ジャコ・パストリアス
 Jaco Pastorius









  目次

  ■ジャコ・パストリアス
  ■ビル・ミルコウスキー『ジャコ・パストリアスの肖像』
  ■アルバム紹介








  ■ジャコ・パストリアス


 ウェザーリポートを語る上で、ジャコ・パストリアスも避けて通れない人だろう。
 しかし、のっけからこういうことを言うのも何だが、ジャコに関してはちょっと問題だと思う所がある。日本人は若くして不幸な死に方をしたミュージシャン、アーティストを過剰に天才視し伝説化するところがある。実質的にはたいしたことがない人でも若死にすれば天才と呼ばれる。井沢元彦氏の著書によれば、日本人はこういうことを千年以上も前からやっており、日本古来の怨霊信仰に基づく習慣らしい。そんな迷信からはとっくに抜け出していると自分では思っている現代の日本人も、無意識のうちにそんな習慣が身に染みつき、それに従ってしまっているようだ。
 ぼくはそのようなやり方は好きではない。基本的にミュージシャンはより優れた作品を数多く作った者のほうが優れているわけで、例え不幸な事情があったにせよ、酒や麻薬で身を持ち崩して良質の作品を数多く作れなかったミュージシャンは、その点において、健康で長生きして数多くの良質の作品を作り出したミュージシャンより劣るのである。まして、たいした作品を作ってないミュージシャンを、若くして不幸な死に方をしたからといって伝説視・天才視するのは間違いだろう。たいしたことのないミュージシャンは、若死にしたってたいしたことがないミュージシャンに変わりない。
 知人に「ジャコはあまり長生きしなかった所がいい……」といっていた者がいたが、ぼくは反対だ。もしジャコが酒や薬に手を出さず、もっと良質の作品を数多く残していたら、その分だけもっとジャコを好きになっていたと思う。
 そういうことで、へんな伝説化や過剰な評価はせずにジャコを見ていこうと思う。若死にしなかったらただの人……というような某ミュージシャンと違って、ジャコはそんな迷信的な評価のしかたをしなくたって充分優れたミュージシャンである。


 さて、ジャコ・パストリアスは1951年12月1日生まれ。ウェザーリポート前々任のヴィトウスが1947年12月6日生まれなんで、誕生日が非常に近く、ちょうど4歳年下となる。この二人、世代の差みたなものを感じるのだが、思ったほど年が離れていないものだ。
 ジャコの初期録音は調べてみるといろいろあるようだが、一般的にいえば1st ソロ作の『Jaco Pastorius (ジャコパストリアスの肖像)』やパット・メセニーの『Bright Size Life』を録音した75年がデビューと見ていいだろう。
 ジャコはどんなタイプのミュージシャンかというと、まず一般的に言われていることはベーシストとしての超絶的なテクニックであり、初めてエレクトリック・ベースをアドリブ楽器として使用した演奏者=インプロヴァイザーである点だ。しかしそれだけではなく、『Jaco Pastorius』の頃からあきらかに作編曲者型の指向を持った人で、演奏者型と作編曲者型の両方の資質があった人だといえる。
 さて、その75年のデビューから死去した87年までがジャコの活動期間だが、ジャコの全盛期はワーナーをクビになった82年くらいまでだろう。その後は酒と薬で身を持ち崩し、レコード会社とのトラブルで自分の名義で活動することもできなくなった。これ以後は他人のバンドに参加したサイドマンとしての活動のみとなり、作編曲を含めた総合音楽家としてのジャコの目指していた音楽を聴くことはできない。また、演奏者=インプロヴァイザーとしても全盛期から比べると、好不調による程度の差こそあれ腕が落ちていて、全盛期と同列に評価することはできない。そうであってもジャコの作品ならどんなものでも聴きたいとCDを買い集めるファンは多いのだろうが、少なくとも初めてジャコを聴く人に対してこの時期のアルバムを勧めることはできないだろう。
 75年から82年までの全盛期に絞って話をすすめていくと、ジャコは75年末にウェザーリポートに参加して一気に名を上げ、以後81年までメンバーとして、ウェザーリポートを中心に活動することになる。そしてグループを離れた81年に Word of Mouth Big-Band を旗揚げし、82年まで同バンドで活動している。

