ウェザーリポートとは誰のバンドだったのか?






    目次

  ■ウェザーリポートとは誰のバンドだったのか?
  ■ザヴィヌル実質リーダー説の検証
  ■ショーターとザヴィヌルの役割分担は?
  ■ジャコ・パストリアスの役割は?
  ■結論






■ウェザーリポートとは誰のバンドだったのか?


 ウェザーリポートというバンドはショーターのファンにとってはなんとも言い切れない感慨を抱かせる。
 ウェザーリポートはもともとマイルス・バンドを離れたショーターがザヴィヌル、ヴィトウスとともに三頭ユニットとしてグループを組んだものだが、当時の実績・知名度からすればどう見てもショーターの次の一歩だと思われたはずで、「ウェイン・ショーター・バンド」とは名乗らず「ウェザーリポート」というグループ名にしたとしても、「集団即興」というコンセプトを生かすために三頭グループとしたにしても、ついにショーターが自己のバンドを作ったと思われたはずだ。そして初期には確かにショーター色の濃いアルバムを発表していた。
 しかしヴィトウスが抜けてザヴィヌルとの双頭バンドとなった70年代半ばあたりから徐々にザヴィヌルの影響力が強くなり、ショーターの影は薄くなって、いわばザヴィヌルにバンドを乗っ取られてしまったと見るのが、従来の一般的な見方だ。
 実際じつに多くの場所でウェザーリポートの実質的なリーダーはザヴィヌルであったかのように書かれているのを見かける。(しかも誰が見てもまだショーター色の濃かったはずの初期の作品についてまでそう言われたりする)
 しかし、ぼくはこの説にはかなり以前から疑問をもってきた。
 そう思い始めたきっかけは、ウェザーリポートの最後の2枚のアルバムである。よく知られていることだが、ウェザーリポートは末期にはほんとうにザヴィヌルがリーダーのバンドとなり、最後はショーターが抜けるかたちで幕を閉じた。そのため、この最後の2枚のアルバムはザヴィヌル色濃厚である。
 さて、ほんとうにザヴィヌルがリーダーであったならザヴィヌル色濃厚な最後の2枚は、これまでのウェザーリポートのアルバムと比べても等価か、それ以上の内容をもったものと評価されるはずだ。が、このウェザーリポート最後の2枚のアルバムは、誰もがザヴィヌル色が強すぎるためウェザーリポートの最低作だと認める作品である。なぜそんな評価なんだろうか。
 そもそもショーターの影が薄い、ザヴィヌルが実質的なリーダーだといいながら、最後の2枚はザヴィヌル色が強すぎるが故に凡作だというのはあきらかに論理矛盾だ。中学生程度の思考能力があればこんなことは書けないはずだ。しかしそんなことを平気で書いているジャズ評論家ばかりが多いように感じるのはなぜだろう。
 さらにいえば、ウェザーリポート解散前後から発表されはじめたザヴィヌルのソロ作、つまり『Dialects』やザヴィヌル・シンジケートのアルバムは、確かにそれなりに完成度の高いアルバムだとは思うのだが、ウェザーリポートとはジャンルの違う音楽だと思う。つまり、ウェザーリポートは実は狭義のフュージョンではなく、エレクトリック楽器を使ったジャズだという評価を得ていたバンドであり、だからこそ当時流行の凡百のフュージョン・グループとは違った特別な存在だといわれていたグループだった。しかし、ザヴィヌルのソロになってからの音楽はあきらかに狭義のフュージョンであり、ジャズのもつスリリングな緊張感はのぞむべくもない。
 一方、ウェザーリポートの末期から発表されはじめた『Atlantis』(85) をはじめとするショーターのソロ作は、ショーターがウェザーリポートとは違うサウンドを目指したものであり、確かに様々な違いはあるのだが、エレクトリック楽器を使ったジャズという点では全盛期ウェザーリポートと同じジャンルの音楽であり、ザヴィヌルのソロ作やウェザー末期のアルバムのように狭義のフュージョン化していない。
 本当にザヴィヌルがウェザーリポートの実質的なリーダーだったというのなら、いったいなぜこのようなことがおこるのだろう。
 もし双頭リーダーのグループが分裂してそれぞれにソロ活動を始めた時、一方のソロ作からはそのグループの本質的な魅力が失われ、もう一方のソロ作にはそのグループの本質的な魅力が充満しているとしたら、そのグループの魅力を充満させたソロ作を発表しているほうが元のグループの実質的リーダーだったと見るのが自然ではないか?
 ではウェザーリポートはずっとショーター中心のグループだったのか? それにしてはスタジオ録音のオリジナル・アルバムを聴くかぎり、特に70年代半ばあたりからショーターの出番が少なくなってるように感じる。これはどうしてなのか?
 いっぽうライヴ盤を聴くとショーターの出番は多い。しかし "In a Silent Way" や "Waterfall" などウェザーリポート以前〜初期のいかにもザヴィヌル的な曲がかなり後までライヴのレパートリーになっていたことがわかるが、ショーターの旧曲はレパートリーにしていない。これはなぜか?
 いままでいろいろなウェザーリポート関係の文章を読んできたが、少なくともぼくが読んだ限りのものはそのような疑問に答えていない、というより、答えようとすらせず、何も考えていないように感じていた。そこでここではこの点について考えてみよう。




