「自由画検定委員」の創作 1923(大正12)年10月15日
   

「自由画検定委員」の創作
1923(大正12)年10月15日




『春と修羅』補遺の中に「自由画検定委員」と題された詩があります。 この詩は、当初は『春と修羅』の中に収録される予定だったと思われますが、印刷原稿からはずされたという もので、筑摩版の校本全集では「補遺」として収録されています。

『春と修羅』補遺 『自由画検定委員』より抜粋
どうだここはカムチャッカだな          
家の柱ものきもみんなピンクに染めてある     
渡り鳥はごみのやうにそらに舞ひあがるし     
電線はごく大たんにとほってゐる         
ひわいろの山をかけあるく子どもらよ       
緑青の松も丘にはせる              

こいつはもうほんもののグランド電柱で      
碍子もごろごろ鳴ってるし            
赤いぼやけた駒鳥もとまってゐる         
月には地球照があり               
かくこうが飛び過ぎると             
家のえんとつは黒いけむりをあげる        

中略

お月さまからアニリン色素がながれて       
そこらへんは赤くなってゐる           
黒い三つの岩頸は                
もう日もくれたのでさびしくめいめいの銹をはく  
田圃の中には小松がいっぱいに生えて       
黄色なT字の大街道を              
黒いひとは髪をぱちゃぱちゃして大手をふってあるく

鳥ががあがあとんでゐるとき           
またまっしろに雪がふってゐるとき        
みんなはおもての氷の上にでて          
遊戯をするのはだいすきです           
鳥ががあがあとんでゐるとき           
またまっしろに雪がふってゐるとき        

青ざめたそらの夕がたは             
みんなはいちれつ青ざめたうさぎうまにのり    
きらきら金のばらのひかるのはらを        
といっしょによこぎって行く          
青ざめたそらの夕がたは             
みんなはいちれつ青ざめたうさぎうまにのり    

シミュレーションするためには、日時や場所といった情報が必要になりますが この作品には通常記録されている作品の日付が付されていません。 しかしながら全集の校異編には、その編集過程をまとめた記録が整理されてるので、次のように考えることができます。 当初この詩は清書原稿に収録されていましたが、第二段階の編集で、「過去情炎」の直後に位置していたこの 「自由画検定委員」がはずされ、「一本木野」「溶岩流」の二つが追加されています。 『春と修羅』(第一集)では、作品は日付順に整理されていますから、

「過去情炎」  1923年10月15日
「自由画検定委員」 (日付不明)  
「一本木野」  1923年10月28日
「溶岩流」   1923年10月28日

の並びから、10月15日〜10月28日の間に創作されたと推測することができます。
ここでは、10月15日の夕刻17時40分としてシミュレーションしてみました。この詩のなかで、宵空の「月」 が登場していますが、月の地球照についてふれています。 「地球照」という言葉は詩「東岩手火山」「函館港春夜風景」にも 登場する語で、月の闇の部分が地球の照り返しによりぼんやりと見えるものです。これは、月が細く大きく欠けている時が良く 見え、逆に満月に近い形の時ほど見ることが難しくなります。一般には半月より細い時期が観察の好機でしょう。
この日夕方の月齢は4.9です。まだ地球照を見ることができる月齢ですが、日を重ねるにつれ 見ることが難しくなります。そして、10月25日が満月ですから、もしこの詩の月に関する観察の記述が写実的であるとするな らば、15日か16日ごろが適当といえます。
直接は関連がないと思いますが、後半に出てくる、「うさぎ」「うま」「犬」などは星座にある 「うさぎ座」「こうま座(ペガスス座)」「おおいぬ座(こいぬ座)」などを連想させます。


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