緑いろの通信 2023年12月
   

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緑いろの通信
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- 緑いろの通信 2023年12月 目次 -


緑いろの通信

 「緑いろの通信」へようこそ! 2023年12月号をアップしました。 今月の写真は、11月4日に撮影した盛岡、岩手公園内にある烏帽子岩です。 櫻山神社の裏手にある巨石です。 この岩そのものも、信仰の対象になっています。 例年よりはあたたかく感じられる12月です。 今月号もまたよろしくお願いします。




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緑いろの通信

 新着情報でも更新ページを知ることができますが、少し紹介を加えたりしてプラス・アルファの書き込みです。 日付を付けて書き加えますので、時々のぞいてみてください。


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12月1日(金)
 晴れ。

 今月の写真の烏帽子岩を大きくしたものです。 実にぼんやりとした姿です。


(烏帽子岩 2023年11月4日撮影)

[稲荷神社横の看板]

盛岡城三の丸付近の傍らには三角状の大岩がありました。 二代藩主南部利直公はその岩を掘り下げるよう命じましたが、次第に神事や儀式に用いる縁起の良い烏帽子に似た巨大な岩が現れました。
利直公は「これはめでたい兆しである」と大いに喜び、それ以来「盛岡藩の守り岩」として歴代の藩主に崇め祀られました。
藩政時代には、烏帽子岩に注連縄を張り、「権現舞」・「獅子踊」などが奉納され、藩内の平安息災神事が行われたと伝えられています。

[「烏帽子岩(兜岩)のいわれ」看板]

盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかりの突出した大石が出てきました。
この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
                    桜山神社社務所

 それぞれ、烏帽子岩に関する解説ですが、その所以が異なっていました。 岩手公園を訪れる人の多くは、まったく気づかずに通過しているようです。

12月2日(土)
 晴れ。

 自宅での作業。

 苫小牧市の岩倉市長、先月韓国訪問中に倒れ、意識不明とのニュースがありましたが、その後回復され帰国、手術を終えて2月までに公務復帰の見通しというニュースがありました。 苫小牧で行われた宮沢賢治関係のイベントにも顔を出されていましたね。 早期の復帰をお祈りしたいと思います。 (「苫小牧市長、手術は無事終了 2月までに公務復帰の見通し」はこちら(北海道新聞2023年12月2日)

12月3日(日)
 晴れ。

 午後から都内。


(オアゾにて 2023年12月3日撮影)

 帰宅時にオリオンを見つける。 ベテルギウス、リゲル、縦に並ぶ三つ星を見つけては、その傍に連なる小三つ星を探す。 淡く揺れる視界に浮かぶ一瞬を楽しみ。


(草下先生のオリオン 2023年12月3日撮影)

 この写真は、草下英明『宮沢賢治と星』、甲文社(自費出版)の表紙に描かれたオリオンです。 三ツ星と小三つ星が描かれています。 なぜか上下が逆さまなのです。 図としては、恒星を結ぶ線の引き方から、中国の星宿の図であることは察しがつくのですが…。

12月4日(月)
 晴れ。

 谷川俊太郎の詩集に『二十億光年の孤独』があります。 「緑いろの通信」で何度か書いたとおり、私自身が初めて購入した詩集『谷川俊太郎詩集』(角川文庫)に、「二十億光年の孤独」が収録されていました。


(現在のサンリオ版『二十億光年の孤独』 2023年12月4日撮影)

私自身初めて買った詩集が(賢治ではなく)角川文庫版『谷川俊太郎詩集』でした。 まだ子供でしたが、当時から天文好きでしたので、「二十億光年」に感じるものがあったのでしょう。 当時、宇宙の拡がりは「二十億光年」という(科学的)理解のもと「孤独」を感じ、作品に繋がったそうですが、昨今の研究では宇宙はより広大になる一方、生命はもっとずっと身近にある可能性が示され、思ったよりも「孤独」ではないことが明らかにされつつあります。 (「緑いろの通信」(2018年1月28日号)より)

 書店でページをめくって「二十億光年」という天文学的な響きを見つけて、それが購入の動機でした。 では、なぜ「二十億光年」なのか、これは当時はあまり意識していませんでしたが、後になってあれこれと考えてみるようになりました。

 谷川俊太郎ご自身の証言の中に、「二十億光年」とした理由があります。 これは、幾つかの文献により若干の表現に違いはありますが、次のようなものでした。

二十億光年という距離は、当時の谷川の知識の範囲内にある宇宙の直径を意味している。 (Wikipedia「二十億光年の孤独」の項、谷川俊太郎『ことばを中心に』(草思社)を参考)

 作品が書かれた時の「宇宙の直径」は、「二十億光年」だったというものです。 では作品が創作された時期はいつだったのでしょうか。

 その時期を知った(意識した)のは、上記引用の「緑いろの通信」を書いたきっかけ、すなわち2018年に新宿オペラシティ・アートギャラリーで開催された「谷川俊太郎展」の会場でした。 展示されていた詩集『二十億光年の孤独』(創元社 1952.6.20発行)の自筆原稿(詩作ノート)の片隅には、「1950.5.1」と日付がはっきりと記されていたのです。

 その時期であれば、作中に登場する火星も、同年3月には小接近しており、宵空には赤く輝く姿をたやすく見つけることができたはずです。


(1950年4月17日(新月の日)20時の火星)

 さて、その頃、宇宙の大きさというのはどのように認識されていたのでしょうか。 1950年、和暦で言えば昭和25年、戦後から数年といった時期です。

 例えば、時間的には創作の日付より若干遡るものですが、その頃に刊行された野尻抱影『少年天文学』(縄書房 1950.6.15発行)の「10 星雲」の項には次のような記述があります。 (以下、部分引用)