■ザヴィヌル実質リーダー説の検証


 ではそもそもザヴィヌルがウェザーリポートの実質的なリーダーだったという説はいつごろから、どんな根拠で出てきたものなんだろうか。その点を考えていってみよう。

 まず、いつからという点から見てみよう。
 ザヴィヌルが実質的にリーダーだったことはウェザーリポート解散後にわかったと書いている文章を見かけたことがあるが、これは間違いだ。
 ぼくは最初にウェザーリポートを聴きはじめた時、安価であるという理由で中古のLPで集めていったのだが、ウェザーリポートのアナログ盤リリース当時の日本盤ライナーノーツを見ると、岩浪洋三という人がごく初期のアルバムからザヴィヌルがリーダーだと何度も繰り返して書いている。
 ザヴィヌル・リーダー説はウェザーリポートの活動のかなり早い段階からあり、このような活字メディア、ジャーナリズムの側から広がっていった説と思える。

 では、そもそもそのような説が出てくる根拠はどこにあるのだろうか。
 まず、考えつくかぎりの理由を書き出してみる。


1、ザヴィヌル本人がインタヴューでそう言っている。

2、ウェザーリポートの人間関係上のリーダーシップ、バンドのメンバーの選定などはザヴィヌルが行っていたようである。また、メンバーのクレジットでもザヴィヌルの名前がたいてい先にくる。

3、ウェザーリポート解散後ザヴィヌルが中心になって、ショーターを含まないメンバーを集めて『ウェザーリポート』とか、それに似た名前のバンドを組み、演奏活動を行っている。

4、ウェザーリポートのアルバムは一貫してザヴィヌルがプロデューサーとしてクレジットされている。

5、アルバムの冒頭1曲目など、目立つ位置にあるのはたいていザヴィヌル作の曲であることが多い。

6、ウェザーリポートの作品では、それ以前のショーターのソロ作に比べて、ショーターのサックスの出番が少ない。長く密度の高いソロが見られない。

7、総じてウェザーリポートの曲は、ザヴィヌルが作曲した曲のほうがずっと多い。

8、ウェザーリポートの音楽はショーターの60年代の音楽とそれほど似ていない。


 と、これらがぼくが思いつくかぎりでの、ザヴィヌル・リーダー説が出てくる理由だ。 しかし個人的にはあまり理由にならない理由も多いように思う。まずそこから見ていってみよう。

 まず「1、ザヴィヌル本人がインタヴューでそう言っている」という点だ。
 共同作業で作品が作られている場合、その共同作業で各人がどのような役割を果たしているのか、外部からはなかなか推し量ることができない。だから当事者の発言が重要視され、ザヴィヌルの発言からウェザーリポート=ザヴィヌル・バンド説が出てきたのかもしれない。
 しかし、ぼくの経験で言わせてもらえば、共同作業の場合、その当事者の話ほど信用できないものはない。
 人は自分がしている作業の重要性は理解しているが、他人の果たしている役割の重要性に気づかないことが多いからだ。これはたまたまその人が自己中心的だからという理由ではない。たいがいの場合、共同作業のなかで人はそうなるものだ。
 それに元来ザヴィヌルという人は自己顕示欲の強い人で、自分の手柄を多めに見積もって言うところがある。自分と袂を分かったバンドの元メンバーをボロクソにケナすという性癖もある。いっぽうショーターという人は控えめな性格らしく、自分の手柄を強調しない。こういった性格の2人が長いあいだ同じグループにいると、ザヴィヌルの発言がだんだん増長してくる理由もわかるような気がする。それはザヴィヌルの性格の欠点ともいえないだろう。
 では、共同作業で互いがどんな役割を果たしてきたか、それが一番よくわかるのはどこか。それは個々のソロ・ワークを見るのが一番だ。人はいなくなって初めてその存在の大きさがわかる。共同作業で作った作品と比べた時、ソロ作で何か欠けた部分があるとしたら、それが共同制作者が果たしていた役割だと考えていい。(くわしくは次章で扱う)

 つづいて、
「2、ウェザーリポートの人間関係上のリーダーシップ、バンドのメンバーの選定などはザヴィヌルが行っていたようである。また、メンバーのクレジットでもザヴィヌルの名がたいてい先にくる」
「3、ウェザーリポート解散後ザヴィヌルが中心になって、ショーターを含まないメンバーを集めて『ウェザーリポート』とか、それに似た名前のバンドを組み、演奏活動を行っている」
 という2点について見てみよう。
 これはザヴィヌルがウェザーリポートにおいて人間関係上のリーダーシップをとり、まとめ役となっていたということを意味している。
 これは多分その通りなんだろうと思う。ショーターという人は面倒なことは他人まかせにしたがる所がある人のようだ。いっぽうザヴィヌルという人は仕切り屋というか、まとめ役を買って出ても人間関係の中心にいたがるタイプのように思える。そこでこのような役割分担になったのだろう。メンバーのクレジットでもザヴィヌルは自分の名前が最初に出ることにこだわるタイプであり、ショーターはそんなことにこだわらないタイプに思える。
 しかし、メッセンジャーズの例を見ればわかるとおり、人間関係上のリーダーシップということと、音楽的なリーダーシップということとは違う。ザヴィヌルがグループのまとめ役だからといって、ザヴィヌルの音楽性がより強くウェザーリポートに反映されていたとは必ずしも言えないのではないか。
 しかし、「3」の項目に関していえば、結局ウェザーリポート解散後のザヴィヌルは、ウェザーリポート時代の名声の遺産を利用してやっていくしかないような面があるようで、少し可哀想になる。
 もし本当にザヴィヌルがウェザーリポートの中心であり、単独でも優れた音楽を次々に作り出していくことができるなら、むしろ解散後にウェザーリポート時代に築いたものなんて断ち切って、新しい音楽の創造へと進んでもいいはずではないか。

