行機によって本土に搬送されるか、海上自衛隊岩国基地所属の飛行艇で本土までの搬送を行っている」とwikipediaの小笠原諸島の記述にもあります)、環境面からはどうなのかは気になるところではあります。(外者が言うのは簡単ですが…)

 またいつか訪れてみたい場所の一つ。
(2009年の日蝕絡みは無理かしらん。その昔は共勝丸での行き来も楽勝!と思えるほどの船酔い知らずでしたが、今はもう無理!*_*; ドレイク海峡もお呼びではないのだろうなぁ…。;_;)
 キャンペーン・プレゼント、当たらないかなぁ…。(^^ゞ


小笠原諸島@wikipedia
小笠原村役場
小笠原村観光協会
小笠原諸島リンク集
Link of OGASAWARA
小笠原ホエールウォッチング協会
小笠原諸島に伝わる非日本語系の言葉
小笠原諸島地名事典
BONIN BLUE フォト・ブログ
小笠原裏海道
 拙サイトへ日蝕報告をお寄せ下さったこともある、くりちゃんの共勝丸乗船記。(なんとひと月余りの間に3回も!)
 ▽くりちゃんのアフリカ皆既日蝕報告

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2006.11.1
ハッブル望遠鏡、シャトルで修理へ

ハッブル望遠鏡、シャトルで修理へ
 朝日新聞 2006年11月1日付け
米航空宇宙局(NASA)のマイケル・グリフィン長官は31日、老朽化が進んでいるハッブル宇宙望遠鏡を延命させるため、08年5月にもスペースシャトルを打ち上げ、宇宙空間で修理すると発表した。電池や姿勢制御装置を新品と交換するほか、新型カメラなどを新たに設置する。修理によって、08年までとされていた寿命が、13年まで延命できるという。



 1990年に宇宙空間に放出され、数多くの宇宙の新事実…特にディープ・スカイの様子を提供してくれているハッブル・テレスコープですが、既に4回の修理を受けた後も不具合がでていました。
 NASAは修理の目処がつかないことや予算の確保が難しいことなどで、このまま耐久年言後は廃棄を考えてもいたようですが、取りあえず延命措置が取られると言う事でホッ!(^^)



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