 それにしても目立つのはソロ作の少なさだ。生前にジャコがリリースしたソロ作は、スタジオ盤が2枚と、ライヴ盤が1組、それですべてである。そこに生前録音しながらリリースできなかったスタジオ盤1枚を加えても、わずか4作でジャコの全作品が聴けてしまう。
 そこで2つのことが始まる。つまり、あまりの作品数の少なさを補うため、1つにはジャコの死後、かなりの量のCDが発掘されリリースされることになり、もう1つにはジャコのサイドマンとしての参加作もジャコの作品の中に組み入れて考えていこうという動きが出てくる。
 しかしここに問題がある。まず発掘リリースされるアルバムはライヴで録音された音源なわけだが、ジャコがソロ名義でライヴ活動を行っていたのは81年からのごく短期間である。したがって死後発掘されたアルバムのうち全盛期のジャコのソロ活動を記録したものは『The Birthday Concert』(81) ぐらいで、後はサイドマンとしての録音か、ボロボロになって以後の録音となる。晩年のライヴ録音はジャコの名前を大きく出して、ジャコの作品としてリリースされているが、実際はジャコが自己のバンドを組んで維持していたわけではないので、サイドマンとして参加したものか、その場かぎりのセッションということになる。
 次にサイドマンとしての録音をジャコの作品をいえるのかという点だが、ジャコを演奏者=インプロヴァイザーとしてのみで見るならともかく、ジャコが作編曲にも能力を発揮したミュージシャンだという点を考えれば、やはりサイドマンとしての参加作はサイドマンとしての参加作にすぎず、ジャコの本音の部分が聴ける録音ではない。
 特にボロボロになって以後の録音はジャコの名前を大きく出したかたちで再発されることが多いが、これはジャコが彼よりずっと無名のミュージシャンの作品にサイドマンとして参加することが多かったため、本来のリーダーの名前で再発するよりはジャコの作品と書いたほうが売れるとの判断だろう。しかし、無名であったとしてもその音楽を作りだしているのはそれぞれのアルバムのリーダーの方であり、ジャコはサイドマンとして参加しているに過ぎないから、ジャコの目指す音楽を聴くことはできない。ジャコが晩年こんな仕事をこなしていたということがわかるだけだ。
 ジャコのサイドマンとしての参加作のうちで、最も数が多いのはやはりウェザーリポートへの参加作ということになるだろう。結果的にいえば、ジャコはその短い音楽活動、とくに全盛期の大部分をウェザーリポートのメンバーとして活動していたからだ。そのためジャコとウェザーリポートを過剰に結びつけ、ウェザーリポートがジャコの参加によって大きく変化したとか、果てはウェザーリポートがジャコのバンドであったかのように語る気風が一方にある。
 しかし別項で詳しく書いたとおり、ウェザーリポートにおけるジャコは、優秀なサイドマンという以上の存在ではなく、グループの音楽性自体にそれほど強い影響力を与えていたとは考えられない。ウェザーリポートのアルバムを順番に聴いていくと、ジャコの参加前と参加後、在籍時と離脱後に作風の大きな変化が見られないことがわかる。もちろん演奏者としてのみ見るのであれば、充分な名演を数多く残しているのだが。
 結局のところジャコの音楽を、その作編曲面、サウンド・クリエイターとしての資質を含めての本来の姿を見ていこうとするなら、やはり数は少なくてもジャコがちゃんとリーダーとして作った4作(+『The Birthday Concert』)を見ていくしかないのが、悲しくても現実だろう。結局のところ、看板をかけかえたって中身が増えることはないのだ。

 そして別項でも書いたが、それでもジャコの非リーダー作のうち、ジャコの作風・目指す音楽が前面に出ていると思われるものを探せば、それはジョニ・ミッチェルのグループでの仕事のような気がする。
 ジョニの作品を順に聴いていけば容易にわかるが、ジャコがミュージック・ディレクター的な立場で全面的にかかわっていた『Don Juan's Reckless Daughter』(77) 『Mingus』(78) 『Shadows and Light』(79) というアルバムは、あきらかにその前後のジョニのアルバムとは違ったスタイルの演奏を繰り広げている。ジョニの作品には、ウェザーリポートよりハッキリと、あきらかにジャコ時代というのがあるのだ。
 さらにいえば、1stの『Jaco Pastorious』(75) から始まって、ジョニの前記3枚のアルバム、そして『Word of Mouth』(80-81) 『Twins』(82) 『Holiday for Pans』(82) というアルバムを並べてみると、そこに統一した流れというか、ジャコの作風のようなものが感じられる。
 では、ここで以上7枚のアルバムから、ジャコがどんなミュージシャンだったのか、ごくかるく見ていってみよう。