 つづいて、
「4、ウェザーリポートは一貫してザヴィヌルがプロデューサーとなっている」
「5、アルバムの冒頭1曲目など、目立つ位置にあるのはたいていザヴィヌル作の曲であることが多い」
 の2点について考えてみよう。
 これはウェザーリポートのアルバムのスタジオ作業の部分がザヴィヌル中心に行われていたということを意味している。
 これは別項でも書いたが、ウェザーリポートでショーターとザヴィヌルの間での役割分担の一つだったようだ。ショーターはあまりスタジオ作業が好きではなく、緻密なスタジオ作業はザヴィヌルに任せ、そしてショーターはザヴィヌルがスタジオ作業において自分が目立つように多少スタンドプレーをやっても、ゆるしていたようである。
 曲順の他にもザヴィヌルは、例えばミキシング時に不必要なまでにザヴィヌルのパートのボリュームが大きくしたり、他のメンバーのソロにザヴィヌルがオーバーダビングで自分の演奏を被せ、アンサンブルで演奏したように加工したりしていたようで、スタジオ盤を注意深く聴くとそのことがわかる。

 ここまでの5点の理由についてはあまり意味のない理由、ウェザーリポートの音楽性とは直接関係のないものだといえる。

 つづいて、
「6、ウェザーリポートでは、それ以前のショーターのソロ作に比べて、ショーターのサックスの出番が少ない。長く密度の高いソロが見られない」
「7、総じてウェザーリポートの曲は、ザヴィヌル作曲による曲のほうがずっと多い」
 の2点を考えてみよう。おそらくこのへんが音楽的に見たときにショーターの影が薄く感じられる理由だと思う。このへんは少し詳しく考えてみよう。

 まずウェザーリポートでは、それ以前のショーターのソロ作に比べて、ショーターのサックスの出番が少ない。長く密度の高いソロが見られないという点。
 確かにそのように思える。これには主に2つの理由があると思う。
 まず第一に集団即興というコンセプトをとっているためである。集団即興という考え方は従来のジャズの「個々のプレイヤーが、自分の番が回ってきたときに長く密度の高いソロをとり、順番にソロを交代していくことで一曲が終わる」という方法ではなく、各楽器の対話のなかから音楽が生まれてくるという考え方だ。したがって長く密度の高いソロをとることは必要ではなく、むしろ短いソロの応酬、さらには一音だけのショーターの音が曲全体にどのように影響を与えていくかを聞き取るべきなのだ。この点、詳しくは別項で書く。つまり長く密なソロをとらなくなったことは、ショーターのアドリブに対する方法論の変化だといえる。
 そうだとしてもとくに70年代半ば以後のウェザーリポートではショーターの出番が少ないのではないかと思う人も多いだろう。
 それはスタジオテイクのオリジナル・アルバムばかり聴くからではないだろうか。先述した通り、ウェザーリポートではスタジオ作業はザヴィヌル中心に行われるという役割分担がなされており、たしかにスタジオ盤はザヴィヌルの色が強いように思える。しかしライヴ盤を聴くとショーターの存在感がずっと大きいことがわかる。
 つまりショーターの出番が少ないように見えているのは、実はザヴィヌル中心に製作されたスタジオ盤だけでのことであって、そのスタジオ盤だけを聴いてウェザーリポートを判断するので誤解が生じるのではないだろうか。
 ウェザーリポートのスタジオ作業が特に緻密になっていくのは『Mysterious Traveller』(74) 以後であり、これは従来ザヴィヌルがウェザーリポート内で強い影響力を持ち始めたといわれていた時期と符号する。実際はザヴィヌルが強い影響力を持ち始めたのはウェザーリポート内ではなく、スタジオ内だったのではないか。

 つづいて「ウェザーリポートではザヴィヌル作曲による曲のほうがずっと多い」という点について。
 確かにウェザーリポートのアルバムでの作曲者のクレジットを見るとザヴィヌルの作曲とされている曲のほうが圧倒的に多いのだが、だからといってウェザーリポートがザヴィヌル中心のグループだったといえるだろうか。
 これはそうとはいえないようだ。という理由にはウェザーリポートというグループでの作曲のあり方がある。
 これは『Mr.Gone』を聴くと典型的にわかるのだが、ウェザーリポートの曲はザヴィヌル作の曲だからザヴィヌル色が強い、ザヴィヌル中心の曲というわけではない。ザヴィヌル作の曲でもショーター色の方が濃く感じられたりする。
 ウェザーリポートの曲はそれぞれの作曲者がすべて仕上げるという形ではなく、ライヴで何度も演奏される中で共同制作の形で完成されていったらしい。そのため、ザヴィヌル作・ショーター作というより、ウェザーリポートというグループが作った曲という傾向が強い。
 また、ウェザーリポートだけを聴いていると非常に多作のように思えるザヴィヌルだが、ウェザーリポート結成以前、解散後を見るとザヴィヌルはむしろショーターに輪をかけたように寡作な人である。ザヴィヌルがあのように多作だったのはウェザーリポート時代だけだ。
 なにかこのあたりにもウェザーリポートというグループでの作曲のありかたを示す秘密がありそうだ。

