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アンコール遺跡、こぼれ話:1

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2004.10.12(火)誰のための?

ああ、誰がこんな所に!!バカヤローーーーーー!!象の池へ行く途中、象の池と牛の池との分かれ道の少し手前。
もちろんバイクは途中で下りて、徒歩で15分ぐらいの所なのだ。
あの山中へ入った人なら想像つくと思うが、多分、一日に多くて1〜2人しか通らないだろう。

無粋ではあるが、笑ってしまった。



2004.10.9(金)非公認の国境--そしてワット・プーへ

Stoeng Trengからメコンを遡ってカンボジア・ラオス国境を目指す。

このボートで定員になり次第出発。5ドル位だったかな。

河からの風景は、何処でもいつでもエキサイティング!

Stoeng Treng:
船着き場から坂道を上ってすぐに河と垂直方向に細長い空き地?がある。左(東?)側に市場や屋台があり、宿は両側、ここら辺に数軒あるようだ。
しかし、暗くなって到着すれば不安増大(7:30)。いつものように客引きに着いていく。以前、真夜中に着いたビエンチャンは客引きさえいなかった(首都だって言うのに!)その事を思えばどうってことはない。
とりあえず晩ご飯!屋台のおかずはだいたい似たような物が並んでいて、買う時、怪しい物は避ける。と、昨日と同じってことになるのだ。ごはんが200リエル!シェムリアップは高いな。

外国人非公認の国境のイミグレは川を挟んであるが、面倒。カンボジアとベトナムのメコンのイミグレみたいに隣にあるといいのに。賄賂はどちらかで絶対取られるだろう。或いは両方(笑)
あたしはラオス側に2ドル。手強いっス。
順に行けばワット・プーが、先だが、パクセへ。思った以上に街は活気があった。首都より開けてるンちゃう?



2004.9.11(土)餓鬼? バンテアイ・スレイ:破風(Pediment)


あれ?これって何?
よぉっく見ると不思議な人物。バンテアイ・スレイにこんな人が彫られているなんて!
で、思い出したのがシェムリアップのモロッポーでもらったJSAの冊子。
朴亨國氏のタ・ネイの破風についての論文?が載っていて、気になる。
「・・・タ・ネイの東塔門東の破風の主題は「餓鬼に甘露水を与える観音」・・・

「左手に蓮華の茎を持ち、右手で与願印を示して・・・」
タ・ネイより200年ほど遡るバンテアイ・スレイのこのレリーフは欠けてはいるが、内容は合っている。

反対側の人物は袋を持って銭を乞う貧者?
(見出しの破風をクリックして)
宗教的な事はよく分からない。


(JSA News 2002:No.7/アンコール 過去・現在・未来)



2004.9.6(月)ウダヤギリ:UDAYAGIRI(5世紀以降?/ ジャイナ教)


「インド建築案内・神谷武夫著/TOTO出版」を参考に描き起こしました。

上はアンコール遺跡ではない。インド・オリッサ州の遺跡なのだけれど、「う〜む!似てる!!」と、思うのは、あ・た・し、だけ?!
イラスト左側の動物は、残念ながらカエルではなくトラらしい。で、外れでした。(石窟)
右側は紛れもなく象で、鼻先で蓮の花のような物を束ねている。アンコール遺跡でもおなじみ。

一瞬、象の池を思い出してしまった。
(写真左:Phnom Kulen)
ジャイナ教が信仰されていたジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世がクーレン山でデヴァラージャの祭儀を行い即位。なんてこと考えると、このカエルは、カエルじゃないかも。だって、デカ過ぎ!!でも、トラにしては小さい?いや、こんなもんだろ?

しかし、カエルにこの鼻は絶対、変!!

両方、直接岩に彫ってある。もしかして、知らなかったのはあたしだけだろうか?