 先ごろ完成した米國パロマー山の二〇〇インチ大望遠鏡は、一〇億光年も遠い星雲をさつえいするのに成功しましたが、なお、直径四八インチのレンズを持つ写眞望遠鏡もできて、四年計画で全天の撮影を開始しています。 その予定では、約五億の恒星のほかに約一〇〇〇万の銀河系外星雲をうつすそうです。

 ここには、宇宙の大きさそのものではなく、完成したばかりのパロマー天文台が「一〇億光年も遠い星雲をさつえいするのに成功しました」という記事があります。

 また、草下英明『星日記 私の昭和天文史』(草思社 1984.12.1)の「1949年(昭和24年)」の1月26日には、同じパロマー天文台を取り上げた次のような記事もありました。 内容としては重複しますが引用いたします。 (一部に注記をつけました)

一月二十六日 いよいよパロマー天文台の五メートル鏡(注1)が始動を開始した。 主任観測者のエドウィン・ハッブルが一番最初に鏡を向けたのは、一角獣座R星の近くにあるNGC二二六一(赤経六時三六分二四秒、赤緯八度四六分)というガス星雲だった。(注2) この星雲は、距離四九〇〇光年にあり、なぜか視直径や光度が変化するので、ハッブルは非常に興味を持っていたようである。 一五分の露出で撮影されたこの写真は、ややオーバーだったと述懐している。 同じ夜、かみのけ座の銀河の北極に近い部分も撮影され、「一〇億光年の彼方!!」というタイトルで、その後の新聞や雑誌を飾った。 (のちにこれは二〇億光年と、二倍に訂正されることになった)

 ※注1:パロマー山の200インチ望遠鏡のこと。
 ※注2:通称ハッブルの変光星雲と呼ばれるものです。

 以上の記事からは、パロマー天文台の撮影した天体までの距離として「10億光年」という数字が導かれます。 それは作品の「二十億光年」ではありませんが、当時の考え方では銀河系を中心として半径10億光年先に天体があるという認識から、直径では少なくとも20億光年の空間があると考えることもできます。 このような理解が、20億光年を孤独のフィールドとさせたのではないでしょうか…。


 ところで、『星日記 私の昭和天文史』では、続く「1952年(昭和27年)」の末尾には、次のような記事も掲げられていました。

 ◎宇宙の大きさが一挙に二倍になる!! という大事件が、ウォルター・バーデ(アメリカ、パロマ―天文台)の研究によって成立した。 バーデは、恒星に二つの種族の違いがあることを突き止め、遠方の銀河の距離を測定する尺度となっていたケファイド型変光星にも、それが適用できることを知った。 このため、遠方の銀河の中に認められるケファイド型変光星の絶対光度を従来うんと小さく見積もっていたことがわかり、これを四倍に改訂する必要が起った。 と同時に、距離のほうは、今まで考えられていたより二倍も遠いことが判明したのであった。 従ってアンドロメダ銀河の距離は、一〇〇万光年くらいとされていたのが、一挙に二倍の二〇〇万光年ないし二二〇万光年と訂正されなければならなくなった。 パロマ―天文台の五メートル鏡で撮影された「宇宙の涯」といわれている。 もっとも遠い天体は一〇億光年の彼方にあるとされていたのが、なんと二倍の二〇億光年になってしまった。 宇宙の話題というのは、なんともスケールの大きなものだ。

 1949年の時点では、半径10億光年(直径に見積もれば少なくとも20億光年)です。 この天文学的状況に基づき、1950年5月1日に「二十億光年の孤独」が書かれたと考えてみました。 それから創作から2年後の1952年時点においては、最遠の天体までが20億光年となり、直径では40億光年の規模にまで拡大してしまいました。

 1950年代でさえこの状況ですから、宮沢賢治の時代においては、銀河系こそが宇宙のすべてといった理解がまだまだ大勢を占めていたとしても仕方ありません。

 そして、今日は中村哲さんの命日。

12月5日(火)
 曇り。

 最近読了した本など。 谷口義明さんの新刊『岩波科学ライブラリー 暗い夜空のパラドックスから宇宙を見る』(岩波書店)。


(『暗い夜空の…』 2023年12月5日撮影)

 谷口義明さんの天文啓蒙書のアプローチは実に多様です。 有名なオルバースのパラドックスについての本ですが、(専門的すぎる論はさておき、)宇宙論を考える場合に心得ておくべきことのいくつかがコンパクトな冊子にまとめられています。

 また、天文教育普及研究会からは、『第37回天文教育普及研究会集録』(天文教育普及研究会)、『天文教育』023年11月号(天文教育普及研究会)も到着していました。 会報の方は、陶山徹也ほか「諏訪の市民科学と天文」など興味深い記事がありました。

12月6日(水)
 小雨のち晴れ。

 今月発売の天文2誌から。 前倒しで来年1月号となります。


(天文2誌 2023年12月6日撮影)

 『星ナビ』1月号は、特集が「星のゆく年くる年」です。 2023年中の天文トピック、2024年の天文現象を紹介しています。 来年は4月の北アメリカ皆既日食と、10月の紫金山・アトラス彗星の接近でしょうか。 付録に「星空ハンドブック2024」がついています。

 『天文ガイド』1月号の特集は「2024年の天文現象」です。 天体画像処理の記事では、Gradient X Terminatorの活用方法(天の川銀河の処理)がありました。 付録に「2024 Astro Calender」がついています。

 元ウイングスのデニー・レイン死去のニュース。 ウイングスUSAライブの GO NOW(ムーディー・ブルース時代の曲)、そしてポール・マッカートニーとの共作では「夢の旅人」など、ウイングスに非常に貢献したオリジナル・メンバーです。 ソロアルバムも好きで何枚か買って聴いていました。 とても残念です。

 以下は、自宅にあったアルバムのリストです。 (古いものばかりですが)

