養育教諭 (よういくきょうゆ)

  (関口豊種作。文政5年(1822)作・初刊。安政2年(1855)再刊。阿部庄右衛門ほか施印。

*子殺しを戒めた教諭書。初板本は文政5年刊で、『養育草』と称したらしい(順天堂大学蔵本)。本文わずか8丁の小冊子で、篤志家によってたびたび施印されたようである。

○本文大意
 わが領国(不明)内の中にも、産まれたばかりの赤子を戻すという、あさましい悪業をなす者がいると聞く。どうしてそのようなことをするのであろうか。きっと、そのような者にとっては、そうせざるを得ないような事情があるのだろうが、たとえどのような避けがたい理由があろうとも、間引きは絶対にしてはならない事である。
 そもそも子どもが生まれるのは人為的な行為の結果とばかり思うのは誤りであって、神道では産霊(むすびのかみ)がお与え下さった命と考え、また、儒道では天が与えられた命と考え、さらに仏道では諸仏の力によってこの世に誕生すると説かれている。したがって子殺しは、天神地祇の御心に背くのみならず、儒道にも仏道にも背く行為であり、日本のみならず中国や天竺まで罪人とされる行為である。(中略)天照大神を仰ぎ、家々をお祓いし、遠くまで参宮したところで、子を戻す罪を身に受けては、なんの甲斐もない。(中略)

 家が貧しくて子どもがいては自分の親を養っていけない場合がある。これは子殺しという悪業の中でもまだ一理あるように見えて、郭居(かくきょ。中国の二十四人の孝子の一人。後漢の人。家が貧しく母親が減食するのを見て、わが子を土に埋めようとしたところ、黄金が出てきたという)が子どもを埋めようとした心根にも似ているが、古人は郭居の親孝行ですら「人情にあらず」と批判しているのに、ましてや今の世には決してしてはならない。もし父母を養うのに支障があるのならば、その理由を公に訴えるべきである。きっと、領主が何とかして父母も子どもも生きていけるように配慮してくださる。

(以下、要点のみ)

○貧家の子沢山では生活していけないというのは一応もっともに聞こえるが、この国ばかりでなくいずこも貧民は多く、富者は少ないものであって、貧しい者は貧しいなりに子どもを育て暮らしているのである。悪衣悪食を恥じる者がいるが、恥ずべきことは衣食住の貧しさではなく、子を戻す行為である。まだ捨て子の方が良い。とにかくそれほど貧しいのであれば、公に訴えよ。

○中でも過ちの甚だしいのは、子沢山を恥ずかしいと思う心である。古来より子沢山こそ望ましいとされてきた。中国の中山靖王は120人の子どもがいたし、わが国の景行天皇には80人の子どもがいたと史書にも書いてある。

○女子には特に子沢山が恥ではないことを教えたいものである。子宝に恵まれた女性というのは一つの徳分である。

○二子や三つ子が生まれた場合に、これを恥じて、一人の子どもしか育てない者がいるが、これも大きな誤りである。日本歴史をみても中国の歴史を見ても、二子、三つ子の例があり、それらの子どもを恥じたり憎んだりすることはない。

○また、さすがに自分の手で子戻しをするのが憚られて、取り上げ婆に頼んで戻してもらう場合もある。取り上げ婆たる者は、このような依頼を決して受けてはならない。お金の欲に目がくらんで引き受けた場合にはその罪はなお大きいであろう。そのような夫婦がいかに子育てしていけば良いかを教え諭すのが筋であり、そのように諭してもなお子戻しを要求された場合には、村長へ事情を話し村長から説得させるようにせよ。それでも駄目なら、公に訴えよ。

○領国内で子戻しが流行するのは、その国の恥である。その道理を教えないのは為政者の過ちであり、教えを受けないのは民の罪である。他国にはない間引きの風習がわが国にあるのは当地の恥であり、その村長の恥であり、領国を監督する役人の恥であり、ひいては、恐れ多くも君上の御恥となるのであるから、領内の者どもはよくよく思いめぐらすべきことである。

★本書は他に順天堂大、東京家政学院大などに所蔵がありますが、翻刻等は出版されていません。原本で読みたい方はデジタル複写をお申し込みください。