 つづいて「8、ウェザーリポートの音楽はショーターの60年代の音楽とそれほど似ていない」という点。
 ぼくは、これが理由としてかなり大きいのではないかと思っている。たしかにウェザーリポートの、とくに70年代後半以後の音楽はショーターの60年代の音楽とは似ていない。このショーターの作風の変化がソロ名義の時ではなく、ウェザーリポートというバンド名義で作品を発表している中で起きたために、ファンはショーター色が薄れたと思ったのではないか。
(実際はウェザーリポートの70年代後半以後の音楽は、ザヴィヌルの60年代の音楽とは似ていないのだが、ファンも評論家も、ウェザーリポート以前のザヴィヌル作品はそれほどよく聴いてなかったのだろう)
 しかし注意深く見ていけば70年代後半のウェザーリポートの変化はショーターの『Native Dancer』を起点にして起きていることがわかる。ウェザーリポート全体の音楽とショーターの音楽との差も、もう少し丁寧に見ていく必要があると思う。

 さて、以上のように見てきても、やはりザヴィヌル・リーダー説はあまり根拠がないものにみえる。
 アテにならない活字情報ばかり探っていても理解は深まらない。ここは余計な情報は一度ゼロに戻して、音楽そのものを聴くことでウェザーリポートがどのようなグループだったのか探っていったほうがいいだろう。
 ウェザーリポートでのショーターとザヴィヌルの共同作業がどのようなものだったのかは、個々のソロ作とウェザーリポートのアルバムを聴き比べながら見ていく作業によってこそ見えてくる筈だ。次はそれを見ていく。




■ショーターとザヴィヌルの役割分担は?


 さて、以上のことを踏まえた上で、改めてウェザーリポートにおけるショーターとザヴィヌルの仕事(役割)を見直してみよう。
 ウェザーリポートで誰が実質的な音楽的リーダーシップをとってきたのか、それを知るにはこれまで見てきたとおり、ザヴィヌルの発言や活字メディアからの情報はあまり参考になりそうもない。見るべきは、個々のソロ・ワーク。ウェザーリポートの途中や前後のソロ・アルバムだろう。
 先述したように、人はいなくなって初めてその存在の大きさがわかる。共同作業で互いがどんな役割を果たしてきたか、それを知るには個々のソロ作品を見るのが一番だ。単独作で何か欠けた部分があるとしたら、それが共同制作者が果たしていた役割だと考えていい。
 とはいえ、ザヴィヌルという人の本音の部分は実はショーター以上にわからない部分がある。ザヴィヌルは71年にウェザーリポート結成した後、85年の『Dialects』まで1枚もソロ作を作っていないからだ。85年頃にはウェザーリポートは事実上終わっていたことを考えれば、実はザヴィヌルはウェザーリポートの期間、ショーターを離れてソロ作を作ったことが一度もなく、当時ザヴィヌルは単独ではどのような音楽を作ろうとしていたのかはわからないことになる。
 しかし、ウェザーリポートももう既に活動していた期間より解散後の期間のほうがだいぶ長くなった。ウェザーリポート結成前、解散後の活動にザヴィヌルという人の音楽はすべて現れていると想定して考えていこう。

 ウェザーリポート、ショーターとザヴィヌルそれぞれのソロ作を比べてみた時、どんな違いがあるだろうか。
 まず気づくことは(先述したが)ザヴィヌルの単独リーダー作には、ジャズ的即興演奏のスリリングさ、緊張感がまったく欠けているという点だ。
 ウェザーリポートを評する言葉として、これはフュージョンではなく、ジャズである……というのがある。この場合ジャズとは「演奏者のインプロビゼーションによる真剣勝負の音楽」といった意味で、単に聴いてて気持ちのいいBGM的音楽を目指したフュージョンとは違うんだぞ、と言いたいわけだ。エレクトリック楽器を使ってはいても、ウェザーは真剣勝負のジャズなんだぞ、と。
 ザヴィヌルの単独リーダー作は、その意味でいって、明らかにフュージョンである。つまりバンド形式の演奏であっても、ジャズ的な真剣勝負のスリリングさはスッパリ抜け落ちている。
 ここでまず、ショーターがウェザーリポートで果たしていた役割、ショーターが抜けると何が失われるのかがよくわかる。

 さらにもう一つ、これも似た事かもしれないが、ザヴィヌルのソロ・リーダー作には、例えばザヴィヌル・シンジケートなどバンド・スタイルによる演奏であっても、対話性のある演奏がないことだ。
 ザヴィヌルという人、オーストリアで生まれ、クラシックの音楽教育を受けていたただけあって、発想の根本的なところが案外クラシック的なのだ。個々の演奏者主体で演奏するのではなく、作編曲者が演奏全体をコントロールし、音楽を構築しょうとしすぎてしまうきらいがある。
 ウェザーリポートではショーターはザヴィヌルが構築した音楽を崩しながら開いていったが、単独リーダー作では構築物のまま閉じてしまう。そのため(ある種の完成度は出ても)ジャズ的なスリリングさ、緊張感は生まれにくい。

 いっぽう、ザヴィヌルのソロ作にあって、ショーターのソロ作にないのは、第一に陽気でファンキーなリズムだろう。
 たしかにショーターもメッセンジャーズ時代にはファンキーな曲も積極的に作ってきたし、ウェザーリポートに見られるパーカッションの使用法はむしろショーターの『Super Nova』あたりに起源が見られる。が、『Super Nova』のパーカッションには陽気なファンキーさはないし、メッセンジャーズを離れて以後のショーターがファンキーさを自分のアルバムで追求したような気配はない。