どちらにせよ双方ともトラには見えない。同じ資料(情報)で間違ったか、真似たと考える方が、話は面白い。

グラハム・ハンコックなみのこじつけ?か(笑)



2004.9.6(月)天空の城ラピュタ

S君は、Thomの環濠からRun Tadevをくぐって出たところに広がるBen Thomが、「まさにそうだ」と。
訪れるなら乾期より雨期がおすすめ。苔など緑がきれい。

あたしの中で視覚的に言えば、Phnom Bokが、王のいなくなった城のイメージに近いと思う。
山の頂にあり、石の遺跡に樹が根を張って、あのエンディングのシーンを彷彿させる。
この写真を見て、なるほどと思わない?
Run Tadevをくぐって出たところにBen ThomとPhnom Bokがあれば、イメージに近くなるかな。
しかし、ラピュタをアンコール遺跡の中に見つけだそうとするのは、無理。あれは、複合的な産物。
パズーの育った炭坑の町が、英国のウェールズ地方?にあるのは、ファンなら誰もが知っている。
そうそう、「風の谷」も諸説あるらしい。パキスタン説、ニュージーランド説・・・
以前、宮崎駿氏とどこの谷かという話をしたという旅人(女)がいて、あれこれ聞いたが忘れた〜。
冒険活劇という意味に於いての満足度100%!
城、お姫様、海賊、宝物、呪文、飛行、友情・・・
あ、「カリオストロの城」を思い出した!

断っておくがアニメ・オタクではない。環境をどうのこうのが前面に出ているアニメは勘弁して。うんちくは要らない。




2003.10(金)脱落

というか、載せていない遺跡がある。
スラ・スランである。
水があって開放的で好きなのだが、売り子のしつこさがいやで、足が向かないのだ。広さはあるが、写真に撮りたい場所は限られていて、あそこに人物を入れて撮りたくない。
で、ない。
もし撮るなら、スラ中央にある崩れた遺跡。水深1メートルぐらいの池の水面から僅かに砂岩が見えている位なので、そう大きくはないだろうが、気になる。
ポル・ポトの時代に田圃になっていたというのは、ここだと思うので、遺跡としての建造物は破壊されているのかもしれないが。



2003.9.26(金)カンボジアとチベット

木造家屋の瓦の重なりや軒先に飾り切りされた板が付属しているというのが共通。
チベットで仏塔に張った糸に布きれを付けている、名称タルチョ?
これに似たものがカンボジアにもあって、カラフルな布きれをたくさん付け風に翻っている。
プノン・クロムに夕陽を見に行ったとき「あ、チベット・・・」と思った。



2003.9.21(日)何処へ

アンコール遺跡のあと、人はいずこに流れて行くのだろうか?
あたしはカンボジアに於いてアンコール遺跡以外に興味は殆どない。



2003.9.2(日)デヴァター

初めてのアンコール遺跡で撮ったデヴァターは5枚もないし、リンテルもほんの2〜3枚だった。2回目の訪問も最初と変わりなく、写真はあまり撮らなかった。どれも同じにしか見えず撮る気も起こらなかったのだ。

あたしがレリーフにはまって?しまったきっかけは、デヴァターである。
サンポットの巻き方で時代が解るという記述を読んで、確かめたくなったからだ。
最初は、書籍からデヴァターのイラストを描き起こし特徴などを記入してみた。しかし何だか微妙な雰囲気が壊れてしまう。こりゃ写真で集めるしかないなぁと思い、去年の8月出かけた。主だったアンコール周辺のデヴァターは揃い、年代(遺跡)別に並べて「いいぞ!」
これがきっかけで、レリーフの面白さが分かり始めてきた。ここからあそこまでは同じ石工だなとか、違う遺跡であっても、石工グループが同じと感じられるものもあったりと部分的共通性も面白い。

が、象のテラスにある2体のデヴァターは、どう考えても不思議。異質。



2003.7.20(日)お気に入り

アンコール遺跡を幾度か訪れ、やはりアンコール・ワットという人は多いのかもしれない。
大阪出身のO君こと通称パパは言った。
「やっぱり、アンコール・ワットやで」
2時半ぐらいに出かけ、日没までをアンコール・ワットで過ごす。
場所は、第三回廊北西角。あたしと同じなので、その時間帯は避ける。
そこで小遣い帳を付けたり、ぼんやりするのだと。
彼は1週間チケットを買い、日々繰り返す。
しかし、そんな彼だがベトナムに住みたいと言っていた。

