2006.10.8(日)久しぶりのアンコール遺跡・シェムリアップ/超ハード・スケジュール!
深夜便で行って深夜便で帰国。
ドンムアン最後の日。帰りはスワンナプーム新空港ってわけ。帰国の乗り換えの時、いろいろ楽しめると思ったが、シェムリでの出発が1時間近く遅れたせいで、「探検」出来なかったのは残念。おまけに新空港の帰国便も大雨で1時間半ほど遅れた。そんな時間ってホントに無駄!!
ま、休日を最大限に使ったかなと思う。
9月27日(水)
深夜関空出発・早朝ドンムアン空港、9時半過ぎPP。
少ない日程でなんでPPかというと、ゴホン、え〜、地図を買うためなのだ。
2時間の予定で地図をチェック。前もって必要な地図のナンバーなどは印しておいた。
Google Erthも面白いがアナログの地図はあたしには必要なのだ。
店の女主人はひたすら探し出す、あたしは確認。40数枚購入。時間も予定通り。
ちょうど昼時なので、モニボン通りの中華食堂へ。
食後は博物館、2時間の予定。売店の本類をチェック。これといったのはなさそう。
去年買った、コーケーの彫像の写真の本があった。(シェムリの空港にもあったが110$ほど)
館内は模様替えをしていた。それと9月大阪での展示会の彫像が日通便で戻ってきたようで、
梱包されたまま置いてある。
アウトサイドの写真OKなので、ちょっと厚かましく撮らせてもらう。
外から思いっきり中を撮る、といってもコンパクト・カメラなのでしれているが。
2時半過ぎ、いよいよシェムリに向かう。
バスでもいいのだがコンポン・トムまでと言ったら拒否され、乗合タクシーで。
なぜコンポン・トムか、それはPr.Andetに寄りたかったから。
バイタクでシェムリまで飛ばす気だったが、時間が遅いと拒否、
夕刻と雲の加減でかなり暗くなりあせる。
「明日にしたら」と言われるが、半日使ってしまうので宿泊はしない。
タクシーでシェムリへ行く途中Pr.Andetに寄るという話でコンポン・トムを後にする。
しかし、雲行きは相当怪しい。見たこともない雨雲が空を占領し、やがて土砂降り。
地元の人達のPr.Andetと言うな名は知らないようで、サンダイと言う。
「え〜、そんなんか?ちゃうやろ?」
雨の中泥に足を突っ込み、濡れながら真っ暗な境内を歩きたどり着いた遺跡は
別物!!!!!
「 ばかやろーーーーーーー!!!!! 」
おまけにタクシーは超安全運転で時速40キロ以下。
シェムリに着いたのは9時過ぎだった。
宿もシェムリも、すっかり様変わり。
3年半のブランク。 宿はTV/エアコン付き(使わないので5$)
セカンド・ボスに、「コーケーへ行くが、移動は他の宿を使うね」と、
断って近所のゲスト・ハウスへ。
移動の足は、基本的には宿泊先のドライバーを使うのが礼儀だから。
しかし、コーケーの人気はないのか、この宿に誰もいないようだ。
単独でバイクで行くしかないなぁ。
ベンメリアだと人は集まるようだが、コーケーはいないので仕方ない。
まぁ、その方が、自分の自由がきくのでいい。他の人といっしょだと、ストレス溜まりそうだし。
早起き、自信ないなぁ。ちょっと疲れているし・・・
9月28日(木)
6時発のはずが、バイタクがタイヤ交換のためちょっと遅れる。
長距離だからやむを得ない。途中でパンクなんて困るし。
はっきり言って6号線は退屈だった。
チェックポイントの青年が、あたしを見て笑っている。バイタクに訊くと
「メットが大きい」と。ははは、そうだよねぇ。窮屈だし何より重い!