 また、ウェザーリポートで編曲構成部分を担当したのはザヴィヌルだという説があるのだが、これはそうとばかりは言えない。
 ショーターもまた60年代から編曲者として参加したアルバムもあり、編曲の構築美というのは両者の作品に見られる。
 特徴的なのは『Mysterious Traveller』(74) 以後のウェザーによく見られる、一曲の途中で展開があって表情が変わっていくような、いわばストーリー的な展開を持つ曲、(『Live and Unreleased』のライナーノーツでのショーターの言葉によれば)「音楽的冒険物語」といったタイプの曲は、ザヴィヌルのソロ作にはなく、ショーターのソロ作のみにふんだんにある。たぶん、このような曲作りはショーターのセンスなのだろう。ウェザーリポートの曲では、ザヴィヌルはじめショーター以外のメンバーの作の曲にも、このような展開が見られるものも多く、それらの曲にはやはりショーターが何らかの影響力を発揮していたと考えられる。
 一方、ザヴィヌルが得意としていたのは多人数による構成的なサウンド作りである。そのためザヴィヌルが力を発揮した『In a Silent Way』、『Bitches Brew』、『Zawinul』はすべて10人前後の多人数による演奏になっている。しかしウェザーリポートは原則的に5人、もしくは4人による演奏となる。それはウェザーリポートが集団即興をコンセプトとしていたからである。集団即興を行うにはグループ内の一人々々のメンバーがどんな音を出しているかを聴きとれなければできないが、グループの人数が増えすぎると、全員の音を聴きわけることが困難になり、集団即興は難しくなるからだ。しかし多人数による構成的なサウンド作りを得意とするザヴィヌルとしては、このような編成は腕がふるいにくいものであっただろう。
 それでももちろんザヴィヌルがウェザーリポートの編曲構成の重要な部分を担ったのは、それはそれで確かなんだろうが、同時にショーターもまた、ウェザーリポート全体の曲の編曲構成に、かなりの役割・影響力を持っていたと考えざるをえない。

 また、イマジネーション、音楽の向こうに見える風景という点から見ていくとどうだろうか。
 多くの人が指摘するように、ダークで神秘的な世界、宇宙的、SF的イメージ、ファンタジックな要素はショーターのソロ作のみに見られ、ザヴィヌルのソロ作には全く見られない。
 ザヴィヌルは『Zawinul』(71) での北欧の森深くの冬のような牧歌的な世界から、南国の楽しげな雰囲気、そしてアフリカまで、基本的に美しい大自然の中の世界にいる、地に足のついたイマジネーションをもつ、文字どおりアーシーな人である。
 一方ショーターにも『Native Dancer』に代表されるような南国的な光に満ちた世界のイマジネーションはあって、混同しやすい。見分けるポイントを言えば、ショーターはよりブラジル指向であり、ザヴィヌルはよりアフリカ指向である。
 基本的にウェザーリポートのダークで神秘的な夜の音楽の部分、宇宙的、SF的イメージの部分はショーターのイマジネーションが音楽化された結果であり、南国的な明るいイメージの部分はショーター、ザヴィヌル両方のイマジネーションが混じっていると考えられる。
 個人的には70年代半ばからの南国的なイメージへの変化は、『Native Dancer』を起点に変化が始まっていることと、それ以前のザヴィヌル作品には南国的な内容がないことからショーター主導による変化であり、それにザヴィヌルが対応したのではないかと思う。しかし、『Mr.Gone』で一度ダークな世界に戻ってから80年代にかけて明るめの作品が出てくるのはザヴィヌルの意向もある気がする。もっとも『Atlantis』もわりと明るめのイメージなので一概にはいえない。『Atlantis』とザヴィヌル・シンジケートの作品との差から、どのへんがショーター的でどのへんがザヴィヌル的か見てみるのがいいだろう。
 いっぽう完全にザヴィヌルのイマジネーションが音楽化されたといえるのは北欧的な印象の曲、例えば1st に入っていた "Orange Lady"や"Waterfall" 等だろう。しかし、こういった曲はセカンド・アルバム以後ほぼ姿を消し、 "Jungle Book" など少数の例外があるのみである。
 ライヴ盤を聴くと "In a Silent Way" や "Waterfall" などウェザーリポート以前〜初期のザヴィヌルの曲がかなり後までレパートリーになっていたことがわかるが、これはザヴィヌル的なイマジネーションを残しておこうという配慮なのかもしれない。一方ショーターのイマジネーションからは次々に新しい曲が生まれているので、ショーターの旧曲はとりあげる必要がなかったのだろう。

 さて、そのイマジネーションを具体化するサウンドの多彩さという点に関してだが、おもしろいことにショーターのソロ作もザヴィヌルのソロ作も、サウンドの多彩さという点に関してはウェザーリポート時代に劣るように思える。
 これはおそらく、ウェザーリポートではショーターの多彩なイマジネーションをザヴィヌルがシンセサイザーを使って表現するという共同作業が行われていたからではないだろうか。つまり、ウェザーリポート解散後のショーターはイマジネーションはあってもそれをシンセでサウンド化することは得意ではなく、サウンドの多彩さが薄れ、やがてオーケストラによるサウンド表現へと向かった。そしてザヴィヌルはサウンドを作り出す技術はあってもショーターのような多彩なイマジネーションがないので、わりと単調なサウンドにとどまってしまったのではないのか。

 こうして見ていくと、ウェザーリポートの音楽、その内でのショーターとザヴィヌルの役割分担とは、音楽的なイマジネーションや世界観、スリリングで迫力のある即興演奏、対話性の部分をショーターが担当し、ショーターの音楽的イマジネーションをサウンド化して曲ごとの色づけや肉づけしていくなど実務的・補助的な部分をザヴィヌルが担当して出来上がっていたように思える。

