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アンコール遺跡、こぼれ話:2

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過去・こぼれ話-- [2]-- [1]--

2007年5月6日(日)今回の予定・取捨選択

予定は予定であって決定ではない。
そんなこんなで、予定は変わっていく。
前回一月末と同様、バンコクinで陸路でカンボジアを目指す。

深夜便のフライトで早朝に到着。空港の北を走っているバスに乗り込む予定。
北BS発6時の便、10時半前にはアランヤに着くだろう。
で、33Km北にあるSdok Kak Thomを目指す。(超有名な碑文は博物館)
気配を感じたいと思っている。なぜ、ここだったのか。たまたまそうなのか・・・。
そして、4時過ぎくらいにはBBgに着いて、その日の内にPo Veal を見て、次の街へ進みたい。
(Moung Ruesseiから北のDoun Triの千体柱を見たいが時間が足りなくなるので断念)
Pursatへ。(泊)

PursatのPreh Theatの僅かに残っている円柱2本を見たい。
そのあと、Ponley北のKonpong Preh。彫刻が楽しみ。
次、K.Chhnangから、渡し船があれば渡って、北向かいの山の遺跡。初めはここからコンポン・トムへ
抜ける気だったが、K.Chhnangに戻り南下、河を渡りBatheay (Ph'av?)(泊)
3
Batheay北のPhnom Tropを目指す。レンガ3祠堂、内側レリーフ確認。
その後、コンポントムへ。
(前記のChhnangからの渡し船がなかったら、コンポントムの前に寄る)
KTからは、北上Tbaen Mean Cheyから、Khna Sen Kevと途中の遺跡、クーレンの町、
コーケー経由、スヴァイ・ルー、ここら辺で一泊

クーレン東遺跡、ダムデック、Trapeang Run、シェムリ・・・。
もしかしたら、シェムリで1泊も出来ないかもしれないがとりあえずシェムリ泊。

アンコール地域の見残し。撮りこぼしの遺跡など。
夕方、空港でアンコール本チェック。BKK経由翌朝KIX。

デジタルの写真をプリントしたいが・・・。
DISKの中のデータって、どうも・・・である。
抜粋してアナログな状態で残したい。今回は無理かも。

せや、ええ加減にカメラのマニュアル覚えんとな。
いつもオートしか使っていない。といってもコンパクトカメラだから知れてるが。
ま、最低ぶれないように撮らねば。


10月26日(木)地図・本、大好き

海外書籍の購入の場合、写真やら図版があれば迷わず即買い。
英語が分からなくても、ポイント部分は打ち込んでネットで翻訳をする。
プリヤ・コーの本は200頁(モノクロ)+カラー40頁程(56ドル)
大きくない一つの遺跡について、これだけの頁というのも凄いと思う。
売店の人にラップをはがし見せて欲しいとお願いする。
表紙だけでは、ちょっとハズレかもしれないとも思ったからだ。当たりでした。
ネットで調べたらタイのWhite Lotus社(白蓮)、ここには他にもアンコール遺跡本がありそうだ。
バンコクに行ったとき覗いてみようと思う。あ、River Booksも。
本当は図書館も行きたい。きっと色々あるはず。タイの博物館にも資料室みたいなのがあったようだが、そこにも面白いものがありそう。

「Images of the Gods」(River Books)は大小の写真1500点ほどとDVDで見られる画像800点。
色調補正をかけてあるのか黄色が勝ち過ぎていて安っぽいが、見応えはある。
かなり見落としているなぁ、こんなんあるんや・・・、と嬉しかったり悔やんだり。
アンコール・ワットやバイヨンなどの空からの写真はあるが、バンテアイ・スレイのを初めて見た。
ちょっと小さい写真だが、こういうのは嬉しい。この本は80ドルほどした。

大阪人の性癖なのか、すぐ価格を書いてしまう・・・。
シェムリアップの空港で、この2冊を見つけ買おうと思ったら100ドルしかない。日本円は帰りの電車賃分1500円ちょっとしかない。TCは使えないと言われた。カードは使いたくなかったので、悩む。
ああ、もしかしたらタイバーツってOKかも。あっさりOK。
そう、考えてみればそうだよなぁ。タイに入る気はなかったが空港内で使えると思い持ってきていたのが功を奏した。