S君も第三回廊がお気に入りのよう。



2003.6.10(火)彫り物

ラオスのパクセの博物館にはアンコール遺跡以外と思われる「彫像」と「遺跡の写真」もいくらかあった。と言っても素人の判断なので、笑って。
なんとなく卑猥そうな彫像は拒否反応が起きる。ラオスの彫像(土着的)には卑猥なものが幾つか含まれているが、アンコールの彫像類には、ない!と、あたしは思っているし、信じている(何のこっちゃ?)。
ラオスには石の遺跡もちょっと?違う雰囲気のものが点在しているようだが、実際見たこともなく、アンコールとの関わりはよく分からない。(ジャール平原、あと忘れた・・・)
面白そうではあるが、彫り物のない遺跡はあれこれ想像し難いで、今のところ興味は湧いてこない。

おまけ:
ビエンチャンの東にあるワット・シェンクアン(仏陀パーク)は面白い。遺跡ではなく50年ぐらい?前に作られた奇妙なオブジェが並び、作者の想像力に感心。(メコンを挟んでタイ側にもあるらしい)



2003.6.4(水)E-mail

3月初旬、帰国して間もない頃、シェムリアップからメールが届く。
バイタクのR(この前まで少年)からだった。
カンボジアの青年からメールが来たなんて、この辺の恋愛事情をよく知っている人から見れば、リピーターってそういうのが多いんだよなと、誤解されそうだ。
あたしの事を「太った〜!」と言ったチェック・ゲートの失礼なお姉さんも、
「彼氏がいるんじゃないの〜?」
すかさず
「ジャヤヴァルマン7世」
と答えたら、うけた〜。は〜はっはっは!
遠距離恋愛でアンコール遺跡に通っているのではな〜い(笑)

英語の上手いRが、下手くそな日本語で送ってきてくれたメールは、ビジネス・メールのようなものだが、 タイピングも慣れていないだろうと思うと、それはそれで嬉しかった。返事は、もちろん「下手くそな英語」で。

因みに、旅行会社Aには、ガイドだから日本語が上手いのは当然だが、日本の女性数人とメールのやり取りを日々交換している青年Dがいる。彼のタイピングはマシンガンの如くである。あたしより速い!変換もほぼOKみたいだ。ま、漢字は殆ど読めないんだけど、とにかくすごい。
そういや彼も「Mさん」と同じ日本語学校で日本語をアルバイトで教えていたなぁ。よく若い女の子を「授業を見に来ないか」と誘っていたっけ。

あたしの通称は「ママ」・・・
つまり、「恋愛感情」は存在しないのさ。
大概の人はあたしのサイトを見て年齢の誤解をしていると思うけど、ま、ある意味(精神年齢の低さ)あたっている気もするので否定も肯定も公表もしない。
本当のあたしをよく知っている人なら、「相変わらずやな」



2003.6.1(日)お買い物

書籍と地図、絵葉書、クロマー。
クロマーは失敗だった。綿100%の物が少ない。
4〜5年前日本で買ったクロマーは綿100%。
今、カンボジアでは化繊が部分的に使われているよう。(例えば青の横糸)
手触りが違い、しまったと思った。見た目は変わらないが、吸水力は違う。

カンボジアでカラー本を買うときは、注意が必要。色ずれは許せるが、何処かの「折り」の一色が違う版で刷られているときがある。色分けで説明される内容だと意味が分からなくなる。一色物でも、時間のあるときはノンブルを読む。乱丁なら許せるが、飛んでいるのは論外だ。紙質が違うので裏写りは仕方ない。

絵葉書はシェムリアップで1ドルで売っているが、プノンペンの本屋では0.6ドル。

たくさん欲しいのは、「地図」
地図は面白い。裏面にベトナムの詳細な地図や航空写真が刷られていたりする。こんなに詳しい地形の情報が米国にはあったのだ。ただ、知った地域でないのは残念。

切手は郵便局にアンコール遺跡の綺麗なのがあったが、とても高かったので、単色刷の安い物しか買えなかった。切手なら荷物にならない。



2003.5.19(月)瞳は塗られていた?

