■■徒然散歩記 2000■■■■■■■




     1月10日[2000]
     1月11日[ドライアイス]
     2月17日[ジュニア]
     2月27日[合掌]
     4月 6日[星空]
     4月22日[PAPER SHOW]
     5月18日[ドキュメント]
     7月10日[フィガロの結婚]
     8月12日[山]
     8月18日[型と道]
     8月30日[ロック]
    10月 3日[CROSS ROADS]
    11月 9日[花]



1月10日(月)

[2000]

2000年を迎えた。

「高慢で、夢みたいなことばかり言っている、クールなロマンチスト」

と、世間ではどう思われているかしらないが、
こう自己評価(そうありたいってことか?)している私は、
こういう存在でありたいと思っている。

己が己に失望したり退屈などしている暇などない
今年を過ごせる人間でありますように。
そうして、お互い様に、楽しく真剣で愉快な本年でありますように。

と、1999年を迎える時に書いている。
ええこと言ってるねえ。
よっしゃよっしゃ、今年もこれでいくで。


1月11日(火)

[ドライアイス]

この正月は実家でゆっくりできました。
「森家ネタ」ありますね。ありすぎ。
ちょいとふりかえってみましょうか。

私が実家にて、
ちょいと外出した時に「土産」とアイスクリームを買った。
お店の方がドライアイスを入れてくれた。
家に帰って、食べるのもおいて先ず「ドライアイス」を水
(湯のほうがなおいい)にいれて
「舞台効果! スモーク!」
をして遊ぶ。
そこに父。
そのドライアイスいれて遊んでいるボールをサランラップで密閉した。
すぐにパンパンでヤバイ感じになる。
「ヤバイって、爆発しちゃうよ」とかなんとか子供らがうるさいので、
父はラップを外そうとするが、なんせ「パンパン」なので、もう無理。
で、彼はフォークを持ってきてその「パンパン」ラップを突き刺した。

こういうのもやはり「的確で敏速な判断」っていうのだろうなあ。


2月17日(木)

[ジュニア]

昨年、今年になっての記念年に友人ジュニア誕生の吉報多し。
正月帰省した時、友人からの「遊びにおいでよ」のTELに
「ジュニアで大変なんじゃないの?」と言ったら
「まだ生まれてないの」と言われた。
ちょっと、ジュニア誕生orお腹の中、
というコト多くてわかんなくなってた。
そのジュニアは「2月3日に無事誕生!」とのメールが届いた。
この一年間に生まれたジュニア達は同級生になるんだねえ。
不思議だ。
土地がバラバラだから出会う確率は少ないだろうけど。

「こんなに人を愛せるなんて思ってなかった」
と、子供のことを言った知人がいる。

親バカどころかバカ親(本人談)と自分らを評する友人は
「子供が子供生んでどーする」と高らかに笑う。

生まれ、生き、生きヌク。
生まれさせてもらったんだ。生きヌカなくてどうする。


2月27日(日)

[合掌]

文学座の高原駿雄さんがお亡くなりになった。
合掌。

一昨年、文学座本公演「野分立つ」にて旅公演、御一緒させて頂いた。
その公演の最後に、
舞台で御自分が使ってらしたヘッドバンドを私にくださった。
「え!? いいの、高原さん! やったあー」という、
表面こそカナリ軽いが、内心ドギマギした、なんとも恐縮で照れて、
みたいなうれしい気持と共に、よく覚えている。

「野分立つ」劇中に、高原さん演じるところの役が
『嵐の中外から帰ってくる』というシーンがある。
その為に、高原さんのお顔に霧吹きで水を吹き掛ける、
という事を私はスタンバイでしていた。
どんなにソッとやろうとしても、
霧吹き一発目には「ビクッ!」と少しばかりその衝撃(?)に、
しかし無言で耐える高原さんがいて、
その姿に「男気」なんぞ感じていたものだ。

