Eurostar 旅行記

[English] English Short Version

Paris → London 9 時間40分の列車の旅 ^^;

9027 列車 (1995 年 6 月 27 日)

[!] Paris - London の標準所要時間は 3時間です。

また、青山は EPS 社に対してなんらの悪意も持っていません。

その証拠に、London → Paris も Eurostar で帰ってきました (これは何と言うことはなく、3時間で)。


スムーズに発車、でも 30分後に 1回目の故障

1213、定刻に Paris Gare du Nord 6 番線を静かに離れました
百間先生と比較するつもりはないけれど、鉄道はなるべく 1等で、の方針を立て、予約を日本からしてきました (便利なもんだ)。席は大体埋まっているようです。 開業後約 7カ月、まだどこもピカピカ。
さて、この日の編成 発車後すぐにシャンパンが配られて来ました。1等は alcohol も含めて飲み物無料、食事付きです (飛行機を意識しているのがありあり)。思わずにやけてしまいそうな表情を引き締めつつ (?)、外を眺めていると、やがて TGV 専用線に入って徐々に速度が上がってきました。
1226、右窓正面、一面緑の畑の向こうに CDG (Aeroport Charles de Gaulle) が望めました。

1235、食事の main menu の選択 (鳥 or 魚) を訊きに来ました。 どっちを注文したか、後で食事を配るときに簡単にわかるように、座席の背の情報に、鳥なら橙、魚なら緑 の小さな丸いシールを貼っていきます。

1246 Chevrieres 付近通過、高速道路A1号線に沿って走っていきます。と、3分後 、「ファンファンファンファン…」と耳障りな金属音がスピーカーから流れてくるとともに、列車が停止してしまいました。エアコンも止まり、車内は 2/3 減光。
「原因不明、解決できないので、30分遅れる」と車内放送が流れてきました。

1313、相変わらずずっと停止したままのところ、右側の線を TGV (Nord) が追い抜いていきました T_T。
追い抜いていった列車は、おそらく、Paris Gare du Nord 1237 → 1414 Valenciennes の TGV 7165。

1318、「電子レンジが使えないので、サラダだけを先にお届けします」と各車でスチュワーデスが声を張り上げて説明していたのが、配られてきました。車内放送設備も満足に機能しない状態だったようです。
1322 通電開始。照明, エアコン復帰。

1339、動き始めました。Canal de la Somme を渡ったようです。
焼魚 + ご飯 + ケチャップ という食事が来ました
ご飯が水っぽくて、ふやけていて、味がしなくて、私が生まれて以来食べたご飯の中で、最もおいしくないご飯の記録を見事更新。それでも、みんな食べてしまいました。
(それまでの worst record は May 17, '93 の NH 206 (CDG → NRT) の Y クラスのカレーライス。これについても書き出したら長くなる)

車両交換

1405、Arras 付近に到達
1417、Lille Europe (43番線) 到着。これより前、車両を交換する旨、放送があり、私たちの列車は駅に停車したまま。新しくできた駅で、ガラスを多用した機能的作りらしいとお見受けしましたけど、ホームに乗客はいません。
1425、車内放送「あと15分で代替列車が来るので席で待て」
1436、隣の線 (45番線) に代替列車到着。乗客の乗り換え開始。
乗り換えた代替列車編成 1451、ホームで駅員が呼笛を吹き、プーとブザーが鳴って発車。日本的光景にこんなところで接することになるとは。
さて、発車後、先の列車内では食べられなかったデザートが配られてきました。そのケーキが猛烈に甘い。お茶と一緒に来たチョコレートは「舌が曲がるくらい」甘い。2個のチョコレートのうちのひとつは、さすがの 私 でも持て余しました。

1517、Calais-Frethun をゆっくりと通過。
「まもなく海峡トンネルに入る。約20分で通り抜けるが、各自所要時間を計測されたし」と車内放送。あちこちで、ストップウオッチの音がしました。青函トンネルでも Euro Tunnel でも、こういうことは同じ。

1520 22" Channel Tunnel に入りました。ま、私 も時計を睨んでいたことは他の人と異ならず (^_^)。
青函トンネル通過時よりも静かでした。
1444 54" トンネルを出ました。(France と UK には時差が1時間あるので、トンネル通過所要時間は 24分32秒)

1458、Ashford 通過。駅はホームの建築中でした。(後に開業し、UK 側のターミナルとなりました)

2回目の停止

1502、それまで順調に走っていたのが、速度が極めてゆっくりになりました。また、例の「ファンファンファンファン…」と耳障りな金属音がスピーカーから流れてきました。

1514、Headcorn をゆっくり通過後、ついに列車は停まってしまいました。
1528、「モーター故障のため、暫く止まる」と車内放送。(客は一斉に失笑)
1538 「解決、もうすぐ動く」
1540、ゆっくり動きはじめました。

