渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates





関西の造園家と出会って仕事をするようになってからいろいろなものが見えてきた気
がします。それまで東京の植木屋さんと仕事をしてきて埴栽とはこのようなものかと
およそ分かったつもりでいました。ところが、もっと奥の深い世界があることを知り
ました。
その違いを単純に言うと、木を単に”眺めるもの”として見るか、”歩き回って五感
で感じるもの”として捉えるかの違いなのではないかと思います。その木を前にした
見方や態度で、何を良いとするのかがまったく違ってくるのです。最初に、はじめて
見る木は目の前のもの単体しか見えないのですが、落ち着いてくると周りのものや時
のうつろいや光との関係が見えてきます。木の下を歩いた時の頭のすぐ上で葉のそよ
いでいる気持ち良さや、木葉の影が映るものの具合や移り変わりの面白さ、木漏れ日
が揺れる美しさ、木は幹が太く葉が勢い良く茂っているよりも細く間が空いて貧弱に
も見えるくらいまばらで向こうが見通せるくらいの方が奥行や風通しが感じられ、歩
くと手前と奥に見えるものが変化する様を感じるといったことです。そしてそのほう
がずっと味わい深く、長い時間楽しめるのです。
”眺めるもの”として見れば1本の立ち姿が良いほうがよいので、完結した気持よく
天に伸びたシンメトリーな姿や刈り込んだ形だけで考えられている様に思います。
関東は土壌が良いので、すぐに茂ってうっそうとしてしまうので、成長を押さえるよ
うに刈り込むことが植木屋さんの仕事になってしまったようです。ですが、周りとの
バランスや時間、光との関係を考えると木は斜めに傾いたり、間が透けてるくらいに
まばらな方が良く、植木の手入れもおのずと全く違ってきます。扱う樹種の豊富さも
驚きでした。
最初にシンプルな住宅の庭で関西の造園家に提案されたのは6mの松を2本植えるとい
うことでした。松といえば和風建築の代名詞ですし、松を植えると人を養うくらい手
間がかかると言われます。ですが話を聞くと黒松ではなく、海岸の防砂林として育っ
た曲がった赤松だといいます。能舞台の背景の松のように刈り込む必要は無く、屋内
から幹を眺めるのだと言います。松の他にも竹やささ、もみじ、つくばいは和風の庭
にこそ合うものだと思っていましたが、扱い方次第でモダンな庭にも良いことを知り、
目からウロコが何枚も落ちました。
それらのことは、建築にも言えることです。平面的な壁の意匠は最初に目に入りわか
りやすい。しかししばらく佇んでいると、その壁の向こうに見え隠れしているものと
の陰影や奥行きの関係が見えてくる。さらに歩き回ると見え隠れしているものが次々
に変わっていき、時間とともに陰影の関係も変化していく。そのような関係を作るこ
との方が飽きずにいつまでも味わうことができるのです。
つまり視覚だけに偏重するよりも、時間を伴った五感でものの関係を考えることと言
えそうです。それを知ってから京都などに行くとまた色々なものが見えてきます。

2009/6/10


等々力の家

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