ちょっとの間を御一緒させていただいた。
現実の時間的にはちょっとの間。
しかし、その御一緒させていただいた時間は、一生涯忘れない。

御冥福をお祈り申し上げます。


4月6日(木)

[星空]

ちょっと前に「ストレイト・ストーリー」って映画を観た。
デビット・リンチ監督作品。
大好きな映画監督。
一番メジャーなのは「ツイン・ピークス」だろうね。
テレビ・シリーズも映画も。

昔。
まだ少女だった頃。
親に怒られて、家から外に放り出されていた頃。
姉と一緒に放り出されることもあった。
その時、姉は私に夜空を見上げて、星座を教えてくれた。
映画みて、そんなこと思い出したりした。

それがあるからだろう、今私が夜空を見上げるのは。

この映画は観に行こうよ。
映画は映画館で観るもんだ。
舞台は劇場で感じるもんだ。


4月22日(土)

[PAPER SHOW]

「TAKEO PAPER SHOW」に
青山のスパイラル・ガーデンに行ってきた。
紙の専門会社である竹尾が、毎年この時期に開催する紙の見本市だ。

紙ったって、そりゃあ色んな種類があるわけで、
その用途も様々なわけだ。
その「紙」の紹介を、今年は本の装丁にて紹介。
本の装丁ってのは、本にかかってるカバーのこと。
レコジャケ(今はCDジャケか?)と一緒で、本の顔みたいなもんだ。
この本の装丁が大好きなんだな私は。
で、それって紙で出来ていて、そこにプリントされている。
装丁者は、自分のイメージを紙にも託す。
質感ってのは、どの紙を選ぶかによって決まる。
白という色も、紙の風合いによって色んな白がある。
それにしても「色」ってのは不思議だ。
子供の頃「私が赤と思っているのを、誰かにとっては青かもしれない」
なんて、思ったこともあったなぁ。

その「PAPER SHOW」に
学生時代の友人と一緒に行く約束をしてた。
本日は、只今の私の稽古場「最後の晩餐」のお休みの日だったから。
そしたら、たまたま東京に出張してきてた
以前の会社の友人も来ると言う。
で、3人でランチ。

友人同士は初対面であるんだけど、
そういや3人共バイク乗りであることで話し盛り上がる。
会社の友人が「7月に北海道にツーリングに行く」なんて言うので、
他の二人大いにうらやましがる。
で、私はその場で「じゃ、現地待ち合わせね」と、
いきなり行くことにされてしまった。
行けたら北海道ツーリング数年ぶり。
一泊素泊まり500円からの、
シュラフ持ち込みザコ寝のライダーズハウスが待ってるぜ!

しかし、二人の、名古屋弁と関西弁に、
私の言語はあっという間によくわからない人になる。

「PAPER SHOW」の後、銀座のGGG(というギャラリー)の
「2000.T.D.C.展」に行く。
広告の展覧会。新聞広告、ポスター等々。
この「T.D.C.展」楽しみにしてる展覧会のひとつ。
本日、楽しみ展覧会ふたつも行ってしまった。贅沢!
んー、ギャラリー行くのもひさしぶり。
銀座のギャラリー巡り、久しくしてないなぁ。
銀座で遊ぶの、お金かかりませんよぉ。
ギャラリーは入場フリーですもの。


5月18日(木)

[ドキュメント]

3月に公演した「モンタージュ」を、
稽古場からドキュメントとしてカメラで追ってくれていた友人がいる。
1月もまだ初めの頃、偶然その友人に会い、
「モンタージュ」の話しになった。
「それを、ドキュメントしたい」と、言葉を貰った。
こういう思いがけない申し出は、楽しむに限る。

その友人に
「モンタージュ」公演を終えてみて=芝居とは」
というテーマで、まとめとして「Tokyo劇場」に掲載してほしい」
そうリクエストされた。
出演者2人と私の3人分。
編集プランとして、そういうのが欲しいとのこと。