1554「1700 到着予定。Ticket はLondon 到着後払い戻す」
しかし、それもつかの間、

3回目はトンネル内で長時間停止

1615頃、Sevenoaks 手前のトンネル内で力尽きるかのように停車してしまいました。
1640「うまくいかない。止まっている。どれだけ遅れるかわからない。」と車内放送。
1732「これ以上運転できなくなった。London からの救援を待つ。救援到着は 1830 頃になる」
1747、突然停電で真っ暗になりました。
私 はトイレから出てきたところでしたが、暗くて通路をどう進んだらよいかわかりませんでした。がたがたしたのでしょう、客室内の客が通路の扉を開けてくれました。
停電は 2分ほどで復帰。
最初は「海峡トンネルよりも長く楽しめるトンネル」などと言っていた乗客も疲れたのか、話し声が少なくなり、車内は静かになってきました。
私も憮然として席に着いているより仕方がありません。
が、私の直後の席の日本人は、TOEIC を主催している団体の役員だそうで、客席をあちこち回って会話を楽しんでおられるご様子。こういう過ごし方ができなくっちゃ、とは思うけれど、まず、私の TOEIC の点は恥ずかしくて公開できないくらいですからね。
そんな中、乗客中に糖尿病の急患が出て、医者が通路を走っていきました。
この間、クルーがときどき回ってきて、わかる範囲内で、故障の状況を答えていました。パンタグラフがどうのこうの、と身ぶりを交えて説明しているのが聞こえてきます。
列車内の飲み物がなくなるまで、何度も飲み物のサービスはありました。ただ酒はとにかく飲む方針。

1850、1時間20分ぶりの車内放送あり、「Technical 到着した。皆様の旅行が続けられるよう努力している。」客室内一部で失笑。

1929 「別の列車に連結する。短時間で出来る見込み。」
車外を作業員が行ったり来たりしているのが見え、車体の蓋でも開閉するのか、バタンバタン、と衝撃が来ます
1938、軽い衝撃が来ました。たぶん、連結に伴うものでしょう。
1949、なぜか、車内2/3 減光、エアコン停止。(最初の停止時と同様事態)

2002、3秒くらい動きました。もっとも、乗客が「move」と言った途端に止まってしまいました。
2007、極めてゆっくりとですが、動き始めました。

4時間余ぶりにトンネル脱出

2012、ついにトンネルから出ました。いや、明るいことの有難さ。
列車はすぐに一旦停止しましたが、もうそんなに気になりません。
このまま Waterloo へ向かう。降りる必要はない。35 〜 45 分で着く」

2019、連結の確認でも終わったのでしょう、再び動き始めました。車内減光、エアコン停止は続いたままです。もう編成は自力で走行せず、電源の供給を (多くは) 受けていないからでしょう。Eurostar は編成前後の機関車で push - pull 運転ですが、電源車は持っていませんからね。

2020、Sevenoaks 通過 (London まで 35km 余)。ホーム上で客が手を振ったり、拍手していたりします。どうも地元でも話題になっていたのね。
トンネル内でときどき、対向する地元列車とは擦れ違いましたが、追い抜いていった列車は全くありませんでしたから、そのせいかしら。
そういえば、少なくとも、トンネル内で停車中以降、Eurostar とは擦れ違いませんでした。この日の運転状況はどうだったのでしょう?

私が乗っている列車は、徐々に加速し、40 〜 60km/h へ。
2046、スチュワーデスが黄色い上着を着て颯爽と通路を歩いていきます。
標準軌の線路が寄り添ってきたり、離れたりし、何本も並行して敷かれている区間もあるのですが、架線がないので、あっけらかんとした風景です。煤けた大都会、というより、斜陽の小都市に入っていく感じ。
2052、「着く。Very sorry」と最後の車内放送。
2054、 London Waterloo 24番線到着

最後に余計なこと

ホームで先頭部分の写真を撮ろうと近づくと、係員が出口はあっち、と制止しました。

それを押しのけて2枚写真を撮りました。

フラッシュもないレンズ付カメラしか持ってこなかったことを当時の私でもさすがに後悔しました (外はもはや暗い)。この頃の 私 は写真を撮るのも撮られるのも嫌いで、このカメラにしたって 2年前 Paris に来たとき航空会社がくれたものでした。

他にこんな写真を撮っている者は全くいません。ホーム上にはマスコミ関係者は2人くらいしか見かけませんでした (新聞記者とその社のカメラマン)。そのうちの一人が乗客にインタビューしていました。疲れた表情でその横を通り抜けていく人の列。

私 も無言で入国審査に向かいました。トンネル内で長時間停電しなかっただけマシだ、と。また、よく日帰りを考えなかったもんだ (自分の性格なら、日帰りしそうなのに)、と感心 (?)。

入国審査は、EU の旅券を持つ人とそれ以外の国の旅券を持つ人との列に分かれていますが、EU 以外の列に並んでいるのは日本人が多い。旅券に「CHANNEL TUNNEL」のスタンプが捺されました。

復路の London → Paris では列車に出入国管理官が乗っていて、乗車中に同じスタンプを捺しに来ました


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Last Modified : June 18, 2000