・THE ROCK SURVIVOR(1996)
・REBORN...again(2001)
・Lovers Night(2012)
・Denny Laine Sings Paul McCartney & Wings(2013)


(デニー・レインの楽曲で 2023年12月6日撮影)

 デニー・レインの居たウイングスを見ることができず残念でした。

12月7日(木)
 晴れ。

 ハレー彗星は、1986年に接近以降、ひたすら遠ざかっていましたが、あさって12月9日以降、海王星の彼方でUターンして、太陽に近づいてきます。 太陽から軌道が最も離れた場所を遠日点といいますが、その場所を通過するのです。 距離にしておよそ35.1天文単位(AU)です。

 2061年7月下旬に最接近した時の観測条件は良く、多くの方々が彗星を楽しむことになるでしょう。

 宮沢賢治の時代の接近は1910(明治43)年、私たちの時代の接近は、1986(昭和61)年、次回の接近は2061(令和43)年となります。 38年後は、未来すぎて実感はありません。

 次の写真は、1986年5月4日23時30分に、福島県の磐梯吾妻スカイライン兎平駐車場にて撮影した「ハレー彗星とからす座」です。 近日点を過ぎ、遠ざかりつつある彗星です。


(「ハレー彗星とからす座」 1986年5月4日撮影)


(「ハレー彗星とからす座」撮影時の構図シミュレーション)

12月8日(金)
 晴れ。

 ジョン・レノンの命日。 1980(昭和55)年から43年。 ジョン・レノンの生きた時間の2倍以上を経た今、突然ビートルズの新曲がリリース。 チャートの上位にランクされ、赤盤・青盤まで再リリース。 あの日を実体験として知る者にとって、きっと誰もが予測できない出来事と思います。

 天文の新刊から。 津川廣行『低い月、高い月 月の文学、物理の月』(藤原書店)です。


(『低い月、高い月』 2023年12月8日撮影)

 著者は、物理系の学部を出て、文学系(フランス文学)で博士学位を取得された意外な経歴の方です。 主に文学作品に出てくる月の南中高度などについて考察したものですが、自己発見的にそれらを解決するプロセスがにユニークです。 (天文学者的でない視点!)で、俳人、歌人の作品を読み解きます。 天文関係では渡部潤一さんの著書からの引用があります。

12月9日(土)
 晴れ。

 紅葉がまだ残る場所を散歩。


(紅葉 2023年12月9日撮影)


(民家 2023年12月9日撮影)


(花壇 2023年12月9日撮影)

 夜は自宅の作業。

12月10日(日)
 晴れ。

 夕方から都内のホテルで「ハレー彗星遠日点通過記念 藤井旭さんに感謝し阿部昭さんを励ます星の集い」が開催されました。 少し早めに会場に到着して受付。 名札を受け取り、チロのクリアーファイルに入った、ハレー彗星の写真(藤井旭さん撮影)、チロステッカーなど)を受け取って、会場内へ。


(受付にて 2023年12月10日撮影)


(会場入口にて 2023年12月10日撮影)

 先日にここに書いたとおり、12月9日のハレー彗星の遠日点通過記念と、昨年末に亡くなられた藤井旭さんの生前の活動に感謝、また出版活動(雑誌「星の手帖」など)を通じて国内の天文普及に尽力された阿部昭さんを励まず集いとして開催されました。 参加者は約200名ほど。 最初は渡部潤一さんのご挨拶から。


(会場にて 2023年12月10日撮影)


(「星空への招待」シャツじゃんけん戦 2023年12月10日撮影)

 藤井旭さんと親しかった方々のお話や、阿部編集長の挨拶まで約2時間。 天文関係各界の皆さんが久しぶりに集う貴重な場でした。 ざっと40名ぐらいの懐かしい方々とお話。 10年〜20年以上もお会いすることができなかった方々ばかりで、一度お話を始めればついつい多方面のことに…。

 白河天体観測所のメンバーだった岡田さん、品川さんたちとの再会は本当にしばらくぶりでした。 岡田さんには、本来であれば藤井旭さんに届けたかった宮沢賢治の原稿をやっとお渡しすることができました。 また、顔をお見掛けしただけで、一度もお話できなかった方も多数。 時間が短すぎました。


(イベントのお土産 2023年12月10日撮影)

 帰りには受付で、『藤井旭の天文年鑑2024』(誠文堂新光社)、藤井旭『星の旅』(河出文庫)、日めくりカレンダー、ハレー彗星のお茶をいただきました。 あっという間の楽しい時間でした。

 余談ながら、来年の彗星会議2024は、東京で開催予定との話題もありました。

 今日、12月10日は、宮沢賢治の詩「冬と銀河ステーシヨン」(1923.12.10)から100年です。 作品を引用しておきます。 『春と修羅』の最後を飾る作品です。 初版本目次においては、「冬と銀河鉄道」というタイトルとなっていました。

   冬と銀河ステーシヨン

 そらにはちりのやうに小鳥がとび
 かげらふや青いギリシヤ文字は
 せはしく野はらの雪に燃えます
 パツセン大街道のひのきからは
 凍つたしづくが燦々と降り
 銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
 けさはまつ赤に澱んでゐます
 川はどんどん氷を流してゐるのに
 みんなは生ゴムの長靴をはき
 狐や犬の毛皮を着て
 陶器の露店をひやかしたり
 ぶらさがつた章魚を品さだめしたりする
 あのにぎやかな土沢の冬の市日(いちび)です
 (はんの木とまばゆい雲のアルコホル
  あすこにやどりぎの黄金のゴールが
  さめざめとしてひかつてもいい)
 あゝ Josef Pasternack の指揮する
 この冬の銀河軽便鉄道は
 幾重のあえかな氷をくぐり
 (でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
 にせものの金のメタルをぶらさげて
 茶いろの瞳をりんと張り
 つめたく青らむ天椀の下
 うららかな雪の台地を急ぐもの
 (窓のガラスの氷の羊歯は
  だんだん白い湯気にかはる)
 パツセン大街道のひのきから
 しづくは燃えていちめんに降り
 はねあがる青い枝や
 紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
 もうまるで市場のやうな盛んな取引です