ひとつの「モンタージュ」という舞台を終えて、
何が、より刻みついたのか、
新たに、何を刻んだのか。

その言葉を読みたいという。


2人分揃ったので、私も書いてみた。
「モンタージュ日記」にジャンプしてみてください。


7月10日(月)

[フィガロの結婚]

怒濤のオペラ公演が無事終了した。
7/8、9と新国立劇場で公演された「フィガロの結婚」
二年前の初オペラ演出助手の時
「演出助手始末記」なるものをHPで掲載していた。
で、今回は3度目のオペラでの演出助手。
(2度目は1999年9月にグローブ座にて公演。
 プーランク作曲「ティレジアスの乳房」「声」)
さて、3度目の進歩はあったのか?

制作と舞台監督とスタッフがどれだけ大切かを、
主催者にコンコンと訴える。
現場を物理的にまわしていってくれる人達がいるから、
夢みたいなことを言っていられたり、遊んでいられたりする。
「現場」があるから、舞台ってのは生まれることが出来る。
プランナーや演出だけで舞台は出来ないんだよ、
ってことを、オペラの主催者にわかってほしい。
そして、いい現場をつくり、
いい舞台を生み出していってほしいと、思うのです。

舞台監督は、前回も今回も頼りになる方だった。
限られた状況の中で、何とかしようと動いてくれる。
とにかく制作。
制作が欲しいのよオペラの現場!
ということを、つくづく感じた3回目のオペラであった。

で、3回しかやってないけど、
まぁ、3回やったってことで、
オペラの現場をとりまく状況は色々見えてきたものはあって、
なんとかフォローは出来そうなところはフォローしていってみようと、
そう思い取り組んでいった今回のオペラの現場であったわけだ。

打ち上げの席で
「二度とやるか、と何度思ったか知れませんが」
とコメントし、爆笑で迎えられてハッピーであった。

何度思ったかしれないが、
それでもやっぱり私はオペラが好きで、
稽古場で、ピアノと歌声に身体が揺れている自分がいる。

状況がどうであろうと、舞台をたちあげる!
ということだけ目指して突き進んでいけるのは、
幸せなことだ。
一緒に舞台をつくっていくことは、とても楽しい。

カーテンコールを終えて、楽屋で握手を交わす。
A、B組共に、たった一回の本番。
たった2日間の公演期間。

3回目だから「オペラの現場はこういうもんだ」
と、余裕があるところもあるが、
やはりほとんど疾走していたこの稽古期間だったな、と。

今回のオペラもそうだったが、
ここんとこ、現場で電池を使い果たし、打ち上げの席では、
いつのまにやら、電池が切れて眠っている自分がいる。
眠っていなくても、切れかけの低空状態になってくる。
体力の低下。
イカンイカン・・・・。
ちゃんと「打ち上がり」たいのに、
その前にヘロヘロになってる。

オペラのみなさん、元気な時に飲もう。
誘って下さい。(電池切れでない私と、酒を飲もう)
社交辞令じゃないよ。

舞台監督&スタッフたち。
ありがとう。一緒に仕事が出来て楽しかった。
オペラ嫌いにならないでね、と思う。
また一緒に仕事してくださいね、と思う。
本当に、お疲れ様でした。

素敵なプランナーの皆様。
お世話になりました。またお願いします。

あ、今回パンフのプロフィールって、書き足したかったのに、
前回(主催者同じ=1999、9の公演)のままではないか!
あの時「舞台の仕事歴を書けということだな」と書いたら、
みんな、もっと書いていた。
なーんだ書くんだ、って思った。
だから、書こうと思ってたのに。
仕事暦も追加したかったよ。
って、パンフ見るまで思い出さなかったんだけど、
プロフィールの事。

制作、制作さんが欲しいとのこと、ここにもあり。


なんだかんだと、オペラを私は好きだ。
「二度とやるか」と言いつつ、3回目やりましたし。
2回御一緒した歌い手のアントニオSからは
「2度あることは、3度・・」と言われるし。
で、また「二度とやるか!」って言ってんだろうなあ。
そういうところの進歩はまるでありません。