 また、ウェザーリポートの人間関係上のリーダーシップはザヴィヌルがとり、参加メンバーの選定などもザヴィヌルが行っていたと思われることは先述した。ではウェザーリポートのメンバー編成にはショーターの意向が反映されていなかったのだろうか。このことも考えてみよう。
 いったいウェザーリポートはメンバー編成上、どのような点に特徴があったバンドなんだろう。
 まず気づくことはギターリストがいないことだ。エレキ・ギターは60年代後半に大幅に機能が向上し、70年代のフュージョン・シーンにおいては花形楽器になる。ジョージ・ベンソン、ラリー・コリエル、ジョン・マクラフリン、リー・リトナー、パット・メセニー等スター・プレイヤーも次々に登場したし、当時の主だったグループ、マイルス・バンド、クルセイダーズ、リターン・トゥ・フォーエヴァー、ブレッカー・ブラザーズ……などを見てみれば、どれもメンバーにギターリストがいる。しかしウェザーリポートの場合、ついに最期までギターリストの参加はなかった。
 どうもショーターは60年代後半に機能アップして以後のエレキ・ギターのキィーン……という音があまり好きでないらしい。ウェザーリポート解散後のソロ作でもギターを使用していないし、『Super Nova』三部作では使用しているが、これは機能アップする前のエレキ・ギターの音だ。一方、ザヴィヌルはウェザーリポートが解散すると、さっそくギターリストをバンドに加入させている。ウェザーリポートにギターリストが最期まで参加しなかったのは、ショーターの意向ではないか。

 また、ウェザーリポートのメンバー編成は5人が基本で、4人の時期もあったが、5人以上に増えることはなかった。
 70年代のマイルス・バンドはレギュラー・メンバーは7人くらいが基本で、時には9人まで増員されたし、スタジオ盤ではもっと増える。チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーは5人で出発したが最後は10人に増員する。ブレッカー・ブラザーズはデビュー作で8人……と見ていくと、ウェザーリポートの一貫したメンバーの少なさが目立つ。
 フュージョン・グループのメンバーが増える傾向があるのは、サウンドの厚みと多様性を重視するからだろう。そして、先述したがザヴィヌルもまた多人数での構成的なサウンド作りを得意とする人であり、『In a Silent Way』、『Bitches Brew』、『Zawinul』は10人前後の多人数で演奏されている。ウェザーリポート解散後もザヴィヌル・シンジケートでも、オリジナル・メンバー6人の他に多数のボーカリストを入れてサウンドを作り上げているし、特に多人数を使った『My People』(96) が特にデキがいい。
 しかし、ウェザーリポートはもっとも編曲を重視した時代であっても、メンバーを5人以上に増やすことはなかった。
 バンドのメンバーが増えることのデメリットは、人数が増えすぎると集団即興がやりにくくなるという点であり、つまりウェザーリポートは実は70年代のマイルスのバンド・サウンド指向を受け継いではいなく、キャリアを通じてやはり集団即興を重要なコンセプトとしていたことを表している。
 しかし、ザヴィヌルはウェザーリポートの前後のソロ作を見ればわかるとおり即興演奏へのこだわりの乏しい人であり、集団即興はウェザーリポートでしかやっていない。一方ショーターはというと、一貫して即興演奏性にこだわってきたし、『Super Nova』以後のソロ作ではワン・ホーンにこだわってきたし、集団即興を重視する場合は(『Footprints Live』など)バンドの人数を減らしている。
 ウェザーリポートが最初から最後までワンホーンであり、人数を少なく抑えて集団即興にこだわったのは、ショーターの意向だったと見ていいのではないか。


 ザヴィヌルのキーボードの奏法は、チック・コリアや、特にハービー・ハンコックの奏法と比べるとよくわかるのだが、スリリングなソロをとるというよりは、シンフォニックで分厚いサウンドを響かせることを特徴としている。
 鍵盤楽器奏者にいわせると、ピアノとオルガンというのは別の楽器だそうで、打鍵の強弱によってニュアンスがだせるピアノと、強く叩こうが弱かろうが同じ音が出るオルガンとでは、演奏するには別の技術が必要になるのだそうだ。そして、シンセサイザーというのはオルガンと同じ奏法をする楽器であり、ピアノと同じ奏法をするのはエレクトリック・ピアノということだ。
 その意味でいうと、少なくとも70年代半ばにシンセを使い始めて以後のザヴィヌルはオルガン〜シンセサイザー系の鍵盤楽器をより得意とする奏者であり、ピアノに本領があるハンコックやチックとの違いが出る気がする。
 そして、ザヴィヌルがシンセによって分厚いシンフォニックなサウンドを響かせ始めて以後の、70年代半ば以後のウェザーリポートの演奏は、クラシックでいえば協奏曲に近いかんじのものになっていった気がする。
 つまり、ウェザーリポートにおけるザヴィヌルの役割は、初期におけるショーター、ヴィトウスと対等なソロ奏者という役割から、ウェザーリポートのオーケストラ担当といった役割に変化し、ソロ奏者(ショーター)とオーケストラ(ザヴィヌル)の共演という役割分担ができてきたのだと思う。それがもともとクラシックに造詣が深く編曲能力に秀でたザヴィヌルの資質と合っていたのだと思う。
 ショーターもメッセンジャーズを小型オーケストラにしようと三管編成にするなど、もともとシンフォニックなサウンドに対する指向をもっている人であり、そのために二人の方向性が合ってウェザーリポートが長続きすることとなったのだろう。
 いわば、ショーターがザヴィヌルに求めた共同制作者の役割というのも、そう考えると理解できる。




■ジャコ・パストリアスの役割は?


