【特別インタビュー】
寺子屋・往来物研究の次のステップ (その2)

 *石川松太郎先生(東京都・謙堂文庫館長) に伺いました (2004年5月)。
[石川] それから、最近の教育学の研究なんですけど、これまではどうしても学校中心の研究だったんですね。寺子屋もその一つですし、明治になれば小学校ですね。とにかく学校が中心でした。ですけど、これから取り組まなくてはいけないことは、「生涯学習」というと社会教育になってしまうので語弊がありますが、人間が生まれてから死ぬまでの生涯にわたる学習、その一生涯を通しての教育はどうだったのかという点ですね。子どもの成長に従って、七五三とか、寺子屋入学を経て、家業を手伝うとか奉公に行き、やがて結婚して、最後に引退するという一生涯を見るわけです。そのような中に学校教育がどのような意味を持っているのかという研究ですね。それで、今後、考えていってよいと思うのは、例えば江戸後期の江戸とか地方都市とかで一生を送った人々が、若いときに往来物を学んだことがその人にとってどういう意味があったのかということですね。それが出てくると非常に面白いと思います。そういう研究は戦後に高井浩さんという方が…
── ああそうですね。天保期の少年少女の学習課程などを詳細に研究したものでしたね。
[石川] そうですね。そういう方向に研究が進んでいて、これは面白いと思います。実は今執筆中の『寺子屋の源流を探る』も、最後の結論はそこへ持っていこうと考えています。今後ね、寺子屋の起源を研究するにしても何にしても、そこへ持ってこなきゃいけないんだと、できれば民俗学的な七五三だとか、それから学校(寺子屋)へ行って、卒業後はどうしたと、こういう生涯の中で往来物の学習がその人にどのような意味があったかということですね。もちろん、往来物は往来物として独立した研究分野、調査分野としてやることは大事なことですけれども、例えば新しい往来物の発見とか、分類とか、これはこれでずっとやっていかなくてはならないことですけれども、同時に、今申し上げたような観点を入れて、生きた人間の一生にとっての往来物学習の意味が出てくると面白いんじゃないかと思いますね。

── なるほど。話が変わりますが、写本の女子用往来で『女童子訓』というのを最近入手しました。その往来は本文冒頭に「教女子法」と書いてあって、すぐに貝原益軒の『和俗童子訓』からの抄録だと気付いたんですが、やはりほとんど同文でしたので、内容自体は珍しくはないんですが、序文が何枚か付いていて、それを読んで驚きました。その写本は、持ち主の女性が確か6歳か7歳の頃、母親から「これを勉強しなさい」ということで与えられた写本なんで、お母さんが、娘のために手習師匠に頼んで書いてもらったものなんですね。その写本は、家庭でも母親から読んで教えてもらったようで、とにかく少女時代から成人まではもちろん、彼女が結婚してからも嫁ぎ先に座右の書として持っていった写本だったんですね。そういうことが序文に書いてあったんです。嫁入り後もその本を持っていって一生の宝と思って、事あるたびにそれを読み返しては自分の心を反省したそうなんですね。家財道具は手放してもこの本だけは大切にしなさいと言って母から渡され、それを生涯守ったんですね。そして、結婚してから数十年たって、もう孫も出来て今は幸せな境遇にあって、それはこの本のお陰だというようなことが記されていました。そのいきさつを序文に書き残してあったんですね。毎日のように開いて読んでいるうちに、全文を丸暗記してしまったというのです。とにかく生涯を通じてその『女童子訓』を読み通したそうなんですね。