両方ともなかなか、いい本だ。






10月21日(土)

静かな佇まいがアンコール遺跡の本来の姿と思う。


2006.10.8(日)久しぶりのアンコール遺跡・シェムリアップ/その2

9月29日(金)
チケット売場は結構混んでいた。写真は撮ってくれるのはわかっていたが、待つのが面倒なので持参した。
4人で一枚プリントするので、時間帯にも寄るが待ち時間が出る時もある。
(前回は、あたしの写真を2枚撮ってくれ、早くプリントできた)
ワットの参道入り口は人がいっぱい。環濠は水量がかなりあった。80センチ位は乾期より上昇していた気がする。
ワットに来ると周壁でいつも時間をとられてしまうが、今回もそう。
デジカメなので躊躇なく撮りまくる。
1時過ぎトムに向かう。
途中、パパイヤ・サラダ(ボックロホン)と砂糖黍ジュース(オンパゥ)を昼食とする。
南門からバイヨンまでの道って、あたしにとって一番爽快な道だ。
バイヨンをぐるっと回って西塔門へ。
観光客のいない塔門って遺跡然としていて好き。
某サイトで教えてもらった梁を見る。少しだけ彫り物が見えた。
800年ほど前の木片だがよくぞ残っていてくれた。
バイヨンへ戻る途中、奈文が調査している西プラサット・トップへ。
雨期のため小道は100メートル程の間に2カ所浸水していた。
9月30日(土)
10月1日(日)


2006.10.8(日)久しぶりのアンコール遺跡・シェムリアップ/超ハード・スケジュール!

深夜便で行って深夜便で帰国。
ドンムアン最後の日。帰りはスワンナプーム新空港ってわけ。帰国の乗り換えの時、いろいろ楽しめると思ったが、シェムリでの出発が1時間近く遅れたせいで、「探検」出来なかったのは残念。おまけに新空港の帰国便も大雨で1時間半ほど遅れた。そんな時間ってホントに無駄!!
ま、休日を最大限に使ったかなと思う。

9月27日(水)
深夜関空出発・早朝ドンムアン空港、9時半過ぎPP。
少ない日程でなんでPPかというと、ゴホン、え〜、地図を買うためなのだ。
2時間の予定で地図をチェック。前もって必要な地図のナンバーなどは印しておいた。
Google Erthも面白いがアナログの地図はあたしには必要なのだ。
店の女主人はひたすら探し出す、あたしは確認。40数枚購入。時間も予定通り。
ちょうど昼時なので、モニボン通りの中華食堂へ。
食後は博物館、2時間の予定。売店の本類をチェック。これといったのはなさそう。
去年買った、コーケーの彫像の写真の本があった。(シェムリの空港にもあったが110$ほど)
館内は模様替えをしていた。それと9月大阪での展示会の彫像が日通便で戻ってきたようで、 梱包されたまま置いてある。
アウトサイドの写真OKなので、ちょっと厚かましく撮らせてもらう。
外から思いっきり中を撮る、といってもコンパクト・カメラなのでしれているが。
2時半過ぎ、いよいよシェムリに向かう。
バスでもいいのだがコンポン・トムまでと言ったら拒否され、乗合タクシーで。
なぜコンポン・トムか、それはPr.Andetに寄りたかったから。
バイタクでシェムリまで飛ばす気だったが、時間が遅いと拒否、 夕刻と雲の加減でかなり暗くなりあせる。
「明日にしたら」と言われるが、半日使ってしまうので宿泊はしない。
タクシーでシェムリへ行く途中Pr.Andetに寄るという話でコンポン・トムを後にする。
しかし、雲行きは相当怪しい。見たこともない雨雲が空を占領し、やがて土砂降り。
地元の人達のPr.Andetと言うな名は知らないようで、サンダイと言う。
「え〜、そんなんか?ちゃうやろ?」
雨の中泥に足を突っ込み、濡れながら真っ暗な境内を歩きたどり着いた遺跡は 別物!!!!!
「 ばかやろーーーーーーー!!!!! 」
おまけにタクシーは超安全運転で時速40キロ以下。
シェムリに着いたのは9時過ぎだった。
宿もシェムリも、すっかり様変わり。
3年半のブランク。 宿はTV/エアコン付き(使わないので5$)
セカンド・ボスに、「コーケーへ行くが、移動は他の宿を使うね」と、 断って近所のゲスト・ハウスへ。
移動の足は、基本的には宿泊先のドライバーを使うのが礼儀だから。
しかし、コーケーの人気はないのか、この宿に誰もいないようだ。
単独でバイクで行くしかないなぁ。
ベンメリアだと人は集まるようだが、コーケーはいないので仕方ない。
まぁ、その方が、自分の自由がきくのでいい。他の人といっしょだと、ストレス溜まりそうだし。
早起き、自信ないなぁ。ちょっと疲れているし・・・