 さて、ここでショーター、ザヴィヌルから離れて、ジャコ・パストリアスのウェザーリポートへの影響、ウェザーリポートにとってジャコはどのような存在だったのかを見てみたい。というのも、ジャコを過大ぎみに評価する人々によれば、ジャコがウェザーリポートを大きく変えたとか、しまいにはウェザーリポートはジャコのバンドだったようなことを言い出すような気風さえ見えるからだ。
 いったいサイドマンとしてグループに途中参加したミュージシャンがグループに大きな影響を与えることはあり得るのか。もちろんあり得る。だとするとそれはどのようなかたちになるのだろうか。それはショーターのメッセンジャーズやマイルス・バンドでの活躍を見ればわかる。
 それは、そのミュージシャンがバンド内で影響力を持っていく過程で、バンドの音楽の方向性自体が大きく変化を遂げ、そのミュージシャンがそのバンドを離れる、あるいは影響力を失う過程で、再びバンドの音楽は大きく変化を遂げることになる。
 メッセンジャーズはショーターが音楽監督の位置につくことによって、50年代のゴルソン中心のファンキーなスタイルから、新主流派的なモード・ジャズへと大きく変化を遂げた(もっとも最も先鋭的な部分は当時リリースを見合わされてしまっていたが)。そしてショーターがバンドを離れると同時に凋落している。
 マイルス・バンドはハンコック、ロン、トニーのリズム・セクションが揃ったあたりから、当時ショーターやコルトレーンが進めていた新主流派的なモード・ジャズの影響を受けはじめ、それがショーターの参加によって完成し、黄金クインテットの絶頂期を迎える。そして、やがてマイルス=ザヴィヌルのコラボレーションによる新しい方向性を進めていく中でショーターの影響力は失われ、バンドのサウンドも変わっていく。
 さて、そこでウェザーリポートに戻って考えてみると、ウェザーリポートの方向性・コンセプトにはジャコの参加前、参加中、参加後にかけて、あきらかにジャコの影響によると思われる変化があっただろうか?
 実際のところ、ジャコが初めて部分的に参加した『Black Marcket』も、初めて全面参加した『Heavy Weather』も、『Tales Spinin'』以後のウェザーリポートの音楽の一連の変化の流れの中でとらえられる内容だし、ジャコがグループを離れた後の『Procession』もそれまでのウェザーリポートの音楽から大きく方向を変えているわけではない。実のところウェザーリポートにはジャコの参加に起因するものと思われるコンセプトの変化がない。
 その様が一番よくわかるのはライブを集めた『Live and Unreleased』だ。このアルバムにはアルフォンゾ・ジョンソンの時代、ジャコの時代、そしてヴィクター・ベイリーの時代と3人のベーシストが演奏する曲がごっちゃになって収められている。もちろん丁寧に聴いていけばそれぞれのベーシストの演奏の違いを聴きわけられ、ジャコのベースの凄さもわかるが、音楽の方向性そのものはどの時代の演奏でもそれほどは変わってはいないのがわかる。ぼーっとして聴いていれば、ずうっと同じバンドの演奏だと思われるかもしれない。
 それはショーターの影響力が失われていった後のウェザーリポート(『Sportin' Life』(84) 以後)がこれまでと大きく音楽の方向性を変え、エレクトリック楽器を使ったジャズというべき音楽から、狭義のフュージョンへとジャンルさえも変えてしまうのと対照的だ。
 つまり結果をいえば、ジャコはウェザーリポートにとって優秀なサイドマンという以上の存在ではなかったといえる。もちろん優れたベースプレイによって演奏面に大きく貢献したし、名曲をいくつも提供したが、ウェザーリポートの音楽そのものの方向性に深く影響・変化を与えるような存在ではなかった。

 再びショーター時代のメッセンジャーズを例にとれば、ジャコの存在は音楽的中心人物だったショーターより、むしろモーガンに近い存在だった気がする。
 トランペットはメッセンジャーズにとって最重要の楽器であり、特にモーガンはメッセンジャーズの歴史を通じて最大のスターといっていい存在だった。しかしそのモーガンが抜けてトランペッターがハバードに変わっても、メッセンジャーズはビクともしなかった。もちろん最大のスターが抜け、演奏者が変わったのだから、サウンドもそれなりに変わってくる。しかしコンセプトは変化せず、作品はレベルを維持している。
 しかしモーガンが再加入して今度はショーターが退団すると、とたんにメッセンジャーズは凋落してしまう。スターはいても音楽監督ショーターの存在がなくなると、バンドが質的に変化してしまったのだ。
 ウェザーリポートも同様、ジャコが抜けてもグループのコンセプトはかわらず、作品はレベルを維持している。しかし、ショーターとザヴィヌルのどちらか一方が抜ければウェザーリポートはウェザーリポートでなくなってしまう。
 本来グループの中心人物とはそのような存在、その人が抜ければそのグループはそのグループでなくなってしまうような人物のことをいうのであり、その意味でいってジャコはウェザーリポートのスターではあっても中心人物では無かったのであり、ウェザーリポートの基本的なコンセプト、作品のレベルの維持に関するあたりまではジャコはタッチしていなかったということだ。