アンコール・トムの門、四面仏の瞳は「黒く塗られていた」と思った。
しかし、それは目玉が出ているので、長い間、風に晒されカビが生えて、そう見えているのだという結論に達した。シミのようなものだと。
最近、やはり瞳は塗られていたのかなと思い始めている。ほかのレリーフも。



2003.5.16(金)見落とし

去年の今頃、一生懸命本を読んだ。色んな事がたくさん分かった。しかし、随分と読み漏れがあったようだ。「屋根裏」2003.4.6に書いた「足跡」も、その一つ。シェムリアップで海賊版で販売されているアンコールの遺跡・今川幸雄氏の著書(P89/8行目〜)に、書かれてあった。素人のアンコール遺跡巡りって、こんな水準なんだとしみじみ思う。が、が、推測は当たっていたのだ!嬉しいなぁ。

クーレン山のロンチェンについても見落とし。 アンコール遺跡/ジョルジュ・セデス、三宅一郎訳P221・8行目
にピラミッド型のレンガ祠堂にするのがやっと、とある。

同じ本を何度も読む。同じ遺跡に何度も通う。
少ない情報を、こぼすことなく取り入れたいと思っているが、意識が働いていない遺跡に対しての注意力が欠けているのは悲しい。

先日、アジア図書館へ行って来た。うう、閲覧料500円、コピーはA3が60円もする!モノクロで、だよ! 岡崎の石工さんのビデオを観る。(8年ほど前のNHK放映)デヴァター数体が映し出されたが、「違う」と思った。当たり前なんだけど。技術的には、こんなもんかなと思ったが。
もう一本観たっかたが、時間切れ・・・。プロジェクトXで放映された石工さんのものだ。千葉の流山市在住の方らしい。シェムリアップで知り合ったRさんが近所のおっちゃんと言っていた。



2003.5.12(月)彫像

彫像を描き始めた頃、プロバイダーの使用メモリは残量が殆どなくて、大きな画像はUPしていない。つまり、小さいので描き込んでいなかった。途中から使用メモリが100MBに増え、描き込み始める。並べてみると、違いすぎる。描き直さんとあかんな〜・・・
当初、メモリ事情もあり雰囲気が分かるぐらいでいいと思っていたが、今は妙に気持ち悪い。
しかし、描き直すより違う新しい彫像を描く方がいいかなぁ。



2003.5.4(日)Prasat Snuol

昨日、Stone for placing votive offeringsのことを書いたのだが、プノンペン博物館の注釈カードには出土はシェムリアップと書かれていたが、Iさんのリストで遺跡名のSnuolを見るとKralanh東北東にあるSnuol村の北1kmにあるようだ。レンガ塔4つ。100年前の遺跡の地図を見ると「!!」なんと扱いがけっこう大きい。コー・ケーやベンメリアと同等に記されている。これってどういう意味があるんだろう・・・
そして今は、何処の話題にもなっていない。跡形もないのか、後年大した遺跡でないと見放されたのか?
博物館に展示されている遺跡の付属物・出土品(リンテルや彫像など)を観てから、遺跡探しも有りだ。全ての遺跡を観て廻ることなど不可能に近いだろうから、出土品で興味を持った遺跡を探すのも、選択肢の一つ。
それの最たる物といえば西メボンで発見された青銅の「横たわるヴィシュヌ」である。
で、次がプラサート・スララウだった。
どちらも、恐ろしいくらいの落差がある(笑)
Kralanh辺りにもけっこう遺跡は点在しているようだ。しかもレンガ塔が多そう・・・
ということは、もしかして・・・
でも、あぁ!倒壊が激しいって事か!



2003.5.3(土)Stone for placing votive offerings

初めて見る物で面白いと感じたものはしっかり記憶に残る。
これがそうだった。占いで使う方位のような物か?40cm四方ぐらい。
祭祠の時の物らしい。プノンペン国立博物館で簡単に記録する。メコンを上り、5日後ワット・プー訪問。参道途中レンガ塔が左右合わせて6基。殆どは倒壊していて一番北側の塔が辛うじて壁が残っていた。
「何もないな〜」足元を見ると、このStoneの破片が2つ少し離れて転がっていたのだ。博物館で見たばかり、記憶に新しいので、「あらっ!」と思った。
気にしていると、情報が近付いてくると言う「持論」がまたまた実証された。ちょっと、いやぁ、かなり嬉しかった。でも、それがどうしたと言われると「ぐぅ〜っ!」だね。

