〈道話〉 自脩編 じしゅうへん (一名「玉川道話」)

  (小町玉川(雄八)作。文政11年(1828)序。同12年刊。[江戸]河内屋太郎兵衛板)

*武蔵国北多摩郡狛江村和泉の玉川付近の出身であったことから自ら「玉川(ぎょくせん)」と号した小町雄八は、農民出身であったが、学問を重ね、晩年は上総・下総で卑近な心学道話を説いた。その講説をまとめたものが本書で、上巻に父子・君臣、中巻に夫婦・兄弟・朋友・士・農・工・商、下巻に学習・経済・釈教・旅困・養生の3巻14章から成る。多岐にわたるが、ここでは子育て論として興味深い一節のいくつかを紹介しよう。
★上巻本文冒頭写真
○子どもは、大人の言葉を聞いて決して忘れないもので、その見聞きしたものが、全て子どもの心を形作るのである。どんな些細なことであっても子どもに嘘をついてはいけない。また、子ども同士がケンカをして泣いた時に、わが子を贔屓することは、わが子をダメにすることである。子どものケンカの是非善悪を正す必要はない。親は自分の子どもを叱って連れ帰るべきである。 (上巻)

○師匠に贈る束脩(寺子屋などの入学金。各家庭の経済事情に応じて贈るのが通例)その他の謝礼の多寡について、子どもに話してはいけない。師匠に対する金銭的な謝礼について、親が子どもに話すと、子どもは道を軽んじ、師を軽蔑する心が生じるからである。子どもに算数は学ばせなくてはならないが、家計の出入りや算用などは教えるべきではない。損得などは成長と共に自然に覚えるもので、子どもに教える急務ではない。(上巻)

○親子は同じ家で生活するために、子どもは親の良い面も悪い面もよく見ている。親といえども完全な人格者ではないため、子どもには親の非を咎める心が生まれるように、親子では道が行われにくい面がある。従って、良き師匠や友に子どもを託して道を学ばせるのである。(上巻)

○もともと、親は子どもに良いことを教えたいと思い、子どもは良いことを学びたいと思う心がある。その良いこととは、結局は「職業を身につけること」と、「父兄に仕えること」である。この二つは生きていくための根本である。考えてみると、田圃を耕すことも学問であり、文武諸芸を学ぶことも学問である。『論語』にあるように、学ぶことは行うことであり、行うことは学ぶことである。(下巻)


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