『空のkiroku』Home/index/prev/next

Sense of Wonder
March 2006
日蝕貧乏知恵者猫
NIFTY-Serve ワープロ・パソコン通信終了
本日の皆既日蝕ライヴ中継
そして、1サロス前 小笠原洋上
真っ暗な晴れの日
皆既日食ハンターズ・ガイド
光の造形 −月の意匠・森の粧い−
化学物質過敏症の少女2
地球交響曲<ガイアシンフォニー>DVD−BOX限定発売

2006.3.30
NIFTY-Serve ワープロ・パソコン通信終了

ワープロ・パソコン通信サービスの終了について
 ニフティ株式会社は、1987年4月から運営してきた「ワープロ・パソコン通信」サービスを順次縮小し、2006年3月31日(金)をもって終了します。
 「ワープロ・パソコン通信サービス」は、現在提供中のインターネットサービス"@nifty"を1999年に開始した後も継続利用者が多く、運営を続けてきました。しかし、インターネットの普及とともに利用者数が減少している事実を受け、終了させていただくことになりました。

ニフティサーブのステッカー 私がNIFTY-Serve、そしてFSPACEに入会したのは、1988年11月23日のこと。(※NIFTY-Serve内に残っていた自分のPROFを確認したら、3日ではなく23日だと判明。)
 今や@niftyと名前を変えたシステムから、昨秋『入会18年目』を告げるメッセージが届いていましたが、これが頂けなくなる訳ではないですよね?(^^;;) Nifが無くなる訳ではないのだから、これからもお待ちしております。


 1988年3月18日。
 そう、昨日の皆既日蝕の1サロス前…小笠原沖日蝕に赴いた『にっぽん丸』の船舶電話からパソコン通信を試みているO氏を見つけ、それがNIFTY-Serveとの衝撃的出会いでした。
 その秋には、同じく船内で知り合った国立天文台(当時)のF氏に誘われて、O氏などと共に乗鞍コロナ観測所を訪問。無線電話を使ってパソコン通信を体験。(見ていただけですが。)
 船舶や人里離れた山頂からのアクセスという、当時としては究極の場所からのパソ通を目の当たりにしてしまい、その後もY氏によって会議室やRT(リアルタイム=チャット)での交流を提示されるにつけ、まんまと洗脳…いや、魅せられました。

 O氏(これが上記の船舶電話でパソ通していたつわもの!?で、その時点ではまだ知らない人だった!^^;;)からイントロパックが同梱されたモデムが宅配便で送られてきたかと思えば、Y氏が手元で余っているパソコンを貸し出して下さるとおっしゃる。
 これらの行為にどのような思惑があったのかは今となっては定かではありませんが(^_^;)、既に加入していた日蝕貧乏組メンバのY氏とS氏(この時点では、S氏はパソ通非会員)が拙宅まで設置にいらして下さり、こうして私のパソ通人生は幕を開けたのでありました。

FSPACEのステッカー by Lummox Co. 目指すはFSPACE(スペース・フォーラム)…天文同好会のような所。
 87年沖縄金環日蝕、続く88年小笠原沖皆既日蝕で、数年間遠のいていた私の天文世界への興味が堰を切ったように…それ以上に人との出会いが余りにも楽しくて、私、弾けておりました。(^^ゞ

 Oさんと、RTで良くお話して下さったAさんとに勧められるがままに、(彼らは遠路で参加しないのに)横浜で行われた忘年会オフに急遽参加することとなり…Y氏は所用で不参加で、参加者の中で唯一存じ上げているのはSYSOPのD嬢のみ。(ここでは詳細は省きますが、NIFTY-Serve入会前から彼女のことを存じ上げていました。)…にも関わらず、集合場所で落ち合うことが出来ず、いきなり会場の高級中華料理店で探すことになってしまったのです。
 受付で「FSPACE…スペース・フォーラムの忘年会なのですが…」と告げても「何ですか、スペー??フォーム?」などと要領を得ず、「忘年会が沢山入っているので良く分かりません。一つ一つ会場を覗いてみて。」と言われ、いくつもある会場を回ることに…恥ずかしい!(*_*;)

 エイヤ〜ッ!!
 最初に扉を開けた広間には、男性陣ばかり。
 キョロキョロ……。
 一人だけ女性がいらっしゃる。
 あっ!
 「うわぁ〜、Dさぁ〜んだぁ!!!」
 「知恵者猫さん?!」
 ヒシッ!!!!!(T_T)
 感動の再会?!
 周りの殿方達はあっけに取られていたようでしたが、運良く最初の会場でビンゴ!でありました。(^^)