ワット・プーおまけ:
ワニの岩だが、後右足の横に、オッパイ2人分があるように見えた。
写真(中央左下)では分かりにくいのだが、現場でそう感じた。再利用された岩なのか、同期に彫られたものかは、分からない。



2003.4.29(火)彫刻村

彫刻村って、あったのかな。
石切場とは違うところで彫像類は彫られただろう。
コンポン・トム東へちょっと行った位、国道6号線沿いに彫像を彫っている地域がある。見覚えのある獅子やデヴァターや仏陀がそこここに並べられている。きっと昔からこの辺りはそんな風に受け継がれてきたのだと思った。近くには、プノン・サンッタクと言う聖山があり石材はそこから調達したのかもしれない。確かに砂岩が、ごろごろしていた。
じゃぁ、シェムリアップ付近にはそんな村はなかったのか?と、ふと思った。工房のようなものはきっとあったと推測するが、現代において彫刻村はあるのかどうか、知らない。
遺跡の石材の材質で切り出された地域や、ある程度の年代が推測できる(JSAのサイト参照)なら彫像類も、調べてみてもいいじゃないかと思う。もう、調べているかもしれないが。
そうすれば彫像の違う見方が発生し面白いかもしれない。



2003.4.27(日)ホーム・ページ

公に近い機関のホムペは、何故更新がされないのか?
公開はするがあとは、半年か年に一度ぐらいの更新。
ま、忙しいこともあるのだろうが、取りあえず世間体もあるから公開しよう、ぐらいにしか思っていないのだろう。「うちもサイト立ち上げました」とかで。それと、きっと最初は業者に依頼し作成しているので書き換えられないのかもしれない。色んな情報が得られると思って期待しても、肩すかし。
棚の奥に埋もれている情報を小出しして、楽しませて欲しい。

などと、偉そうなことを書いているが、自分のサイトもいい加減なものだ。
以前は、半年以上ほったらかしの時もあったので。
ま、あたしのサイトはそんなに知名度もないので、許して!

更新って辛い・・・



2003.4.19(土)連子と側柱

どんな風に作られたか?
こけしやバットを作るときのように端を固定させ回転させながら作った、と思っている。そんな道具があったかどうかは分からないが、きっとそう。
丸い物はそんな方法と思っているが、8角の側柱はどうやって?う〜ん、それの応用で8角の石材を固定させノミは柱に対し水平に反復する装置を作り溝を入れた・・・(彫りの深さも調節できたと思う)
時折、平行でないいびつな物を見かけるが、石材を組んでからフリーハンドで彫ったものだろう。



2003.4.19(土)門衛神

バンテアイ・スレイでは、顔つきは一種だが、ジャヤヴァルマン7世の頃の門衛神は開口部に向かって左が仏陀風、右が阿修羅風だ。これはアンコール・トムの各ゲート、乳海攪拌の像と一致する。で、アンコール・ワットには門衛神がいたっけとふと思う。記憶にないのだ・・・
トマノン、チャウ・サイ・テウダも。



2003.4.12(土)ヤショダラプラ・王宮・ピミヤナカス

プノン・バケンは二重の環濠に囲まれていたという記述があり、外の大きい環濠は4kmぐらい。

ヤショダラプラの中心がプノン・バケンである。衛星写真でかなり大きな環濠跡を見ることができるが、それは南西角のみである。北側は映ってはいない。で、コンパスで距離をとると、王宮跡とその西にある池(トロペアン・ドン・マ)、ピミアナカス、勝利の門への道が北部環濠の位置に当たる。この位置は東メボンの中心線上でもある。

王宮とプノン・バケンはほぼ同じ年代とすると環濠の中にわざわざ王宮を建たのか?それとも環濠は途切れていたのか?
10世紀末ピミアナカスはヤショダラプラの初期の祠堂跡に建立されたものらしい。

と、ここまでタイピングして、体は丈夫だが頭の弱いあたしは混乱し、手を止めた。

数日後も混乱中:
ピミアナカスは水の中に建っていた?とも思った。王宮や王宮広場の辺りは所々窪地のような所がある。
ポル・ポト時代の塹壕かも?しかし全てがそうではないと思う。