9月28日(木)
6時発のはずが、バイタクがタイヤ交換のためちょっと遅れる。
長距離だからやむを得ない。途中でパンクなんて困るし。
はっきり言って6号線は退屈だった。
チェックポイントの青年が、あたしを見て笑っている。バイタクに訊くと
「メットが大きい」と。ははは、そうだよねぇ。窮屈だし何より重い!
本格的なメットを被るのは初めてなのだ。(バンコクで子供だましみたいなメットは被ったことある)
北上、右にベンメリアの西参道がちらっと見えた。
石切場を通過。クーレンの山を見ながらあの麓にも単独の直彫りした遺跡があるはずと心が騒ぐ。
しかし、地図で見ると近くに思えるが、結構遠い。ついでに見られる距離ではない。
そんなこと考えている内にちょっと悪路になりまた快適道路に。
と思っていたら、どえらい泥道に突入。帰路この泥道で大きなトラックやらが3台ほどスタックしていた。
昨日の移動の疲れもあり、4分の一ぐらいは居眠りしてた。
メットがコツンとバイタクのに当たりばれてしまう。はは、危ないよね。でもすごく眠い。
コーケー到着。
朝から大雨だったが、着く前にはほぼ止む。
本命は一番奥なのに「いつものように、手前の遺跡で道草」、「時間がなくなるよ」とせかされた。

トムの入り口あたりからちまちまと写真を撮る。バイタクが「写真好きだね〜」と言うので
「写真は好きではない。遺跡が好きだから写真を撮る」と答える。
多分、彼が案内した旅行者はちっこい石なんか見向きもしなかったのだろう。
ピラミッド型祠堂は高くて腰が抜けそうなくらい怖かった。
でも頂上からの眺めは圧巻!
祠堂基壇石ブロックのいぼや頂上のガルーダ、参道途中にあった本命のデヴァターも撮った。
壁面にあるデヴァターより、転がっているデヴァターの方が状態はいい。
ナーガもあったし。
プラサット・クラハムは、想像していたよりはるかに小規模だった。
発見された彫像類はかなり大きいというのに、ちょっと違和感。
第一周壁東入り口の建造物はばかでかい。
第3周壁内のレンガの祠堂は反対に小さすぎ。バンテアイ・スレイを思い出させる。

「他にもいっぱいある」とも言われた。
トムから時計回りに南下する。
小遺跡がたくさんあった。
「見る?」
「見る!」
を繰り返しながら、時間がないのでホントに駆け足で通り抜ける。
はっきり言って、情けなかったが仕方ない。
砂岩とレンガの遺跡が混在。
3時、コーケーに別れを告げる。
バイタクはスヴァイルーで肉をたくさん買っていた。
今夜はごちそうなんだな、きっと。
くたくたになってシェムリ到着。お尻がいたい・・・。

以前あたしは、街中でバイタクを使うときいつも500リエルだった、シェムリでもプノンペンでも。
今回は1000リエル。ガソリン代も上がっているだろうし、仕方ないかと思っている。
自分の中では700リエルなんだけど。

明日は、ワットとトム内。


2006.9.21(木)カトマンズの獅子、あの獅子に似てない?