 まず見るべきは、1stアルバムの『Jaco Pastorious(ジャコ・パストリアスの肖像)』だと思う。デビュー作にはその人の全てがあるという意見があるが、ジャコの場合もまさにそうで、この1stは後にジャコが開花させていくいろいろな要素が随所に見られて興味が尽きない内容になっている。
 まずわかることは、ジャコは多管によるアンサンブル、ストリングス・オーケストラなど、多人数によるオーケストレーションでサウンドを作るのを好むという点だ。それは1stでも随所に顔を出すし、『Don Juan's……』の "Paprika Plaints" のオーケストレーション、『Mingus』の "The Dre Cleaner from Des Moines"。そして勿論『Word of Mouth』、『Twins』のビッグ・バンド、『Holiday for Pans』と、ライヴ盤のため条件的に無理だったと思われる『Shadows and Light』を除けば全てのアルバムに多楽器によるアンサンブルが登場している。
 これは最初から最後までワンホーンだったウェザーリポートと大きく異なる点だ。事実上、ウェザーリポートはジャコ、ザヴィヌルと多管アンサンブルを好むメンバーがいながらずっとワン・ホーンだったことになる。もしジャコがウェザーリポートの音楽性に大きな影響を与えていたのだとしたら、ウェザーリポートにも多管アンサンブルが取り入れられていただろう。しかし実際はそんな事はなかった。
 そして、スチール・ドラムもまた "Opus Pocus" で印象的に登場する。ジャコのこの楽器への偏愛は当然後の『Holiday for Pans』に結晶する。
 以上、アンサンブルやスチール・ドラムなど、ジャコは総じて生楽器指向、電気楽器は使っても、電子楽器はまず使わない人だとわかる。この時代ならもう既にシンセサイザーがかなり使われ出している頃であり、ウェザーリポートでもシンフォニックなサウンド作りをする場合はシンセを使用していた。しかしジャコは多管アンサンブルやストリングス、生楽器を組み合わせていく方法を選ぶ。この点もウェザーリポートの指向性と大きく違う点だろう。
 もしジャコが人並みに長生きでき、ソロ・リーダー作を順調に出したとしたら、ジャコの総合音楽家としての才能はもっと明瞭なかたちで発揮されていたと思う。しかし、その音楽はウェザーリポートのようなタイプの音楽ではなかったろう。それは1stアルバムから『Word of Mouth』、『Holiday for Pans』等を結んだ延長線上の音楽になっていたのではないだろうか。
 ジャコがウェザーリポートを変えた、ジャコがウェザーリポートに大きな影響を与えたんだと思い込みたいファンの気持ちも分からないではないが、そう考えてしまうとかえってジャコ自身の音楽が見えにくくなるだろう。


 思うにジャコの不幸は、ウェザーリポートへの加入があまりにも成功しすぎた点にあったのではないか。ジャコの加入直後に『Heavy Weather』が大ヒットし、多くのリスナーの目がウェザーリポートに集まる。ちょうどその時、ジャコが派手なパフォーマンスでファンの喝采を浴びていたとしたら、ウェザーリポートの大ヒットとジャコを結びつけて考えてしまう人間が出てくるのも無理はない。いまだに誤解し続けている人もいるくらいだ。
 しかし、以上見てきたように、ジャコの音楽とウェザーリポートの音楽はかなり違うし、この時代、ジャコが目指すような生楽器主体のビッグバンド・サウンドがさほど売れセンだったとは思えない。つまりジャコはさほど売れセンの音楽を作るタイプではない。しかし売れセンではなかったとしてもジャコの音楽は充分優れたものだと思うし、それを支持する層はそれなりにいた筈だ。本来であれば、それはそれで良かった筈である。
 しかし、ウェザーリポートがジャコで売れたのだと誤解したレコード会社側は、ジャコにウェザーリポート時代のようなタイプの音楽を期待してしまった、大ヒットを期待してしまった。けれどもウェザーリポートはジャコの作り出した音楽ではないのだから、ジャコのそれを期待しても無理である。しかしレコード会社が無理なことをジャコに求めてしまったことが、ウェザーリポート離脱後のジャコのソロ活動に大きく影を落としてしまったような気がする。

 ジャコがウェザーリポートに在籍していたのは20代の後半であり。この時期はミュージシャンにとって、演奏者としては全盛期というべき時期であっても、作編曲含めて音楽を総合的にクリエイトする力のピークはもっと後にくるのが普通だ。
 もしジャコが人並みに長生きし、充分に自分の音楽を展開できるだけの音楽生活を送ったとすれば、ウェザーリポートは初期に在籍しただけのバンドであり、その後にジャコ自身の音楽を実現した、ジャコにとっての真にピークというべき時期があった筈である。
 20代後半とは、ショーターならばメッセンジャーズに在籍した期間、ザヴィヌルであればキャノンボール・バンド時代の前期で、まだ "Mercy Mercy Mercy" も書いてなかった頃。マイルスならコルトレーン入りのクインテットを組んだのが30歳頃である。
 ジャコが30歳でウェザーリポートを離れ、自己のバンドを組んだのは本来ならちょうどいい時期であり、ここからジャコが自己の音楽を追求していく出発点になるはずだった。しかし、ジャコはこの頃から薬と飲酒で身を滅ぼし、凋落してしまった。そのために、本来であれば初期作品に過ぎなかったはずのウェザー時代が、ジャコの全盛期になってしまったのだ。
 ジャコは才能も実力もあったミュージシャンだと思うが、充分に自分の音楽を展開できないまま世を去ってしまった人だと思う。残念ではあるが、それを理由に過剰評価するのもまた間違いであろう。



