「〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕」の創作 1927(昭和2)年5月7日
   

「〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕」の創作
1927(昭和2)年5月7日




『詩ノート』の中に「〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕」と題された詩があります。

『詩ノート』詩ノート 一〇五七 『〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕』
古びた水いろの薄明穹のなかに          
巨きな鼠いろの葉牡丹ののびたつころに      
パラスもきらきらひかり             
町は二層の水のなか               
 そこに二つのナスタンシヤ焔          
 またアークライトの下を行く犬         
  さうでございます              
  このお児さんは               
  植物会に於る魔術師になられるでありませう  
月が出れば                   
たちまち木の枝の影と網             
  そこに白い建物のゴシック風の幽霊      

  肥料を商ふさびしい部落を通るとき      
  その片屋根がみな貝殻に変装されて      
 海りんごの〔〕にほひがいっぱいであった    


むかしわたくしはこの学校のなかったとき     
その森の下の神主の子で             
大学を終へたばかりの友だちと          
春のいまごろこゝをあるいて居りました      
そのとき青い燐光の菓子でこしらえた雁は     
西にかかって居りましたし            
みちはくさぼといっしょにけむり         
友だちのたばこのけむりもながれました      
わたくしは〔遠〕い停車場の一れつのあかりをのぞみ
それが一つの巨きな建物のやうに見えますことから 
その建物の舎監にならうと云ひました       
そしてまも〔な〕くこの学校がたち        
わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の    
舎監に任命されました              
恋人が雪の夜何べんも              
黒いマントをかついで男のふうをして       
わたくしをたづねてまゐりました         
そしてもう何もかもすぎてしまったのです     
  ごらんなさい                
  遊園地の電燈が               
  天にのぼって行くのです           
  のぼれない灯が               
  あすこでかなしく漂うのです         

この詩のなかにはいくつか天体を思わせる記述があります。 順番にたどってみる前に、この日の宵の天体暦を確認してみましょう。

月の出   9時15分     
日の入  18時35分     
薄明終了 20時18分     

最初に「古びた水いろの薄明穹のなかに」とあります。 ここでいう薄明穹とは、「薄明のある天球」と理解すればよいと思います。 この言葉は、春と修羅 「風景とオルゴール」などにも出てできます。 「古びた水いろ」とは どのような色を指すのでしょうか?普通の水いろよりも濁った、あるいは黄ばんだ色なのでしょうか。
「パラスもきらきらひかり」という部分、パラスの名は四大小惑星の一つです。 元来はギリシャ神話の乙女の女神の名前によるもですが、賢治の表現では、その小惑星を視覚的にとらえているのではなく、 「きらきらひかり」という言葉からすれば、むしろ宵の明星、金星をさしていると思われます。 このことは宮沢賢治語彙辞典でもふれられていますが、 この日は、-4.0等の明るい輝きを放っていました。シミュレーション画面は日の入 70分後(19時44分)のものですが、明るい冬の1等星の中にあっても飛び抜けた輝きであったことがわかります。 余談ですが、この時の小惑星パラスは、東の空にある「かんむり座」付近にいて8.6等の明るさでした。
「町は二層の水のなか/そこに二つのナスタンシヤ焔」という部分、町が薄明の青や赤の色に包まれている様子を 「二層」としたのでしょうか。またそうだとすれば、「そこに二つのナスタンシヤ焔」とある部分も、 薄明の空にある天体として考察することができるかも知れません。桜田恒夫著「賢治のイーハトーブ植物園」によると、 ナスタンシヤ(nasturtium)は別名「金蓮花」という園芸植物で、その朱色の花を燃える焔(ほのお)に表現したもの とあります。これを手がかりに星空を探すと、ちょうど「火星」と「オリオン座」の1等星「ペテルギウス」 が赤い星として夕空に見えています。
「またアークライトの下を行く犬/さうでございます/このお児さんは/植物界に於る魔術師になられるでありませう」 という部分、一見するとまったく星とは無関係と思えます。 「アークライトの下を行く犬」を「おおいぬ座」とみるとどうでしょうか。 「おおいぬ座」この時間、西南西の空低い位置に見えています。 「おおいぬ座」には全天で最輝の恒星シリウスがあります。 「犬」の指す対象が、「このお児さんは」とすると、「植物界に於る魔術師になられるでありませう」との関連を、 賢治の使う遺伝学上の用語「キメラ(chimera)」と関連づけて考えると理解できると思われます。「キメラ」とは、 遺伝子の違う組織が結合して同一植物体に混在している現象で、まさに「植物界に於る魔術師」となるのです。 ではなぜ「犬」から「キメラ」を発想していたのでしょうか。これは、

犬→シリウス→天狼星→狼であった時代の本能や習性が宿る→キメラ

という発想の流れがあったと推測できます。
「月が出れば/たちまち木の枝の影と網」とあります。 この宵の空を見れば、この時間の月は月齢5.9で、もうすでに西の空に傾きだしていることがわかりますから、 ここでいう「出れば」という意味は「(東の空から)昇れば」という意味ではなく、 「(雲間などから)姿を見せれば」ということでしょう。 そして、「木の枝の影と網」というのは、月光による影がつくる明暗を表現していると思われ、 その模様の不思議な形から「そこに白い建物のゴシック風の幽霊」となったのでしょう。 「網」として比喩するのは、詩ノートの「〔暗い月あかりの雪のなかに〕」にも出てきます。
「その片屋根がみな貝殻に変装されて/海りんごの〔〕にほひがいっぱいであった」 という部分は、月との関連を考えると理解しやすいかも知れません。 月明りにより、屋根が白く見えた様子を「みな貝殻に変装されて」とし、 また、賢治は月からエステルの匂いを感じとっています(春と修羅 第二集「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」)から、 その代表的なものとして「りんご」の匂いを発想するのは、ごくあたりまえなことだったのでしょう。


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