本格的なメットを被るのは初めてなのだ。(バンコクで子供だましみたいなメットは被ったことある)
北上、右にベンメリアの西参道がちらっと見えた。
石切場を通過。クーレンの山を見ながらあの麓にも単独の直彫りした遺跡があるはずと心が騒ぐ。
しかし、地図で見ると近くに思えるが、結構遠い。ついでに見られる距離ではない。
そんなこと考えている内にちょっと悪路になりまた快適道路に。
と思っていたら、どえらい泥道に突入。帰路この泥道で大きなトラックやらが3台ほどスタックしていた。
昨日の移動の疲れもあり、4分の一ぐらいは居眠りしてた。
メットがコツンとバイタクのに当たりばれてしまう。はは、危ないよね。でもすごく眠い。
コーケー到着。
朝から大雨だったが、着く前にはほぼ止む。
本命は一番奥なのに「いつものように、手前の遺跡で道草」、「時間がなくなるよ」とせかされた。
トムの入り口あたりからちまちまと写真を撮る。バイタクが「写真好きだね〜」と言うので
「写真は好きではない。遺跡が好きだから写真を撮る」と答える。
多分、彼が案内した旅行者はちっこい石なんか見向きもしなかったのだろう。
ピラミッド型祠堂は高くて腰が抜けそうなくらい怖かった。
でも頂上からの眺めは圧巻!
祠堂基壇石ブロックのいぼや頂上のガルーダ、参道途中にあった本命のデヴァターも撮った。
壁面にあるデヴァターより、転がっているデヴァターの方が状態はいい。
ナーガもあったし。
プラサット・クラハムは、想像していたよりはるかに小規模だった。
発見された彫像類はかなり大きいというのに、ちょっと違和感。
第一周壁東入り口の建造物はばかでかい。
第3周壁内のレンガの祠堂は反対に小さすぎ。バンテアイ・スレイを思い出させる。
「他にもいっぱいある」とも言われた。
トムから時計回りに南下する。
小遺跡がたくさんあった。
「見る?」
「見る!」
を繰り返しながら、時間がないのでホントに駆け足で通り抜ける。
はっきり言って、情けなかったが仕方ない。
砂岩とレンガの遺跡が混在。
3時、コーケーに別れを告げる。
バイタクはスヴァイルーで肉をたくさん買っていた。
今夜はごちそうなんだな、きっと。
くたくたになってシェムリ到着。お尻がいたい・・・。
以前あたしは、街中でバイタクを使うときいつも500リエルだった、シェムリでもプノンペンでも。
今回は1000リエル。ガソリン代も上がっているだろうし、仕方ないかと思っている。
自分の中では700リエルなんだけど。
明日は、ワットとトム内。
2006.9.21(木)カトマンズの獅子、あの獅子に似てない?
ちょっとまえ、スフィンクスから狛犬に変化していったと、TVで言ってた。
あたしは、アンコール遺跡の入り口に鎮座している獅子は狛犬と同じと思っていたので納得。
解るなぁ。始まりの一つがあり、そこから枝分かれしていく。
その途中の写真というべきか。メイン写真はネパール・カトマンズ(タメル地区)。こじつけなどではなく、素直に「同じ」と感じられる。左の写真をクリックして確認してみて。
獅子もたてがみがロールになっていてサンボー・プレイ・クックの獅子っぽい。
矢印のつっかい棒みたいな箇所には、片足を曲げた人物像が。ペディメントも共通性をかんじる。
右下は大阪城のしゃちほこだが、元はマカラだろう。
2006.9.11(月)大アンコールワット展・その3
終わってしまいました。
相変わらず観覧客の年齢の高いこと高いこと。
多分、平均年齢65才は越えていただろう。
年金取得者のお寺参りみたいな感じ。
本日最終日、狙い通りにポスターをゲット。
看板や垂れ幕は、欲しかったが意外とでかいのであきらめた。
名古屋のは持っていないが、デザインが少し違う。
ジャヤヴァルマン7世頭部の写真が大きい。
チケットなので比率がちょっと違うが、ま、こんなんだった。
満足感は得られなかった。
行くしかない!か?