 なにやら異常にテンションが高かった私ですが、今にして思えば、全て日蝕からの勢いだったのです。
 このノリのまま、RTや会議室を荒らしておりました。(^_^;)

 その後はオリジナル・ウェアを作る楽しみなども覚えてしまったり、オーロラ・ツアーも企画・催行、沢山OFFも企画したし、記念誌の作成にも加わらせて頂きました。
 沢山の刺激を受け、多くの素敵な出会いにも恵まれました。
 会員の皆様には多大なるご迷惑をおかけしたことと思いつつも、大変楽しい時代を過ごさせて頂きました。m(__)m
 私の人生のピークは、もしかしたらFSPACEと共にあったように思う次第です。(これからもうひと花咲かせるには、余りにもボロボロですなぁ…何とかせにゃ。@_@;)
 どうもありがとう!

ニフティサーブのステッカー 現在は高速通信が当たり前ですが、当時は1200bpsとか…300bpsなんていうこともありました。
(あれ?ボーレートってどう表記するんだっけ…で、検索しました。^_^;)
 チャットで300bpsだと、タイプライターで画面上に文字を出すような感じで、とても遅かったですよね。(アニメ『ルパン3世』のオープニングで、タイトルが出る画面のような感じ。)
 繋がればまだ良かった。
 アクセス・ポイントが満杯で、何度も何度もリトライし続けて、入るのにも必死なことも多々あったものです。
 RTでは二重ログインされちゃったり、幽霊さんが作られたり、RT最中に熟睡してしまった事件とか、ミカカで破産しそうになるとか…珍事も耳にしましたっけ。

 はぁ…今や昔。(^_^;)

 パソ通を始めて19年目とは。
 インターネットに取って代わられても、もはやこれがない生活は考えられません。すっかり洗脳されているというべきなのかしらん?
 携帯電話は、未だにカメラもiモードも付いていない骨董品だってのに。
(山篭もりするために予備の電池を買ったら持ちが良くて…ようやく全ての電池がヘタってきたので、機種変したぁ〜い!^^;;)

 そのFSPACEも、とっくの昔にインターネットへと移行したし、以前は使ったFAX送信サーヴィスも自前でFAX電話機を持つようになってからは使っていないし、メイルもウェブメイルになっているし…。
 パティオもほとんど休眠状態だったとは言え、みんなにアナウンスするのをうっかり忘れたまま閉鎖されちゃったのでした。ゴメンナサイ。m(__)m

 そもそも、まだTTYが使える環境が我が家に残っているのだろうか?
 今回これらのサーヴィスが終了するにあたって、何が変わるのか、どこをどうしておくべきなのか…サッパリ分かっていません。一応、@niftyのお知らせページは読んだつもりなのですが。

 @niftyでは、今や無料でIDが作れるというではありませんか?!(サーヴィス内容が違うらしいけれど…。)
 私、まだ毎月最低料金(なんと従量制!)を支払っているんですけれど…。(^_^;)
 海外からのローミング・サーヴィスは使っているんです。
 compu-serve使うために、NIFTYのID残した人もいるくらいで…。
 
 今回のことで、何がどうなるのか、私の場合の影響など、どなたか私に詳しくご教授下さいませ〜。m(__)m
 @niftyは、私には非常に使いづらくなってしまったので、ちょっと足が遠のいてしまったというのが事実かなぁ。フォーラムに入るのにパスワードを入れているのに、メイルを読みに行けばまた承認が必要だったり、沢山の窓が開いて煩わしくて…。(*_*;)

FSPACE Tシャツ by Lummox Co.
 『さよならパソ通』イヴェントということで、『FSPACE復刻Tシャツ』でも作成しましょうか?(^_^;)

 探し始めたら、NIFTY-Serveグッズが結構手元にある模様。
 スキャンしやすいということで、ステッカーを何枚かご紹介。
 お宝グッズをお持ちの方、ご紹介お待ちしています。(^^)


▽関連イヴェント
 【特設】さよなら、パソコン通信 会議室
 2006年3月31日で、最後の大手商業パソコン通信である NIFTY SERVE が終了します。
 すばらしき、我らが老兵へメッセージを残しませんか?

 『さよならパソコン通信』 オフライン・ミーティング
 酔うぞさんの『酔うぞの遠めがね』の記事より
 さよならオフのお知らせ1
 さよならオフのお知らせ2

 らじろぐ 「さよなら、パソコン通信」
 「さよなら、パソコン通信」の開催時間中、出来る限りの長い時間、会場よりの放送を行います。
 距離や時間の壁で参加出来ない皆さんも、この放送をお聞きいただき、「さよなら、パソコン通信」の雰囲気をお楽しみいただければと思います。
 放送時間:20:00〜23:00頃まで


ページの一番上へ
2006.3.29
本日の皆既日蝕ライヴ中継

 1988年3月18日の小笠原沖日蝕から1サロス。
 今日29日が『真っ暗な晴れの日』になりますように!!