 参加した天文イベントで配られたアンケートでは、100年前のこの作品のことが引用されていました。

12月11日(月)
 曇り。

 野尻抱影の『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)今日のテーマは「冬空の梁(うつばり)」です。 以下に、冒頭のみを引用します。

   冬空の梁(うつばり)

 五時にはとっぷりと暮れる。 北落師門ももう西南に低く、天頂では天馬の大方形が子午線を西へ移っている。 それにつれてアンドロメダの星の主列が、長さ約三十度の一文字を天頂から東へ引いている。 さらにこれを銀河の面のペルセウスの主星まで延ばすと、全長四十度にもなる。 これに似た星を結ぶ直線は四季を通じてもそう見られない。

 星好きであれば、抱影の示した「星を結ぶ直線」がすぐに思い浮かべられると思います。


(抱影の「星を結ぶ直線」)

 この図では、だいたい赤い棒で示した並びに相当します。 実際には、若干の曲線部分も含まれるのですが、そこはおおまかに解釈します。

 抱影はこれを天空の大屋根の「梁」とみていました。 梁とは「建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材のことであり、主に曲げ応力を担う」(Wikipedia「梁」の項より)ものとされています。 歌人の加藤楸邨の「アンドロメダへ冬梁の軋むかな」という句を知ってからは、「いっそうこの感じが強められた」とし、楸邨氏から聞いた戦時中の緊迫した状況にも思いを馳せています。

 この時期の星々の並びでは、個人的に言えば、むしろ「プレアデスの両手(両腕)」と呼ばれる連なりの方が印象的です。 まあ、人それぞれということで。

12月12日(火)
 雨のち曇り。

 昨日に引き続いて抱影の『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)より「参商相見ず」です。 以下に、冒頭のみを引用します。

   参商相見ず

  衛八処士に贈る        杜甫(唐)

 人生相見ること ややもすれば参(しん)と商の如し
 今夕は復た何の夕ぞ この燈燭(ともしび)の光を共にするとは。

 抱影の説明にもあるとおり「旧知の相見る機会の稀なこと」を意味しますが、その例えとされたものが、中国の星宿(星座)から「参」「商」の位置関係に由来するものでした。 (商については、星宿名としては心宿とする方が一般的です) 説明は不要かも知れませんが、「参」はオリオン座の三つ星、「商」はさそり座αのアンタレスとその両脇の星です。 それぞれ、オリオン座とさそり座の位置関係ですから、中国や日本では、同一の夜空の見ることはできません。 その特徴が使われたものです。


(参宿)

 ところで、(以前にもちょっと触れたことがありますが)宮沢賢治も、詩「東岩手火山」の中で、同様の趣旨で星空解説を行っています。

 あれはオリオンです オライオンです。
 あの房の下のあたりに
 星雲があるといふいのです
 いま見えません
 その下のは大犬のアルフア
 冬の晩いちばん光つて目立つやつです
 夏の蝎とうら表です

 おおいぬ座のシリウス(恒星)と、夏の蝎(星座)が、天球面では反対側に位置していることを意味しています。 杜甫は星宿の「参」「商」、賢治は「シリウス」「蝎」の関係を用いて説明しています。 微妙に異なる点に興味深さがあります。

 夜遅くなって帰宅。

12月13日(水)
 晴れ。

 少し前ですが、宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局より、2023年の『宮沢賢治研究Annual Vol.33』が到着していました。 編集委員、事務局の皆様ありがとうございます。


(『宮沢賢治研究Annual Vol.33』2023年12月13日撮影)

 掲載の[論文]、加藤理「宮沢賢治、石川善助、鈴木碧のつながりの実相 −新発見封書と未発表葉書を中心に−」が良かった。

 「賢治の図書館」  『宮沢賢治研究Annual Vol.33』/(宮沢賢治学会イーハトーブセンター)を追加しました。

 さらに賢治の新刊から。


賢治の新刊
宮沢賢治の仏教思想
宮沢賢治の仏教思想
信仰・理想・家族
牧野静
法藏館

 牧野静氏による従前の研究論文を博士論文としてまとめられたものです。 以下、目次より(章題のみ)。
序 章 研究の射程と方法/ 第一章 宮沢賢治の改宗と父・政次郎
第二章 宮沢トシの信仰 −「我等と衆生と皆倶に」−/ 第三章 トシをめぐる追善/ 第四章 玄米四合の理想 −森鴎外、そして母・イチ−/ 第五章 宮沢賢治の菜食主義 −田中智学との比較から−/ 第六章 関東大震災と『銀河鉄道の夜』/ 第七章 『銀河鉄道の夜』における他者/ 第八章 賢治童話における自己犠牲 −グスコンブドリからグスコーブドリへ−/ 補 章 恋する賢治 −受容史の中の宮沢賢治−/ 終 章



 「賢治の図書館」  『宮沢賢治の仏教思想 信仰・理想・家族』/牧野静/(法藏館)を追加しました。

12月14日(木)
 晴れ。

 暑い一日。 自宅の作業に追われる。

 ポール・マッカートニー『THE LYRICS』の続き、今夜はOh Woman,Oh Why(Single)〜Once Upon a Long Ago(Single)まで。