04.2.4



 ■ビル・ミルコウスキー『ジャコ・パストリアスの肖像』


 ビル・ミルコウスキーによるジャコの評伝である。現在手に入るジャコについて書かれた本というと、まずこれがあげられるだろう。けれども個人的にはあまり好きではない。
 なぜかというと、どうもこの著者とぼくとではジャコについて興味がある部分が違うようなのだ。
 ぼくにとってジャコはあくまでミュージシャンであり、ジャコについて興味がある情報は何かといえば、まず一番目は彼が全盛期に作り出した音楽そのものであり、その次にそれら音楽を作り出した背後の情報や、その音楽自体の分析・評価などである。ぼくはそのへんを期待して読んだのだが、しかし、この本ではそういった全盛期のジャコの音楽についてはほとんどおざなりに触れられただけでさっさと飛ばされてしまう。
 対して、ウェザーリポートを離れた後のジャコが酒とクスリで身を滅ぼし没落していく様子は実に丁寧に克明に描かれている。
 かつてスターだった男が没落していく姿も、まあ、それはそれで感慨深いものはあったりするのだが、正直いえばぼくにとってそんな部分はジャコに対する興味のうちではかなり下のランクに入る。酒とクスリで身を滅ぼした男なんていくらでもいるわけで、別にジャコについてのそのような話が特別に興味深いわけではない。しかし著者はジャコの音楽について書くことよりも、没落したスターの姿を描くことに興味があるようだ。
 著者は生前のジャコとも交流もあった音楽ライターだが、そのような生前の本人と交流があった人が評伝を書くことは、一見良いことのように思えるが、実はデメリットも大きいことが読んでいてわかる。それは、けっきょく著者のジャコに対する思い出話を書いているだけになっていってしまう点だ。
 たしかに、著者とジャコとの交流があった部分のエピソードは丁寧に書かれている。が、正直なところ、それはどれも別に書かなくても読まなくてもいいエピソードばかりなのだ。著者にとってはいい思い出なのかもしれないが、ぼくがジャコについて知りたいのは著者のそんな思い出ばなしではない。さらには著者がスタンリー・ジョーダンを見出した時のことを自慢げに書いている部分などは、そもそもジャコと何の関係もない。
 それでも、まあ、ジャコの少年時代の話など、貴重な情報もそれはそれで書かれていて、ファンであれば一読の価値はあるだろう。個人的には後ろの方にはいっているいろいろな人にジャコのことをインタヴューした部分で、ギル・エヴァンスの未亡人とジョン・スコフィールドの語った話の部分などがよかった。








        ■アルバム紹介 


                                     
Jaco Pastorius "Jaco Pastorius" 1975.10 (Epic)モ★
Pat Metheny "Bright Size Life"  1975.12 (ECM)
Ian Hunter "All-American Alien Boy"  1976 (Columbia)
Joni Mitchell "Hejira(逃避行)" 1976 (Asylum)モ★
Weather Report "Black Market" 1976 (Columbia)モ★
Joni Mitchell "Don Juan's Reckless Daughter" 1977 (Asylum)モ★
Herbie Hancock "Herbie Hancock with Jaco Pastorious" 1977.2.16 
Weather Report "Heavy Weather" 1977 (Columbia)モ★
Weather Report "Mr.Gone" 1978 (Columbia)モ★
Joni Mitchell "Mingus" 1978 (Asylum)モ★
Tom Scott "Intimate Strangers" 1978 (SME)
Weather Report "8:30" 1979 (Columbia)モ★
Joni Mitchell "Shadows and Light" 1980 (Asylum)モ★
Weather Report "Night Passage" 1980 (Columbia)モ★
Jaco Pastorius "Ward of Mouth" 1981 (Warner)モ★
Weather Report "Weather Report (81)" 1981 (Columbia)モ★
"Jazz At The Opera House" 1982 (Sony) モ★
Jaco Pastorius "Twins(Invitation)"  1982 (WEA)
Jaco Pastorius "Holiday for Pans" 1982 (Sound Hills)モ★
 これ以後のアルバム  











  ■Jaco Pastorius『Jaco Pastorius』1975.10    (Epic)