 今回の日蝕(日食)のライヴ中継を予定しているサイト。
 やっぱりブラジルからもあったのネ…。

リビア・エジプト・トルコ

LIVE!ECLIPSE 2006

 中継場所
 リビア:ワウアナムス(Wau an Namus)
 エジプト:サルーム(Saloum)
 トルコ:アンタルヤ(An talya)郊外
 
 中継時間(日本時間)
 2006年3月29日(水)
 18:00 中継開始
 19:13 リビア皆既開始
 19:38 エジプト皆既開始
 19:53 トルコ皆既開始
 20:30 中継終了 


トルコ・シデ

NASA TV

NASA Sees Eclipse in a Different Light

Exploratorium Webcast Schedule
 え〜と、アメリカ東部時間→日本時間にするには、−14時間でしたっけ?(^_^;)


 あとは回線の太さ不明…。

ブラジル

http://www.manualdigital.com.br/index1.asp
 ポルトガル語
 ブラジル・タバティンガ(Tabatinga)からの中継

http://astrosurf.com/ceu/eclipsetotal2006.html
 ポルトガル語
 23o 9' 6'' N e 16o 44' 54'' E…が、今回のGreat Pointで、そこはこんな風景だという画像が載ってます。(リビア・チャド国境地帯)
 

ガーナ

Solar Eclipse Webcast from Africa - March 29, 2006

 ガーナからで、リプレイもあり。
 しかし、私のところでは映像が開けません。(;_;)


エジプト・サルーム

Total Eclipse of the Sun Live webcast March 29 2006
 日蝕中継ではおなじみになっているklipseさんのサイト。
 多くの日本人も遠征している、エジプト・サルームから。
 ロンメル将軍のエル・アラメインの砂漠だぁ! 
 

スペイン・バルセロナ大学 観測隊
 エジプト・サルームから。
 気温などのリアルタイム報告も…。


トルコ

Ciel des Hommes
 トルコ・シデから。
 http://www.cidehom.com/eclipse_direct.php
 klipseさんの所のミラーサイトのよう?
 
http://www.tug.tubitak.gov.tr/tutulma/english/main.html
 トルコ・アンタルヤから。
 トルコ語が入っていないと開けない?(;_;)

Total Solar Eclipse Life from Turley
 トルコ・シデ、アンタルヤから。
 10:00?11:15 UT
 日本時間だと、19:00−20:15かな。

ノースダコタ大学 観測隊
 トルコ・アンタルヤから


 後半の細かいサイトは大慌てでピックアップしたので、規則性もなにも無視でハチャメチャ…。(^^;;)

 強風が吹かないといいなぁ。
 リビア、エジプトは大丈夫そうですが、トルコもお天気にも恵まれますように!

 『にっぽん丸』から18年10日と数時間…。
 あの黒い太陽に再会です。
 そして、1サロス前 小笠原洋上


ページの一番上へ
2006.3.29
そして、1サロス前 小笠原洋上

 2009年3月29日。
 ブラジルの端をかすめ、大西洋を渡りチャドに上陸、リビア〜エジプトを駆け抜けてトルコ、そしてモンゴルで地球を離れる月の影。

アストロアーツ
 2006年3月29日 皆既日食  〜アフリカから中央アジアにかけて、最長4分〜

今回の皆既日蝕中継サイト
 一覧にしてみました。
 リプレイ映像の配信をするサイトもあるので、日蝕後もチェックしてみて下さい。


にっぽん丸から追いかけてくる船を眺む
 1サロス前…1988年3月18日。
 私は小笠原沖『にっぽん丸』船上に居ました。
 東京に帰るよりもグアム、サイパンの方が近かった洋上。
 『にっぽん丸』航跡図黒い太陽にロマンを求めて by 佐山敬悦さん