 Oh Woman,Oh Whyは、名曲Another Day(シングル)のB面、つまりソロとして初のシングルとして発売された曲のカップリングナンバーです。 その評価は分かれるところと思いますが、ポールは「僕が好きなブルースのサブジャンル・・・」として、趣味志向上の可能性を追求したものとして説明しています。 ブルース好きが良くわかります。 Old Siam Sirは、リフから発展した曲のよう。 「この曲はある意味、仮歌の歌詞のまま世に出されたと言ってもいいかもしれない。」と刺激的な言葉も。 そしてさらに気になるコメントも。 「僕が詩先で書いた曲は「All My Loving」だけなんだ」 …そうでしたか。 On My Way To Workは、2013年リリースのNEWに収録。 母親が亡くなって、リバプールの波止場でトラック運転の仕事に就いた。 10代の頃はどんな仕事び就けばいいのか?という悩みがあった。 曲のタイトルが「仕事に向かう途中」というのも、運転手の頃のディテール。 Once Upon a Long Agoにおいて「意味を持たなくてもかまわない」という考え方は、自身を開放する力になった。 出てくる多くのイメージは、僕が子供の頃に住んでいた団地の近くの野原で見たもの。 歌詞に「客席に誰もいないステージでギターを弾く」というのは、いつも自分たちに問題があるものとして考えている。 …結局、この本でも、ステージ場でも、相手に興味を持ってもらうためには何が必要なのかを常に考えているということ。


(『リリックス』より 2023年12月14日撮影)

12月15日(金)
 曇り。

 昨晩から、自宅のトラブル対応の一日となりました。

12月16日(土)
 晴れ午後時々にわか雨あり。

 12月とは思えない暑さ。 村松健の新譜「LOST ANGEL −迷子の天使−」が届いていました。 1996年リリースの『雪催』以来のウインターアルバムです。


(「LOST ANGEL −迷子の天使−」 2023年12月16日撮影)

 全12曲。 古い曲のアレンジ違いも収録されています。 以下、収録曲です。 ( )内はオリジナル収録のアルバム名とリリース年

1 無邪気なこころ
2 雪あかり、星あかり(「雪催」1996)
3 SCHI HEIL!(「ウインター・ミュージック」1986)
4 Snow,snow waltz(「ささやくように、祈るように」1992)
5 子供の時間(「子供の時間」1989)
6 Greensleeves
7 コテージの聖夜(「ウインター・ミュージック」1986)
8 そりすべり(「ささやくように、祈るように」1992 そりあそび)
9 迷子の天使(「雪催」1996)
10 Have yourself a merry little Christmas
11 白い日曜日の終わりに(「ウインター・ミュージック」1986)
12 無邪気なこころ

 古い曲は、演奏が違っても、それぞれ懐かしい響きを保ちます。

12月17日(日)
 晴れ。

 年末に向けた作業など各種。 今年は例年以上に過密、かつ不確定な事情多め。

 日没後、旧暦11月6日の月(月齢4.4)が夜空に懸かっていました。 なんとなく望遠レンズをつけて手持ちで数枚撮影。


(宵の月 2023年12月17日撮影)

 空気が冷たくなる季節には、夜空(背景)と月のコントラストが高まります。

12月18日(月)
 晴れ。

 年賀状の準備や、賢治の資料、天文古書の整理など。 もちろん、自宅の所用も盛りだくさん。

 ちょっと確認したいことがあって入沢康夫さんの『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』(筑摩書房)を取り出してみたら、吸い込まれるように再読。


(プリオシン… 2023年12月18日撮影)

 入沢さんに教えていただいたいくつかの断片が未着手で、春と、銀河、夜、河川…。 いくつかは、もう時間との戦いのような気分。

12月19日(火)
 晴れ。

 アメリカのカントリー歌手、ドリー・パートンのロック名曲カバーアルバム Rockstarを聴く。 このカバーが特殊なのは、その多くの曲において、原曲のアーティストがレコーディングに関わっているところです。 例えば、ビートルズのカバー曲 Let It Beでは、ポール・マッカートニーのピアノと、リンゴ・スターがドラムスで参加しています。


(カバーアルバムの新譜 2023年12月19日撮影)

 他にに以下のナンバーも良かった。 (アルバム全体として1980年代的) 普段あまり聴かないカバーアルバムもいいですね。

3. "Every Breath You Take (feat. Sting)"
4. "Open Arms (feat. Steve Perry)"
5. "Magic Man (feat. Ann Wilson with special guest Howard Lee)"
11. "Baby, I Love Your Way (feat. Peter Frampton)"
16. "Keep On Loving You (feat. Kevin Cronin)"
18. "Don't Let The Sun Go Down On Me (feat. Elton John)"
29. "Let It Be (feat. Paul McCartney & Ringo Starr with special guests Peter Frampton & Mick Fleetwood)"

12月20日(水)
 晴れ。

 新月を過ぎて早くも上弦となりました。

 コードが簡単だったので、ビートルズのNow and Thenの譜面など少し作成してみる。

 時々見ていますが、NASAのサイト「Astronomy Picture of the Day」の「Ice Halos over Bavaria」(Image Credit & Copyright: Bastian Werner)はなかなかのものでした。 冬の夜の大気光学現象を捉えたものです。 (「Astronomy Picture of the Day:Ice Halos over Bavaria」はこちら(NASA)

 リンク先の写真の上にカーソルを移動させると、個々のハロの名称が表示されます。

 100年前の今日、1923年12月20日は、宮沢賢治『注文の多い料理店』「序」の作品日付となります。

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

  大正十二年十二月二十日
                   宮沢賢治

 翌1924年4月刊行の『春と修羅』がまだ完成もしていない時期、その年末に出版される2冊目の著作『注文の多い料理店』の方の「序」のイメージが早々に完成していたということになります。

 刊行に向けた作業では先となる『春と修羅』の「序」の日付は、ちょうど1か月後の1924年1月20日となります。 (童話集『注文の多い料理店』の刊行に係る経緯については、すでに知られているところですが)賢治の中では、実現とは別に、企画の方は同時並行的に具体的に進められていたと考えることもできます。 これは、改めて考えると、なかなか「すごいこと」だと思うのです。 いかに、1924年という年が特別な、(大げさな言い方をすれば)賢治の創作活動において神がかった年であったのか、改めて検証してみることが必要と思われてなりません。