 言わずと知れたジャコのデビュー・アルバムだが、ジャコというミュージシャンを知るうえでの最重要作だ。デビュー作にはその人のすべてがあると言われ、実は必ずしもそうでもない例もあるのだが、ジャコの場合はまさにその言葉通り、このアルバムにジャコのすべての可能性が見えている気がする。ジャコのこの後の活動は、このアルバムにあるそれぞれの要素を発展させ、その先を行こうとする行為だったと思う。
 この項を書くために改めてじっくりと聴き返したのだが、あまりにも聴きどころが盛り沢山な内容にあらためて感心した。
 冒頭の "Donna Lee" におけるパーカッションだけをバックにした速弾きが語り草になっているのだが、そんな部分は最初に卓越したテクをみせて一発みえを切ってみた程度の事だ。続く "Come On, Come Over" ではサム&デイヴをボーカルに迎えたソウル〜R&B的な曲調で、ブレッカー・ブラザーズを含む大編成のホーンセクションを華麗に響かせて編曲者としての腕も見せる。このへんギル・エヴァンスにしつこく電話をかけて教えを受けた成果がかんじられる。続く "Continuum" ではベースによる滑らかで音楽的なソロをとってベースのソロ楽器として使いこなす。続く "Kuru/Speak Like A Child" では急速曲における鉄壁なベース・ランニングを見せつつストリングス・オーケストラの編曲もみせる。"Opus Pocus" ではショーターのソプラノとスティール・ドラムの幻想的な響きを組み合わせて独特の世界を築き、"(Used To Be A) Cha Cha" は本作に8割がた参加しているハンコックが最高に燃え上がる聴きどころだ。音楽的なルーツも、実にさまざまなタイプの音楽からの影響が感じられ、ジャコがジャンルにこだわらない広範囲な音楽に興味をもっていたことがわかる。
 そして、もちろん一番の聴きどころは、そのような多数のゲストミュージシャンを生かしつつ、作編曲で高度な実力を発揮しつつも、全編においてその演奏を支えながら、ベースという楽器に秘められた可能性を最大限に発揮してみせるジャコのベース・プレイそのものだ。
 それにしてもどうしてこれほどの豪華な顔ぶれのデビュー・アルバムを作ることができたのか。ミルコウスキーの『ジャコ・パストリアスの肖像』を見ると、中心になっていたのはブラッド、スウェット&ティアーズのドラマーのボビー・コランビーであり、コランビーの発案によってこのアルバムでジャコのあらゆる可能性を見せようと、さまざまなタイプの曲をとりあげ、それぞれの曲にあったミュージシャンに声をかけていったのだという。参加曲の多さから全面的にバックアップしているように見えるハービー・ハンコックは、たまたまジャズ的なセッションのために呼ばれたのが、気が乗ったのでさまざまな曲に参加することになったようだ。個人的にはウェザー参加前のこの時点でショーターとの共演がどのように成ったのか、それぞれにこの時の共演をどう思ったのかが知りたいところだが、『ジャコ・パストリアスの肖像』はこのへんのジャコの全盛期の時代についてはあまり詳しく書かれていなく、わからない。
 あと、本作を聴いてあらためて感じられるのは、たしかにこの後のジャコのソロ・ワークの音楽は本作の発展形といえるものなのだが、ジャコ在籍時のウェザーリポートの音楽へと発展する要素は本作には見られないということだ。つまり、ウェザーリポートでのジャコの役割は、あくまで素晴らしく有能なサイドマンという以上のものではなかったことがここでもわかる。
 なお、現在では未発表トラックが2曲追加されたCDも出ている。一曲は "(Used To Be A) Cha Cha" の別テイクだが、もう1曲の "6/4 Jam" はハンコックも参加するスモール・コンボによる未発表曲。これベースはずっと同じパターンを刻んでいるだけで、むしろドラムが自由に動き回っている曲。個人的には本作でも最大の聴きどころのひとつである "(Used To Be A) Cha Cha" の別テイクのほうがうれしかった。





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  ■Pat Metheny『Bright Size Life』    (ECM)

    Pat Metheny (g) Jaco Pastorius (b) Bob Moses (ds)   1975.12

 ウェザーリポート参加以前のジャコを聴くならば、まず手にとるべきはジャコの1st アルバムとこの『Bright Size Life』だろう。そして、よほどのファンでないかぎりは、この2枚でとりあえず充分ではないだろうか。
 これは言わずと知れたパット・メセニーの1st アルバムだ。ジャコの1st が曲によって様々な編成のバンドによってジャコの個性を多面的に描き出したアルバムであるのに対し、こちらは全曲がギター・トリオの編成による、各奏者の演奏そのものにスポットをあてた作りになっている。ピアノ、キーボード奏者がいない3人のみによる演奏ということで、必然的にベースの役割は大きくなるわけだが、ジャコを聴くには好都合だろう。
 パットはこの後ライル・メイズらと組んだパット・メセニー・グループを作ることによって商業的にも大成功していくわけだが、個人的な趣味ではこの後のヒットした『American Garage』(79) あたりのポップなフュージョン・サウンドより、本作あたりの演奏のほうが好きだ。



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  ■Ian Hunter『All-American Alien Boy』1976   (Columbis)


 ミルコウスキーの『ジャコ・パストリアスの肖像』によると、ジャコは1971年から一年弱、ウェイン・コクラン&C・C・ライダーズというR&Bバンドに入ってツアーを行っていたという。この時期はジャコがもっともベース、そして音楽を夢中に学んでいた時代で、ジャコは晩年までこの時期のテープを持っていて、この時期の自分たちの演奏に誇りをもち、懐かしそうに語っていたという。当時の無名であったがクスリにも縁がない健康な自分を懐かしがっていたような気もするのだが。
 ジャコがR&Bバンドでどんな演奏をしていたのかわからないが、こんな風だったのかなと想像させてもらえるのは、例えばこのアルバムではないか。