随分、変わっているだろうなぁ・・・。
地図、ほしいなぁ。
2006.8.20(日)大アンコールワット展・その2
今日の講演タイトル「アンコール遺跡の発掘最前線」
あたし的にはアプサラ機構のお話というか、データが興味深かった。
バンテアイ・クディの廃棄仏像の一番上部に埋められていた像を見て疑問。
だって目は深く彫り込まれていたし(象嵌)サンポットの型と合わせ見るとどう考えたってバプーオン様式。
髪型の彫り方も13世紀前後の物ではなかった。
気になるので公演後、丸山女史に尋ねてみた。
クディ以前のヒンズーの像も長い間人々に大事に奉られていて、仏教寺院にあったため、
多くの仏像と一緒に廃棄の憂き目にあった、ということだった。
当時の人たちは、区別がつかなかったってことか。
それならば何故、一番上に埋められていたのか。
この頭部は、他の廃棄仏像の層とは一つ土砂の層を挟んだ上で発見されている。
たまたまなのか、切断した後、ヒンズー像と解ったので一番上に廃棄したのか・・・。
石澤教授は古い衛星写真で講演していたが、今回の奈良チームは、今のGoogle Earthだった。
彼らもきっとGEで遊んでるやろな〜と。
2006.7.23(日)大アンコールワット展
朝から出かける。去年、名古屋で観ているのでドキドキ感は、あまりない。
名古屋と違っていた点。料金が高かったが拓本があった。アンコール関連本がちょっと少なかった。
警備の黒服のお兄さん達がやけに目立った。
やはりジャヤヴァルマン7世頭部が一番!なんだか心が落ちつく。
会場は殆どがアンコール遺跡を訪問した高齢者。日本からだとお手軽世界遺産なのだ。
そういや夕べNHKで、「行きたい世界遺産」?とかいうの放映していた。
アンコール遺跡は6位。
1時半から石澤学長の講演。満席。
新しい話はなかったが、いい気分で聴講できた。
そうそう、Bクディの発掘された彫像は、どこかの太っ腹の方が展示館を建ててくれるそうだ。
生イッシーは、2度目。Bクディで数年前見かけた。
2006.7.19(水)大阪歴史博物館へ
以前から変な建物があると思っていたら、 大阪歴史博物館だった。大阪のNHKとくっついている。
アンコール・ワット展の会期前に写真を展示しているというので、行ったら、しょぼかった。
前売りは1100円。日曜にはいっしーの講演があるようだ。
他の大阪の常設展も面白そうなので、今度、アンコールワット展に来たとき見ようっと。
帰りも大阪城へ。石垣を見る。ここの石垣には、寄進した藩の旗印が刻印されているのだ。肉眼でもいくらか探し出せる。アンコール遺跡の紋様でない文字は寄進者の名前とか印かもしれない。
アンコール遺跡によくある穴と同じかも?と思えるような穴が大阪城の石垣にも数個見られた。
大阪城の石はでかい。
TVでアンコール・ワット展のCMやっていた、ちょっとびっくり!
大阪城の刻印石と藩名・寄進者
2006.7.2(日)側柱・Column
側柱も年代によって特徴がある。円柱状のものは、まぁ古いと言っていいだろう。
円柱と角柱が混在している遺跡もいくらかある。バンテアイ・スレイは西門?に円柱があるが殆どは角柱。
円柱の場合は柱を回転させながら造ったようで、独立、はめ込み式。角柱は建築した後、彫刻していて横線の平行がとれていないし、見えない影の部分は彫刻がされていなかったりする。
写真左3つは西バライの西部にあった円柱。アンコール以前の遺跡の物で、Pクメイン様式。結構古い。
右端はプリヤ・コーの入り口にあった側柱。これはPコー様式。バコンとC.A.にも同じ物があった。写真のは風雨にさらされ劣化している。
この側には、バンテアイ・スレイやPヴィヘアによく見られる渦巻屋根?の一部らしき彫刻が転がっていた。50年近く年差があるのだが、ロリュオスには部分的に違う年代の遺跡が混在している?のか、周壁の開口部楼門はそんなものなのか??
2006.6.14(水)Google Earth その2
ああぁ!なんて嬉しいことでしょう。
願っていたら、叶ったのだ!!!
出来たら都会ぐらいのレベルでシェムリ周辺を映してくれないかと思っていた。
空から遺跡を眺めるのだ。今朝のGoogle Earthは、ヘリコプター位の接近度合いにアップしていた。
今朝方、いつものようにクリック。ちょっと変だった。色が茶色っぽいし、遅い。
記憶にない道筋が見える。インする。いつもならぼやけている木々が端から鮮明になっていく。
「えっ?なに?え???」部分的に周囲と色彩が違うということと、鮮明な木々を見て、気づく。
もしかして!