 しかし、それでもウェザーリポートでのジャコの印象を強くもっている人が多いのはなぜだろうか。
 まず第一にジャコがウェザーリポート参加したのと、『Heavy Weather』が大ヒットを飛ばすのとが同時期だった点が上げられるだろう。当時の事情がよくわからない人には、まるでジャコが入ったためにウェザーリポートが大ヒット作を出したように感じられたのかもしれない。
 しかしこれは偶然の一致だったといっていい。ジャコが参加せずとも、当時のウェザーリポートは編曲を重視した、よりわかりやすくて内容の整理させる方向へ流れてきていて、いわば売れるタイプの音楽に変化してきていた所だった。
 第二に、ジャコのステージでの派手なパフォーマンスの面も大きかったようだ。ジャコがロック・スターのような喝采を浴びていたことは、多くの人が懐かしそうに話す事だ。『Heavy Weather』が大ヒットして多くの人がウェザーリポートに目を向けた時、多くの人は、音楽そのものではなく、ステージで最も目立っていたジャコを見て、ジャコのウェザーリポートという印象を強くもったのではないだろうか。
 そして第三に、ジャコがそのようなスターだったのは、結局ほぼウェザーリポート時代だけだったという点も大きいかもしれない。
 ジャコはウェザーリポートを離れた後、商業的に上手くいかなくなっていく。『Ward of Mouth』はレコード会社の期待に比してまったく売れず、『Holiday for Pans』は完成できないままレコード会社をクビにされ、そのまま破滅型の人生を凋落していき、夭折してしまう。
 ジャコのファンにしてみれば、ジャコが最も輝いていたウェザーリポートを、ジャコのバンドだったと思いたくなるのが人情かもしれない。
 しかし、これまで見てきたとおり、ウェザーリポートの音楽そのものにジャコが深く影響を与えたとは考えられず、ウェザーリポートでのジャコの活躍は、演奏面においても、作曲面においても、これまでショーター、ザヴィヌルらが作り上げてきたウェザーリポートの音楽を土台とした上で初めて花開いたものだといえる。

 もし、ジャコの音楽を、その作編曲面、サウンド・クリエイターとしての資質を含めて見ていこうとするなら、やはり数は少なくでもジャコのソロ・リーダー名義のアルバムや活動から見ていくべきだろう。
 そしてソロ以外ではウェザーリポートよりむしろジャコの個性が前面に出ていたのは、むしろジョニ・ミッチェルのグループでの仕事だったような気がする。
 ジョニの作品を順に聴いていけば容易にわかるが、ジャコがミュージック・ディレクター的な立場で全面的にかかわっていた『Don Juan's Reckless Daughter』(77) 『Mingus』(78) 『Shadows and Light』(79) というアルバムは、あきらかにその前後のジョニのアルバムとは違ったスタイルの演奏を繰り広げている。ジョニの作品には、ウェザーリポートよりハッキリと、あきらかにジャコ時代というのがあるのだ。
 さらにいえば、1stの『Jaco Pastorious』(75) から始まって、ジョニの前記3枚のアルバム、そして『Word of Mouth』(80-81) 『Twins』(82) 『Holiday for Pans』(82) というアルバムを並べてみると、そこに統一した流れというか、ジャコの作風のようなものが感じられる。(これについては別項で扱う)




■結論


 さて、以上のように考えてきた結果、いまのところのぼくのウェザーリポートに対する結論は次の通りである。

 ウェザーリポートは実質的にもショーターとザヴィヌルによる双頭グループであり、人間関係上のリーダーシップ、まとめ役はザヴィヌルがとっていたが、音楽的にはショーターのコンセプト・音楽的イマジネーションが中心になっており、ザヴィヌルはむしろ補佐的役割だった。
 ウェザーリポートの各オリジナル曲はライヴで何度も演奏される中で互いが影響しあって完成されていったもので、いわばウェザーリポートというグループの作品である。したがってザヴィヌル作とクレジットされている曲でもショーターの色が強く出ていたりする。
 完成された音楽はザヴィヌルが中心となったスタジオ作業によってアルバムとして完成される。その作業過程の間にザヴィヌルが強い影響力・自己顕示欲を発揮するので、出来上がったスタジオ盤はザヴィヌル色が強く、ショーターの色が薄く感じられる。しかし、それもショーター中心で作り上げられたウェザーリポートの音楽がもとにあってのことなので、ザヴィヌルの単独ソロ作とは本質的に違った音楽となる。
 『Mysterious Traveller』(74) 以後はより緻密なスタジオ作業を行うようになったので、スタジオ盤のみを聴くと、ザヴィヌルの影響力が増していったように感じられるが、実際はそんなことはない。
 ショーターとザヴィヌルの方向性は『Domino Theory』(83) あたりで分裂し、以後このような共同作業は行われなくなってくる。そのためウェザーリポート末期のアルバムは、ストレートにザヴィヌル中心で録音されることになる。そのためこれまでのウェザーリポートの作品とは違ったかんじの作品となっている。
 また、ジャコ・パストリアスは才能も実力もあるベーシストで、ウェザーリポートに多大な貢献はしたが、ウェザーリポートの音楽そのものには深く影響を与えてはいない。

 すべての事柄を上手く説明するには上のように考えるのが最も自然だと思うのだが、どうだろうか。




 もしウェザーリポートにショーターがいなかったら、ウェザーリポートは70年代後半にそれなりに人気があった普通のフュージョン・バンドの一つになっていただろう。それなりに商業的成功をおさめたろうが、ジャズの緊張感を維持し集団即興を試みたグループ、凡百のフュージョン・バンドとは違った特別なバンドにはならなかったろう。
 いっぽう、もしウェザーリポートにザヴィヌルがいなかったら、ウェザーリポートが現在のような大衆的人気を獲得できたか疑わしい。もっと通受けの、一部の人間が聴くだけのカルト的グループになっていたかもしれないし、長期にわたって一年一作ペースでコンスタントに作品をリリースすることもできていなかったかもしれない。
 ウェザーリポートがその両面をもったグループとして成功できたのは、ウェザーリポートがショーターとザヴィヌルによる双頭グループであったからではないだろうか。



03.12.20
05.4.23



『ウェイン・ショーターの部屋』

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