 観測はインマルサットや気象FAX、経験と知識を駆使して晴天域を求めて移動。途中で遭遇した他の観測船(『ゆうとぴあ』だったかと…)が本船の後を追いかけてきたり、雲を避けてクルリンと回ったりしましたが、無事黒い太陽に逢うことが叶いましたっ。♪
 W船長さん他クルーやスタッフの皆様、どうもありがとうございました!!
日蝕貧乏組@にっぽん丸
 撮影機材が少なかったなぁ…。
 洋上だからと諦めていたのもあるけれど、アルミのカメラ・バック1つと三脚だけ。
 同行の『日蝕貧乏5人組』の仲間達の準備風景ですが、1人は学会出席のためお休み。
 一番右に写っている彼は、現在エジプト・サルームに居ます。
日蝕貧乏5人組Tシャツ
 『日蝕貧乏5人組』のTシャツ。(背面)
 日蝕前に船室内で撮影。
 本ページの背景画像に使っている『日蝕ドラゴン』が、前面に大きく描かれています。
日蝕貧乏 小笠原日蝕Tシャツ(後ろ・航跡図)
 後日『皆既日蝕観測@にっぽん丸・思い出会』なるものが開催されたのですが、それに合わせて『日蝕ドラゴン』と『航跡図』とをあしらった記念Tシャツを作成。好評を頂き、多くの方にご購入頂きました。(^^)/
日蝕観測後の甲板
 日蝕観測後の甲板の様子。写っているのは国立天文台(当時)の観測隊や、読売新聞五島プラネタリウムのツアー参加者の方々など…。

 あれから18年10日と8時間…。(1サロス)
 あの黒い太陽に再会です。


サロス周期 by wikipedia

日食とサロスの周期
 by 日食図・日食計算オンライン・データベース

サロス周期 by LIVE!ECLIPSE日食講座
時化の太平洋
 『にっぽん丸』での船旅は、時化がひどかったにも関わらず、船のスタビライザが故障したために随分と揺れ、乗客の多くは船酔いで大変な思いをされていました。
 ローリングとピッチが容赦なく襲ってきて、船室で寝ていると波に乗り上げた船が海面に叩き付けられるド〜ン!ド〜ン!という鈍い音が響いてきて、同室の友人達も次々と船酔いでダウンしてしまいました。
 日が経つにつれて、ダイニングに現れる人が徐々に減っていくという状況で、寂しい雰囲気の中で食事をしたり、船室で臥せっている友人のために食べられそうなものを見繕って持ち帰ったりしましたが、友人はスープやアイスクリームを口にするのがやっとという有様。
揺れる船体、こぼれそうなスープ
 揺れがひどい時には誰も居ないダイニングの椅子とテーブルが片舷にザザザ〜ッと滑って、まるで映画タイタニック号の1シーンのような光景を目の当たりにしたこともありましたし、船内を歩いていても、度々よろけてしまいました。
 分度器と糸を通した5円玉で作った簡易揺れ測定器(?)では、30°くらいの揺れだったようです。

 今にもスープがこぼれそうな揺れ。
 最大時はもっと酷かった…。(*_*;)


 みんなには申し訳ないと思いつつ、私は船酔い知らずで快適に船旅を楽しむことが出来、毎日セミナーに出たり、甲板でのんびり手紙を書いたり写真を撮ったり、夜な夜なあちこちで行われる酒盛りをハシゴして、沢山のお友達を作ることも出来ました。

 そんな状況ではありましたが、日蝕当日は、友人達も朝から元気百倍。
 観測成功の高揚した気分で、夜には部屋で祝杯を揚げたり、船内のディスコで踊ったり…でも、元気だったのは日蝕当日と翌日の小笠原上陸の時だけでした。
 船酔いした友人達は、未だに「二度と船旅はしない!」と言うくらいでこりごりの様子ですが、私は船旅ほど楽なものはないと思った次第。
 船酔いは、それほど辛かったのでしょうね。

 日蝕観測が成功に終わった日の午後には、船長さんにプールに海水を張って頂くというおねだりをしました。
 「言い出しっぺがまず最初に泳ぐべし!」と言われたまでは良かったのですが、水を張った時間が遅かったので海水が温まる暇がなく、震え上がって一泳ぎするのがやっと。それでもいくらかの方が泳がれたようです。
 今にして思えば、プールを満たすのにも手間や費用はかかった筈で、わがまま言って申し訳ありませんでした。m(__)m

 さよならパーティの際だったか、船長さんに「今回、船の中で一番元気だったのはアナタでしたね」と言われ、私の船旅は楽しい思い出を目一杯詰め込んで終わりました。
 W船長さんは既に退職され、現在は名誉船長として広報普及活動などをされています。(未だに年賀状などの行き来があるほど、私にはとても素晴らしい旅でした。)
 私にとって、むしろ辛かったのは船酔いではなく、下船して2日ほど続いた丘酔いだったかも知れません。(^^ゞ

1988.3.18 日蝕貧乏5人組 @小笠原!
 小笠原・父島にて

 今は昔…元気だった私。

ページの一番上へ
2006.3.26
真っ暗な晴れの日

『be on Sunday』
 Wonder on Life 不思議いっぱい
 真っ暗なハレの日
 (予告では、『日食を愛する人たち』
 朝日新聞 2006年3月26日(日)付け
 
 
 表紙には、朝日新聞武田記者撮影の南極・昭和基地での幻日の画像。
 "様々な天体ショーを演じる太陽。両側に光が反射して浮かぶ「幻日」もその一つ"は、大気中の氷晶で光が反射…かな?(^^;;)

Y.AYA's Garden 天空博物館
 幻日・幻月


 それから、記事の冒頭で29日にトルコ、エジプト、リビアで皆既日食…とあるけれど、皆既を迎える時間順だとリビア〜エジプト〜トルコかも。(^_^;)
 日蝕のライヴ中継のことにも触れてもらえると思ったら、記載がない!
 何故ですかぁ?!