12月21日(木)
 晴れ。

 自宅の緊急対応で全日所用。 慌ただしく一日が終わる。

12月22日(金)
 晴れ。

 田原田鶴子さんから来年のカレンダーをいただきました。 2024年は「大正盛岡与の字橋夜景」です。 盛岡を流れる中津川にかかる「与の字橋」と付近の建物が描かれています。 大正時代ということで、今日とは付近の佇まいが異なりますが、現代でも紺屋町番屋が保存され、当時と現代を繋ぐ景観のタイムマシンのような役割を果たしています。


(「大正盛岡与の字橋夜景」より)

 カレンダーの絵画は、この写真よりももうひと回り広い範囲が描かれています。 岩山の右手には丸い月も懸っていて、ムーン・ライトなモリオカで気に入りました。 ありがとうございました。


(ストリート・ビューによる現地の様子(2023.10))

 遅くまで年末年始期の準備など。

12月23日(土)
 晴れ。

 来年の天文関係年鑑類が出揃いました。 来年はいくつもの惑星食や、(期待される)彗星の接近など、例年よりも「いろいろ」あります。 観測・観察できることを期待したいと思います。


(年鑑類各種 2023年12月23日撮影)

 『天文年鑑』(誠文堂新光社)
 『藤井旭の天文年鑑2024』(誠文堂新光社)
 『ASTROGUIDE星空年鑑2024』(AstroArts)

 それぞれ彗星がデザインされた表紙です。 『ASTROGUIDE』が紫金山・アトラス彗星(イメージ画)、『天文年鑑』が西村彗星(写真)、『藤井旭の』がハレー彗星(写真)です。 そろそろ、人々の記憶に残る大彗星の出現が期待されているということの現れでしょうか。

12月24日(日)
 晴れ。

 このところ、毎晩木星が目立ちます。 おととい、22日には、上弦を過ぎた月が近くで輝いていました。 すでに月は東へ東へと移動してしまい、木星は「くじら」「おひつじ」「うお」と、秋の星座の星寂しい一帯の中で孤独に輝いています。

 1925(大正14)年刊の野尻抱影『星座巡禮』(研究社)の中で、木星は次のように解説されていました。


(『星座巡禮』 2023年12月24日撮影)

   木 星(Jupter)

 木星はシリウスなどと比べると、やや黄ばんだ色で、それに光が著しく据つてゐますが、或る星座に入ると、まるで花形役者が登場したやうに其處を全天の中心に變へてしまひます。 そして空高く懸つてゐる姿よりも、夜も更けてから東に昇る時が最も目を牽きます。 金星の光は、木星よりも強く華かな時はあるが、沈静と威嚴に於ては、とてもこれの比ではありません。 野分の夜、森がざわめき、雲の往來が早く、列星が皆忙しく瞬き顫へてゐる中に、木星のみがぢつと大きく澄んでゐる姿は、實に無類です。 (以下略)

 9月5日に「留」となった木星は、順行から逆行に転じ、元旦に再び「留」となります。 ちょうど今は逆行中、太陽系内の惑星の動きで言えば、内側をまわる地球が木星を追い越すイメージです。


(2023年12月24日20時の木星)

12月25日(月)
 晴れ。

 クリスマスということで、抱影の『星三百六十五夜 冬』のテーマは「ベツレヘムの星」でした。

   ベツレヘムの星

 クリスマスも、七夕祭と同じように商品祭となった。 苦にがしいと思うのだが、信者でもない私の茶の間にも、子供たちが蜜柑箱にクリスマス・トゥリーを立て飾り、私たちのプレゼントを待っている。 いつとなくお年玉をダブラせる家庭行事になってしまったが、子供にはかなわない。
 夜、煙草を買いに出ると、裸か並木の空にすばるが尾のないほうき星のように、青白く煙っていて、三つ星は屋根と屋根の間に立っていた。 いくらか靄が出ているのが、街灯の光でも、自分の吐く息でも判る。 歩いて行く方角には、北極星がいつもの高さにぽつんと一つ光っていて、その上に天頂近くカシオペヤがMの両脚を踏んばっている。 眼に見えない屋根棟にまたがって、北極星を見下ろしている人間でもいるようだと思った。
 それを見上げながら行くうちに、今夜はクリスマスだったと思い返した。 というのは、Мの中央の星の真下に見える四等星のすぐ近くに、昔「ベツレヘムの星」と推定された星が、こうこうと輝いていたことがあるからだ。 (以下略)

 キリスト教の聖書では有名な「ベツレヘムの星」のお話ですが、以下にWikipediaからの解説を掲げておきます。

   ベツレヘムの星

 ベツレヘムの星(ベツレヘムのほし)またはクリスマスの星(クリスマスのほし)は、東方の三博士(別名「東方の三賢者」「東方の三賢王」)にイエス・キリストの誕生を知らせ、ベツレヘムに導いた、キリスト教徒にとって宗教的な星である。 マタイによる福音書によれば、博士たちは星の出現に霊感を受けて「東方」からエルサレムまで旅をした。

 抱影は、1572年11月に出現し、白昼でも見えたという「ティコの星(チコ新星)」を、ケプラーがベツレヘムの星と推論したことに言及しています。

12月26日(火)
 晴れ。

 1918(大正7)年の今日12月26日は、宮沢賢治が母イチとともに上京した日と推定されています。 妹トシが、東京の日本女子大に在学中に入院したという知らせを受けての訪問でした。

 明日、27日が今年最後の満月です。

12月27日(水)
 晴れ。

 天沢退二郎さんの絵本論があったので、再読。 『月刊絵本』1977年7月号の特集「宮沢賢治の世界を描く」にあるものです。


(『月間絵本』1977年7月号 2023年12月27日撮影)