心ははやる!次々と遺跡にズーム・イン!解像度が高くなっているのだ。
やっとアンコール遺跡もそこそこ楽しめるGoogle Earthになった。
次はカンボジアをカバーして!!!
周辺は去年の雨期のまま?か、トンレサップ湖の水位が相当ずれている。
2006.6.6(月)アルバム
今はデジカメを使っているが、ほんの半年前まではアナログなカメラだった。
そう、アンコール遺跡の写真はすべてフィルムに撮ってプリントした物だ。
むかし人間なもんで、今度アンコールに行くときでさえ、どうしようかと迷っている。
(いつになるか解らないけど)
データで保存というのは不安だし、気軽に見れないなどと思うのは自分だけだろう。
データをプリントすればいいじゃん、という考えもあるが、きっと高い・・・。
印画紙買ってインクを買って・・・。自分のプリンタで何千枚もプリントしたら一体どれくらいかかるのか?
フィルムを買って現像・プリントするのとどちらが便利か。
デジカメだと思う存分、迷わなく好きな数だけ撮れるという安心感はある。
撮って、即プリント?荷物になりそうだが、日本よりは安く仕上がる。
何千枚とってもCDにデータ保存なんてことしたら、きっと面倒になってあまり見なくなるかもしれない。
プリントしてあるから気ままに見れるのだ。
シェムリアップで現像したら、ペラペラのフィルムのミニアルバムに入れてくれる。
それはそれで良かったけれど、一度に見られるのは見開きで2枚。
物足りないとずっと思っていた。で、見開きで8枚見られるアルバムにした。
なかなか迫力があっていい。見比べもしやすい。
しかし、持ち歩きにはちょっとでかいし、重たい・・・。
2006.5.23(火)JSA
先日、JSAから荷物が届いた。
アンコール遺跡の調査報告書など。
時すでに遅し、で、バイヨン尊顔の刊行物は在庫がなかったようだ。
もっと早く知っていれば、手に入ったかもしれない。本当に残念。
尊顔はだめだったけれど、他たくさん送っていただいた。
これで当分の間アンコールに浸れる。
殆どは専門知識がないと理解できないような内容だけれど、ぼんやりとでも解ってくることがあるだけで嬉しい。新たな興味も湧いてくる。
当分は行けないと思うけれど、行ったときにどう動くかまとめておくことが出来る。
予定ばかりがどんどん脹らんでいくのが、ちょっとつらい。
一体何日あれば消化できるのか?それ以前に体力!
あぁ、あたしは何処へ流れていくのだろう・・・
2006.4.23(日)Google Earth
見始めると、キリがない。
気づいたこと。
遺跡は建造物の部分が北西に影のある赤茶色のドットで見られる物が多い。
アンコール・ワット、バイヨンはもちろん東メボン、プレ・ループ、タケウ、バコン・・・・・。
そういう視点でチョムクサン辺りを見ると面白い。なかには山肌がむき出しで赤茶色になっている地域もあるが、形で遺跡っぽいものが点在していると判断してもいいかなと思う。
高度?10キロが限度だがせめて5キロ位で鮮明に見られるといいのにと思う。
モーリタニアの渦巻きもGoogle Earthで見るとなかなか綺麗。
50キロも直径があるらしいから見応えがある。
あと、ギザのピラミッドもいい。
ナスカの地上絵は見ようと思ったが、うまく探せなかった。
2006.4.13(木)アジア図書館
東京と比較すると大阪は図書類が圧倒的に少ない。
それはしかたない。
柴島浄水場の桜を眺めながら久しぶりにアジア図書館に行った。
欲しい情報はあまりなかったが、それでも新しい情報や初めて見る書籍もあった。
十字回廊の沐浴池になんと、水が1m近く溜まっている!
底はどうなっているのだろうか?石のままではしみこんで溜まらないと思うのだが、
写真の撮られた当時まで銅板が貼られていたとは思えない。
雨期に自然に水は溜まり遺跡保護のため、排水しているようだ。
凄い石積みの技術。