佐山敬悦さんの黒い太陽にロマンを求めて 
 現在、皆既日蝕週間(?)ということで、期間限定でトップページでは皆既日蝕観測時の人々の歓声の音声ファイル公開中です!
 彼はリビアに遠征されていますので、帰国後に素晴らしい画像や映像が公開されるのを楽しみっ!

からけんさんの2006.3.29 リビア皆既日食
 既に途中のウィーンからの書き込みが更新されていました。
 リビアの現地ではテント村滞在なので、通信事情が不明とのことですが、こまめにチェックしてみましょう。
 いやぁ〜、すごい世の中。

まりりんさんのリビア皆既日食
 からけんさんのパートナーのまりりんさんによる報告記。(後日追加)


 以下、29日の皆既日蝕をリアルタイム中継するサイトをご紹介します。

LIVE!ECLIPSE 2006
 中継場所
 リビア:ワウアナムス(Wau an Namus)
 エジプト:サルーム(Saloum)
 トルコ:アンタルヤ(An talya)郊外
 
 中継時間(日本時間)
 2006年3月29日(水)
 18:00 中継開始
 19:13 リビア皆既開始
 19:38 エジプト皆既開始
 19:53 トルコ皆既開始
 20:30 中継終了 

NASA TV
 NASA Sees Eclipse in a Different Light
 Exploratorium Webcast Schedule
 え〜と、アメリカ東部時間→日本時間にするには、−14時間でしたっけ?(^_^;)

 なんにしても、ご紹介した方々も繋がって記事中に登場されていました。お役に立てて良かった。(^^)

 ハレとケ…晴れと褻。
 29日が『真っ暗な晴れの日』になりますように!!


ページの一番上へ
2006.2.5
皆既日食ハンターズ・ガイド

STUDIO VOICE別冊
 『皆既日食ハンターズ・ガイド』Total Eclipse Hunter's Guide
 2006年2月17日(金)発売
 1800円(税込)
 INFASパブリケーションズ
 
 全く新しい世界旅行のかたち!
 世紀の天体スペクタクル<皆既日食>を見逃すな!!
 新しい旅のかたちを探す人から、地球上で最も壮大な天体スペクタクル<皆既日食>に関心を持つ人まで、すべての人々に贈る…日食<カルチャー/サイエンス&トラベル>ガイドブック!


 何年も先だと思っていたら、もう来月末!?
 
2006年3月29日には、リビア〜エジプト〜トルコを通る皆既日蝕があります。(それで、今回の書籍が出るという訳。)
 この日蝕は、18年前に初めて小笠原沖で遭遇した黒い太陽の1サロス後にあたる、私自身の人生をも変えてしまった因縁の(?)日蝕なのです。
 しかしながら、またしても日本でお留守番決定!!(;_;)
 仕方ないけれど…。
(次回、黒い太陽に再会できるのはいつになるのやら。*_*;)


Soulclipse
 3月の日蝕に絡めてトルコで開催されるレイヴのサイト。
 3月27日〜4月2日の一週間に渡りアンタルヤ近郊で行われるものだそうで、日本語ページまであるということは、相当浸透しているということなのですね?!
 Universal Trance Gathering。
 過去の画像を見てウッドストックなどを思い描いてしまう私は、相当古い。

 日蝕はライヴが一番!!で、体感する現象。
 そう思っているのですが、その瞬間はしっかり肉眼で見て、画像、フィルムなどにも収めたい。
 ああ、ジレンマ!
 おまけにこのようなカルチャーには大変疎いので、サイトをご紹介するものの良く分かっていませんが、天岩戸伝説からしても黒い太陽の下で踊るのは正しいのかも知れないし(^_^;)、それこそ魂で感じることができるのかも。


 もちろん、従来の(?)天文ファン主体の観測ツアーも催行されます。
 リビアでもエジプトでも、世界遺産など沢山の見るべきものとされる場所を巡るツアーが多いのは相変わらず。
 この時を逃したら、二度と訪れられそうもない場所が多いのも事実ではあります。