と、一眠りした千秋楽翌日の本日。
あああーなんか、ポカンとしてヘンな感じ。


8月12日(土)

[山]

実家の岐阜に、帰っていた。
夏にのんびりと帰るのは、ここ数年なかったから、
のんびりさせてもらった。

父母と山に登ってきた。
正しく言うと「沢登り」だが。今回は。

てなことで、「山」のこと。

3歳で、北アルプスの槍ヶ岳から穂高岳の縦走をした。
私の初登山だ。
姉も一緒。姉7歳。

父母はその時のことを話してくれる。

「穂高山荘の親父殿が、
『本当か? 本当に鎗から来たのか?』
 って私らに何回も聞くのよ、  本当やて。
 って何回言っても信じなくて、結局あんたらに聞いてたわ」

「どっちから来た?」

森家の姉妹は山小屋で大歓迎を受けた。

「猿まわしや!」
と、その登山行程姿は周囲を喜ばせていたようだ。
姉妹が各々に父母の腰にザイルでつながされている。
確かに猿まわしの「猿」状態なわけだ。

それから今まで、28シーズン。
が、正しくは、23シーズン。

何故なら、東京に来てからの夏は、山を登っている時間がなかったので。
5シーズンも、夏山を御無沙汰していた。

山は家族で登る。
父母が好きだから、自分らが楽しいから、
だから子供を山に連れていった。
それがいい。
と、ちったあ大人になった今、本当にそう思う。
「子供にいいと思うから」なんてだけなのは、大抵大人のエゴだ。
自分らが納得してないのに、楽しくないのに、子供に押し付ける。
子供はそんなのは見抜くよ。

「山」ってのは、私の原点です。
遊びは「真剣にやるしかない!」くらいでないと楽しくない。

森家の子供らは、もう誰も父母と一緒に暮らしていないが、
彼等はそんなことは関係なく、
夏は登山。
冬はスキー。

それはそうだ。
この二人は、ずっと前から山が好きだ。
私たち子供が生まれる前から、この二人は人生を楽しんでいる。

その母は、2シーズン夏山に行けなかった。
母はいったい登山歴何年だろう? 聞くのを忘れた。
私にプラスだから・・・もう40年近く。
父は40年以上。
(父は、山において、我々の指導者だ)
その間、山に登らなかった夏などなかったハズだ。
そうして、再び山に登る。
素敵だ。

その復帰のこの夏は、だから近場で沢登り。
身体を先ず慣らさないとねー。
夏はね、沢登りはいい。涼しくてよい。

事故はある。
先日も鉄砲水に巻き込まれた事故があった。
山は、気紛れだ。
その状況を瞬間で判断し、決定を下さなければいけない。
己の生死の問題だ。

私も何度か死にかけた。
ヤバ! という瞬間が何度か。
岩壁をザイル使って下降してて、で、ミスでザイル緩めちゃって、
身体が宙に浮いた。
走馬灯のように人生が・・・というのは嘘だね。
その落下はたまたま岩壁にデッパリがあって、
そこに都合よくひかっかってくれたのでよかった。
ひっかかったっつーか、叩き付けられた。
いやぁ、下まで落ちなくてよかった。みたいな。
そのまま登り続けたし。
色々やったけど、再起不能大怪我ってないのさ。山では。
人生博打。山連勝。

父母や姉弟に「ヤバ!」と感じた瞬間も何度か。
ある時、弟の腕を咄嗟に掴んだ私に
「インディ・ジョーンズみたいだね」
と、ぶらさがりながら、我が弟。
早く登ってこんかい。
てな感じなんだが。
あと色々と。

剣岳の雪渓を、
「あ」っという間に滑り落ちて、見えなくなっていった父母を
「あ・・・これは駄目かも」
と思ったこともあり。
ヨロメキながら二人登ってきた。
父は、自分の上を登る母が滑ったのを受け止めて、
そのまま一緒に落下していったのだ。
父よ、かっこいいよ。