 イアン・ハンターはT・レックスやデヴィッド・ボウイなどグラム・ロック全盛時代のイギリスで最強のライヴ・バンドといわれたモット・ザ・フープルの中心人物で、十字型のギターを振り回したりしてた人ある。デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』に入っている「サフラジェット・シティ」という曲が、当時のモット・ザ・フープルの曲調をマネした曲だといえば、わかる人にはわかるだろうか。『ロックンロールの黄金時代』という派手な邦題のついた、そして邦題そのものの派手な内容の名盤がある。意味もなく騒ぎたいときには最適のアルバムだ。
 これはそのイアン・ハンターがアメリカに渡ってフュージョン界のミュージシャンと共演するというコンセプトのアルバムらしく、ジャコが1曲を除く全曲に参加している他、デヴィッド・サンボーンやコーネル・デュプリー等が参加している。ジャコはロック・バンドの伴奏をつとめつつ、随所でソロも聴かせてくれる。
 ウェザーリポート時代のジャコは数多くのアルバムにゲスト参加しているが、たいていは1、2曲参加しました……というものが多く、こういった全面的な参加はめずらしい。イアン・ハンターはモット・ザ・フープルよりだいぶおとなしくなっているが、『All-American Alien Boy』なんていうタイトルにも当時の感覚は残ってる。




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  ■『Herbie Hancock with Jaco Pastorious』

    Bennie Maupin (sax) Herbie Hancock (key)
    Jaco Pastorius (b) James Levi (ds)    1977.2.16


 ハービー・ハンコックのライヴにジャコが参加したツアーからの音源であり、ブートレグとしては有名なもののようだ。これはジャコの発掘もののライヴ音源のなかでは最も勧められるものである。
 理由は、同時期のウェザーリポートのライヴ音源と比べても、ジャコのベースがよりくっきりと聴こえ、全盛期のジャコの演奏が細部まで鑑賞できるからだ。
 なぜか……というと、それは、ザヴィヌルとハンコックという両キーボード奏者の、とくにバッキングにまわったときの演奏スタイルの違いが大きいと思う。つまり、ザヴィヌルはつねにシンフォニックで分厚いサウンドを作り出すために、ベースの音が埋もれる場面も多いのに対して、ハンコックは必要最小限の音だけで勝負するから、同時に演奏しているベースの音がくっきりと聴こえる。
 この時のハンコックのグループはモーピンのサックスを入れたワン・ホーン・カルテット編成であり、78年のウェザーリポート(『8:30』のライヴ部分)とまったく同じ編成なので、両者のサウンドの違いを聴き比べてみると、ウェザーリポートというグループの特徴もよくわかる気がする。つまり、ウェザーリポートとは、ザヴィヌルがオーケストラを担当した協奏曲のようなスタイルをとるグループなのではないか。
 この演奏を聴いていると、ジャコはウェザーリポートに入るよりハンコックのグループに入ったほうがより生き生きと活躍できたのではないかと思えてくるのだが、ジャコが参加したくて強烈に自分を売り込んだのはウェザーリポートのほうだった。どうもこのへんにジャコというミュージシャンの本質を知るポイントがあるような気もする。





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  ■Tom Scott『Intimate Strangers』1978   (SME)



 ジョニ・ミッチェルは現在までオフィシャルで2タイトルのライヴ盤を出している。うち一つはジャコがバックをつとめた『Shadows and Light』(79) であり、もう一つがトム・スコット率いる L.A.Express がバックをつとめた『Miles of Aisles』(74) である。そのトム・スコットのソロ作にジャコが一曲のみだがゲスト参加したのがこのアルバムだ。
 トム・スコットという人は70年代のフュージョン・ブームを支えた中堅どころのサックス奏者というところだろうか。スタジオ・ミュージシャン出身で、前記 L.A.Express を率いて活躍した他、ソロ名義でも現在も活躍中だ。あるいは『ブレードランナー』のサントラでサックスを吹いている人といわれるとピンとくる人もいるかもしれない。
 この『Intimate Strangers』は彼が70年代にリリースしたアルバムの中でも意欲作であり、リチャード・ティー、エリック・ゲイル、スティーヴ・ガッド……といった Stuff や TOTO 系の錚々たるメンバーがバックを支えている。
 前半(LPのA面すべて)が組曲になっていて、ここが聴きどころだ。「ある無名サックス・プレイヤーと、ナイトクラブで出会った少女とのファンタジックな恋物語」といったストーリーをもとに、ソフトで都会的なサウンドで、映画のシーンを思わせるような場面が連続する映像的な演奏が繰り広げられる。
 サウンドのすみずみまで繊細に丁寧に作られていて、例えば組曲2曲めの "Lost Inside the Love of You" のバックのリズムセクションの部分など、何気ないけど個性的。クレジットを見るとキーボード×2+ギター+ベース+ドラム+パーカッション+シンセといった大人数で演奏しているようで、しかし決してうるさくならず、ソフトで控えめ。緻密に編曲されていると思われる。
 しかしあまり緻密に編曲してしまうと、即興演奏のおもしろさがなくなってきてしまうわけだが、本作にもその傾向は見られ、わりと甘いシャンパンのような音楽になっているきらいもある。ジャコはそのなかに即興演奏性を導入する役割をしていて、わずか1曲だけの参加とはいえ、シンセのみをバックに全編でソロをとっており、組曲の中でアクセントとなっている。意味のある起用といえるだろう。
 ジャコは1曲のみの参加とはいえ、70年代の甘口フュージョンのなかではかなり高い完成度の作品なんで、興味がある人なら聴いてみる価値がある作品だと思う。