ちょっとまえ、スフィンクスから狛犬に変化していったと、TVで言ってた。
あたしは、アンコール遺跡の入り口に鎮座している獅子は狛犬と同じと思っていたので納得。
解るなぁ。始まりの一つがあり、そこから枝分かれしていく。
その途中の写真というべきか。メイン写真はネパール・カトマンズ(タメル地区)。こじつけなどではなく、素直に「同じ」と感じられる。左の写真をクリックして確認してみて。
獅子もたてがみがロールになっていてサンボー・プレイ・クックの獅子っぽい。
矢印のつっかい棒みたいな箇所には、片足を曲げた人物像が。ペディメントも共通性をかんじる。
右下は大阪城のしゃちほこだが、元はマカラだろう。


2006.9.11(月)大アンコールワット展・その3

アンコール・ワット展チケット/大阪・名古屋終わってしまいました。
相変わらず観覧客の年齢の高いこと高いこと。
多分、平均年齢65才は越えていただろう。
年金取得者のお寺参りみたいな感じ。
本日最終日、狙い通りにポスターをゲット。
看板や垂れ幕は、欲しかったが意外とでかいのであきらめた。
名古屋のは持っていないが、デザインが少し違う。
ジャヤヴァルマン7世頭部の写真が大きい。
チケットなので比率がちょっと違うが、ま、こんなんだった。

満足感は得られなかった。
行くしかない!か?

随分、変わっているだろうなぁ・・・。
地図、ほしいなぁ。


2006.8.20(日)大アンコールワット展・その2

今日の講演タイトル「アンコール遺跡の発掘最前線」
あたし的にはアプサラ機構のお話というか、データが興味深かった。
バンテアイ・クディの廃棄仏像の一番上部に埋められていた像を見て疑問。
だって目は深く彫り込まれていたし(象嵌)サンポットの型と合わせ見るとどう考えたってバプーオン様式。
髪型の彫り方も13世紀前後の物ではなかった。
気になるので公演後、丸山女史に尋ねてみた。
クディ以前のヒンズーの像も長い間人々に大事に奉られていて、仏教寺院にあったため、
多くの仏像と一緒に廃棄の憂き目にあった、ということだった。
当時の人たちは、区別がつかなかったってことか。
それならば何故、一番上に埋められていたのか。
この頭部は、他の廃棄仏像の層とは一つ土砂の層を挟んだ上で発見されている。
たまたまなのか、切断した後、ヒンズー像と解ったので一番上に廃棄したのか・・・。
石澤教授は古い衛星写真で講演していたが、今回の奈良チームは、今のGoogle Earthだった。
彼らもきっとGEで遊んでるやろな〜と。


2006.7.23(日)大アンコールワット展

朝から出かける。去年、名古屋で観ているのでドキドキ感は、あまりない。
名古屋と違っていた点。料金が高かったが拓本があった。アンコール関連本がちょっと少なかった。
警備の黒服のお兄さん達がやけに目立った。
やはりジャヤヴァルマン7世頭部が一番!なんだか心が落ちつく。
会場は殆どがアンコール遺跡を訪問した高齢者。日本からだとお手軽世界遺産なのだ。
そういや夕べNHKで、「行きたい世界遺産」?とかいうの放映していた。
アンコール遺跡は6位。
1時半から石澤学長の講演。満席。
新しい話はなかったが、いい気分で聴講できた。
そうそう、Bクディの発掘された彫像は、どこかの太っ腹の方が展示館を建ててくれるそうだ。
生イッシーは、2度目。Bクディで数年前見かけた。


2006.7.19(水)大阪歴史博物館へ

以前から変な建物があると思っていたら、 大阪歴史博物館だった。大阪のNHKとくっついている。
アンコール・ワット展の会期前に写真を展示しているというので、行ったら、しょぼかった。
前売りは1100円。日曜にはいっしーの講演があるようだ。
他の大阪の常設展も面白そうなので、今度、アンコールワット展に来たとき見ようっと。
帰りも大阪城へ。石垣を見る。ここの石垣には、寄進した藩の旗印が刻印されているのだ。肉眼でもいくらか探し出せる。アンコール遺跡の紋様でない文字は寄進者の名前とか印かもしれない。
アンコール遺跡によくある穴と同じかも?と思えるような穴が大阪城の石垣にも数個見られた。
大阪城の石はでかい。

TVでアンコール・ワット展のCMやっていた、ちょっとびっくり!