山では、次に自分が掴む岩が己の体重を支えられるかどうか。
このつま先の岩のデッパリは自分を持ち上げてくれるのか。
この自分が掴む木は生きているのか(死んだ木はまるで駄目)
その連続だ。
その瞬間の判断を間違ったら、命はない。

だがそれは「山」でだけだと思っていた。
そうしたら、下界でもそうだ、と気付いた。
高校の時。

「自分の命は、自分で守らなければいけない」

こんな基本的なことは誰もが持っていると思っていたら、
そうではなかったのだと、
初めて分かったのが1995年の「阪神大震災」。

私は、気が付いたら夏は山に登っていて、冬はスキーをしていた。

日本の自然は深い。

「ニュージランドは・・」「スイスは..」なんて聞く外国の自然への賞賛。
日本でも「屋久島は・・」という、特殊なとこへの賞賛。
そのへんの日本の山だって、とても豊かで厳しい自然を持っている。
ただ、気軽に行けるようにしてしまうと・・・
ニュージランドで車で行けるところを、
日本でも車で行けれるようにしてしまうと、
悲しいけれど、日本人は自然を壊す。

ハイキングクラスの登山道には、必ずゴミがある。
まかりならぬ。
おかげで私はゴミのポイ捨てがとってもキライになった。
ゴミくらい持って帰れ。

いやいや、
死ぬとか、ゴミとか、そんなことでなくて、
山が好きだから、山に行くのだよ。
そしたら、そういうものが、理屈としてくっついてくるんだ。


原生林を歩く。
落ち葉が降り積もった地面はクッションのようだ。
フワフワする。

沢を登る。
腰までつかり、たまに頭まで落ちたり。

ザイルを持ち上げ、先に登る。
ハーケンにカラビナ。
確保のザイルを腰で支える。
先ず、己の身を確保し、登ってくる者を支える。
誰かを支えるには、先ず己自身を確保出来てから。
一緒に落ちては、確保の意味がない。

滝を登る。
シャワークライミング。
滝壷は、底まで透明だ。
その水をすくい飯を炊く。

森林限界を超える。
2500メートルあたり。
ここがらが楽しいのさ山は。
這松。雷鳥。
雷鳥の親子。
稜線を行く。
幅1尺。左右ともに崖っプチ。

360度、眼下に山、山、山。
空!。
雲海から昇る朝日=山頂で拝む御来光。

月夜の山。
月あかりで影ができる。
夜は明るい。

月のない夜。
夜は暗い。
激しい雨。落ちても声も届かず姿も見えぬ。
ここは、落ちるわけにはいかぬ。と思ったこともあり。
ヘッドライトの届かぬ先の闇に、野宿か・・・と思ったこともあり。

星空。
降るほどの星とは、こういうものか。

独り、霧の中、先行きにて、立ち止まる。
時折、風が吹く音以外は全くの静寂。
これが、風の音というものか。
今も忘れず。
そして、家族の足音がしてくる。
姿が霧の中に見えてくる。

もうすぐ山小屋だ。

世界のどこにも負けない豊かで厳しい自然を日本は持っている。
それに気付いていない、大切にしない日本人が多すぎる。
悲しい。

「山」は父母に貰った財産です。
20歳を過ぎた頃にやっと気付いた。
そのくらい「あたりまえ」のことだったので。
だから、今でも「あたりまえ」感覚はそのままにしたい。
父母は変わらず「あたりまえ」な感覚。
それを前にすると、己は俗世間になんて汚れちまったのか!
と、ちょっと情けない・・・

「おっし、夏や、登らな」
「冬や、スキーせな」
だが、私の仕事が許してくれないこの頃。

いかんよ・・行かな。山。
衣替えと一緒のレベルだもの、私にとって。
よっし、行くぞ。

遊びは真剣にするものですよ。
命をかけて、人生は楽しむものです。


8月18日(金)