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  ■Jaco Pastorius『Twins 1 & 2 ---live in japan 1982』  (Warner Bros.)

    1982.9.1/4/5

 ウェザーリポートを離れた翌年の1982年はジャコの最後のピークと呼べる年だった。
 この年、ジャコは『Ward of Mouth』(80-81) をモトにしたビッグ・バンドを率いて活動した。本作は9月に日本で行われた3つの公演のライヴ音源を編集して、当初2枚のLPで『Twins 1』『Twins 2』としてリリースされていたもので、現在は2枚組CDになっている。当時アメリカ本国ではこの音源をさらに1枚のCDに編集した『Invitation』としてリリースされた。さらに、残りのライヴ音源から編集されたアルバムもリリースされている。
 このうち、ジャコに興味のある人なら少なくとも『Invitation』より全曲版の『Twins』を入手したほうがいいだろう。ジャコの全盛期の録音、しかもウェザーリポートでもジョニ・ミッチェルのバンドでもなく、ジャコが自分のバンドで自分の思うとおりの音楽をやっているライヴ盤はこの時期だけなので、多少値ははっても全曲聴く価値がある。
 個々の演奏者のソロはともかく、バンド全体の演奏としては、やはり多重録音による疑似ビッグ・バンドの『Ward of Mouth』より、本作のライヴ演奏のほうがいい気がする。楽器どうしの対話性と、一体となったノリが違う。
 本作のライナーノーツには岩浪洋三という人が、「完成されたオーケストラではないが、未完成な部分がかえって大きな可能性を感じさせる」とか「小事にこだわらないジャコの人間性がそのまま反映」されているとか書いているが、個人的には見当違いだと思う。
 未完成なのではなく、各演奏者に自由に演奏させながら編曲をしていくという、ギル・エヴァンス的な発想で編曲をしているのであり、小事にこだわらないのではなく、各演奏者が自由に演奏することにこだわっているのではないか。
 この岩浪洋三という人、よくライナーノーツなどで見かけるが、いつも見当違いのことばかり書いているような気がする。この人が見当違いなのか、ぼくの聴き方のほうが見当違いなのか、どちらかだろう。





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  ■これ以後のアルバム


 ジャコの作品のうち、ジャコが生前にリリースされたリーダー作は82年の日本公演のライヴ盤『Invitation』(82) が最後だ。
 この日本公演の後もジャコはこのビッグ・バンドでアメリカでも活動を続けていくが、ますます常軌を逸していくジャコのステージ・パフォーマンスに観客が大ブーイングをし、バンドのメンバーもあきれて一人また一人とステージを下りていってしまう……ということがおきる。結局このバンドでの活動はできなくなり、制作中のアルバム『Holiday for Pans』も売れそうもない内容だと判断したワーナーは制作を中止させ、わかりに日本でのみ発売されたライヴ盤『Twins 1,2』から再編集したアルバム『Invitation』を出してジャコをクビにしてしまう。(アルバムを2枚出すという契約だったようだ)
 その後のジャコは、麻薬とアルコールで破滅の一途を辿っていく。奇行の噂が災いして新しいレコード会社との契約もできず、自分の名前では活動できない状態になる。もちろん既に有名人となっているジャコだから手をさしのべようとする者もいたのだが、ジャコが自分からそれを踏みにじっていく感じだ。仕事を与えても平気でスッポかしたり、クスリかアルコールでボロボロの状態であらわれてひどい演奏をしたり、新しいレコード会社と契約させようと手をつくしても、ジャコが自分でダメにしてしまう。しかも、あきらかに薬物依存症の治療が必要な状態であるにもかかわらず、自分ではそれを認めずに、浮浪者のような生活を続ける……。このあたりはビル・ミルコウスキーの『ジャコ・パストリアスの肖像』にもっとも詳しく書かれている部分だ。
 現在ではこの時期のジャコの演奏もかなり発掘・リリースされているが、どれもサイドマンとしての参加作か、その場かぎりのセッションのライヴ盤である。自分でバンドを組んで維持するなどできない状態だったのだから、そうなるより他ない。
 ジャコはベーシスト=演奏者であるだけではなく、作編曲も含めて総合的に音楽を創りだしていけるタイプのミュージシャンだったのだが、この後のジャコの作品は、そんなその場かぎりのベーシスト=演奏者としての演奏であるだけで、作編曲者としてのジャコが創りだした音楽を聴くことはできない。しかも、そのベーシスト=演奏者としての演奏もその時のジャコの状態によって好不調の波が大きく、総じて全盛期に比べるとレベル・ダウンした内容となっていく。共演者の顔ぶれも全盛期に比べると、もはや比べることができないくらい大幅にレベル・ダウンしている。
 ぼくは以前は、そうであっても、ジャコが自分の音楽を追求した作品も、たとえ自己名義でないにしろあるかもしれない……と思ったこともあるのだが、『ジャコ・パストリアスの肖像』を読むと、とてもそんなことができる状態ではなかったようだ。
 もちろん、そうであってもジャコの演奏がもっと聴きたいというファンは多いのだろうし、だからこそジャコは死後もアルバムの発掘・リリースが絶えないのだろう。
 しかし個人的な意見を言わせてもらえば、今後発掘リリースしてほしいのは、録音の良し悪しにかかわらず全盛期の録音、とくにウェザーリポート時代の演奏であって、晩年のボロボロになったジャコの演奏を続々リリースしてもらってもうれしいとは思えないのが正直なところだ。