 賢治作品の初期的な絵本の挿画を引用しながら解説されています。 先日東京で見てきた棟方志功による「グスコーブドリの伝記」の挿画も引用がありました。

 …、大正十五年に「月曜」に発表した三編には挿絵・カットはない。 昭和六年「児童文学」第一冊に発表した「北守将軍と三人兄弟の医者」には、棟方寅雄によるカット一点と挿絵二点が付されているが、幼稚・凡庸で、とりたてていうほどのものではない。 第二冊発表の「グスコーブドリの伝記」には若き日の棟方志功の挿絵六点が挿入されているのが目をひく。 作中世界が中国風に把握されているのがわかるが、冒頭部におかれた「イーハトヴ火山局之図」をはじめとして、いかにも棟方志功らしい個性の強い表現がときとしてアンバランスに陥っている(クーボー博士がブドリのノートを見るシーンなど)にしても、第一級のオリジナリティはさすがに疑えないところであろう。 生前発表最後の童話「朝に就ての童話的構図」(天才人第六輯)には挿絵・カットはない。

 全体をとおして辛口の論となっていて、ワクワク(?)しながら読みました。 特集記事の全体構成は以下のとおり。

   特集●宮沢賢治の世界を描く

賢治童話の挿絵・絵本はどのように可能か●天沢退二郎
演劇・映像の世界と賢治童話との関り合い●須田浅一郎
イーハトヴの地図をめぐって●金子民雄
菊池君と賢治−二人の結晶●深沢省三
画家。横井弘三と賢治●飯沢匡
三橋節子・賢治の童話による二作●梅原猛
賢治の絵や浮世絵など●堀尾青史
■贋金づかい日記7.イーハトヴのアリス、あるいは風景としての宮沢賢治●上野瞭
■賢治の絵本・挿絵リスト
(以下、口絵リストは省略)

12月28日(木)
 晴れ。

 今から、101年前の今日1922年12月28日、来日中の科学者アインシュタインは、日本各地をまわり、最後の訪問地、九州の門司に滞在しています。 翌12月29日の船で帰路につきます。 (以下アルバート・アインシュタイン『アインシュタインの旅行日記』(草思社)より両日の日記を引用)


(『アインシュタインの旅行日記』2023年12月28日撮影)

 二八日。 雨模様の日。 門司の商業団体から晩に招待。 私はヴァイオリンを奏し、日本人は一人ずつ日本語で歌う。 財界の人がいる。 ずるがしこい。 〈ヨーロッパの〉(〈 〉内は消し線で消去)教授のように洗練されていないが、結局ヨーロッパ人に似ている。 ここでも作法は控えめ。

 二九日。 感動的な別れ。 山本夫妻、稲垣夫妻、桑木(幼い息子といっしょ)、石原、三宅、それから三井物産の男性陣。 全員が乗船。 すてきなプレゼント、土井(仙台、詩人)から詩と手紙が届いた。 午後四時頃出航。 船は大型で快適。 電気力学的エネルギー・テンソルを見つけたので、石原に手紙を書いた。

 アインシュタインは広島を経て12月24日九州・福岡に入って以来、相当疲れが出ていたようで、25日の日記には「私は死んでいた。遺体は門司に戻され、子供たちのクリスマス会場に運ばれ、子供たちのためにヴァイオリンを奏かなければならなかった…」とあります。 その後、29日の日記には、「(仙台、詩人)」とある土井晩翠からの詩と手紙に喜ぶ様子も書かれていました。

 11月17日の神戸上陸以降、長く続いた日本の旅、九州を発ち、次の寄港地上海へと向かう旅の途中(12月30日付)、土井晩翠への礼状が書かれています。 翻訳された晩翠の詩への感激と、アインシュタインの思う文明の考え方が長々と述べられていました。

12月29日(金)
 晴れ。

 午前0時を過ぎて、12月29日となりました。 今日を入れて、あと3日で今年もおしまいです。

 さて、ことしも「賢治の年賀状」のこと、恒例の「再掲」です。 賢治の年賀状の挨拶は「明けまして…、謹賀…、賀正」などいろいろとありますが、どうだったのでしょうか。 その辺りをまとめたものです。 資料をアップデートしたい箇所もあるのですが・・・、以下緑いろの通信(2007年1月1日号)より。

 新年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。 年賀状の挨拶文には、「謹賀新年」「賀正」「新春」などいろいろありますが、賢治についてはどうだったのでしょうか? 賢治の年賀状(新年の挨拶を含む書状含む。)について調べてみました。 差出先の不明な書簡を含めれば500通以上、その全体数からすればごく僅かですが、抜き出してその傾向をみてみました。 その結果は以下のとおりです。

賢治の年賀状
番号
日付
挨拶文
宛先
メモ
0
19100101謹賀新年安原清治葉書
2
19110101謹賀新年吉田豊治葉書
3
19120101恭賀新年吉田豊治葉書
13
19160101何んにも無い。みんな何でもないさうな。高橋秀松葉書
25
19170101去年中はいろいろ御世話になりましてありがたう存じます。保阪嘉内葉書
41
19180101謹賀新年保阪嘉内葉書
199a
19220101謹賀新年藤原隆人葉書
253
19300101謹賀新年冨手一葉書
290
19310101謹賀新年母木光葉書
291
19310101謹賀新正菊池武雄葉書
438
19330101謹賀新正浅沼政規葉書
439
19330101謹賀新正河本義行葉書
440
19330101謹賀新年菊池信一葉書
441
19330101謹賀新正高知尾智耀葉書
442
10330101謹賀新正母木光葉書
442a
19330101謹賀新年高橋忠治葉書
442b
19330101謹賀新年・・・藤島準八葉書
442c
19330101謹賀新正伊藤与蔵葉書
443
19330103明けましておめでたう存じます。斎藤貞一葉書
445
19330107明けましておめでたう存じます。菊池武雄封書・礼状冒頭の挨拶
446
19330116新年おめでたう存じます。詩人時代社(吉野信夫)封書・冒頭の挨拶