[型と道]

「心」があって「動き」がある。
「かたち」がある。
「言葉」がある。
それらが洗練されたものが「様式」となり「美」となる。
そうして「様式美」は玉三郎ほどの表現者にかかると、
それ以上のものとなって私に迫ってくるのです。
その、首をかしげるだけの所作に、羽織が肩から落ちる絶妙の間に、
意識され計算されつくした「様式」だ。なんてだけですまない
「うつくしさ=こころ」を感じ、背筋がふるえる。

「舞台は生物、その時々で変わるもの」それは決して
「だから毎回やることが変わったっていいんだ」
又は「変わったほうがいいんだよ」てなこととイコールではない。
その「瞬間」これでしか表現出来ない仕方がある。
それを見つけ、それをすることがプロの業のいうものだ。
私はそう思う。

上記は、1997年2月13日に歌舞伎座で観た
「十六夜清心」の観劇記
の抜粋。

歌舞伎をまともに観てないなあ、最近・・・
と思って、自分の昔の観劇記読んでたら
「こんなこと書いてたんだ」と思って。
書いてから3年以上経ってる。
もう20代中盤過ぎると、基本的思考に変わりはないね・・・。

ライブ感覚と様式美が反するものだなんて思わない。
様式美は反対にライブだからこそ面白いんだとさえ思っている。

筆をとればもの書かれ
楽器をとれば音をたてむと思う。
杯をとれば酒を思い
さいをとれば攤うたむことを思う。
心は必ず事に触れて来たる。

「こころ」と「こと」と。

伝統や、数を重ねてきた事柄というものは、洗練された「型」を持つ。
その継承されてきたものが、一流であるほど、「型」は不変になる。
その「型」に行き着くまでの
「思い」や「仕様」を、その「型」から推考することが、
「型」への対峙の仕方ではないかと思っている。
「型」への楽しみの見い出し方だと思っている。

私自身の経験としては、弓道しかそれにあてはまる事柄はない。
最初は弓を持つこともなく、ゴム管を引いて
弓を引く「型」の稽古の繰り返しだ。

やがて的前に立つようになる。
微かな力みが、矢を大きく逸らす。

「当てようと思ったら、もう当たらぬ」
真直ぐに、平常心で的前に立つのみ。
その時、その姿は「型」だ。
心でさえも。
それは心が縛られているってのとは全く違う。
むしろ逆だ。
それが「型」というものだ。 「型」は縛るものではない。
「型」と、どう対峙するのかということだと思う。

私が所属する文学座は「女の一生」という代表作品がある。
上演1000回にもなるこの作品は、「型」をもつ。
重ね洗練された「型」というものだ。
「型」を継承出来るのは「芸」を持った役者がいるからだ。
その「女の一生」の2000年旅公演がはじまった。

私の裏方として初旅公演参加作品は、その「女の一生」だった。
3年前の6月のこと。
迷惑かけまくりのわけが分からぬままの参加であったが。
2年後(前回の公演)にまた参加する機会あり、
少しはマシだったと思いたい。

私は只今は、文学座外部の舞台稽古場で演出助手をしている。
「ジンジャーブレッド・レディ」9/6〜博品館劇場公演。
「舞台をつくる」ってぇいう「道」に、幾種類多く係わっていきたい。
「道」を探っている最中の、この身。
その場所、場合、他様々により、
舞台の「道」は幾種もあるのだろうから。

「女の一生」は、先ず九州一円を巡る。
よい旅を、祈っております。


8月30日(水)

[ロック]