[石川] 自分の血となり肉となったんでしょうね。
── その序文を読んで、この本と巡り会えて本当に良かったなと思ったんですけど。その女性がどのような人なのかは分かりませんでしたが、結局、このような女性が大勢いたのだと思うんですね。1冊の本をそこまで読み込んで自分のものにしてしまうという学び方ですね。現代人のわれわれがそこまで読み込むような書物というのはなかなかないと思います。情報量があまりに多くて、通り過ぎる情報が非常に多いわけですよ。
[石川] そうそう。次から次へと忘れていっちゃいますね。
── このようにして自分の中に蓄積できた本がどのくらいあるのかなと思うと、本当に心許ない限りです(笑)。学問といいますか、書物を読んで学ぶということの意味合いが、現代人とはちょっと違うんじゃないかと思いました。
[石川] そうですね。女性の場合、「百人一首」などの分厚い本はお嫁に行くときに持っていき、それを色々な機会に読んでみて、親や師匠の教えを思い出すというように使われていたんじゃないかと思います。
── 往来物にはよく、「これを売るべからず」とか「この本は家宝だから大切にしなさい」とか書いてありますね。教えが書いてある書物、貝原益軒も本というのはそういうものだから、実際に聖人に向き合っているようなつもりで大切に扱わなくちゃいけないというようなことを書いていますけど、本に向き合う姿勢も含めて、われわれと少し違うんじゃないかと思いましたね。
[石川] 今日と違うのは、書物の持つ時間的価値、書物というのは親も読んで、子も読んで、場合によっては孫も読んでというように書物が持つ時間的価値(生命)を非常に大切にするのは江戸時代の特色だと思います。それは往来物には確かにあります。書物には空間的・社会的価値というものもあると思うんですね。それがベストセラーズのようなもの、何十万、何百万という数が作り出す価値ですね。ですけどすぐに消えていきやすいものです。理想を言えば、時間的な価値も空間的な価値も両方備わっていることが望ましいわけですが、そういうものが古典としてずっと残っていくものなんでしょうね。往来物はやはり時間的な価値の方に重点があるのだろうと思います。
── 寺子屋の資料が数多く残っている地域では、利根啓三郎先生のように実証的な研究によって、結局、親がその寺子屋で学び、その子どもも学び、場合によっては孫も学ぶというように、二代、三代と同じ寺子屋に通うことも珍しくなかったわけでしょうが、子どもが教わってきたことを親が聞いて「そうか、そうか」と確認する場面が沢山あったと思います。そういう意味では教えてもらっている内容が、多少は変わっているにしても親子で共有できる、教育のなかに脈々と流れているものが今よりもあったんじゃないかと思いますね。最近は教科書の変化もめまぐるしくて、だんだんとそういう物も失われてきているような気がしますね(笑)。
[石川] これは文部省の方にも問題があると思いますが、教科書の内容がどんどん変わっていってしまうと…。例えば、僕ら国定教科書でしたけれども、国定教科書も何回か変わっていますけれども、同じ教材もあって、僕の親父なんかが「お前、それを習っているのか。わしも小さいときはそれを習ったものだ」と言ってね、そこに親子の何ともいえない絆ができたわけですけど、そういうものも、代毎に変わってしまえば、親が学んだことは子は学ばないし、孫はもっと学ばないというふうになってしまいますね。そこに時間的な価値というものがまるで失われてしまう。教育というのはそれで良いのだろうかと。どこか時間的なつながりがないといけなんじゃないかと考えています。

── 国会図書館にある本なんですけど、幕末に書かれた『実語教・童子教』の注釈書があるんですね。その往来物を読んでいて面白いなと思ったのは、子どもが寺子屋へ行って学んできたことを、父親が子どもに尋ねているんですよね。現代人の父親には、よほど意識がないと、なかなか出来ないことだと思いますが、それで、その著者は深川の方に住んでいる絵師で、子どもが寺子屋で『実語教・童子教』を学んでいるというので、子どもに読ませたら、なんだか間違って教わっているらしいので、「お前、今のところもう一度、師匠に聞いてきなさい」と聞きに行かせたんですね。やがて、子どもが帰ってきて、「父ちゃん、やっぱりさっき言った通りだったよ」と子どもが答えたので、こんな間違ったことを教わっているんじゃ心配だからと、父親自身が『実語教・童子教』の解説書を書き上げたというわけです(笑)。それを読んで、寺子屋教育の周辺でも親子でこのような関わり合いがあったことを知り、とても興味深く感じました。