大阪城の刻印石
大阪城の刻印石と藩名・寄進者


2006.7.2(日)側柱・Column

側柱も年代によって特徴がある。円柱状のものは、まぁ古いと言っていいだろう。
円柱と角柱が混在している遺跡もいくらかある。バンテアイ・スレイは西門?に円柱があるが殆どは角柱。
円柱の場合は柱を回転させながら造ったようで、独立、はめ込み式。角柱は建築した後、彫刻していて横線の平行がとれていないし、見えない影の部分は彫刻がされていなかったりする。
写真左3つは西バライの西部にあった円柱。アンコール以前の遺跡の物で、Pクメイン様式。結構古い。

右端はプリヤ・コーの入り口にあった側柱。これはPコー様式。バコンとC.A.にも同じ物があった。写真のは風雨にさらされ劣化している。
この側には、バンテアイ・スレイやPヴィヘアによく見られる渦巻屋根?の一部らしき彫刻が転がっていた。50年近く年差があるのだが、ロリュオスには部分的に違う年代の遺跡が混在している?のか、周壁の開口部楼門はそんなものなのか??


2006.6.14(水)Google Earth その2

ああぁ!なんて嬉しいことでしょう。
願っていたら、叶ったのだ!!!
出来たら都会ぐらいのレベルでシェムリ周辺を映してくれないかと思っていた。
空から遺跡を眺めるのだ。今朝のGoogle Earthは、ヘリコプター位の接近度合いにアップしていた。 今朝方、いつものようにクリック。ちょっと変だった。色が茶色っぽいし、遅い。 記憶にない道筋が見える。インする。いつもならぼやけている木々が端から鮮明になっていく。
「えっ?なに?え???」部分的に周囲と色彩が違うということと、鮮明な木々を見て、気づく。
もしかして!
心ははやる!次々と遺跡にズーム・イン!解像度が高くなっているのだ。
やっとアンコール遺跡もそこそこ楽しめるGoogle Earthになった。
次はカンボジアをカバーして!!!
周辺は去年の雨期のまま?か、トンレサップ湖の水位が相当ずれている。


2006.6.6(月)アルバム

今はデジカメを使っているが、ほんの半年前まではアナログなカメラだった。
そう、アンコール遺跡の写真はすべてフィルムに撮ってプリントした物だ。
むかし人間なもんで、今度アンコールに行くときでさえ、どうしようかと迷っている。
(いつになるか解らないけど)
データで保存というのは不安だし、気軽に見れないなどと思うのは自分だけだろう。
データをプリントすればいいじゃん、という考えもあるが、きっと高い・・・。
印画紙買ってインクを買って・・・。自分のプリンタで何千枚もプリントしたら一体どれくらいかかるのか? フィルムを買って現像・プリントするのとどちらが便利か。
デジカメだと思う存分、迷わなく好きな数だけ撮れるという安心感はある。
撮って、即プリント?荷物になりそうだが、日本よりは安く仕上がる。
何千枚とってもCDにデータ保存なんてことしたら、きっと面倒になってあまり見なくなるかもしれない。 プリントしてあるから気ままに見れるのだ。
シェムリアップで現像したら、ペラペラのフィルムのミニアルバムに入れてくれる。
それはそれで良かったけれど、一度に見られるのは見開きで2枚。
物足りないとずっと思っていた。で、見開きで8枚見られるアルバムにした。
なかなか迫力があっていい。見比べもしやすい。
しかし、持ち歩きにはちょっとでかいし、重たい・・・。