 以前、1995年のインド・東南アジア皆既日蝕に向けて、日蝕ツアーに関する特集記事を天文雑誌に書かせて頂いたことがあります。(誠文堂新光社・天文ガイド別冊『INTERACTIVE ASTRONOMY』2号/1995年夏)
 旅行会社では、リスク回避の意味合いやどこから利潤を生むかということが絡み合ってくるので仕方ないと思うのですが、ツアー内容はその頃と余り変わっていないのかも知れません。
 それでも現地発着や自由度の高いツアーも出てくるようになったのは、喜ばしいことです。
(実際には皆既日蝕の起こる場所に拠るでしょうし、個々人の意識やリスクも含めて単純にそうとばかりは言えないけれど…。)


Live!Eclipse
 いつも楽しみにしていて、今回もインターネット生中継を予定しています。
(関係者の皆様、いつもありがとうございます!!)

 少し気が早いですが、日本から遠征される方々の旅の安全と晴天をお祈りしています!
 そして、遠征された方からはお土産話を伺ったり、画像を拝見できたら飛び上がって喜びますので…ご報告をお待ちしています。(^_^)/

 まずはこの本を予約しなくっちゃ。

★☆★

 ついにこういう日が訪れましたか…。
 ええ、知ってはいたのです。
 天文を主とする人たちだけでなく、そういう方々がいらっしゃるということは。
 しかし、接点が全くという位なかったので、これまでほとんどお話を聞くチャンスはありませんでした。

 長い間、皆既日蝕を追いかけて世界を巡る研究者や科学者以外の日本人の多くは、いわゆる天文ファンでした。
 日食情報センターの調べによると、アマチュアが皆既日食遠征に赴いたのは、1968年9月22日のシベリア日蝕(アルマ・アタ)が初めてだったそうで、その時の観測者数は16名。
 日本のアマチュアによる日食観測の歴史

 それ以来、観測や撮影命!という姿が多かったように思います。
 観光よりも、まずは黒い太陽との逢瀬を最優先。
 余りにピリピリしていて、観測中のちょっとしたトラブルに怒号や罵声が飛ぶことすらありましたが、それぞれにエンジョイして感動して、かけがえのない瞬間を過ごしていらっしゃったのだと思うし、もちろん観光や現地との人たちの触れ合いも楽しみました。

 最近は観測機械の自動化なども進んでそうとばかりも言えないようですが、日本人が集まる観測地では皆既の瞬間に歓声が上がりシャッター音が響くものの、拍手はまばらという印象がありました。
 何故なら、ほとんどの人が写真やビデオを撮るのに忙しくて、手があいていないから。
 アメリカ人の観測隊からは、大歓声に口笛、拍手喝采、音楽を奏でたりでお祭り騒ぎ…。
 これは国民性なのかな?
 その頃は、そう思っていました。

 いつの頃からでしょうか、日本人の皆既日蝕ウォッチングに少しずつ変化が訪れていました。
 1988年3月18日の東南アジア〜小笠原沖皆既日蝕が第一歩だったのかも知れませんが、私は初めての皆既日蝕遠征で比較することも出来ませんし、とにかく弾けておりまして…。(若かったんデス。^^;;)
 その後、自分よりもずっとずっと日蝕遠征暦の長い方々からお話を伺う機会も増え、これまでの変化に気づいたのは1991年7月11日のハワイ・メキシコ皆既日蝕の時でしょうか。
 あの時はハワイという日本人にも馴染みのある地で観測が可能でしたから(でもオアフ島ではなく、ハワイ島とマウイ島南端。なお、残念ながらハワイでは天候が思わしくなく、観測できた場所や人は限られてしまいました。)、コアな天文ファンだけでなく、ほんの少し興味がおありの方や一般観光客の中にも見物された方もいらっしゃったようです。
 日蝕で人が集まったことから、様々なイヴェントも開催されたと聞きますし、日本のテレビ局が現地から皆既日蝕の生中継を試みたというのは大きな出来事だったと思います。

 私は1991年にはメキシコのバハ・カリフォルニア半島ラ・パスへ遠征しましたが、ハワイに比べると遠くて費用も高かったから自然とそういうことになったのか、その後に繋がるカルチャー的変容(?)に関しての兆しは薄かったように思います。
 しかしながら、皆既日蝕遠征というものが以前に比べて広く認知されたことに違いなく、その点からは変化の幕開けだったと言えると思うのであります。