[石川] それは面白い話ですね。
── ですから、往来物、特に写本などで、その往来物を書いた経緯とか、それをそう使ったのかが分かる痕跡があると、大変面白いのですけど、その部分がなかなか見つけにくいですね。
[石川] そうですね。
── 先生が先ほどおっしゃられた、生涯を通して見た場合の往来物の意義という点は、その人の人生どのような影響を与えていたのかという点は、そこまで調べるのが大変ですが、それができれば本当に面白いでしょうね。私も今後関心を持っていきたいと思います。
[石川] それで考えなきゃならないことがあります。ちょっと往来物から離れますけど、寺子屋の起源論を述べる時に、中世寺院の世俗教育というのが高橋俊乗さん以来、定説になっていますが、父も必ずしもそれだけじゃないが、中世寺院の世俗教育が一つの起源であるという前提で賛成しているんですね(高橋説=一元論/石川説=多元論)。これは、ちょっと考えなくてはいけない問題が残っているんですね。中世寺院の世俗教育がほとんど武士の子であると、庶民も若干いたという記録もありますが中心は武士ですね。これが一つの問題ですね。このような階級的な問題だけでなく、世俗教育が24時間教育だったという点が大きいんですね。つまり朝起きてから寝るまで1日中全部教育だった。5、6年間24時間教育が続くわけです。しかし寺子屋はそうではありません。寺子屋も数年かけて学習しますが…。
── 通いですよね。
[石川] ええ、通いが原則です。ここに大きな違いがあって、多胡辰敬という人が書いた家訓がありますが、中世寺院に子どもを預ける場合に3つの目的があるというんですね。一つは言うまでもなく読み書き。二番目が躾、躾というと寺子屋でも行ったんじゃないかと言われそうですが、ちょっと意味が違いまして、お寺には色々な人がやってきます。僕も寺に籠もって勉強したことがありますが、お寺には村の色々な人がやってくるんですね。偉い人も来れば、お嫁さんも来る。姑さんも来れば、色んな人が来る。つまり、そういう色々な人たちと応対しているうちに、自分の人間が作られていくという点です。寺子屋にはそういうことはありません。それから三番目の目的は出世の糸口。まあ、そういことも稀にある。石田三成が豊臣秀吉に見出されたというのは伝説に過ぎませんが、そのようなことはあり得たと思うんですね。しかし、寺子屋には出世の糸口ということはありません。ですから、寺子屋は中世寺院の世俗教育とは質的に違うんです。僕はそう思っています。寺子屋の場合は、往来物の内容をしっかりと身につけておいて、記憶しておいてくれないと困るんです。その意味では今の小学校教育とも違います。今日、生活科とかなんとか言っているものとも違います。ですから、暗記しやすいような形をとるわけです。七五調にしてみたり、「魚字尽」のように漢字を分類してみたりね。みんな記憶しやすいようにしてあるんです。
── そうですね。往来物は、声を出して読むと調子が良いものが多いですよね。
[石川] そうです。それはね、往来物が古いんじゃなくて、その子どもがやがて大人になった時に役に立つものとして授けるわけですね。『東海道往来』なども七五調でなめらかですね。ですけれども、それは憶えることが先なんです。極端なことを言えば、「時得て咲くや江戸の花、浪静かなる品川や、やがて越え来る川崎の…」と書いてありますが、品川はいつでも「浪静か」なのかといえばそんなことはありません(笑)。作者から言うと、内容が問題なのではなくて、憶えやすい調子の方が重要なんですね。そして例えば、将来、品川に荷物を送らなくちゃいけないという時に、「品川」という字がすぐ出てくると、こういうことなんですね。その人の生涯にとっての意味というのは、そこにあったんだということですね。きちっと「品川」という言葉を憶えてくれれば良いわけですから。
── なるほど。
[石川] 往来物を研究する人は、その辺のところを頭に入れて置いて欲しいという気がしますね。
── 分かりました。さすがに、研究上で見落としてはいけない視点など、改めて大切なことを教えて頂きました。本日は本当にありがとうございました。


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