「〔暗い月あかりの雪のなかに〕」の創作 1927(昭和2)年3月15日
   

「〔暗い月あかりの雪のなかに〕」の創作
1927(昭和2)年3月15日




『詩ノート』の中に「〔暗い月あかりの雪のなかに〕」と題された詩があります。この詩は 『春と修羅』第三集「〔鈍い月あかりの雪の上に〕」の下書稿(一)となるものです。 また同日付けの作品としては『詩ノート』に「〔こんやは暖かなので〕」があります。

『詩ノート』 一〇〇五 『〔暗い月あかりの雪のなかに〕』
暗い月あかりの雪のなかに                  
向ふに黒く見えるのは                    
松の影が落ちてゐるのだらうか                
ひるなら碧くいまも螺鈿のモザイク風の松の影だらうか     
やっぱり雪が溶けたのだ                   
あすこら辺だけあんなに早く溶けるとすれば          
もう彼岸にも畑の土をまかないでいゝ             
やっぱり砂地で早いのだ                   
毎年斯うなら毎年こゝを苗床と                
球根類の場所にしよう                    
その球根の畦もきれいに見えてゐる              
みちをふさいで巨きな松の枝がある              
このごろのあの雨雪に落ちたのだ               
玉葱とペントステモン行ってみよう              
あゝちゃうどあの十六のころの                
岩手山の麓の野原の風のきもちだ               
雪菜は枯れたがもう大丈夫生きてゐる             
なにかふしぎなからくさもやうは               
この月あかりの網なのか                   
苗床いちめんやっぱり銀のアラベスク             
ヒアシンスを埋めた畦が割れてゐる              
やっぱり底は暖いので                    
廐肥が減って落ち込んだのだ                 
ヒアシンスの根はけれども太いし短いから           
折れたり切れたりしてないだらう               
さうさうこゝもいちめん暗いからくさもやう          
うしろは町の透明な灯と楊や森                
まだらな草地がねむさを噴く                 
巨きな松の枝だ                       
この枝がさっき見たのだったらうか              
     昆布とアルコール                 
川が鼠いろのそらと同じで                  
南東は泣きたいやうな甘ったるい雲だ             
音なくながれるその川の水                  
     五輪峠やちゞれた風や               
ずうっとみなかみの                     
すきとほってくらい風のなかを                
川千鳥が啼いてのぼってゐる                 
     「いちばんいゝ透明な青い絵具をもう呉れてしまはう」
どこか右手の偏光の方では                  
ぼとしぎの風を切る音もする                 
早池峰は雲の向ふにねむり                  
風のつめたさ                        
     「水晶の笛とガラスの笛との音色の差異について」  
町は犬の声と                        
ここは巨きな松の間のがらん洞                
     風がこんどはアイアンピック            

『春と修羅』第三集「〔鈍い月あかりの雪の上に〕」の下書稿(一)となるため、 基本的には同じ風景を詩にしたものでしょう。 この詩に具体的な天体そのものは登場しませんが、「暗い月あかりの雪のなかに」 (『春と修羅』第三集では「鈍い月あかりの雪の上に」)とあるとおり、 月夜の晩であったことがわかります。 この晩の天文暦を調べると、

月の出  14時33分     
日の入  17時43分     
薄明終了 19時10分     
月南中  21時50分     

となります。シミュレートした画面は月が南中する21時50分の空です。この時間の月齢は11.7ですから、満月を3日 後に控えた明るい月が出ています。雪の降り積もった場所なら、大変明るい月夜の風景だったことでしょう。
月あかりの表現では「なにかふしぎなからくさもやうは/この月あかりの網なのか」 というのがあります。月あかりが雪の上に作る唐草模様を「網」として捕えた表現でしょう。実際にはどの ようなものなのでしょうか?
月のすぐそばにはしし座のレグルスが、また西の空には冬の星座の星ぼしが がまたたいていたことでしょう。


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