 話が逸れますが、小笠原沖日蝕では読売新聞と日本テレビが『にっぽん丸』に乗船、皆既日蝕の様子を撮影・収録していました。
 現在となっては当たり前のようですが、電子の力(?)を目の当たりにしたのもこの時。
 日蝕をフィルムで撮影後に船内に設えた現像室でプリントしてスキャン(マビカも使ったのだったかな?)、新聞社には東京まで電子送信して当日の夕刊か翌日朝刊に掲載という早業をやってのけ、クルーズ中にその掲載紙が船内に掲示されました。インマルサットの威力に驚いたものです。
 他にも船内からパソコン通信にアクセスする人もいて、それ自体にも驚きましたが、料金が随分高くてこれにもビックリ。
 TVは、日蝕翌日に父島上陸の際にチャーター機で東京に一足先に戻ってオンエア…だったような気もするのですが、ダイジェスト部分は当日オンエアだったかも知れません。こちらは記憶が曖昧。
(事実を今から裏を取ることも可能ではあるのですが…少なくとも小笠原から戻って2日後くらいに特集番組がオンエアされた記憶があります。)


 そして時は流れ、1995年10月24日のインド・東南アジア皆既日蝕の時には、日蝕に合わせてレイヴ・パーティ(Rave Party)がインド・ゴアで開催されたと聞きました。
 ライヴとダンスの熱狂イヴェント。
 なお、レイヴは皆既日食の時だけでなく、毎月の満月の夜に行われるFull Moon Raveというのもあるそうですし、近年、日本でも各地で開催されているようです。

 "皆既日食 RAVE"でググってみると、沢山のページがヒットします。
 もはやEclipse Chaseは、一部の天文ファンだけのものではないことを実感。
 
 そして、今回この『皆既日食ハンターズ・ガイド』が発行されるに当たって、目を引いたのは"INFAS"発行の『STUDIO VOICE別冊』ということでした。
 『流行通信』の、あの会社?!
 スピリチュアルな事象、癒し…。
 そういう事柄にスポットが当たるようになり、ファッションやライフスタイルにも取り入れて、一つのトレンドともなっています。
 ふ〜む、ここまで来たかぁ!

 海外、特にアメリカでは皆既日蝕に関する書籍…初心者や子供にも分かりやすい解説書やガイドブック本がかなりの数を手にすることが出来るのに比べ、日本にはほとんどないのです。
 以前、地人書館発行『黒い太陽を撃て!』(1973年初版!その後、何度か増刷…ですが、現在は入手不可?)がありましたが、これが日本国内におけるほぼ唯一の日蝕に関する解説と記録・資料をまとめたものだったと思います。(日食情報センター発行の『日食情報』誌がありますが、会員向けのもの。)

 待望の新資料・解説本と言える訳ですが、内容は随分様変わりしていることが予想されて、興味と(色々な意味で)恐れが入り混じります。(^^;;)
 オーロラの次は日食…という訳でもないでしょうけれど。

 この本の発行を自称『観測・撮影の古いタイプの生き残り』氏に告げたところ、ポツリ。
 「黒い太陽の下で、邪魔さえされなければいいよ。」
 まぁ、なんと狭量な?!
 確かに観測・撮影命!!派とレイヴ派とが、同じ観測地で共存共栄(?)するのはチト難しそうですけれどね。
 周りで踊られたら、震動や視界の確保などで、それこそ怒号・罵声が飛び交いそうだし、乱闘騒ぎさえ起こりかねないです。(^_^;)
 でも、場所は違えど、月の影を追いかけて同じ黒い太陽を見上げ、想いをシェアしあうことはできますよね?

 毎度の事ながら、話が長いしまとまらない…。(*_*;)
 お許しを〜。

ページの一番上へ
2006.2.2
光の造形 −月の意匠・森の粧い−

光の造形 −月の意匠・森の粧い−

 2006年2月3日(金)〜26日(日)
 10:00〜19:00(最終日は17:00まで)
 入場無料
 ポーラ ミュージアム アネックス
 東京都中央区銀座1−7−7
 T:03−3563−5501

ギャラリートーク 「水と森の恵み」
 2006年2月4日(土)
 14:00〜15:00
 会場:ポーラ ミュージアム アネックス
 定員30名(要予約)
 電話にて受け付け(10:00〜18:00)
 T:03−3563−5501
 参加費無料


 日本は美しい自然の恩恵を受け、万葉の昔から心の豊かさや美を愛でる感性を育み、独自の日本文化を構築してきました。
 四国の山地を舞台に月を撮り続ける高橋宣之氏と、漉き和紙で独自の世界を表現する田村智美氏。
 月と森が織り成す様々な情景と、そこからイメージした和紙のコラボレーション。
 実際に触れることが出来る和紙の作品も展示されているそうです。