2006.5.23(火)JSA

先日、JSAから荷物が届いた。
アンコール遺跡の調査報告書など。
時すでに遅し、で、バイヨン尊顔の刊行物は在庫がなかったようだ。
もっと早く知っていれば、手に入ったかもしれない。本当に残念。
尊顔はだめだったけれど、他たくさん送っていただいた。
これで当分の間アンコールに浸れる。
殆どは専門知識がないと理解できないような内容だけれど、ぼんやりとでも解ってくることがあるだけで嬉しい。新たな興味も湧いてくる。
当分は行けないと思うけれど、行ったときにどう動くかまとめておくことが出来る。
予定ばかりがどんどん脹らんでいくのが、ちょっとつらい。
一体何日あれば消化できるのか?それ以前に体力!

あぁ、あたしは何処へ流れていくのだろう・・・


2006.4.23(日)Google Earth

見始めると、キリがない。
気づいたこと。
遺跡は建造物の部分が北西に影のある赤茶色のドットで見られる物が多い。
アンコール・ワット、バイヨンはもちろん東メボン、プレ・ループ、タケウ、バコン・・・・・。
そういう視点でチョムクサン辺りを見ると面白い。なかには山肌がむき出しで赤茶色になっている地域もあるが、形で遺跡っぽいものが点在していると判断してもいいかなと思う。

高度?10キロが限度だがせめて5キロ位で鮮明に見られるといいのにと思う。

モーリタニアの渦巻きもGoogle Earthで見るとなかなか綺麗。
50キロも直径があるらしいから見応えがある。
あと、ギザのピラミッドもいい。
ナスカの地上絵は見ようと思ったが、うまく探せなかった。




2006.4.13(木)アジア図書館

東京と比較すると大阪は図書類が圧倒的に少ない。
それはしかたない。
柴島浄水場の桜を眺めながら久しぶりにアジア図書館に行った。
欲しい情報はあまりなかったが、それでも新しい情報や初めて見る書籍もあった。

十字回廊の沐浴池になんと、水が1m近く溜まっている!
底はどうなっているのだろうか?石のままではしみこんで溜まらないと思うのだが、
写真の撮られた当時まで銅板が貼られていたとは思えない。
雨期に自然に水は溜まり遺跡保護のため、排水しているようだ。
凄い石積みの技術。

水の溜まった十字回廊

十字回廊

バコンの古い写真
バコンの古い写真

プノン・クロムの古い写真
プノン・クロムの古い写真。この時代の彫像はこんなの

ライ王の写真
ライ王の写真もよく見ると面白い。歯を見せているし牙もある。
髪型にも注目。バンテアイスレイの門衛神の髪型の原型とも言える結い方である。
こちらの方が大振りな感じではあるが、比べてみれば同型であるのがわかる。
ただし、てっぺんの髷(冠?)は違う。
東南アジア系にしては顔立ちははっきりで、顎が割れていて西洋人っぽい。
(ワットのデヴァターにも顎が割れているのがある)
この像はヤショヴァルマンではないし、ましてやジャヤヴァルマン7世でもない。
どうみてもヤクシャ(他の彫刻のヤクシャを背面から見ると髪型が同じで牙がある)
年代はバンテアイスレイ少し前と推測。この時代の人が、数十年前の王のヤショヴァルマンの彫像を彫ることはないだろう。ヤショヴァルマンの年代の彫刻とは明らかに異なっている。
端正という点でバンテアイスレイの門衛神と共通するものがある。
ポーズもこのころに多いポーズ。

アジア図書館のコピー代は異常に高い。
白黒A4で30円か40円だった。A3カラーだと130円ほどとられた。
もちろん、閲覧料金500円も徴収される。維持のためしかたないかもしれないが、なんとかならんのか!