 それにしても、『ジャコ・パストリアスの肖像』を読むと、ジャコはどうしてあんなふうになってしまったのかという疑問を感じずにはいられない。
 ここからはぼくの単なる個人的な想像だが、ジャコが契約を自ら潰し、自滅の道を無意識的にでも選んでいったのは、強いプレッシャーがあったからのような気がする。
 世界最高のベーシストだという自負と、作編曲者としての強い自信、それに比して、自分が勝負をかけたはずの『Ward of Mouth』(81) の不評(現在では高評価を受けているが、リリース当時は予想を大きく下回る売れ行きしか示さなかった)と、続く『Holiday for Pans』(82) に対する制作中止とクビというワーナー側の対応……。それは自信だけでなく、自信に見合うだけの才能・実力を持っていたジャコにとっては、相当キツイ打撃だったのではないか。
 もちろん新しいレコード会社と契約し、新しいアルバムを作りたい意志はジャコにもあったと思うが、たとえ再起をかけて全力でアルバムを作ったとして、それが『Ward of Mouth』や『Holiday for Pans』のような扱いを受けたら、それこそ再起不能なまでの打撃を受け、自信を打ち砕かれてしまう。だからこそ再起を賭けるなら、今度こそ何としても成功させなければならないという強いプレッシャーが、ジャコに新しい契約への恐怖心をおこさせ、自分からチャンスを潰していく行為へと走らせていたのではないだろうか。
 不遇な天才として、新しいアルバムを作れないという状況を維持しておけば、自分の実力がもう一度試され、傷つくことはなくて済むのだ。
 では、何がジャコにそこまでのプレッシャーを与えたのだろうか。
 当然のことながら、ウェザーリポートでの成功だろう。ワーナーはウェザーリポートの成功をみて、それがジャコの功績だとカン違いしたから大金をかけてジャコを引き抜き、しかし『Ward of Mouth』や『Holiday for Pans』があまりにもウェザーリポートの音楽と違い、このままジャコに作らせ続けてもウェザーリポートのような成功をもたらさないと思ったからクビにしたのだ。
 そして、ジャコは自分の音楽を信じていたはずだが、ウェザーリポートは自分の音楽ではないことも熟知していたはずだ。ジャコがデビュー作の『Jaco Pastorius』(75) 以来、自分の音楽で6年ぶりに勝負をかけたのは『Ward of Mouth』と『Holiday for Pans』だったのであり、それがあのような扱いを受けたということは、ジャコはサイドマンとしての成功体験はあっても自己の音楽で成功したことがなかったことになる。ジャコがウェザーリポートを離れて活動を始めたとたん、ウェザーリポートがあまりにも大きな壁としてジャコの前に立ちはだかってしまったのではないか。
 しかし、ここでいう成功とは主に商業的な成功である。例えばギル・エヴァンスやオーネット・コールマンのようなタイプのミュージシャンであれば、アルバムがいかに商業的に失敗しようが、それが理由でクビを切られようが、たんたんと自分の音楽を作りつづけたろう。ジャコはどうもそのようにわりきることができる人間ではなかったようだ。
 そのへんにジャコと、ジャコがあこがれていたはずのギル・エヴァンスとのあいだの、人間的な差があるような気がする。


05.11.16



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『ウェイン・ショーターの部屋』



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