 田村氏の作品はweb上には掲載されていないのですが、高橋氏の作品は…息を呑む美しさ!!
 お月様と森に包まれた時間をゆったりと過ごさせて頂きたいと思います。

ページの一番上へ
2006.1.27
化学物質過敏症の少女2

素敵な宇宙船地球号
 『化学物質過敏症の少女2』〜万海花とアリーの願い〜
 2006年1月29日(日) 23:00〜23:30 テレビ朝日系列

 今、世界では化学物質過敏症に悩まされている人が増加しています。
 日本でも約70万人がこの病気に苦しんでいます。
 今回は2005年1月に放送した“Dear地球様 16歳からの手紙―化学物質過敏症の少女”の続編です。
 あれから一年、梅原万海花さんは17歳の誕生日を迎えました。
 4年ぶりに会うことができた祖父母とのお正月や両親の想い、そして、万海花さんの地球環境への想いを映し出しました。
 また、化学物質過敏症の患者に対する地域ぐるみの協力も追いました。
 さらに番組では、化学物質過敏症の治療の最先端であるアメリカへ行き、テキサス州にあるダラス環境医療センターの最新情報や、化学物質過敏症で家族が離れ離れに暮らす14歳の少女アリーを取材しました。
(番組紹介より)


 上記番組紹介にあるように、『Dear地球様 16歳からの手紙―化学物質過敏症の少女』の続編です。

 こちらにしたためたように化学物質過敏症は誰でもなりうる病気です。
(…とは言え、まだ厚生労働省は"疾病"としては認めていません。T_T)

 罹ってしまうと、これまで続けてきた快適な日常生活を過ごすことは困難になり、色々な不便や不都合が生じて社会生活が成り立たず、精神的にも多大な苦痛を強いられます。
 そして、夫婦や親子であっても離れて暮らさなければならない状況に陥ることも有り得ますし、これまで当たり前だと思っていた生活環境を大きく変えなければならないでしょう。

 化学物質過敏症という言葉からは、人工物だけが有害というように捕らえられがちですが、決してそうではなく、天然だから安全ということはありません。
 天然物質でも人体に有害な物(毒性がある)は沢山あるのですから…。
 それら様々な有害物質から逃れるためのサポート施設、治療の現場をご覧になると、大袈裟に見えるかも知れません。

 でも、それは確かに気のせいではなく、そこには日々苦しんでいらっしゃる方がおられる訳ですし、移転など住環境を止むを得ず変える事が出来ずに、近隣の方々が使う日用品など(例えば、洗剤や芳香剤、ガス給湯器、石油ストーブ、タバコ…などなど)に苦しみながらも、なんとか毎日を送っていらっしゃる方も多いようです。

 化学物質過敏症という言葉は、患者の側が過敏であることが問題であるかのようなイメージを抱きますが、そうではないのです。
 それで、化学傷害という言葉を使う方もいらっしゃいます。

 まだまだその存在が知られていない化学傷害(化学物質過敏症)。
 しかし、罹ってからでは遅いのです。
 このような病が、花粉症のように広がらないことを願うばかり。
 多くの方に知って頂きたく、是非この番組をご覧頂ければと思います。

化学物質過敏症支援センター
化学傷害警報



ページの一番上へ
2006.1.16
地球交響曲<ガイア・シンフォニー>DVD-BOX限定発売

地球交響曲<ガイアシンフォニー>DVD−BOX(5枚組)限定発売
 2006年4月21日(金)
 5枚組
 2000セット限定
 31,500円(税込)
 注文・問い合わせ先
 (有)龍村仁事務所(電話・メイル・FAX:このページに明記されていますので、ご参照のこと)

【収録作品】
 地球交響曲第一番 1992年 130分
 地球交響曲第二番 1995年 130分
 地球交響曲第三番 1997年 150分
 地球交響曲第四番 2001年 135分
 地球交響曲第五番 2004年 133分

【特典映像】
 (先行予約分のみ収録の模様)
 龍村 仁監督による製作秘話 「地球交響曲の軌跡」
 第六番予告編

地球交響曲<ガイア・シンフォニー>公式サイト
地球交響曲 公式ブログ
 上映会情報、第六番の撮影状況などが日々更新されています。


 31,500円かぁ…。
 龍村 仁事務所には申し訳ないですが、分割払いできると良いのに…と思うのでした。(^^;;)
 クレジット・カードで支払い手続き後、カード会社で「リボ払い」を申請すれば(手数料はちと多くなるものの)、月々の支払額は押さえられるか。トホホ…。(*_*;)


ページの一番上へ
前のページへ ホームページへ 表紙へ 次のページへ

Produced by Madoka Fukushima
Copyright (C) MADOKA FUKUSHIMA 2008
All Rights Reserved.