2006.3.8(水)アンコール・ワット/ペーパー・クラフト/その2

アンコール・ワットをよく知っていなければペーパー・クラフトは創れない。
写真の資料だけを見ても、回廊の間の高低差というのはわかりづらい。
ネットで探したら、こんなものがあった。
つくし塔だけ揃えばアンコール・ワット、みたいに世間では思っているようだ。
確かに、そうともいえる。
下の完成図を見れば「げっ!」と思うだろう。
雪祭りの彫刻だってそう。
カンボジア出身の舞踏家のHPにあった彼女自身の創ったカードにあったアンコール・ワットも怪しげだった。
考えてみればクメール人だからといって、アンコール・ワットを見たことのある人なんてそんなに多くはないのかもしれない。シェムリアップ近辺に住んでいれば別だが。
あたしだって大阪城はよく知らないし、描けと言われても、アンコール・ワットより描けないだろう。

しかし、だ。
創るのだったら、もう少しそれらしくして!と言いたい。
建造物のペーパー・クラフトを創っているサイトにいったら、「アンコール・ワットは却下した」と書いてあった。
そうだろうなぁ、難しすぎるし、知らないと創れないだろう。
なんて、偉そうなことを書いているあたしだって、よく知っているわけではない。

アンコール遺跡のサイトとしては異端で極小かもしれないが、
彫像の紹介においては、自分では一番だと思っている。
といっても「誰も知らない状態」のサイトだもんね。
あたしとしては、世界中で一番「ましな」アンコール・ワットを創りたい。
(もしかしたら、どこかにあるかもしれないけれど)
基本は、「ないのだったら自分で創ろう!」
デヴァターの年代順並べみたいに。

あ、ミニチュアなら木で創った2m四方位のリアルなでかいのがあるので、
それに対抗する気はない。



2006.2.26(日)アンコール・ワット/ペーパー・クラフト/その1


簡単な方のペーパー・クラフトの(絵で言う)ラフみたいな物がやっとできた。
これを元に必要な情報を探すことにする。
なんだか大変な作業になりそうだ・・・
それにしても、怪しいアンコール・ワット擬きである。
まぁ、ネットで探したら似ても似つかぬ物もあったし、 とりあえずはこんな感じで。
大きさは30cm・35cmくらい。
こんなんでもすぐそばにアンコール遺跡があるとうれしい。
俯瞰でみられるのもいいし、いっぱい思い出せる。
が、が、が!
本当は行きた〜〜〜〜〜〜〜〜い!



2006.2.19(日)Nyak Buos

久しぶりにアンディさんちに行くと色々あった。
なんと、Nyak Buosの平面図が!どっひゃ〜〜!
彫刻類もいくらかあって、面白そう。

タイに盗まれたバンテアイ・チュマールの壁面や阿修羅の頭などの写真も。
近々に返却されるらしいのだが、いつの日のことか。
どんな言い訳もなりたたないだろ、あれはアンコール遺跡の建造物の一部なんだから。

遺跡を訪れる人も十人十色。
廃墟として楽しむ人、ハンティングする人、風景や人々とのふれあいを楽しむ人、
彫り物を楽しむ人(あたし)変わった物を探す人(あたし)などなど。



2006.2.19(日)札幌雪祭り


雪祭りで、アンコール・ワットを造ればいいのにとずっと思っていた。
気にしていたので、2月に入ってニュースは意識して、アンコール遺跡の気配を
探していた。そしたらシルエットが・・・
ほんの一瞬だったのでもどかしい。
2回ニュースで観た。どこまで細部にわたり表現出来ているか気になっていた。
こんなんだった・・・。
う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、である。
ライトアップは綺麗だったかもしれない。



2006.2.17(金)多分・・・

アンコール遺跡は、日本に置き換えて言うなら、
神社、仏閣、社だと思っている。
以前、どっかに書いたことがあるが、
メジャーな遺跡は、明治神宮とか平安神宮とか平等院とか法隆寺・・・。
カンボジア各所に散在する小さな祠堂は、日本の村ならどこにでもあるお社・お稲荷さん。
そう思えば朽ち果てようとしている遺跡が数百あるというのもうなづける。
リンテルなどの彫刻は、日本家屋の「欄間」のような物で職人の腕の見せ所。

あ、以前自転車であちこち行ってたら、園芸造園の工房みたいなのがあって、
そこにデヴァターが二人いた。
もちろん日本で誰かが単なる飾り物の一つとして、商品として彫った物だろう。
2〜3年前のことだから、もう売れてしまったかもしれない。
もう一度、見たいが、場所がはっきりしない。
ビデオで観た岡崎の石工さんのデヴァターより良かった気もする。



