観劇日:1997年2月13日(木) 昼の部 劇場 :歌舞伎座 作:河竹黙阿弥 第一場 稲瀬川百本杭の場 ============ 極楽寺所化 清心:孝 夫 町人 次郎平衛:佳 緑 中間 市助:松之助 酒屋 呑助:寿 鴻 扇屋抱え 十六夜:玉三郎 第二場 川中白魚船の場 ============ 十六夜:玉三郎 船頭 三次:十 蔵 俳諧師白連 実ハ 大寺正兵衛:富十郎 第三場 稲瀬川川下の場 ============ 清心:孝 夫 十六夜:玉三郎 寺小姓 恋塚求女:孝太郎 船頭 三次:十 蔵 俳諧師白連 実ハ 大寺正兵衛:富十郎 @@@あらすじ@@@ <第一場 稲瀬川百本杭の場> 評判の遊女十六夜(いざよい)に 鎌倉極楽寺の所化清心(せいしん)は ふとした心の迷いから、馴染みを重ねた。 しかし出家の身にはそれは罪。 寺から追い出される。 それを聞いた十六夜、居ても立ってもいられず廓を抜け、 早春の夜道を稲瀬川百本杭あたりまでやってくる。 そこに向こうから来る黒頭巾の男。 それは恋しい清心。 しかし清心はすがる十六夜を振りほどき行こうとする。 清心は恩師の名を汚した罪を悔いて修行をしなおそうと決心していた。 しかし、そんなことは知らない十六夜が 親身に心配するので清心は決心がくじける。 まして自分の種を宿しているとなればなおさら。 かと言って一緒に逃げてはまた罪を重ねる。 二人は心中する決心をし、稲瀬川に入水する。 <第二場 川中白魚船の場> 夜もすっかり更けた。 稲瀬川に白魚船を出している俳諧師白連と 船頭三次の四つ手網にかかったのは白連がよく知る十六夜。 介抱するうち意識を取り戻した十六夜は 本当のことは明かさず、勤めの辛さを訴える。 世話好きの白連は十六夜を身請けしようと言う。 この親切に十六夜も、 子供を生むまでは生きていようと思い直す。 <第三場 稲瀬川川下の場> 一方の清心。 海辺で育ったものだから、 身についた水心のため死にきれない。 石を袂に入れて再び身を投げようとした時、 そこに寺小姓 恋塚求女が通りかかり、 癪を起こし苦しみ始める。 清心は介抱するうちその懐に 五十両という大金が入っていることを知る。 その金を貸してくれと頼む清心。 死んだ十六夜の菩堤を弔うために、 父親に渡してあげたいと思ったのだ。 因果なことに、寺小姓 恋塚求女は実は十六夜の弟で、 この金は清心の難儀を救うための金だった。 ところが互いに顔を見知らないゆえ、悲劇が起こる。 もみあううちに求女は 財布の紐がのどにからまり死んでしまう。 犯してしまった殺人に、清心は死のうとする。 しかし、雲の切れ間から出た月に照らされた瞬間・・・ 「十六夜が身を投げたのも、またこの若衆の金を取り、 殺したことを知ったのは、お月様と俺ばかり。」 清心は極悪非道の裏街道に足を踏みいれる。 求女の死骸を川に落とす水音をききつけ、 相合傘の男女がいぶかしがる。 この傘の女は十六夜の、白連に抱きかかえられていく姿。 が、闇の中。 すれ違っても十六夜とはわからず、 清心は財布を手に、にんまりほくそ笑むばかり。 @@@感想@@@ ひさしぶりの歌舞伎だよ。孝&玉のゴールデンコンビだよ。 やっぱり、うつくしすぎるね、このお二人は。 宝塚のどんなトップコンビもかなわないでしょう。 しかし、今回はなんてったって、十六夜。玉三郎。 「様式美ってのはさ」と、 ろくに歌舞伎を観たことのない奴ほど、 玉三郎の舞台を観たことのない奴ほど口にする。 「様式美」その通り、「様式」の「美しさ」です。 だけど、その前に「心」がある。 そのあたりまえのことを忘れている。 「心」があって「動き」がある。 「かたち」がある。 「言葉」がある。 それらが洗練されたものが「様式」となり「美」となる。 そうして「様式美」は玉三郎ほどの表現者にかかると、 それ以上のものとなって私に迫ってくるのです。 その、首をかしげるだけの所作に、羽織が肩から落ちる絶妙の間に、 意識され計算されつくした「様式」だ。なんてだけですまない 「うつくしさ=こころ」を感じ、背筋がふるえる。 「舞台は生物、その時々で変わるもの」それは決して 「だから毎回やることが変わったっていいんだ」 又は「変わったほうがいいんだよ」てなこととイコールではない。 その「瞬間」これでしか表現出来ない仕方がある。 それを見つけ、それをすることがプロの業のいうものだ。 私はそう思う。 十六夜(=玉三郎)が、 もうもう、かわいくって色っぽくって、最高です。 清心を心配して行く川沿い。 鼻緒が切れて、直して、行こうとすると又切れた。 そのときの「あーあ、こまったな」てな感じで片手に草履をさげて、 ちょっと首をかしげる姿のかわいいことといったら!! フラムシェンも負けるかもよ。(おいおい、誰がわかるんだよ) そこにやってくる清心。(=孝夫) こういうなさけない男も似合いますね、孝夫さん。 っていうか、なさけないけど色男ってのは、そうそう誰にでも出来るキャラクターではないけれど。 魅力ってのを感じさせないとだめですから。 二人で心中の場面。 川岸に膝をついた後ろ向きの十六夜と、それにかぶさる形の清心。 「心中しよう」そう言う清心に、はじめは揺れ戸惑う十六夜の肩から、 羽織はスッと落ちる。 空気がね、とまるんです。 舞台も客席も、その空間がね、瞬間とまるんです。 私にとっては、そのとまった瞬間があるかどうかが判断基準です。 玉三郎はその瞬間を今まで一番多く与えてくれた表現者です。 「その瞬間に永遠がある」。 その「瞬間」をつくりたい。 私にとっては、それが最も効果的に為されるのが 「舞台」という表現空間です。 私はその表現者になりたい。 演出という表現者に。 うーん、やっとはじめて歌舞伎の舞台評書けたので あつくなってしまった。 歌舞伎はいいよ。みんな、観に行こう。 歌舞伎座のすぐ脇にある「歌舞伎そば」はおいしいよ。 ぜひ、「かきあげもりorざる」を食べましょう。 |