Y「ヤマンバギャルってロックしてるよね」

S「ロック?」

Y「アイライン、マジックで描いていて、
  それで、それ落とさず寝るっていうんだから」

S「ハッハッハ!」

Y「男にモテようなんて思ってないじゃない! あのメイク。
  ロックだよね」

たまらんキャラやなこの方。

その「この方」のいる只今の私の稽古場は、
「ジンジャーブレッド・レディ」
演出助手にて参加。

9/6〜13 銀座の博品館劇場にて公演。

上記は本日稽古後の稽古場にて、
出演者の裕木奈江さんとの会話。

そして、裕木さん曰く、
『「裕木ねえ・・」なんて、自分のことを呼ばない。
 そんなことインタビューで言ってない。
 でも、そう書かれちゃうのよ。』

本人の直の口からか、直筆でないモノには、
絶対に、誰かの主観や企みが入ってくる。
意図的でないにしろ、入ってくるのです。

だから、私がここに書いている「裕木奈江さん」も、
何かしら私の「主観」というヤツが入ってるんでしょう。
「そのままに」伝えようと思ってはいるんだが。

自分の目の前にいる、その人を観ることだ。
それが可能な場合には。

それにしても、「ヤマンバ=ロック説」には笑った。
はじめ「ロック?・・何、世の中から自分達を遮断してるってことか?」
と一瞬思った。
すぐに「ロック魂」のほうの「ロック」とわかったが。

ヤマンバギャルについての否定的意見はよく聞くが、こういう肯定的
(だろう、ある種の)
な、ノリのいい見解は初めてだ。

諸手を挙げて賛同は出来んが、
(これは裕木さんにも「一考を要する」と伝えた)
かなり素敵な考えだ。
だが、裕木さん本人も「一考中」だと言っている。
次に「ヤマンバギャル」について述べる時は、
また違う「たまらん」見解が聞けるんだろう。

「ジンジャー・・」の現場は、初日を1週間後に控え、
スタート&ラストスパートを、同時にやるぜ!
な今日この頃。

いくぞいくぞ。

「ジンジャーブレッド・レディ」
作:ニール・サイモン
演出:富田稔英

9/6〜13 銀座の博品館劇場にて公演。

出演:池畑慎之介(ピーター)
   加納 竜
   松井 工
   田中宗一
   裕木奈江
   寿ひずる

9/22は名古屋の愛知厚生年金会館。
9/24は大阪のシアター・ドラマシティ。
の、旅公演もあり。

チケは私に言ってくだされば、1割引きだぜ御客人。
観にいらっしゃい。


10月3日(火)

[CROSS ROADS]

TRACY CHAPMANのCDを数枚お借りした。
その中でも「CROSS ROADS」というCDが一番好きで
その中でも「CROSS ROADS」という曲が一番好きになった。

返す時、上記を言うと「自分もそうだ」との答えが返ってきた。

クールで乾いていて・・・孤独だ。
寂しい そういう孤独ではなく
自らの意志で孤高のような。
地に足を踏み締めて 独り 見据えて 立っているような。
しかし 軽やかに。

そう言うと
自分もそう思う と。

この人は そういう人なのだろう。

強烈な存在感というものは 孤高と 共に有る。
それを自ら許容出来た者だけが そうあり得る。

そう なりたいものだ。


11月9日(木)

[花]

いつからか忘れてしまったが、
誰かの家に初めて行く時には、
花を持っていくことにしている。

どうしても、忙しくて駄目な時はあるものの・・・
(ほぼないが、そうである時は、ちゃんと後日持っていく)
(=ように心掛ける)

きっかけは何だろう・・・
忘れてしまった。

そういうことでないにしろ、
「花」を贈ることは好きだ。
もらうこともね。

後に物質は残らない。
そういうコトがあった というコトが残る。

しかし、自分への「花」を持って帰ることは、
しない。
だから、今も私の家には花瓶はない。

それでも、花を頂くことはある。
もちろん、うれしい。
そういう時、
ワインやスピリッツの瓶が花瓶となる。

只今稽古中のアトリエ公演のひとつ
「マイ シスター イン ディス ハウス」では
花瓶が酒瓶というわけにもいかん。

てなことを思いつつ。





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