小岩井農場まきば園・賢治ウォークに参加
   

「小岩井農場まきば園・賢治ウォーク」に参加


Kenji & Event

2000年5月21日 「小岩井農場まきば園・賢治ウォーク」に参加

夜明け


この春、念願が叶って、「5月21日という日」にやっと小岩井を訪れることができました。 というのは、賢治の作品「小岩井農場」の作品日付は、1921年5月21日となっていて、まさにその日にその道を歩くことができたからです。 今までに何度かそのコースを歩いてきましたが、今回は「賢治ウォーク」という小岩井農場まきば園のスタッフの方の詳しい解説付きでした。 今にも雨の降りそうな夜明けの花巻を出て、8時すぎに小岩井駅に到着しました。 駅からタクシーで小岩井農場へと向かい、まきば園で受付を済ませます。 受付で参加費を払うと、「案内地図」「小岩井農場の詩のプリント」「レストランの割引券」「まきば園の入園券」が渡されます。 まず、参加者はバスで小岩井駅へと向かいます。 (前の記録はこちらからどうぞ→1998年1月2日1998年5月5日1999年11月13日〜14日

☆小岩井農場のみちを歩く☆
   

小岩井駅
田沢湖線の小岩井駅です。 今から78年前の今日、(当時橋場線の)小岩井駅のこの場所から賢治の旅が始まりました。 その日の天気は曇り、作品に「わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた/そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ」とあるとおり、時には日も射す陽気だったようです。 賢治が駅に着いた時刻は10時54分でした。 今日も曇りですが、陽射しはなく今にも雨が降りそうです。

スタート
まきば園のスタッフの説明で、「賢治ウォーク」がスタートです。 駅前の当時の状況が、詩の本文にそって説明されます。 「あのオリーブのせびろなどは/そつくりをとなしい農学士だ/さつき盛岡のていしやばでも/たしかにわたくしはさうおもつてゐた/このひとが砂糖水のなかの/つめたくあかるい待合室から/ひとあしでるとき……わたくしもでる」 この部分では、「砂糖水」を実際に作って、「つめたくあかるい待合室」をイメージしてみて下さいと説明!思わず納得。

旧農場入り口
駅から、網張街道に出て、まっすぐな道を西へと進み、旧農場入口付近にさしかかったところです。 途中、七つ森の緑が遠くにきれいに見えました。 説明をしているのは、高山さんです。 以前、「まきばの天文館」にもいただけあって星にも詳しい方です。 「小さな沢と青い木だち/沢では水が暗くそして鈍つてゐる」そのままの雰囲気です。 ここからはしばらく未舗装で、賢治の歩いた70数年前とほぼ同じ風景が続きます。

旧育馬部付近にある大きな池です。 ここは、当時プールとして利用されていたそうです。 詩の中で、賢治は冬にここを訪れた時のことを回想していて、「冬にはこゝの凍つた池でこどもらがひどくわらつた」としています。 冬になると、氷ついて天然のスケートリンクとなっていたのですね。 昔は柵がなかったそうですが、子供がおぼれたため取りつけられたそうです。 また、池の水は付近の沢から引いているため、とても冷たいのだそうです。 (後日談2001年2月27日追加:最近の調査で、当時はこの池が存在していなかったらしいことが判明しました。 また新しい発見があるかも知れません。)

本部付近
旧本部付近です。 今は赤い屋根ですが、当時は柾葺き(木の板を薄く割って葺いたもの)、また建物も部分的に増築されたというお話がありました。 当時、この付近には桜が植えられていたそうです。 今では、となりの郵便局の横に老木が残っているだけだそうです。 木に近づいてみると、まだ花が少しだけ咲いていて、なんだか嬉しくなりました。

聖なる場所
車が激しく行き交う県道にでると、いかにも農場らしい起伏に富んだ風景が続きます。 賢治が「聖なる場所」と呼びたいと言っていたところです。 賢治は、「そのキルギス式の逞ましい耕地の線が」と言っています。 この辺りから雨がだんだん降ってきました。 四つ森の横を過ぎて、旧小岩井小学校の跡地へと向かいます。

旧小岩井小学校
旧小岩井小学校の跡地です。 まだ桜もいくつか花をつけていました。 つつじの花や野草も花をつけていてきれいです。 ここから農場の道を北上して四階倉庫へと向かいます。

四階倉庫
大きな木造の建物は、四階倉庫です。 現在では文化財の登録を受けています。 大正5年(1916年)に建てられた総木造の建物で、4階構造となっています。 写真は「賢治はこの建物を3階と思っていたようです。」と高山さんが説明しているところです。 今回、賢治ウォークということで、特別に建物の内部に入れてもらえることになりました。 普段は外からしか眺めることができませんが、今回はラッキーでした。

四階倉庫内部
写真は四階倉庫の4階部分です。 内部はとても広々としています。 作物を蓄える場所として使用されていたことや、エレベータで4階まで運ばれ、乾燥しながらだんだんと1階へと下ろされたことなどが説明されました。 作物を下の階へと下ろすために、床にはところどころ穴があいています。

4階からの風景
4階から県道付近を見た風景です。 ガラスが今のものと違い、ところどころ歪んでいて、でこぼこしています。 「小岩井農場」のパート1で、「ガラス障子はありふれてでこぼこ」という表現がありますが、これとぴったり一致するガラスを見ることができました。 付近の樹木がかなり伸びてしまいましたが、当時は木もまばらで、4階からの眺望はなかなかのものであったようです。 この倉庫は、賢治の文語詩などにも登場します。

おきなぐさ
四階倉庫から再び県道沿いに進み、天然の冷蔵庫の横を過ぎ、上丸牛舎の資料館の展示を見学して解散です。 資料館の前には、「小岩井農場」のパート1や、賢治の童話にも登場する見事なおきな草が植えられていました。 パート1の方では、「くらかけ山の下あたりで/ゆつくり時間もほしいのだ/あすこなら空気もひどく明瞭で/樹でも艸でもみんな幻燈だ/もちろんおきなぐさも咲いてゐるし/野はらは黒ぶだう酒のコツプもならべて/わたくしを款待するだらう」と書かれていて、賢治もおきな草を見るのを楽しみにしていたことがわかります。 この時間になると、雨も小降りとなり、だんだんと明るくなってきました。

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