2006.2.16(木)果てしなき創造

あたしがいつか造れたらいいなと思っているもの。
以前、造りかけて途中になっているデヴァター
素材を変えて再チャレンジしたい(耳が難しい)
もう一つ。
アンコール・ワットのペーパー・クラフト
出来るだけシンプルに誰でもが簡単に造れるような超単純な物、と、
ちょっと込み入ったクラフト。
しかし、立体的に造るとなれば普段見ていないところの情報もいる。
写真に撮らないようなところ・・・。回廊で言えば内側。
高低差はどうしようか・・・
造れたらいいなぁ。
超単純な方は20cm四方位で中央塔と第三回廊と第二回廊。
デフォルメしたほうがいいか・・・
去年京都で拓本展があったが、その時アンコール・ワットのミニチュアが展示されていた。
その時思った。小さくてもいいから、立体的な物が欲しいと。

デヴァター、ペディメント、リンテル、側柱の資料集

そして「地図」



2006.2.5(日)耳飾り

あたし以外の人には、全くどうでもいい話。
耳飾りはどのように変化していったか。
というより、いったいあれは何なのか気になっていた。
蓮の花というのが、あたしの中では確定的で、
半分は当たりだが、もう一つ。それはナーガ。
左が青銅の発見された物、8センチ程の大きさ、ってちょっとでかいような。
右はどうだろ・・・、きれいすぎる。彫像に付けたもの。
下の円錐の部分はナーガのしっぽ、中央が蓮の花、上部がナーガ。
頭のもやもやが一つ晴れた。基本はこれと思われる。



2006.2.1(水)地図

あちこちに書きまくっているが、あたしは地図が好き。
で、買ってもいない宝くじは当たらないのだけれど、もし買って高額が当たったらやってみたいことがある。
それは「旅行人」で「スーパー・マップを書いていた富永省三さん」と契約してアンコール遺跡の地図を作成することだ。狭い道は狭く、微妙な曲がりも反映してくれ、彼なら超わかりやすく、迷うことのない地図を作り上げてくれることだろう。
周囲の情報も彼は書き込んでくれるので現場を把握しやすい。彼の情報収集力は本当に凄いのだ。
当然、これは極秘マップとなる。
GPSって便利なようだけれど、あたしはああいうものは、いらつく。
紙の地図が一番見やすく管理しやすいと思う。書き込み・マーキングも簡単だし。
古地図(ごめんなさい、拡大しても文字は読めません)
相当詳しいが位置関係はずれている地図。100年も前のものだから仕方がない。
そのころバンテアイ・スレイは再発見されていなかったので、記載されていない。
クーレン山が詳しく調査されているのは当時から重要視されていたのだろう。 これら数百のアンコール遺跡を訪ねるなんて、多分不可能と思われる。
しかし、諦めた時点でおしまい。(この地図は1m四方ぐらいある。でかっ!)

最近気づいたのだが、プノンペン国立博物館で販売されていたサンボー・プレイ・クックのシリーズ本に上記の地図の一部が載っていた。
これは小さすぎて殆ど読めない。古地図を繋ぎ合わせているテープが黒くて読めないところをこの本で確認するぐらいの程度でしかない。
このシリーズ本のような形で、バンテアイ・チュマール周辺、クララン周辺、西バライ周辺、プリヤ・ヴィヘア周辺、コンポン・トム周辺・・・・・・・・
あと色々あるといいな。もちろん写真付きで、しかも、せめて英語で。フランス語、わからへん!(英語もわからんのに、フランス語、解るわけないやん)

クーレン山は、例え地図を持っていたとしても、これまた難しい。
周囲の平野部であれば、なんとかなりそうであるが大小100前後あるだろう。
凡例は下に行くに従って小さくなっていく。だいたい意味は解ったが、フランス語の辞書を買った。
なんでフランスなの?と思うが他の国であればここまで大事にされたかといえば「否」。


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