 まず、時期を見ると、1933(昭和8)年のものが圧倒的に多いことがわかります。 これは、賢治が亡くなった年であり、そのことが保存される動機付けとなったのかも知れません。 実際には、他の年にも書かれていたのではないかと思います。 表の「番号」とは整理上つけた書簡番号です。 全集編纂時に一度確定させた後、後から発見されたものに対しては a b c と枝番号のようにアルファベットが記載されています。 これは、その都度書簡番号をつけ直すと、取り扱い上混乱するためです。)

 次に、挨拶文の種類です。 一番多いのが「謹賀新年」で9通(書き出し文含む。)です。 次には「謹賀新正」で6通あり、時期をみると資料の上では、1931(昭和6)年以降に限られています。 そして「明けましておめでたう存じます。」が2通と続きます。 一般的な挨拶文としては「恭賀新年」「新年おめでたう存じます。」も該当しますが各1通に留まります。

 差出先では同一人物なのは「吉田豊治」「保阪嘉内」「母木光」「菊池武雄」の4氏で、各2通です。 その他、書簡13高橋秀松宛では年を誤り、書簡25保阪嘉内宛では名前を「保坂」と誤って書いています。 書簡446は、出版社への連絡事項の書き出しとして新年の挨拶を入れているため、1月16日という遅い日付になっています。 また、上記の表には入れませんでしたが、新年の挨拶文の他に記した内容としては、前年の礼、自身の病状の報告が多いようです。

 次の写真は、今年2023年1月1日早朝、ご来光を写した1枚です。 山の端からのご来光です。 例年のように濃紺の青空と鮮やかな雲の光を眺めることができました。

 今年の雪山はどのような景色をせてくれるでしょうか。 皆さまも良き新年をお迎えください。




「この1年お世話になりました」


(ここからは1月8日の事後更新分です)

12月30日(土)
 晴れ。

 都内は空気が乾燥して冷え込んでいます。


(浅草の朝 2023年12月30日撮影)

 新宿駅発の特急で上諏訪駅へ。 晴れて、だんだん明るくなってきました。 明日の天気は下り坂の予報。

 上諏訪駅に到着後、地元の方のお迎えで、駅併設のカフェで休憩。 こちらはちょっと暑いくらい。

 お決まりの諏訪湖畔の温泉宿の予約が取れず、今年は駅前のビジネスホテル。 どうせ夜寝るだけなので、経済的な宿も良し。 お決まりの蕎麦屋(小坂)へ。

 開店30分前に並んで、第1回目の入店に加わることができました。 今年の天ぷらもお蕎麦も良し。


(年越しそば 2023年12月30日撮影)

 食後は、上諏訪にある曾良(河合曾良:松尾芭蕉と「奥の細道」を歩いた人物)の生誕の地や、墓所を訪ねてみました。


(曾良生誕の地 2023年12月30日撮影)


(正願寺(曾良像) 2023年12月30日撮影)

 曾良生誕の地は、旧甲州街道沿いの麗人酒造駐車場付近、墓所も近くの正願寺というお寺となります。 正願寺には、新田次郎(藤原寛人)のお墓もあるそうですが、見つけられませんでした。

 地元では有名なリビルディング・センター(古道具・古材)のカフェでお茶の時間。 (「リビルディング・センター」はこちら


(リビルディング・センターにて 2023年12月30日撮影)

 古い町並みのウインドウに、懐かしいものを発見。


(「ザ・ビートルズ」のEP 2023年12月30日撮影)

 上諏訪の変光星観測者として知られる五味一明さんの床屋跡地も撮影しておきます。 五味新星の発見者として有名ですが、野尻抱影さんのエッセイにも登場・・・。


(五味一明理髪店跡 2023年12月30日撮影)

 夕食後、宿に戻り明日からの登山の準備。 山の気温は高めで、冬季閉鎖中の道路を歩いて行く方向で検討中。 但し、積雪状況によっては、車での移動も?

12月31日(日)
 晴れ。

 大晦日。 今年の最終日。 山での年越し6年目となります。

 今年は時間を繰り上げて6時に駅前のホテルを出発。 地元の方の自動車で、登山口まで移動することができました。 (例年、お世話になってばかりです)


(麦草峠にて 2023年12月31日撮影)

 山小屋のスタッフと高見石山小屋を目指します。 この麦草峠の標高は2,120mで、日本の国道で2番目に高い場所です。 少し吹雪いています。

 白駒池駐車場側の登山口から森林地帯に入り、約1時間ほどで山小屋に到着。


(雪だるま 2023年12月31日撮影)

 アイゼンを外し、ストックや登山靴に着いた雪を落として、薪ストーブで暖まった小屋内に入ります。 昨年に引き続き、コロナの影響で宿泊人数の制限をしているので、ゆったり。 雪は小降りの状態が続いています。

 山小屋で年越しをする例年のなじみのメンバーや、新たに参加する新メンバーなど、今年は20代〜30代の若手の方々が多いと思いました。

 夕方には年越しの会の料理(前菜)や、お酒の準備が進みます。


(年越しの会の準備 2023年12月31日撮影)

 小屋前で、今年最後の夕陽を眺めました。 樹々に間から太陽の光が差し込みます。

 夕食後の時間。 外は雪が降り始めました。 木村さんが液晶プロジェクタを投影しながら星のお話。

 今年も木村さんから依頼をいただき、「来年の天文現象」などのお話をしました。 年越しということで、普段より消灯時刻を繰り下げています。

 深夜、就寝の時刻となりました。 ではまた来年!



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緑いろの通信

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