周辺より低い位置に遺跡があるというのは何故なのか?そうそう北側階段の北には上を歩ける1m位の低い塀のようなものがあったなぁ。土手が階段口まで伸びたような・・・
王宮東南にある四棟の経蔵風の建物周辺も低い。
雨期に訪れると象のテラス前の周辺は水が溜まっていて、道路を外れて踏み入ると靴がぐしょぐしょになる。勝利の門へ向かう道の左右も窪地になっている。このあたりは、環濠の名残が残っているのでは?などと勘ぐってしまう。浅い池があったのかもしれない。

あああ!何が言いたいのか?
「遺跡の写真もいいが地図も面白い」ってことかな。点が線になり、面になり立体になる。
時々、目が点にもなるが。

おまけ:
プレ・ループ、タ・プローム、西メボンは同東西線上にある。



2003.4.11(金)愚か者

初めて行ったアンコール遺跡、アンコール・ワットとアンコール・トムしか知らなかった。バイヨンもタ・プロームも象のテラスも・・・映像的にはアンコール・ワットのみ。そんなんでも楽しかったし気持ちよかった。
中国から南下して東南アジアを旅したときの「ついで」。次の訪問も旅の「ついで」だったが、その帰路にアンコール遺跡への興味がむくっと芽をふいた。本屋とか図書館へ足繁く通い、知識が一つ一つと増えて行くに連れ、はまってしまったのだ。一年前のこと。
しかし今でも「愚か者」で、帰ってから「しまった!」と思うことがいっぱいある。終わりはないようだ・・・



2003.4.10(木)アンコール・ワット

今、気になっているというか、きちんと見たいのは中央尖塔である。
レリーフが深く丸彫りに近いラーマーヤナの猿がおもしろそうなのだ。猿王スグリーヴァとヴァーリンの戦いの図とかヴァーリンの死などの表情が豊かで、双眼鏡で落ち着いて見たい。この時は色々気が移り北側しか見ていない。尖塔は漆喰のようなものが残っているように見える箇所もある。
中央塔の祠堂周囲のデヴァターも良く彫られてはいるが、中年女の体つきのようでちょっと雰囲気が違う。
行くたびに足止めをくらう西門周壁も、まだ気になる。北側の象の通用門辺りのデヴァターは黒いものがあるが、漆を塗られていたような気もしたので、確かめたい・・・西門内側辺りのデヴァターがアンコール・ワットでいちばん美しいと思う。お気に入りの場所は南の象の通用門すぐ北にある開口部。ここに腰掛け、本殿や参道を往き来する観光客をのんびりと眺める。いい風も吹く。あたしは、「遺跡に吹く風」が好きなのだ。
デヴァターのばってんの(Xの)、たすき掛け胸飾りは大概バイヨン様式と言われているらしいが、アンコール・ワットにだって、その飾りを付けたデヴァターはあるのだ。どれだけあるのか気になる。が、いくらあっても、アンコール・ワットにあるのだからアンコール・ワット様式のデヴァターと言うことになるよね・・・(第一回廊ヒンドゥー神話のレリーフの中には、ばってんのたすきを掛けた神は数人いるが、デヴァターは少ない。ただし、中央塔辺りの豪華なデヴァターはばってんの飾りを身につけている)
第一回廊東口すぐ北側にあるストゥパは一体いつのものなのか?なにかが祀られているのか?アンコール・ワットの中にあるんじゃ、霞んでしまう。



2003.4.9(水)碑刻文

あたしは、そそっかしい。プノンペン国立博物館で買った古クメール語の辞書は6〜8・9世紀のものだった・・・
それでもいい、写真を見て文字を探す。現代のクメール語も殆ど知らない素人に分かるほど、優しくはないのは承知の上。
よく見ていると、繰り返し何カ所にもでてくる文字があった。辞書にある碑刻文クメール語のアルファベットと英語のアルファベットを併記してあるのを見比べる。短い単語の読みが一つ分かる。読みの次には、意味だ。またページをめくり探す。
あった〜!
意味は当然、フランス語とクメール語・・・
フランス語は英語の辞書とそんなに変わりなく引けるのだが、クメール語はややこしい。


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